北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】岐阜基地航空祭2014【7】飛実団,異機種大編隊第二第三飛行(2014-11-23)

2018-09-30 20:10:38 | 航空自衛隊 装備名鑑
■大空に織りなす異機種大編隊
 岐阜基地航空祭最大の目玉、異機種大編隊は次々編隊を組みかえて航過します。

 戦闘機開発、航空自衛隊が主力として運用するF-15開発の前に、相当な苦労がありました。当初は、アメリカが空軍と海軍が共通する戦闘機を採用したならば、量産効果が上がり運用費用も安価に抑え、国防費を最大限有効活用できるという視点から行われました。

 しかし、この種の開発は用途の違う航空部隊の需要に合致させる事は難しく、海軍航空隊と空軍ではどちらか一方に主導権を付与させるわけにもいかない、都合開発を複雑化させてしまい、これは今日の多国間共同開発F-35等の開発よりも難しい条件があったのです。

 とにかく海軍が空母艦載機として艦隊防空に必要な性能を全部盛り込もうとしましたし、空軍は戦闘爆撃機として必要な性能を盛り込みましたので、どんどん機体が期待とともに大型化しまして、身軽さは失われ、とても格闘戦を実施できる期待とはなりませんでした。

 F111は戦闘爆撃機として敵基地破壊や指揮中枢への攻撃には最適の航空機、戦略空軍が長距離打撃戦闘にも用いる事が出来、F-111を戦闘機ではなく設計が想定している戦闘爆撃機として運用する限りでは、非常に優れた航空機なのですが、戦闘機としては向いていない。

 統合戦闘機として鳴り物入りで開発されたF111,海軍は大型すぎて航空母艦に充分搭載できないとして拒否しますし、空軍も戦闘機としては性能が不十分、としました。もちろん、それだけで大量の開発費を投じたものを廃棄にはできませんので、用途を考える事に。

 F-111は結果、海空軍の主力戦闘機として当初想定された数千機単位の量産は行われず、少数が戦闘爆撃機、そして電子戦航空機に転用されました。この中で、F15は誕生しました、同時にF14も誕生している。空軍がほしい航空機は自前で開発、海軍も同じように行う。

 F15とF14の誕生ですね。F15は技術的に開発し得る最高出力のエンジンを二つ搭載し、レーダーにより大型化する機体を高出力のエンジンで遮二無二機動力を確保する、機体に掛かる強烈な重力負荷はチタン合金はじめ機体構造をとにかく頑丈無比なものとしました。

 F15はこうして開発されています。結果、とにかく機体は頑丈で多くが積めますし、新しいレーダーもコンピュータも追加搭載することができた、多くを積める能力は偉大です。そして機体構造が頑丈ですので、老朽化まで時間があります、これも長く使える理由です。

 そして鈍重になることなく、機体を機動性とともに戦闘機として成り立たせる、強力なエンジンを搭載していた。こうして何度も近代化を重ね現代でも通用する航空機が完成しました。新しい情報処理装置や新型レーダーを搭載し、ミサイルも大量に搭載できるゆえ。

 この戦闘機は戦闘機のロールスロイスと呼ばれ、ロールスロイスというよりも個人的にはアメリカの戦闘機ですので戦闘機のキャデラックというべきだともおもうのですが、調達費用も維持費も高価な戦闘機として完成、この航空機を自衛隊は多数を導入したわけです。

 経済大国と呼ばれるようになった当時の日本でも、自衛隊にとってF15は高かった、防衛費が二兆円以下の時代に為替レートの関係から一機180億円といわれた航空機です。例えれば2000年代に自衛隊がF-22を導入するような、それ程の経済的負担と云えましょう。

 安い戦闘機が欲しければF16という機種もありました、中距離空対空ミサイルの運用能力が初期型にはなく、それこそ開発当時はF104をそのまま置き換えるような性能にとどまっています、順次改良されまして、もっともその分相応にF-16でも高価になるのですがね。

 F-15戦闘機は航空自衛隊が導入した当時、二兆円程度の防衛予算で当時為替レートの関係で一機180億円という極めて高い戦闘機でした。経済大国と呼ばれるようになった日本でも、この費用は、特に防衛費にはGNP、今のGNIで1%の枠があり高いものでした。

 F-16,中距離空対空ミサイルの運用能力はもちろん、対地攻撃にも威力を発揮するようになります。しかし当時はそれほどではなかったし、もともとF16は何十年も運用するような頑丈な設計ではなかった、そこで航空自衛隊がF15を導入したのは正解であったといえる。

 三菱重工によりライセンス生産が実施されたF15は、当初96機程度の調達に止める計画でしたが、F104戦闘機を置き換えた後にF4戦闘機の後継としても調達されることとなり、毎年15機程度が生産されることとなりました。これはほぼ一個飛行隊に相当する規模だ。

 F-4戦闘機では調達費用の90%がライセンス生産されていましたが、F-15は70%と国産率が低くなったとされ、部品の一部はアメリカからの直接供与に依存しましたが、飛行基幹部品などは日本国内に生産基盤を構築し、日本国内で整備と補給と維持できるようなった。

 これにより飛行に必要な支援体制はすべて三菱重工により実施できる体制が整いました。その上で、構造寿命の計算や近代化改修などの基盤も構築されることとなります。すると、レーダーの改良や新型空対空ミサイルへのソフトウェア適合も日本国内で実施出来ます。

 戦闘機のキャデラック、いやロールスロイスは単に高級志向ということで導入されたのではなく、必要であるために導入されたのですが、基本性能は高いまま、長大な戦闘行動半径と国内の運用基盤と総合し、日本防空に欠かせない基幹装備となっていったわけです。

 F-15は古い戦闘機という印象ですが、近代化改修も重ねて実施されていまして、このF15近代化改修にはロシア製Su27戦闘機に匹敵する費用を要しますが、敢えて新しい戦闘機を調達するのではなく改修予算へ投じ、今尚第一線で通用する高性能を維持できています。

 岐阜基地飛行開発実験団と防衛装備庁では現在、将来の日本の防空を担う二つの将来戦闘機計画が進展中です。一つはアメリカから導入した国際共同開発の統合打撃戦闘機F35,そしてもう一つは防衛装備庁が開発を続けている国産戦闘機開発へ技術を強化すること。

 先端技術実証機X2を基本とする将来戦闘機開発です。F35については防衛省が導入を進めていますが、岐阜基地飛行開発実験団では今年の三菱FACO最終組立機初飛行に先んじ、防衛省が次期戦闘機としてF35を導入し早々にF35準備隊を設置し、導入準備にあたった。

 X2は先端技術実証機であり、これまでに開発した様々な技術を航空機の形状として実際に進空を行った上で検証する実験機材です。このため、独自のエンジンと飛行性能を有していますが、このX2にミサイルを搭載し、次に実用航空機、とできるわけではありません。

 ただ、防衛装備庁は技術研究本部の時代から様々な航空技術を分散し研究しています、機体構成素材や制御技術、レーダーから操縦装置、小さなものでは安定翼付け根の素材研究、操縦席の配置研究なども行われています。この中から勿論、日の目を直ぐ見るものもある。

 しかし、技術研究は諸外国から見れば簡易な裾野研究を積み重ねており、その裾野研究が次世代まで持ち越して部分的に応用されるものもあります。即座に使えるものではない分、汎用性ある技術をそのまま培ってゆくだけというものもあり、気の長い開発なのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【G7X撮影速報】小松基地航空祭/'18航空祭inKOMATSU.観衆12万3千名(2018-09-17)

2018-09-29 20:08:34 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■F-15大編隊と記念塗装2018
 小松航空祭2018、一週間と少々経ちましたが、G7X速報の後篇をお送りしましょう。

 小松基地航空祭2018、小松マジックという天候回復の恩恵に与れた航空祭ですが、天候次第でこの航空祭を、どの撮影位置で撮影するのか、これは最初から課題でした。目的は、北陸の戦闘機部隊、日本海唯一の戦闘機部隊航空祭で、良い写真を撮りたい、それだけ。

 平成30年の小松基地航空祭、離陸直後に捻り、つまり戦闘機が大きく変針する撮影位置もあるとの事でちょっと考えてしまいましたが、しかし、この平成最後の小松航空祭は気流の関係で滑走路離着陸方向が逆となっていまして、撮影位置はちょっと錯誤してしまった。

 北陸の天候は変わりやすい、という一例なのかも知れませんが、滑走路の進入方向は気流の向きによって変わります。もちろん飛行展示の撮影にそれ程影響はないのですが、離陸と着陸の構図画定となりますと、ちょっと航空機と建物の向きに影響が出たりしまいます。

 日本海唯一の戦闘機部隊である小松基地、航空祭を撮影するには滑走路を挟んで白山側にある小松基地航空祭会場から撮影するのか、滑走路を挟んで日本海側に位置する小松空港から撮影するのか、滑走路という一本の線を隔てて全く違う情景が撮影できるのですから。

 白山側の小松基地から撮影する、順光の環境で撮影できます。順光と逆光の違いは一つ、空が青色に映えるか灰色に沈むか。晴天となっていましたら順光一択、と行きたいところです。しかし、では何故逆光の小松空港、日本海側から多くの方は撮影するのでしょうか。

 日本海側の小松空港から撮影しますと、逆光なのですが戦闘機の背中が見えるのですね。順光であっても小松基地から撮影できるのは戦闘機の腹だけ、機動飛行の危険へと臨む操縦席も機体上面に険しくも画かれた迷彩も記念塗装も青空と共に撮影する事は出来ません。

 300mmF2.8の明るい単焦点レンズを装着しますと、APS-Cセンサーサイズで35mm換算では480mm相当になる。ここに明るさを維持しつつ焦点距離を伸ばす1.4倍テレコンバータを装着しますと672mm相当となる、すると逆光でも機体だけを画面一杯に撮影し得る。

 F-15を鮮やかに撮影する選択肢には当方手持ちで一番重い、なにしろバッテリーパックと共にEOS-7D一眼レフに装着したらば重量は4.4kg、つまりあの64式小銃と同じ重さ、この重いが見合った高性能器材を小松に持ち込めば、逆光でも勝算はあったといえましょう。

 第6航空団と飛行教導群の飛行展示は個人的に300mmレンズでは世界最高性能と信じる機材が必要なのですが、難点は雨天であれば濡らしたくない、買い替えると下手な自動車並、そして雨天ではゴアテックス雨衣や防滴器具など、嵩張る荷物が増える、これも重い。

 青空を背景に撮影出来れば、それでいいのではないか、航空祭では手堅い選択として結局小松基地から撮影しました。しかし、ある意味逃げなのかなあ、最良の撮影位置へ最重の撮影機材を担いで、という選択肢もあったのかなあ、撮影完了後、こう考えたりもします。

 航空祭を撮る、忘れないようにしたいのはF-15を撮りに来たのではないという事、戦闘機だけ撮りたいならば平日にでも撮影できる、航空祭なのだから活況を撮りたい、戦闘機だけの写真ならばこの日この場所に拘る必要もない、基地に入る必要は確かに、ありました。

 石川県小松市の航空祭、主役は観衆であり隊員なのですね。カメラで活況を撮影するには角度を自由に変え液晶を確認できるコンパクト機種G7Xの利便性を確認できます。そういう意味では、やはり基地から撮影した航空祭は王道なのかな、とおもいつつ撤収しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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平成三〇年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.09.29-09.30)

2018-09-28 20:06:39 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 行事紹介の前に。大型で非常に強い台風24号が沖縄県を経て日本列島に接近しています。土曜日から日曜日にかけ、九州西日本へ接近するとみられ、御注意下さい。

 西部方面隊創設記念行事健軍駐屯地祭、今週末最大の行事となるでしょう。ただし台風直撃の心配が大きい。実施されたらば西部方面戦車隊の10式戦車、新編水陸機動団のAAV-7水陸両用車、改編なった第8即応機動師団の16式機動戦闘車を筆頭に軽装甲機動車、12式地対艦誘導弾、MLRS等が観閲行進を行います。実施可否は、文字通り台風次第という。

 健軍駐屯地祭、駐屯地は熊本市内にあり熊本空港へ着陸する旅客機から一望する位置にあります。そして健軍駐屯地祭の特筆すべきは観閲行進を市中パレードとして実施する事なのですよね。市中パレードといいますと本年善通寺駐屯地第14旅団祭の第15即応機動連隊を思い出しますが、北熊本駐屯地には第42即応機動連隊が新編、行事に参加します。

 立川防災航空祭、今週末の陸上自衛隊航空記念行事は東京都の東部方面航空隊司令部が置かれる立川駐屯地記念行事で、東京都や東京消防庁、横浜市消防局に国土交通省、海上保安庁に警視庁のヘリコプターが参加の防災航空祭として、首都直下型地震、この瞬間にも訪れるかもしれない巨大災害へ備えますが、台風というこの瞬間迫る災害の影響が心配だ。

 南恵庭駐屯地設66周年記念行事、今週末の大規模自衛隊行事としては北部方面隊直轄の第3施設団と第7師団隷下の第73戦車連隊が駐屯する南恵庭駐屯地祭が挙げられるでしょう。ただ、駐屯地は三週間前の北海道胆振東部地震震源地から遠くなく、行事内容変更は有り得ます。ただ、北海道は地震による観光客キャンセルが相次ぎ、行って応援してあげたい。

 戦車部隊行事は北海道に東北と近畿地方に山陽地方で挙行されます。南恵庭駐屯地祭が第3施設団と第73戦車連隊、大和駐屯地祭が年度末改編で廃止予定の第6戦車大隊、今津駐屯地祭が第3戦車大隊と第10戦車大隊、日本原駐屯地祭が第13戦車中隊と第13特科隊、そして北海道の別海駐屯地祭が第5偵察隊の駐屯地です。いずれも台風情報に御注意下さい。

 航空自衛隊関連では、福井国体開会式ブルーインパルス飛行展示が実施されまして、短時間ですが航過飛行で盛り上げます。この他秋田分屯基地開庁記念行事として秋田救難隊がUH-60J救難ヘリコプターとU-125救難機による飛行展示を行います。青森県上北郡東北町に置かれる第四補給処東北支処の東北町分屯基地でも開庁記念行事が行われるとのこと。

 レーダーサイトの行事では秋田県男鹿市男鹿中滝川の第33警戒隊が任務に当る加茂分屯基地、岩手県下閉伊郡山田町にある第37警戒隊レーダーサイトである山田分屯基地、京都府京丹後市に所在し第35警戒隊と米陸軍弾道ミサイル警戒Xバンドレーダーの置かれる経ヶ岬分屯基地、沖縄県宮古島市上野野原にある第53警戒隊の宮古島分屯基地、が行われます。なお、宮古島については本日0101時時点で中止が発表されています。

 さて撮影の話題。台風が接近した場合、そして週末に日本列島を直撃する場合、自衛隊行事への展開をどう考えるか。台風の規模にもよりますが行事が開催された場合はあります、何度か豊川駐屯地祭が台風の目の前で挙行されましたし、今津駐屯地祭も実施されたこともあります、が、中止された事もあります。特に勢力の大きな台風の場合は部隊にも準備が必要です。

 撮影へ展開する場合ですが、公共交通機関を利用する場合、運休にならないか、特に現地へ行き、その帰路に不通にならないか、という想定は一応行う必要があります。これが帰宅困難者、という事になりますが、行事撮影にばかり集中し、列車運行情報の確認が疎かになりますと、駅でちょっと前からの運転見合わせを知る、という事にもなりかねません。

 行事中止についても当日朝に発表される事がありますので、状況次第では現地にて中止を知る、という事もある訳ですね。無理に移動しないで、とはいいつつも台風直撃まで予報では十分時間がある場合などは、行かずに行事実施を自宅で知る、なんて事もあり得ますので、こればかりは自己責任で情報収集する他ないのですが、行動は慎重に、と一言です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・9月30日:南恵庭駐屯地設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/sta.html
・9月29日:別海駐屯地駐屯地創立53周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/5d/01_unit/butai/05_betsukai.html
・9月29日:加茂分屯基地分屯基地祭…http://www.mod.go.jp/asdf/kamo/
・9月30日:山田分屯基地創設60周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/yamada/home.html
・9月30日:秋田分屯基地祭…http://www.mod.go.jp/asdf/akita/sp/
・9月30日:大和駐屯地創設62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/taiwa_hp/index.html
・9月30日:東北町分屯基地祭…http://www.mod.go.jp/asdf/tohokumachi/
・9月29日:立川防災航空祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/eaavn/notice.html
・9月29日:福井国体開会式飛行展示…http://fukui2018.pref.fukui.lg.jp/
・9月30日:経ヶ岬分屯基地祭(八丁浜シーサイドパーク)…http://www.mod.go.jp/asdf/kyouga/
・9月30日:今津駐屯地創設66周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/imadu/
・9月30日:日本原駐屯地53周年記念日行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/nihonbara/toppage.htm
・9月30日:西部方面隊創設記念健軍駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/
・9月29日:宮古島分屯基地祭(台風24号接近のため
中止となりました)…http://www.mod.go.jp/asdf/miyako/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【7D特報】今津駐屯地創設65周年記念行事,台風接近下の戦車戦闘訓練展示(2017-10-22)

2018-09-27 20:15:54 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■台風打払う74式戦車の咆哮
 台風と自衛隊行事、重なりそうになりますと憂鬱となりますが、時には打払うべく実施することもある、昨年の今津がそうでした。

 今週末は今津駐屯地祭が挙行されます。台風の動きが、と懸念するところですが昨年もそうでしたね。滋賀県高島市、JR湖西線近江今津駅から見上げる高台の頂に駐屯地はありまして、驚くことに箱館山スキー場の近くまで陸上自衛隊饗庭野演習場が広がっています。

 湖北は大津とは風情も趣も個性がありますが、中でも近江今津は若狭路と近江を結ぶ地、確かに活況はありませんが琵琶湖の自然と賤ヶ岳から比叡山に至る峰々と琵琶湖の対岸に望む長浜の街と伊吹山、散策してみますと歴史街道には探訪にて得るものは多いでしょう。

 今津駐屯地祭、昨年度の行事の様子を紹介しましょう。簡単に言えば流石に中止だろう、と思われた台風接近下の悪天候と共に行事は予定通り行われ、式典を司るスピーカーが雨滴で故障したり、観閲行進が雨煙に霞む、行事進行と共に皆湖西線の運行を心配するなど。

 近江今津駅からシャトルバスが運行されていますが、実は駐屯地はそれ程離れていません、それでもシャトルバスを待つかタクシーを利用するのは単純に駐屯地までの道路上にやたらと熊注意の看板が林立する為で、滅多に出ないとはいうがやはり猛獣熊は怖いのですね。

 台風接近、それにしても雨煙と霞は凄いものだなあ、改めて昨年の写真を観返しますと妙な迫力を帯びた構図となっています。泥濘の式典会場に泥飛沫を洗いつつ前進する戦車、しかし野分の猛威は発砲焔さえ掻き消し、硝煙は巻雲の如く幕と成りて延々漂うばかり。

 琵琶湖を見下ろす高台の駐屯地は玉葱型戦車格納庫が並ぶ情景でおなじみの駐屯地で、式典前には此処玉葱型格納庫前に式典参加の74式戦車がずらりと整列します。各戦車中隊から小隊規模を参加させ、戦車大隊本部の車両等も加わり、ちょっとした規模が並びます。

 74式戦車、遂に本年の富士総合火力演習には不参加となった老兵ですが、減ったとはいえ第3戦車大隊と第10戦車大隊の駐屯する今津駐屯地、演習場隣接故の事情といいますか、駐屯地の式典会場が狭い為に展示内容には限界がありますけれども、間近では迫力がある。

 第3戦車大隊と第10戦車大隊、北大路機関が初めて行事を紹介しました際には、3個中隊と4個中隊、今津駐屯地だけで7個中隊が置かれていた訳です。102両もの74式戦車が配備され、そして第3特科連隊第5大隊のFH-70榴弾砲20門も今津に配備されていました。

 第10戦車大隊も第3戦車大隊も師団改編と共に戦車中隊は2個中隊に激減しまして、これは本土の師団戦車大隊の共通編成なのですが、今津駐屯地の74式戦車も60両程度となってしまいました。そして第3特科連隊は第3特科隊へ縮小、第5大隊も廃止されてしまう。

 第3特科連隊縮小改編はそのまま第5大隊廃止となり、全般支援大隊の4個中隊廃止は湖北の街の活気にも影響を及ぼしましたが、訓練展示でもかつては4門のFH-70榴弾砲が並んでいたのですから随分減った印象でした。しかしこの頃から行事来場者は増えましたね。

 中部方面移動監視隊と中部方面無人偵察機隊が新編され、今津駐屯地に加わると共に戦車大隊本部の老兵60式装甲車は除籍、73式装甲車は北海道へ転地となり、新鋭96式装輪装甲車が加わりました。本土師団に装甲普通科連隊は無く、訓練展示で活躍する装甲車です。

 饗庭野演習場が近い故にグラウンドを訓練場として転用する必要がなく、結果的に狭いのですが、訓練展示などはかなり近い距離で74式戦車の空包射撃と96式装輪装甲車の突撃を見る事が出来ます。そして狭い為に角地で撮影でき、勢い良く方向転換する姿は勇壮だ。

 新快速で颯爽と式典終了後には撤収しました、早く帰りたいのではなく長く74式戦車を見上げたいのですけれども、湖西線が止まっては万事休す、琵琶湖今津長浜航路の船便も運休です。実際、二本後続の新快速は湖西線強風運休で動かず台風の威力を実感しました。

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【京都発幕間旅情】福井駅恐竜広場,フクイラプトル-フクイサウルス-フクイティタンが勢揃い

2018-09-26 20:09:43 | 旅行
■福井駅に恐竜が!再開発で出現
 恐竜、その迫力の大きさと謎に包まれた中生代の地球生物相、古生物学上最大の浪漫といえる筆頭でしょう。

 福井駅に恐竜が。福井駅前は北陸新幹線福井延伸を前に大車輪で再開発が行われています。そして福井県はわが国有数の古生物学上の発見が多い地域でもあり、再開発に併せ恐竜が駅前に出現、先日小松基地航空祭に合わせ、福井駅前の恐竜たちを撮影して参りました。

 駅前再開発で恐竜が出現、と書きますと、地下工事の最中の古代の生物が突如地上に現れる、というロマンを感じる印象を与えてしまいますが、要するに恐竜モニュメントが設置されたとの意味です。恐竜広場として2016年3月27日に登場、しかもこいつら動きます。

 フクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン、御三方が頑張っています。フクイラプトルは中生代白亜紀前期の肉食恐竜、日本で初めて全身が発掘された肉食恐竜です。デイノニクスの近縁種ドロマエオサウルス科か、鉤爪が大きくメガラプトルの近縁種という。

 ティラノサウルス上科に属するとの研究もあり、根拠はその巨大ゆえ。発掘された全身骨格が体長4.2mと大型である一方、骨格が未成熟個体であった事から更に大型化した可能性がある為で、2.5mから4mというデイノニクスの近縁種としては大型である為です。目の前にすると大きい。

 戦車と恐竜、どっちが強い。こんな問いを練馬駐屯地祭の開門待ち時間、ご近所のお子様に質問され、戦車と即答、がっかりさせた事がありました。第1師団の戦車は10式戦車、もちろん地元第3戦車大隊の74式戦車でも、ティラノサウルス位ならば敵ではありません。

 恐竜、しかしディプロドクス-シノニムやスーパーサウルスは重量だけは40tちかくあったといい、74式戦車の38tよりも重いものがあり、流石に105mm戦車砲は勿論12.7mm機銃にも恐竜は耐えられないでしょうが、最大規模の恐竜ならば旧陸軍の九五式軽戦車を踏み潰す位はできるかも。

 フクイサウルス、1989年に福井県勝山市で発見された鳥脚類化石です。イグアノドン上科の恐竜とされ、イグアノドンといえば古生物学史上初めてベルギーで発見された恐竜化石ですが、歯の特徴はモンゴルのアルティリヌスと共通点があり、上顎骨構造は独特という。

 福井竜と発見当時よばれたイグアノドン上科のフクイサウルス、福井県勝山市北谷町にて発見されました。体長は4.7mといいます。驚く事にこれらは動きますし啼きます、毎日0900時から2100時まで稼働して、また夕刻から2200時までライトアップも行われる。

 フクイティタン、勝山市手取層群恐竜化石発掘地北谷層における2007年第三次恐竜化石発掘調査で発見されました。日本におけるマクロナリア-ティタノサウルス形類の貴重な発見です。ただ、全身骨格が発見されておらず、部分骨格から全長10mと推測されています。

 福井の巨人を意味する学名フクイティタン-ニッポネンシス、竜脚類恐竜のマクロナリアは最大規模の恐竜で全長25mを越え、かつては巨体故に湖沼地帯の水生恐竜と考えられてきましたが、研究と共に横隔膜を持たない事が判明し気嚢を持つ鳥類のような構造だという。

 エオバータル、端の小型の二匹の方です。白亜紀前期の多丘歯類哺乳類で北谷層から2010年に発見されました。全長13cm、日本で初めて発見された白亜紀の哺乳類全身骨格で、X線CTによれば背骨と肋骨が繋がった状態での発見です。フクイティタンと並びますと見落としそうな大きさですね。

 福井駅前はこうして恐竜王国玄関口として恐竜が迎えるようになりました。そして県内には勝山恐竜の森公園や福井県立恐竜博物館、恐竜関連の施設が多数あります。また、来月には福井市内で自衛隊パレードが予定、戦車と恐竜の大きさ違いを視る事も出来ましょう。

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長距離巡航ミサイルAGM-158/JASSM自衛隊導入,スタンドオフミサイルと策源地攻撃能力

2018-09-25 20:01:02 | 先端軍事テクノロジー
■専守防衛下のミサイル論争
 自衛隊がトマホークミサイルを導入する可能性はあるのか、という質問が来年度予算概算要求関連でありましたので、少し前の話題をもう一度みてみましょう。

 来年度予算に盛り込まれたのはJSM空対地ミサイルのみ。しかし撃この他にAGM-158/JASSM空対地ミサイル、AGM-158C/LRASM巡航ミサイル、の導入が提示されています、航空自衛隊は旧式化するF-15戦闘機へこれら新空対地ミサイルと空対艦ミサイルを搭載する計画で、JSMについては小型でF-35戦闘機の兵装庫へ搭載可能である事から、F-15戦闘機に加え、最新のF-35戦闘機での運用も当然想定されている事でしょう。

 スタンドオフミサイル、AGM-158/JASSM空対地ミサイル、AGM-158C/LRASM巡航ミサイルを福江防衛省は射程の大きなこれら新装備の導入に付いて、目標の脅威圏外から対処できるスタンドオフミサイル能力を整備する必要が生じた為、としています。これは2000年代に入り地対空ミサイル射程が従来の100km程度から400km以上へと驚異的な延伸が図られた事で、地対空ミサイルの射程圏外から対処する距離が伸びた為です。

 F-15戦闘機は1981年に制空戦闘機として、当時もっとも行為が高かった北海道へのソ連軍着上陸という有事の際に、ソ連軍戦闘爆撃機の行動圏外にある松島基地等を拠点に北海道上空へ要撃戦闘を実施し航空優勢を維持する為の高性能機として導入されました。一週間程度はソ連軍航空戦力から北海道上空の航空優勢を維持する能力が求められています。

 制空戦闘機としては高い能力を持つF-15戦闘機の導入により、その前にあたる1971年より導入開始されたF-4EJ戦闘機は、制空戦闘に当たると共にF-4EJ改へ改修され、空対艦ミサイルの運用能力を付与される事となりました。今回、AGM-158/JASSM空対地ミサイル、AGM-158C/LRASM巡航ミサイルといったスタンドオフミサイルのF-15への運用能力付与が行われる背景には、こうした戦闘機の新旧交代が行われたともいえます。

 敵基地攻撃能力、策源地攻撃、この為の装備ではないか、との指摘があります。勿論、脅威となる地対空ミサイル等の射程が大陸から日本本土に届く為ですが、策源地攻撃能力は現在既に配備されるGBU-54LJDAMレーザー/GPS誘導爆弾やGBU-12ペイブウェイレーザー誘導爆弾、GBU-39-SDB小型口径爆弾にもその能力はあり、射程の多寡に過ぎません。

 GBU-39-SDB小型口径爆弾、航空自衛隊が装備するアメリカ製滑空誘導爆弾は小翼を有しており、高高度から投下するとグライダーのように滑空し100km程度を飛翔、GPS誘導により正確に目標へ命中させる事が出来ます。射程150km以上というASM-2C空対艦ミサイルもGPS中間誘導が可能であり、地上目標対処が可能、要するに敵地対空ミサイルの射程がどんどん延伸している為、射程外から対処する装備の射程もまた延伸せざるを得ない、射程の多寡とはこういうこと。

 ASM-2Cや改良型で超音速飛行が可能なASM-3について、既に国産の射程の大きなミサイルというものは空対艦用ではあっても開発されています。それでは策源地攻撃用に開発されたのかと問われれば、ASMとはAir-to-Ship Missileの略称、空対艦ミサイルですので、本来は対艦用です。GPS中間誘導が可能であるのは対艦攻撃に際し欺瞞経路を飛翔する場合や地形追随の際に必要である為、対地攻撃能力はいわば多用途性の延長線に過ぎない。

 テポドンミサイル、策源地攻撃は此処まで遡る。1998年に北朝鮮による初の長距離弾道ミサイル実験が行われ、海上自衛隊のイージス艦みょうこう、が日本海においてミサイルを追尾した結果、ミサイルは日本海から東北地方上空を通過し太平洋上に着弾する初の事案が発生、20年近く前の事案ですが、当時はミサイル上空通過に大きな衝撃を受けました。

 GBU-12ペイブウェイレーザー誘導爆弾、北朝鮮の弾道ミサイルにより日本本土が攻撃されるかもしれないとの脅威が高まった事で、当時我が国では地上目標を正確に攻撃できる装備が無いとして、地上目標にレーザーを照射し、反射光へ正確に命中できるGBU-12ペイブウェイレーザー誘導爆弾のような精密誘導装備の導入が真剣に検討されています。

 しかし、当時の認識として、実際に日本本土へのミサイル攻撃が実施された場合には、精密誘導爆弾が無いとして当時の防衛庁が政府の対処命令を受けたと仮定し、任務遂行不能として事実上の命令拒否が行われたかと問われればそうではなく、当時はF-2支援戦闘機が初度作戦能力をまだ有さなかった為、ないものは仕方が無い的な論理から一応戦闘爆撃機として改修により一時取り外されていた爆撃照準能力を獲得したF-4戦闘機と通常爆弾による研究があったという。

 クラスター爆弾、当時自衛隊には北海道へのソ連軍大規模着上陸を想定し冷戦時代に導入したCBU-87/B集束爆弾が配備されていた為、空中給油機が無く、目標標定能力もそもそも特殊作戦群が自衛隊に新編される前です、米軍支援とRF-4偵察機の情報に頼る他無かったのですが、目標を標定し付随被害込でクラスター爆弾での制圧が可能だったでしょう。

 ただ、AGM-158/JASSM空対地ミサイル、AGM-158C/LRASM巡航ミサイル、JSM空対地ミサイルの導入が策源地攻撃と全く無関係であるかと問われれば、勿論必ずしもそうではなく、スタンドオフミサイルとして長大な射程は結果的に、一例として北朝鮮によるミサイルが日本本土に着弾した場合、政府が策源地攻撃を命令した際、有るものを使わないのは逆に不合理であり、能力があるものについて当初予定されていなかった運用でも応用が利くのであれば、当然使用されると考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【映画講評】ゴジラvsビオランテ(1989)【3】検証:第4護衛隊群激闘!浦賀水道海戦

2018-09-24 20:05:06 | 映画
■ひえい頑張るから見捨てないで
 今回は作品中の一つの転換点、自衛隊がゴジラ東京上陸を阻止した第4護衛隊群の浦賀水道海戦を検証してみましょう。

 1989年公開のゴジラvsビオランテ、終戦記念日特集と同じ岐阜の名画座ロイヤル劇場では週替公開として先週一杯まで平成ゴジラシリーズ最終作のゴジラvsデストロイアがリバイバル上映されいたという。ただ、何分あの作品までいきますとSF要素が濃すぎて軍事検証というものが成り立たないものです。しかし、本作は前作ゴジラが軍事検証の下に依拠した作品であったように検証できる。

 自衛隊がどのようにゴジラvsビオランテにおいて巨大生物と戦ったのか、今回はこの点に軸を置いてみたいと思います。ゴジラは作品世界では1954年と1985年に上陸、74式戦車の105mm戦車砲やF-1支援戦闘機からの航空攻撃は勿論、実在しないVTOL攻撃機スーパーXや67式ロケット発射装置後継と思われる83式ロケット発射装置にも耐えています。

 ゴジラvsビオランテでは、上記の通り強大なゴジラの東京侵攻を何とか阻止する事に成功しました。ゴジラは伊豆大島三原山火口直下で休眠状態にあったのがテロ攻撃による大規模な爆破、人口噴火に必要な膨大な爆薬をどのようにテロリストが持ち込んだのかは不明ですが、これにより活性化し、火口から出現しました。三原山周辺に積層対戦車地雷、伊豆大島周辺に機雷を敷設しておかなかった為、そのまま太平洋に出ました。

 第4護衛隊群護衛艦ひえい、を中心に海上家謡は浦賀水道においてゴジラ迎撃を行います。旗艦ひえい、第1護衛隊護衛艦たかつき、きくづき、第43護衛隊護衛艦いそゆき、はるゆき、第23護衛隊護衛艦あおくも、あきぐも、ゆうぐも、これが当時の第4護衛隊群陣容で第4護衛隊群は現在呉基地に司令部を置いていますが、1995年までは横須賀にありました。

 ひえい以下第4護衛隊群は海上自衛隊で最も新しい護衛隊群という事もあり、1989年当時艦隊防空に当るミサイル護衛艦などの配備はありません。しかし、1990年1月には第41護衛隊の護衛艦はつゆき、しらゆき移管を受ける等拡大改編が続いた当時であり、その能力水準も艦艇新鋭水準も、世界的に見ても有力な水上戦闘艦部隊であるといえましょう。

 浦賀水道海戦では、127mm艦砲に加え、ボフォースロケット等の射撃も描かれていましたので、あおくも、あきぐも、ゆうぐも、そして、たかつき型護衛艦が参加していると思われます。ただ、ゴジラに接近し過ぎた事により、護衛艦ひえい、護衛艦はつゆき、至近距離より熱線の直撃を受け上部構造物の大半を破壊、大破します。127mm艦砲の射程を考えれば、あの距離は接近し過ぎたといえる。

 ひえい、と共に護衛艦はつゆき大破という状況、恐らく第41護衛隊の移管が前倒しで行われたのだと推測しますが、護衛艦はつゆき、しらゆき、いそゆき、はるゆき、は長射程のハープーン対艦ミサイルを搭載しています、射程100kmを越え、ヘリコプターからのミサイル誘導で横須賀基地からも浦賀水道のゴジラを攻撃可能、実はここに疑問があるのです。

 ゴジラは表皮部分にステルス性があり従来型の火器管制装置やレーダー誘導兵器が全く制度を発揮出来ない。若しくは、ゴジラが海中を航行しておりHSS-2対潜ヘリコプター等からの魚雷攻撃を受け浮上した時点で既に護衛艦部隊に間合いを詰められていた、セットのプールが狭かった。護衛艦とゴジラが接近し過ぎた理由はこの何れかしか考えられません。

 ひえい大破は衝撃的でした。しかしその後沈没には至らなかったようです、実際次作にあたる1991年のゴジラvsキングギドラに際し、北海道近海に出現したゴジラ警戒へ護衛艦ひえい、より艦載機HSS-2を出動させており、実に二年間という短期間で上部構造物全損という大損害を受けつつ、現役に復帰している事が分ります。あの状況から生還したのか、居旬驚きますが、実は水上戦闘艦は上部構造物破壊だけでは沈みにくい。

 ベルナップ衝突事故、上部構造物が全滅しても沈没に至らなかった事例があります。1975年11月22日にアメリカ海軍ミサイル巡洋艦ベルナップが地中海において演習中、誤って空母ジョンFケネディと衝突する事故がありました。この際にベルナップ上部構造物が空母艦首を引っかける形となります。航空母艦は第二次大戦中の反省から最大の可燃物である航空燃料管を艦内に置かないという設計上の配慮があります。

 ジョンFケネディは上手く回避に成功した事で一部を損傷しただけとなりますが、外部の舷側に配置された航空燃料送油管が切断されると共にそのままベルナップ上部構造物に大量の航空燃料が降り注ぎ、そのままベルナップ艦上が大火災に見舞われました。ベルナップ級は軽量化へ上部にアルミ合金を採用した事が起因し、大火災の後、上部構造物が全て溶解する大被害を受けます。

 ベルナップは大破しましたが、沈没には至っていない。搭載するスタンダードミサイル弾庫への引火だけは爆発物処理班の行動で回避、船体が無事だった事で結果沈没を免れました。ベルナップ修理には1976年から1980年まで長期間を要しましたが現役に復帰、1995年まで現役艦として維持されています。ひえい大破も大損害でしたが、上記の通り上部構造物が全損しても沈まない事例はある。ダメージコントロールが効いたのでしょう。

 比叡、旧海軍戦艦比叡と上部構造物については奇妙な一致があります。護衛艦ひえい、アルミ合金製ではありません、鋼製です、そしてもう一つの比叡も。太平洋戦争最大の艦艇消耗戦となったソロモンの戦い、第三次ソロモン海戦において戦艦比叡は僚艦霧島、軽巡洋艦長良に駆逐艦13隻と共にガダルカナル島米軍飛行場艦砲射撃へ展開中、重巡洋艦サンフランシスコを基幹とする第67/4任務群14隻と遭遇し大規模な夜戦となりました。

 第三次ソロモン海戦では戦艦比叡が至近距離から大量の艦砲を受け上部構造物が大破、艦内電話も切断という状況に陥ります。この際に戦艦比叡の西田艦長は機関部全滅航行不能の誤情報を受け、実は機関部は健在だったのですが自沈命令、太平洋戦争最初の日本海軍戦艦喪失となる。これ実は人気ゲーム“艦隊これくしょん”でも戦艦比叡が“頑張るから見捨てないで”という台詞があるほど、知られている事なのですよね。しかし、作品世界では二代目ひえい、見捨てられず沈みませんでした。

 ゴジラにステルス性、ハープーン攻撃を行わず艦砲での戦闘に至った背景ですが、可能性として高いのはこちらです。その論拠として、1985年ゴジラ上陸では東京湾へF-1支援戦闘機、正確にはF-1支援戦闘機CCV改造型という機動性を高めた機体と思われますが、投入されています。F-1支援戦闘機は射程40kmの80式空対艦誘導弾ASM-1を二発搭載可能、ASM-1であればゴジラ熱線の射程外から攻撃可能です、しかしそうできなかった、理由が有る筈だ。

 ASM-1は1985年の作品世界において、東京湾の晴海沖という錯綜地形でもゴジラを識別し射撃可能でした。ただ、攻撃映像を見ますとかなり近距離で発射、空対艦ミサイルの割には命中精度が低く、実はレーダーに映りにくい可能性が見て取れるのです。そして浦賀水道海戦において、最も有効であろうF-1支援戦闘機とASM-1は投入されませんでした、1985年の晴海埠頭水際防御戦闘での反省が生かされた為でしょう。

 無人攻撃機スーパーX2,第4護衛隊群の支援に派遣されたのは前回検証したこの無人攻撃機でした。陸上自衛隊が木更津駐屯地に配備した新型攻撃機により太平洋上に出たゴジラは浦賀水道において攻撃を受けます。無人攻撃機といえばMQ-9リーパーやMQ-1プレデター等の米軍装備を思い浮かべるところですが、実戦投入は2001年同時多発テロ以降の対テロ戦争以降、作品世界の自衛隊は1989年に無人攻撃機を実用化していた。

 スーパーX2は超音速飛行が可能な垂直離着陸無人航空機で戦闘行動半径についても伊勢湾戦闘空中哨戒後大阪へ転進可能というほど余裕があります。実は無人航空機でありながら水中も航行可能という、今日でも不可能と言い切れる性能を有し、この点は後述するとしましょう。浦賀水道で阻止、一定の成果を上げるものの、結局はゴジラ無力化に失敗します。

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【日曜特集】金沢駐屯地創設63周年記念行事(2)第14普通科連隊観閲行進(2013-09-08)

2018-09-23 20:09:29 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■観閲行進にみる連隊編成
 金沢駐屯地祭、式典に続き観閲行進が開始されます。その威容と共に普通科連隊の編制を視てみましょう。

 普通科連隊、連隊長を頂点に副連隊長が補佐し、第1科長、第2科長、第3科長、第4科長の幕僚機構があります。そして第一線中隊は本部管理中隊長、第1中隊長、第2中隊長、第3中隊長、第4中隊長、重迫撃砲中隊長、対戦車中隊長、教育隊長が当たる訳です。

 普通科連隊は、陸上自衛隊の戦闘骨幹戦力であり、近接戦闘を主任務とすると共に有事の際、戦車中隊や特科大隊と施設中隊及び後方支援連隊からの配属部隊や衛生小隊と共に連隊戦闘団を編成します。この為、連隊は独立戦闘能力をかなり深く意識しているのですね。

 第1科長、S-1と略称され連隊幕僚機構に在って人事担当を担います。第1科は第1科長以下、庶務班長、広報班長、募集-援護担当幹部、が配置されていまして、連隊本部の運営を具体的に担う事務機能と共に隊区全般の広報業務から報道対応まで一手に担う部署という。

 第2科長、S-2と略称され情報担当を担う幕僚です。第2科は第2科長以下、情報幹部と地誌幹部が就きます。地誌幹部とは連隊は特定地域を警備隊区として防衛警備任務に当るのですが、その際に河川や道路と隘路や稜線等の地形に国民保護情報を一手に担当している。

 第3科長、S-3という作戦運用担当の幕僚機構です。第3科は第3科長以下、運用訓練幹部主任と運用訓練幹部、警備幹部、予備自衛官担当幹部、通信幹部、より成りまして、運用訓練幹部は有事の際には作戦幹部として連隊長へ幕僚見積等所見を提示する要職の筆頭だ。

 第4科長、S-4と故障される兵站幕僚機構、自衛隊用語では後方支援担当という。第4科には第4科長以下、部隊車両幹部、管理幹部、が就いていまして、整備全般状況を把握すると共に連隊段列地区という独自の兵站拠点地域の管理と第一線への補給線維持も担います。

 幕僚陣は第1科長、第2科長、第3科長、第4科長、4名が人事と情報と作戦に兵站、と担います。上記の通り所管職域は明確化していますが、第一線中隊長と違い近接戦闘部隊を直接担う事は無く、職域に留まらず必要な所見を阿らず連隊長に提示する役割とのこと。

 本部管理中隊長、本部管理中隊には本部管理中隊長以下、人事班長、情報小隊長、施設作業小隊長、管理整備小隊長、衛生小隊長が就きます。各小隊は情報小隊は斥候等情報収集、施設作業小隊は戦闘工兵任務に当り、等など、連隊の行動全般を支援する任務に当ります。

 第1中隊長、普通科中隊には中隊長以下、副中隊長、運用訓練幹部、第1小隊長、第2小隊長、第3小隊長、第4小隊長、迫撃砲小隊長、対戦車小隊長、が就きます。対戦車小隊は対戦車ミサイル普及以前には無反動砲小隊が当てられ、呼称も無反動砲小隊長でした。

 第2中隊長、中隊長以下、副中隊長、運用訓練幹部、第1小隊長、第2小隊長、第3小隊長、第4小隊長、迫撃砲小隊長、対戦車小隊長、は共通です。小銃小隊は高機動車か軽装甲機動車により高度に自動車化されており、一個中隊が軽装甲機動車中隊となっています。

 第3中隊長、中隊長以下、副中隊長、運用訓練幹部、第1小隊長、第2小隊長、第3小隊長、第4小隊長、迫撃砲小隊長、対戦車小隊長、という共通編成です。対戦車小隊は射程2kmの87式対戦車誘導弾を装備、迫撃砲小隊は射程5kmのL-16/81mm迫撃砲を有する。

 第4中隊長、中隊長以下、副中隊長、運用訓練幹部、第1小隊長、第2小隊長、第3小隊長、第4小隊長、迫撃砲小隊長、対戦車小隊長、は同じ。半装甲化編成という現行では普通科連隊に一個の装甲車中隊を置く編成が全国的に普遍化され、第4中隊か、近年一部普通科連隊に増強される第5中隊が軽装甲機動車化されている事が多い。

 重迫撃砲中隊長、中隊長以下、射撃幹部、偵察幹部、前進観測幹部、第1迫撃砲小隊、第2迫撃砲小隊、が置かれています。射程8.1km、延伸弾使用時に13kmの射程を有する120mm重迫撃砲RTを12門装備しており、冷戦時代には射程5kmのM-2/107mm重迫撃砲を有していました。

 対戦車中隊長、中隊長以下、副中隊長、運用訓練幹部、第1小隊長、第2小隊長、第3小隊長、という編成で射程4kmの79式対舟艇対戦車誘導弾12セット有する。師団対戦車隊から普通科連隊へ対戦車火力を増強改編し誕生、ただ近年は全国的に近接戦闘部隊強化の流れを受け第5中隊へ改編されつつある。

 教育隊長、新隊員という昨今は自衛官候補生の前期教育を担うと共に前期教育終了後の第一線部隊配置となった新隊員の後期教育支援をも担います。教育隊長と並列し金沢駐屯地のように自動車教習所を有する駐屯地では自動車教習所長として幹部が充てられています。

 世界の歩兵中隊とは概ね100名程度の人員を以て編成され、云々、と諸外国の部隊編成では哨戒されますが、陸上自衛隊の普通科中隊は220名規模の人員を有しています。これは普通科中隊が小銃小隊に加えて迫撃砲小隊と対戦車小隊を独自に編成下に置いている為という。

 歩兵大隊の隷下に武器中隊として迫撃砲小隊と対戦車ミサイル小隊を有する編成が、米軍やNATO諸国が冷戦時代に一般的な編成としていました。しかし、陸上自衛隊は普通科連隊隷下に普通科大隊を置く編成を1962年の陸上自衛隊改編において中隊に代えています。

 普通科中隊は諸外国の歩兵中隊と比較し二倍程度の人員を有する小型の歩兵大隊、という水準となっています。これは自動車化等運動戦という陸上戦闘体系の変容を予見し、部隊の分散と集合を迅速化させる、との視点から導入されたもので、米軍を参考としたもの。

 ペントミック編成という1950年代にアメリカ陸軍が核戦争時代を見越し、一発の戦術核で師団が全滅しないよう従来の4000名規模歩兵連隊編成を改め、師団を小型化すると共に大隊戦闘群を基本に、従来の三単位編成から五単位編成としたものを日本が参考としました。

 1962年の陸上自衛隊改編は、自衛隊創設当時から採用された大型師団にあたる管区隊制度と機械化混成団の連携、という運用を改め、管区隊を四単位編成の甲師団に縮小、混成団を三単位編成の乙師団に拡大、この過程で普通科連隊数を大幅増強する必要が出ています。

 三単位編成というものは、基幹部隊が三個ある、という意味です。当然五単位編成とは基幹部隊が五個という。ペンタゴンという単語が五角形を示すように元々ペンとミック編成とは五単位編成であった訳ですが、日本は五単位編成ではなく小型編成概念だけ導入した。

 核戦争時代の小規模編成というアメリカ陸軍改編を、単に自衛官定員をそのままに部隊数を増強するために一つ一つの部隊定員を縮小するという苦肉の策を用い、この際に普通科連隊隷下に在った普通科大隊を廃止、代えて普通科中隊の定員を増やしたという構図です。

 フランス陸軍も自衛隊以外に歩兵連隊から歩兵大隊を廃止し、歩兵中隊を連隊の直下に置く編成を採り、歩兵連隊定員が1100名程度と、自衛隊の1200名規模の普通科連隊と重なる改編を行っています。一方、他のNATO諸国では歩兵連隊を止め歩兵大隊を基幹とした。

 基盤的防衛力整備という1976年防衛大綱の概念は、元々日本の抑止力を強化するために防衛力強化が必要という部内意見を内局が平時に最小限の人員を維持し有事に急速強化するための基盤整備だ、という方便で説明したもの。この為過去には有事の際、一応普通科中隊を大隊化する構想は、あったともいう。

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【くらま】日本DDH物語 《第四七回》日米対潜特別演習&環太平洋合同演習リムパック参加

2018-09-22 20:12:15 | 先端軍事テクノロジー
■実任務環境再現し能力評価
 ヘリコプター搭載護衛艦、そのシステムが確立されるまではやはり時間を要しました。

 ヘリコプター搭載護衛艦はるな、はるな型護衛艦は2隻が量産されました。海上自衛隊は、しかし当時対潜ヘリコプターの能力について、完全な共通理念があったわけではなく、中にはヘリコプター搭載護衛艦の能力に懐疑的な一派もいました。もっとも一枚岩ではなく、本格的な対潜空母でなければ能力的に十分発揮は出来ないだろうという視点もあります。

 はるな型の3機のヘリコプターを搭載するのみでは不十分と考える故の懐疑、逆にP2V対潜哨戒機とともに米海軍での運用が開始されたP-3哨戒機のような進出速度と航続距離の大きな対潜哨戒機を重視するべき、という一派、視点は様々でした。一方、外洋作戦を重視する必要性を考える保守層政治家、小型艦のみで充分とする内局、視点は様々でした。

 HSS-2対潜ヘリコプターを揺れる洋上で確実に整備できるのか、4700t型護衛艦として建造され、当時の海上自衛隊では破格の大きさであった護衛艦ですが、同時に当時は第二次大戦型巡洋艦が各国では現役であり、4700tという大きさは各国の巡洋艦と比較した場合にかならずしも巨艦の定義を満たすものではありません。もっとも戦後巡洋艦は稀有ですが。

 洋上対潜哨戒能力については、しかし、陸上航空基地から運用されたHSS-2が対潜哨戒機には搭載出来ないソナーを直接展開できる利点があり、当初案は過小評価であると運用を通じて認識されてゆくのですが。その上でヘリコプター搭載護衛艦の評価を保留し、その運用実績をみてゆこう、という潮流が、妥協といえばそうですが、主流となってゆきます。

 はるな、ひえい、は日米対潜特別演習へ参加、はるな艦載機が偶然にも吊下ソナーを展開した真下に仮設敵原子力潜水艦が展開しており、即座に探知できた、という幸先のよい大規模演習参加となりました。環太平洋合同演習リムパックへ順次はるな、ひえい、も参加、しかしアメリカ海軍の最新鋭原子力巡洋艦をはじめ多くの新鋭水上戦闘艦とともに行動した場合、実際はどうであったか。

 リムパックという非常に優れた演習環境において実戦状況を再現し評価を行った結果、アメリカより早速指摘されたのは静粛性という部分でした。静粛性、潜水艦では水中放音の低減の多寡がそのまま生存性能に直結することは認識されていましたが、既にアメリカ海軍や欧州NATO海軍では水上戦闘艦にも水中放音の低減が設計に盛り込まれていました。

 パッシヴオペレーション、現在では聞きなれないといいますか完全に普及していますので敢えて強調されなくなった、テレビにカラーテレビと明示されない点と似ていますが、このパッシヴオペレーションへの移行でも最新鋭の護衛艦はるな型は後れをとっており、アクティブソナーを常時発振し潜水艦を捜索する方法、時代遅れは過言ですが最新ではない。

 第一に水中放音静粛化への設計、第二にアクティヴソナーを発信し積極的に潜水艦を探すアクティヴオペレーション運用の陳腐化、アメリカ海軍から海上自衛隊護衛艦が空母付近に展開した場合、パッシヴオペレーション展開に支障を来す為、別海域を割り当てられるなど、幸先いいHSS-2潜水艦発見という鏑矢とは裏腹に厳しい技術差が突きつけられます。

 ひえい、を旗艦とするリムパック派遣、技術的には最新鋭ではないと知らされつつ、それを実戦で思い知るのではなく改善事項として提示された事は僥倖といい得ました。そのうえで、ひえい、はるな、非常にスマートな艦容でハンサムな最新鋭艦、という点では米海軍を含め一致した評価とのこと。海上自衛隊はその外見に見合った性能へ改善を急ぎます。

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平成三〇年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.09.22-09.24)

2018-09-21 20:05:33 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 第二の三連休、そしてその週末は一部の専門家によればプレミアムフライデー、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末の行事紹介です。

 東北方面隊創設58周年記念仙台駐屯地祭、東北地方の防衛警備及び災害派遣に当たる東北方面隊創設記念行事で、方面隊隷下の第6師団や第9師団始め方面隊直轄部隊、74式戦車からMLRS多連装ロケットシステムまで一通りの装備が参加します。第6師団が今年度末に即応機動師団へ改編され第6戦車大隊等一部部隊には最後の方面隊行事参加となります。

 函館駐屯地創設68周年記念行事、第11旅団隷下の普通科連隊です。胆振東部地震に伴う北海道全域停電という災厄からひと段落、しかし北海道経済の新しい成長分野であった観光業が地震に伴う大停電と共に特に外国人観光客の急なキャンセルが続き苦境に在るとのこと。函館駐屯地へは東京駅から北海道新幹線新函館北斗在来線乗換でいく事が出来ます。

 出雲駐屯地創設65周年記念行事、第13偵察隊が駐屯しています。式典は出雲市中パレードとして本年も開催され国道184号線の出雲市役所前より市内くにびき中央通を出雲市駅へ87式偵察警戒車や軽装甲機動車等偵察隊が総力挙げて観閲行進を行います。パレードは1000時から1055時まで、市役所南側公園では1100時より装備品展示も行われるという。

 飯塚駐屯地創設52周年記念行事、第2高射特科団本部及び第3高射特科群が駐屯する九州野戦防空の一大拠点で、ホークⅢ型地対空誘導弾や03式中距離地対空誘導弾のミサイル部隊に加え第2施設群も駐屯しています。高射特科団隷下にはこのほか長崎県の竹松駐屯地の第7高射特科群もあり、JR新飯塚駅よりシャトルバスが運行予定で24日開催予定です。

 さて撮影の話題を。ゆるきゃん、という作品が少し前にアニメーション化されましたが、キャンプ用品や登山用品は自衛隊行事、特に雨天でも中止とならない陸上自衛隊行事などに凄く重宝します。新京極のmont-bellを探してみますと中々興味深いものが見つかるのですが、mont-bell製品の中で特に面白い、と最近思ったのが雨天時に重宝するサイクル用シューズカバーです。

 雨天をどう乗り越えるか、という視点で厳しいのは靴が濡れた場合です。登山ではなく自衛隊行事は日常の延長線、靴と靴下が濡れてしまいますとその後の移動や食事の際にお座敷へ上がる上で少々寂しい思いをしますし、靴というものはなかなか傘でも覆えません。そして意外と靴の上面に降り注ぐ雨滴の滴が、そのまま靴の中へ容赦なく浸み込んでゆく。

 サイクル用シューズカバーは、その名の通り靴の上から防水布で覆うもの。興味深いのは梅雨用品のシューズカバーが舗装道路を1kmも歩けば摩擦で底が抜けるのに対し、底部を頑強なゴムで固定する為、かなりの距離を踏破しても損傷せず、靴から剥離しにくい。靴の爪先から踵までをしっかりと固定し安定感も高く、登山用品凄い、と思った瞬間でした。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・9月23日:函館駐屯地創設68周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/images/hakodate/index.html
・9月23日:東北方面隊創設58周年記念仙台駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/kinengyouji/senndaikinennbi.jpg
・9月23日:出雲駐屯地創設65周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/13b/izumo/index.html
・9月24日:飯塚駐屯地創設52周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/iizuka/IIZUKAHP/index.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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