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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】大報恩寺-千本釈迦堂観桜,洛中最古となった鎌倉時代造営の釈迦堂が湛える歴史の不思議

2024-04-03 20:24:46 | 写真
■鎌倉時代の求法上人義空
 世界ふしぎ発見、という38年にも及んだ人気クイズ番組が先週最終回を迎えましたがここ京都を散策しますと歴史の不思議はまだ数多で。

 千本釈迦堂は、捻じれた様な歴史の妙と言わざるを得ない紆余曲折を幾つも経て、敢えて乗り越えたとは云わない、今日も凛としたたたずまいの堂宇とともに迎えてくれる寺院で、日々門扉を拝観者に開放する御山の飾らない歴史には奥行き深く感じます。

 義空、求法上人義空により創建された寺院となっていまして、それは鎌倉時代初期の承久3年こと西暦1221年、そしてこの創建に尽力しました求法上人義空さんはもともと比叡山において厳しい修行を収めたとともにその祖父はあの藤原秀衡さんであったのですね。

 藤原秀衡、そう奥州藤原氏最盛期を飾ったあの藤原秀衡の孫となっていまして、いや実は不思議な時代、日本に複数の首都があったとさえ解釈できる平安朝末期の時代に奥州へ栄華を飾った奥州藤原氏、源義経を歴史が扱う際には必ず示されるあの奥州の。

 治承・寿永の乱ではあの源義経の養父となりまして、そして源義経が兄頼朝の号令に付き従い出立を決めた際には、惜しみながらも家臣佐藤継信忠信兄弟を家来につけ、見送った一方、鎌倉幕府開府の後には源頼朝との決定的対立を危惧しつつ逝った武将だ。

 源義経との関係はその名の通りであり、藤原秀衡没後には奥州藤原氏は幕府との全面対立となり滅亡しています。しかしその孫である求法上人義空が、祖父が奥州平泉に拓いた無量光院のような華美な堂宇ではなくとも、洛中に堂宇を開いたことは印象深い。

 後白河法皇、歴史の字面だけを俯瞰しますと奥州藤原氏は幕府にとり謀反人であった源義経を匿ったことで滅亡の端緒となった訳ですから、何故洛中に寺院を、と思うところですか、藤原秀衡は生前に後白河法皇との関係も重視していて院近臣も輩出していた。

 大報恩寺の堂宇が小さくとも確と開かれた背景にはこうした歴史の妙があるのですね。一方、もう一つの歴史の妙とは、山名氏清と山名宗全との関係と、そして切り離せない応仁の乱との関係です。応仁の乱は、日本的というほどに分かりにくく、傍迷惑だ。

 山名宗全、応仁の乱そのものは幕府が将軍職の形骸化を進めるとともに集団指導体制により権力闘争を次第に進めるという不安定な中で管領家の畠山氏と同じく管領家の斯波氏それぞれの家督争いが巻き起こり、実に11年間、イラク戦争並みに続いた戦争で。

 千本釈迦堂はその隣に山名氏清の慰霊塔と、そして山名宗全の持仏堂がありまして、その関係で山名宗全はこの堂宇について、何があっても守るべしと号令を発した事で、西陣という今の地名からも指呼の距離にありながら堂宇は戦災を免れた、という。

 山名陸奥太守氏清之碑や持仏堂としての不動明王堂なども堂宇として維持されています。もっとも、ここはいまおかめ桜が満開という状況でして、そして境内は決して広い訳ではないのですがおかめ桜の桜花からは若干遠く、なにか戦災への忌諱も感じます。

 戦災への忌諱というのは、堂宇をここ一つ護るよりも何故京都はもちろん全国に飛び火し焦土戦になるような内戦を放置したのかということで、ただ、権力集中を避け、言い換えれば、だれが責任者なのかを曖昧とする日本の気風そのものには今も危うさが。

 責任はわたしがとる、という発言を好む方も決断が成功した場合は成功の果実を独占しますが失敗した場合は責任を取らない事が多い、だから会議により良案を探るよりも責任の分散を図る、お前も同意したろう、と。木々の並びにそんな錯覚を感じました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】大報恩寺-千本釈迦堂観桜,三月の桜便りは京都に春の訪れを伝える枝垂れのおかめ桜

2024-04-03 20:00:50 | 写真
■三月の枝垂れ桜
 新年度と年度末を分かつ三月末は土曜日と日曜日でしたが散策に出てみますと意外と枝垂れ桜を中心に満開へ近づいていました。二日後の新年度は更に。

 大報恩寺さん、千本釈迦堂というのは通称といいますか愛称であり、正しくは大報恩寺という。ここには枝垂桜であるおかめ桜が京都では早咲きの桜という印象がありまして、ちょうど早めに拝観へ探訪しました際にも煌々と優美を静かに示していました。

 京都に桜とは春の便り、という印象を最初に伝えるところは何処だろう、河津桜を含めますと意外な場所が梅花の香り残る頃合いから春の便りを、いわば梅花が旧暦の春便りならば桜花は新暦の春の便りか、いち早く届けてくれるのですが、考えてみると。

 平野神社は桜の便りが最速だ、けれども境内には十月桜という、年末から延々と咲いている桜が、さくらを神紋とする平野神社の矜持を示していますので、初詣でも桜がかすかながら咲いて迎えてくれる故に、ここが春の便り、といわれますと、それは、ねえ。

 千本釈迦堂に行ってきた、とはずいぶん昔の学生時代に兎角現実主義で活発且つ闊達で快活という、こういう人物になりたいものだ、という名古屋からの学友殿が朗らかに語っていまして、頃合いは師走の頃、なるほど急に信心深く、とおもえば視点は逆で。

 大根焚き、という。いまは有料なのですけれども20年前は無料だったのだろうか、余程このことが無ければ混雑を避けるわたしとしては、ふーんそうなんだあ、という程度の話題ではありましたが、意外と街中にあります、けれども大寺の千本釈迦堂の印象だ。

 振る舞い酒を無料で頂ける神社は平野神社の初詣でお神酒をコップ酒感覚でお参りの際に頂けますし、そういえば上賀茂神社も観月祭で参拝者に月見団子とお神酒の振る舞いが無料であったか、忠臣蔵の大石神社も甘酒の初詣振る舞いが、と考えれば数多い。

 千本釈迦堂はこうした印象の一つではあるのですが、いまは有料であるという。ただ拝観の方は、本堂と宝物館の拝観は有料ですが堂宇の目の前までは自由に拝観できるようになっていまして、小さな賽銭箱に気持ちだけは拝観料を収め日々手を合わせる。

 上京区七本松通今出川上ル溝前町、こう書きますと知らない方には上京区といえば京都御所でしょうけれども、実のところ七本松通りは都おどり広告がいつの間にか北野おどり掲示に変わっているあたり、そう、千本今出川の交差点から住宅街の方へ入ったさき。

 新西国三十三箇所第十六番札所としても知られる堂宇は、本堂釈迦堂が国宝指定されていることでも知られます。そして寺の歴史は実は鎌倉時代からという、禅寺を除けば平安朝やその以前からの歴史を湛える寺社仏閣多い洛中に在っては意外なあたらしさ。

 釈迦堂は、檜皮葺の屋根を冠しました入母屋造の造りとなっていまして、正面桁行五間の間口からはご本尊が微かに。しかしほかの寺院と比較しましても古さを湛えていまして、それもそのはず、京都市では二番目、洛中に在っては現存最古の建物だという。

 安貞元年こと西暦1227年に上棟となりました釈迦堂ですが、この約二百年の後に勃発しました応仁の乱においてほぼすべての寺社仏閣が被害を受けた中で洛中では例外的に戦災を免れたことで、結果的ではあるのだけれども、洛中最古の建物となりました。

 おかめ桜、早咲きの枝垂れ桜はこの釈迦堂の前に、支柱に助けられてはいるのだけれども、旧王都に桜の便り、というのはここがその最初あたりという印象がありまして、まだ蕾、と観光協会がWebに情報を載せる傍ら、それは見事な春の便りを示していました。

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ウクライナ情勢-ロシア軍は14個師団16個旅団から成る2個軍年内新編,レニングラード軍管区第44軍団募集開始

2024-04-03 07:00:59 | 国際・政治
■防衛情報-ウクライナ情勢
 日本の場合は補完するにしても場所が限られる為に保管予算が必要なのは理解するのですが退役装備を備蓄しておく必要でしょうか。

 ロシアのショイグ国防相は2024年内に2個軍を新編すると発表しました。3月25日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告によればこれはショイグ国防相が3月20日に発言したもので、この2個軍を構成する戦力は14個師団16個旅団という規模となり、これまでの編成から戦車部隊及び砲兵と機械化歩兵、兵站部隊を以て編成される部隊となるもよう。

 ロシア国内の徴兵活動は順調であり、14個師団16個旅団を編成するに十分な人員を確保できると見られていますが、課題はロシア軍の教育基盤の限界とともに、ロシア軍には旧式装備しか残されておらず、14個師団16個旅団に相当するリソースをどのように確保するかが課題となる見通しという。ロシア軍は1990年代に廃棄された装備を再生させています。
■防衛情報-ウクライナ情勢
 アメリカの軍事援助停滞がロシア軍の前進を助長させている構図なのですが弾薬備蓄よりも生産能力を手元に置く方が重要なのかもしれない。

 ロシア軍はアウディイフカ西方へ更に前進している、ISWアメリカ戦争研究所ウクライナ戦況報告の3月26日付公表分が概況を示しています。アウディイフカ政府ではオルリフカとトネンケの西方に進出しているとのこと。一方、ウクライナ軍ライマン方面部隊では2023年12月以降ロシア軍は大規模な攻撃を行っていない、と概況を説明しました。

 ライマン方面では最近セレブリャンスケ森林地帯において装甲車両若干を含む小隊規模の部隊が突撃を行ったとのこと。なお、ロシア軍の前進に対しチェコがウクライナ支援に3月19日、30万発の砲弾を確保していて今年6月までに砲弾が送られるとのこと。
■防衛情報-ウクライナ情勢
 日本の場合は輸出しない以上防衛装備品を短期間で新規装備に置換え同時に退役した装備を40年程度備蓄しておくべきということか。

 レニングラード軍管区で第44軍団志願兵募集広告が掲示された、イギリス国防省ウクライナ戦況報告3月26日付発表が概況を示しています。レニングラード軍管区はロシア連邦軍の北部軍管区から独立して新設された方面軍にあたり、今回募集広告が掲示されたのは管区内のルーガといい、新しい軍団の構成要員を一から募集しているかたち。

 第44軍団について。判断が難しいのはロシア軍が新設の軍団をこれまでの新編部隊と同じ様にそのままウクライナへ派遣するのか、当面はロシア国内に配置するのか。ロシア軍はNATOへのスウェーデンとフィンランド加盟とともに西方国境地帯の防衛強化を求められており、他方でウクライナ侵攻部隊は莫大な損害から新鋭部隊を必要としています。

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