屯田物語

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飛鳥板蓋宮跡を訪ねて

2010年05月25日 | 


折角、飛鳥の里に来たのだから、
蘇我入鹿が中大兄皇子、中臣鎌子らによって暗殺された飛鳥板蓋宮跡にゆきたいと思っていた。
いわゆる乙巳の変である。
わたしにとって、古代史のなかで大化の改新~壬申の乱までがとにかく面白い。
大海人皇子・中大兄皇子・持統天皇・額田王などなど、超有名人がたくさん登場するからね。

蘇我一族滅亡の原因はなにか・・

蘇我入鹿は国際人であった。
入鹿は東アジアの情勢を考えて唐・新羅と国交を結ぼうとしたが、
あくまで百済との関係を重視する中大兄皇子に殺されてしまうのである。

いわば、入鹿は革新派で中大兄皇子は守旧派であったということだ。

白村江の戦いに敗れたあと、
唐・新羅の連合軍が余勢をかって日本に攻め入ったとしたら、
わが国の古代史はおおきくかわったかもしれない。



蘇我入鹿の首塚・・
蘇我蝦夷・入鹿は甘橿丘に居を構え、そこから都を見下していたそうだ。
向こうに見えるのが甘橿丘である。