よっちんのフォト日記

旅先や日常で感じたことを
写真と文章で綴ってみたい。
そう思ってブログを始めてみました。

再開発の光と影-大阪市西成区:飛田

2014年04月16日 | 大阪(大阪市内)
Tobita, Nishinari Ward, Osaka City

さてさて、大阪市の阿倍野周辺が大規模な再開発が行われ、町の景観が大きく変わったことを昨日のブログに記載いたしました。
その阿倍野区の西側に隣接するのが西成区なのですが、阿倍野区が再開発によって町並みが整備されると
隣の西成区との格差がものすごくはっきりと目に見えるようになったんですよねぇ


この写真に映っている道路が西成区と阿倍野区の境目です。ワタクシは西成区にある
「新開通商店街」という商店街の入り口に立っているんですよ。ではでは、西成区に入って行くといたしましょう。


昨今、多くの商店街がそうなのですが、ここ新開通商店街も店舗の半分くらいがシャッターが下りたままでありました
この日は日曜日、それも時刻が10時前ということなので、まだ開店していないお店もあるのかもしれませんが、どう見ても寂れ具合は相当のものです。


商店街にこんな旅館がありました。いったいどんな人が利用するのでしょうかねぇ


商店街から路地に一歩足を踏み入れると、そこには昭和40年代のような光景が残っておりました
ところでところで、大阪市西成区というと皆さんはどんなことを思い浮かべますでしょうか。
「生活保護受給率日本一」「日雇い労働者の町」「ホームレス」…そんなイメージが強いと思います。


こんな貼り紙があるということは、「ここで小便をする人」「ここで寝る人」がいるからでしょう
あべのハルカスから歩いてわずか15分ほどで、町の雰囲気は一変するんですよね。
ワタクシは子供の頃から西成には何度も来ていますので、特別に怖いとか不気味だとか思うことはありませんが
初めてこの地域を訪れる人は、ちょっと日本の他の地域には無い異質さを感じるかもしれません。


商店街に「飛田会館」という建物がありました。関西の人なら「飛田」という地名を聞くと、ピンとくる人もおおいことでしょう。
飛田はかつて「日本最大規模の遊郭」があったところで、妓楼の数は昭和初期には200軒を超えていました


1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっていますが、現在も当時の雰囲気がそのまま残っています。
大部分の「料亭」は看板は料亭なのですが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがありません
表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れているんです。
夜になると艶めかしい明かりが灯り、ポン引きのオバハンが「ニイチャン、可愛い子おりまっせ」と寄ってきます。
ワタクシはここで遊んだことはありませんが(ウソちゃいまっせ)、飛田の遊郭の建物をそのまま使った料理屋で宴会をしたことがあるんですよ。
その帰り、ポン引きのオバハンに3度も声をかけられたんですよねぇ


ではでは、ちょっとディープな西成区をもう少し歩いてみましょう。
それにしても、自転車を何台も逆さまにしたこの状況…一体どういう目的があるのでしょうか

PS.この界隈に興味を持たれる方もあるとは思いますが、出来ることならこの地域に慣れた方と同行されることをお勧めします。

使用したカメラ:FUJIFILM X-E1


大阪市西成区出身の著名人で、タレント(元ボクサー)の赤井英和がいます。
私にとって彼のキャラクター…喧嘩が強い、品が無い、声がでかい、朝っぱらからビールを飲む、人前で平気で屁をこく、
でも、弱いものをいじめたりしない、義理人情に厚い、正義感が強い、涙もろい…というのは西成区のイメージそのものなんですよ



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