牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

恵みと愛との御手

2013-05-23 20:14:22 | Weblog
恵みと愛との 御手は伸べられ
平安よろこび 豊かな報い
なすことすべては 守られ進む
すべての必要 アドナイイルエ

主イエスの十字架 信じた日より
神の子とされて いのち輝き
祈りと感謝に 包まれ生きて
ありがとう感謝で 榮の道を

御霊の導き 豊かにあれば
恐れず前進 みこころの中
主イエスに従い ひたすら進む
福音伝えて 栄えの道を

種子島遠景

2013-05-23 11:55:23 | Weblog
雨が幾日も降り続いたあとの夏の日の午後は
岩だらけの山道だった
蝉の声と栴檀の香り、つんと鼻を突く草いきれの中を
ぼくはいつものように慣れた仕草で
背中の密着した温もりを確かめ確かめ歩くのだった

高らかに響き、爽やかに跳ね返す
楢林神社に蝉の声と友たちの声
いつ果てるとも知れずぼくの知らないゲームは(野球)と呼ばれ
友だちの心を捕えた遊びは(野球)と呼ばれ

涼(りょう)だったか、真(しん)だったか
弟よ、
おまえはおとなしく、ぼくの背中で、
滅多に泣き出さないままでもぼくにしがみつき、
帯を解かせようとはしないのだ
=濱田龍郎自薦詩集=

海の道標

2013-05-23 09:42:03 | Weblog
古城が原から海を見ていた
島で出会ったぼくたちは、夢や希望を重ねていた
新しい天地海原に広がる 未開の明日に胸躍らせた

城の浜から海を見ていた
これから歩くぼくたちの、光指す道を見ていた
朝日が輝く潮の行く道  海の道標を見つめていた

赤尾木港から海を見ていた
見つめ合うぼくたちの、まだ見ぬ明日を見ていた
命のリレーの重みを思い、バトンの先を見ていた

旅立つ船から海を見ていた
北へと向かうぼくたちの、黒潮の川を見つめていた
何もないけど何かある、幸せばかりを信じてた
=濱田龍郎自薦詩集=


東京とんぼ帰り

2013-05-23 05:40:28 | Weblog
 久しぶりに上野公園散策と、原稿を書いて今朝は上野の穂徹る泊まりで、ゆっくり上野公園を歩く予定でした。

 療養中の67歳教会員が天国に召され、とんぼ帰りになりました。今日、明日と式を行います。

 久しぶりに東京上の講演を散策しました。昨日は横浜からの牧師と上野駅で待ち合わせ。

 長い時間のお話の後、ホテルで熟睡し、折角の上野公園、朝、ゆっくりゆっくりの散歩でした。
 上野公園と言えば、西郷隆盛の銅像。上野公園に建っている西郷像は高村光雲の作。
身長:370.1cm、胸囲:256.7cm、足:55.1cm。正面から写した写真では頭部が大きく見えるが、これは像の足元から見上げた場合の遠近感で適正に見えるよう計算されているためだそうです。

 「上野の西郷さん」と呼ばれて100年以上も親しまれ、現在でも、東京の象徴的光景となっており、久しぶりに歩く上野公園、やはりここまで来てしまいました。

 西郷隆盛と言えば、「敬天愛人」=道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」
(現代訳)「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」
(西郷南洲顕彰会発行『南洲翁遺訓』より抜粋)

 西郷隆盛の言う天とは、すなわち「この世の中を創造し、万物を育成しているもの」、「神(ゴット)」と同じ概念になるのです。

 西郷隆盛は長崎にいたフルベッキ宣教師と出会い、聖書の教えに触れたと思われます。書斉に150年前に写された長崎でのフルベッキ宣教師を囲む、明治維新を推進した青年たちの写真があります。その中に後方に立っているのが西郷隆盛?ではと言われております。

 西郷隆盛のいう「敬天」つまり天を敬うということは、「愛人」つまり人を慈愛するということにつながるという事です。
「敬天愛人」を目にし、耳に聞くとクリスチャンは、誰でもイエス様の有名な言葉を思います。

マタイの福音書22:35 そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。

22:36 「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

22:37 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

22:38 これがたいせつな第一の戒めです。

22:39 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

22:40 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

 イエス様は、第一に大切なことは、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。

 また、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。

と聖書の中心を教えてくれました。敬天愛人はそのことばを分かりやすく表現したと言っても良いと思います。明治維新の志士たちが、その根底にイエス様の愛の教えこそが、日本を変えると思っていたようです。

 そのイエス様の教えを恐れ、天皇制という神は九善天皇は十善という考えを導入し、日本を誤った道へ導いてしまいました。一番迷惑したのは明治天皇初め、昭和天皇も今上天皇も迷惑しているのです。
 
 イエス様の愛の教えを、敬天愛人で表現しつつ、日本を天国に生きる人々で満たし続けていきたいと願いながらの朝です。

ペテロの第一の手紙

1:18 ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、

1:19 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

1:20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。

1:21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

1:22 あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。

1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

1:24 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。

1:25 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。