牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

自分の心に頼る者は愚かな者

2011-05-31 07:54:11 | Weblog
 自分の心に頼る者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。/自分の心に依り頼む者は愚か者だ。知恵によって歩む人は救われる。(箴言28:26)

 幸せになるのをを妨げているものの一つに、愚かさがあります。人間が幸せになれない最後の障害と言っても過言ではありません。

 聖書は、自分の気持ちに頼る者は愚かな者と宣言しています。なぜ聖書はそう言うのでしょうか。それは、人の心や気持ちは一瞬で変わるこことが多いかららです。

 感情のジェットコースターに左右されやすく、幸福だと思っていてもすぐ心が沈見、不幸だと思います。
 
 心が愛で満たされていると感じたと思ったら、すぐ怒りでいっぱいになることもあります。

 自信にあふれていたはずなのに不安になったり・・・・。

 自分の心だけをよりどころにするのは、一人分だけの限られた知識と気まぐれな感情に将来を賭けるのと同じことのような歩みになるのです。

 イエス・キリストを信じて救われ、全能の神の知恵で幸せに生きる日々を体験なさってください。

エレミヤ書

17:5 主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。

17:6 そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。

7:7 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。

17:8 その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

ねたみからの救い

2011-05-30 07:18:04 | Weblog
 16歳の時、初めてキリスト教会の礼拝に行きました。種子島の小さな集まりで、医院の一室が礼拝の部屋でした。

 宣教師はまだ日本語が話せなくて、賛美歌を歌いそのあとは聖書を読むだけでした。その日の朗読個所は箴言31章10節からで、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い」とあり、今でもその時のことを覚えています。

 最初に読んだ聖書の言葉のように、真珠よりもはるかに尊い、しっかりした妻との出会いが与えられています。

 箴言=戒めの言葉、教訓の意味を持つ短い言葉、格言=旧約聖書の一書で、道徳的教訓や人生の知恵、格言、金言、勧告の書。

 31章あるので毎日1章読み続ければ、人生を幸せに賢く生きることができるすばらしい聖書です。

 幸せを妨げる要素はたくさんありますが、その中の一つにねたみがあります。

 憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう。憤りは残忍、怒りは洪水。ねたみの前に誰が耐ええようか。。(箴言27章4節)

 ねたみ=嫉妬は怒りよりも害を及ぼすと教えています。
ねたみのあるところに、ほんとうの幸せはありません。なぜならねたみや嫉妬は自分が持っているものを忘れさせ、ないもののことばかり考えてしまいます。

 そして、それは自分与えられて当然なのに、と傲慢な考えに支配されてしまいす。嫉妬すると惨めな気持ちになり、幸福感は失われ、最終的には不幸になります。

 幸せな気持ちで過ごすためには、ねたみや嫉妬から救われ、それい勝利することが必要です。

 「不安という名の鳥が頭の上を飛んで行くのを防ぐことは出来ない。けれど頭の上に巣を作るのは防ぐことができる。」と言うマルチン・ルターのことばがあります。

 ねたみや嫉妬の思いがあることはどうにもならないが、心に入り込み根をはることは止められるのです。御子イエスの血がすべての罪からきよめてくれます。ねたみのお思いが来たら、イエス様の血汐できよめていただき、その思いが心にとどまる前に、取り除くことです。

 ねたみや嫉妬心に勝利し続けるその秘訣は、感謝することです。心が感謝で満たされていれば、ねたみや嫉妬心が育つ余地がなくなります。
 
 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。


コロサイ人への手紙

3:12 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

3:13 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

3:16 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

3:17 あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。



陽気な心=喜びを抱く心

2011-05-29 08:21:23 | Weblog
陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。喜びを抱く心はからだを養うが/霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。(箴言17:22)

 現代医学が発見した真の幸せが健康にも大きく影響すると言うことを、3千年前に箴言は記しています。幸せな気持ちでいると心臓病とガンのリスクが減り、ほかの病にもかかりにくいのです。 
 
 一方、沈んだ気持ちでいると循環器系統に炎症を起こす確率が高まり、心臓病、心臓発作、脳卒中の引き金になるのが二倍になると言われている。手術後も幸せな気持ちの人の回復が早いと言われています。

 幸せとは、途切れることなく心を満たし続ける喜びです。そのような真の幸福を、イエス・キリストの十字架と復活の福音を、アーメンと信じて体験なさるよう、お祈りいたします。

ヨハネの福音書

4:13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。

4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」

7:37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。

7:38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」



風評被害

2011-05-28 09:14:50 | Weblog
風評被害という言葉がよくつかわれています。

 3月11日午後、東日本を襲った大地震と大津波、さらに福島原発放射能漏れなど大震災。あれから2ケ月半も過ぎましたが。被災地の復興もままならず、原発事故は予測不能の状態です。

 風評被害とは、根拠のない噂のために受ける被害のことを言います。事件や事故が発生した際に、不適切な報道がなされたために、それが事実でなくてもあたかも事実のように信じ込んでしまうことです。

 特に、福島原発事故で放射能漏れが報道され 避難地域の野菜や魚などその食品そのものが危険であるとの報道のために、福島県ないの農産物やその他の食品も汚染されているという風評被害のため売れなくなってしまいます。

 その風評被害は国内だけでなく全世界に拡大し、農産物だけでなく日本製品のすべてにまで及んでいると思われ、また日本への海外からの観光客が減少していると言う報道です。

 中国の首相や韓国大統領が福島県を訪問し、風評被害で売れなくなた農産物を食べて、大丈夫ですとにこにこ笑って安全をアッピールしていました。
 
 特に放射能はいまではなく数年後に被害が出てくる可能性もあり、速やかに福島原発廃止を決定する方が早道だと思います。

 風評被害をなくする為には、原発に対する明確な情報が発表されることです。東電はもちろん、政府発表もふかしたかで、毎日の報道もあやふやで、放射能の専門家の意見のまちまち、評論家たちは避難するだけ、インターネットの世界には情報があふれ、風評被害は広がるばかりの今日この頃です。

 イエス様は、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」と言われました。

 今、風雨被害を防ぐためには、政府が真実を発言することです。それは科学者たちも同じで、何よりも報道機関が真っ直ぐな情報を提供することだと思います。

 また、聞く者もあまり風評に惑わされず、落ち着いた生活を心がけていくことです。そんなこと分かっていると怒られそうですが、やはり心の平安をしっかり持ちことです。

テサロニケ人への手紙

5:1 兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。

5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

5:11 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

どん底はそこから上に登るだけ

2011-05-27 07:05:38 | Weblog
人生一本調子だけの人はいません。山あり谷ありです。ピークの時もあれば、ダウン状態、何とかしてと叫びたい時もあります。

テレビドラマの水戸黄門の主題曲、「ああ人生に涙あり」があります。どんぐりころころのメロディで歌えるそうです。

人生人生楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹も出る
歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて

人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが先に行く
あとから来たのに追い越され 泣くのがいやならさあ歩け

人生涙と笑顔あり そんなに悪くはないもんだ
なんにもしないで生きるより 何かを求めて生きようよ

 どん底だからと言って、あきらめたり 絶望しないように!どん底って、それ以上落ちない保証です。そこであきらめたり、絶望して座り込むから何も起こらないのです。そこから先は上るだけ、さあ立ち上がろうと決意さえすれば、立ち上がる力が与えられます。イエス様、信じます。助けてくださいと祈りつつ乗り越えて行きましょう
水前寺清子が歌いヒットした、ぼろは着ててもという歌もあります。

ぼろは着てても こころの錦
どんな花より きれいだぜ
若いときゃ 二度ない
どんとやれ 男なら
人のやれない ことをやれ

涙かくして 男が笑う
それがあの娘にゃ わからない
恋だなんて そんなもの
いいじゃないか 男なら
なげた笑顔を みせてくれ

何がなくても 根性だけは
俺の自慢の ひとつだぜ
春が来りゃ 夢の木に
花が咲く 男なら
行くぜこの道 どこまでも

想定外のすばらしい未来があるのです。心たくましく進んで行きましょう。真っ暗なトンネルでも、永遠には続かないのです。もう輝きの光が目の前です。

今日もまた天国の一日です!感謝します。

詩篇

23:1 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

23:3 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

口から良いものを出そう

2011-05-25 09:29:06 | Weblog
口から出るもの、それは言葉です。言葉は心の表現です。心は目で見ることはできませんが、耳で聞くことができるのです。
口から出まかせばかり言う人もありますが、一貫性がありませんから聞けば聞くほど、いい加減さに驚かされます。

心にもないことを言う人もあります。絵空ごとばかりしゃべる人もあります。人それぞれ口から出る言葉で自分を表現しているのです。
悪口や嘘いつわりは、人を傷つけ痛めます。

聖書は神の口から出た、生きていて力のあることばです。神のことばがどんなに勇気を与え力強いかを体験しながらのクリスチャン人生です。

詩篇1:2-3 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

神(聖書の言葉)の教えを喜びとし、昼も夜も聖書のことばを口ずさむなら、すばらしい成功人生が約束されます。その人はどんな状況や環境にあっても大丈夫です。流れのほとりの木が青々と生い茂るように、グッドタイミングで何をしても栄える=繁栄する=成功人生を生きるとの約束です。

 心を神のことば=聖書のことばでいっぱいにしてみましょう。イヤな言葉や悪口、不平不満や中傷、皮肉が軽々しい噂話など、心の中から放り出して。イエス様の血潮でキリサッパリ洗い流していただき、人を生かすことばが聖霊の豊かさによって語りだされる天国の一日でありますようお祈りいたします。

詩篇
19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
19:8 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
19:9 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。
19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。
19:11 また、それによって、あなたのしもべは戒めを受ける。それを守れば、報いは大きい。

19:12 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
19:13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。
19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。


語れないような時でも

2011-05-25 09:23:55 | Weblog
牧師は礼拝や集会ごとに説教をします。メッセージを語ると言った方が的確ですが。
語ることが苦手で牧師にはなれないと考えていました。聖書を読んでいた時、「ああ、麗しいかな。良いことを告げる足は」という言葉に出会いました。
 
良いこと(福音)を伝える、それだけで良いのだと信じて牧師になりました。嬉しい知らせを伝える情熱をもっと欲しいと願いながら、いつも聖書のことばをお伝えしています。

 ある神学校から説教学の教授依頼があり、親しい牧師に相談しました。そうすると説教学の教授は説教はうまくなくても良いとのアドバイスだったので引き受けました。
 
何事も、先を予測して準備していると良いのですが、突然頼まれたりすることもあります。礼拝の直前まで何を話すか決まっていないときもあります。あせればあせるほどうまくいかないこともあります。
 
長年の牧師生活ですが、ふり返って見ると何とかなってきました。そんな説教の時に限って、今日もメッセージで勇気をもらいました。必要なアイデアが与えられました。慰められて感謝しますなど、いろんなことばが帰ってきます。
 
そんなとき、ほんとうに確実に存在される聖霊の息吹によって語れたと感動します。見えないけれども確実に助けてくださる助け主がパワーを与えてくださったのです。
 
超自然的な聖霊のパワーは、初代教会時代だけでなく、今もなお存在しています。心を素直にして待ち望む時、聖霊に満たされて語る自由が与えられます。
 講壇に立つまであきらめないで、主を待ち望み、みことばを語り伝えたいと願いつつです。

ルカの福音書12:12 言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。

ヨハネの福音書3:34 神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。
6:63 いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。


早寝早起きは元気の源

2011-05-24 11:12:05 | Weblog
朝型、夜型のタイプがあります。

 種子島で生まれ育ち、家が島の真ん中で、太平洋側へ7キロ、東シナ海に面した中学校まで9キロもあり、毎朝5時に起きて通学でした。

 高校の寮は6時起床で少しホッとしましたが、生駒聖書学院は午前5時起床なので、種子島時代の生活と同じ時間に鳴り、現在は午前4時30分には起きる毎日です。

 早起きは三文の得と、ことわざは早起きを勧めています。早起きは三文の徳でもいいですね。三文なんて一円より小さくてお金にするとわずかですが、早起きは健康で長生きの秘訣と言っても過言ではないと思います。

 朝起きると窓を大きく開けて、五月の新緑を思い切り吸い込み、今日また天国の一日です!と叫びます。主の恵みは朝ごとに新しい!これは主がなさったことだ。私の目には不思議なことです。この日は主が造られた日!この日を楽しみ喜ぼう。ハレルヤ。

 豊かな恵みを思いつつ、聖書のことばで祈り賛美します。午前5時30分には学院チャペルで神学生たちと、大声を出しての朝の祈りを一時間。それから7時までの30分間は、賛美と聖書のメッセージに耳を傾け、新しい一日へのスタートです。

 熟睡型でしっかり眠利朝の目覚めも爽やかです。生駒聖書学院の敷地は緑がいっぱい、朝の澄み切った空気に満ち、ウグイスやメジロの囀り、ヒヨドリの鳴く声も気持ち良く響き、物事に集中できる朝は最高です。

 聖書は朝の恵みを多く約束しています。以下、引用してみます。

詩篇
5:3 主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。

90:14 どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。

143:8 朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますから。

伝道者の書12:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。 

哀歌3:22-23 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

なぜ?どうして?ではなく、感謝します!ビックリマークで

2011-05-23 06:05:10 | Weblog
毎日の生活の中で???と思うことが多い人生です。牧師の生活も自分のことだけでなく、様々な?(なぜ、どうして)が寄せられます。

 試練や逆境がなぜあるのか。苦難はなぜ襲ってくるのか。デボーションが今朝から、苦難の書として有名なヨブ記になります。

  ウツの地にヨブという人がいました。ヨブは潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている高潔な人でした。

 彼には七人の息子と三人の娘もあり、すごく幸せな家庭でした。また彼は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭、それに非常に多くのしもべを持っており、東の人々の中で一番の富豪でした。

 そんなヨブに、一朝にして全財産を失う苦難が襲いかかりました。全財産を失ったばかりか、パーティを楽しんでいた息子娘全員が台風で全員即死でした。

 そのような逆境のさ中でしたが、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して神を礼拝します。

 そして言いました。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな!」

 ヨブはこのようにひどく恐ろしい出来事の中でも罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかったのです。

 そののような災いをもたらしたサタンは、ヨブはすべてを失ってもまだ健康な体があるからだと、神に抗議しさらにヨブの肉体を病にする許可を求めます。

 ヨブ記の記述をそのまま転載します。
2:1 ある日のこと、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンもいっしょに来て、主の前に立った。

2:2 主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」

2:3 主はサタンに仰せられた。「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている者はひとりも地上にはいない。彼はなお、自分の誠実を堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして、何の理由もないのに彼を滅ぼそうとしたが。」

2:4 サタンは主に答えて言った。「皮の代わりには皮をもってします。人は自分のいのちの代わりには、すべての持ち物を与えるものです。

2:5 しかし、今あなたの手を伸べ、彼の骨と肉とを打ってください。彼はきっと、あなたをのろうに違いありません。」

2:6 主はサタンに仰せられた。「では、彼をおまえの手に任せる。ただ彼のいのちには触れるな。」

2:7 サタンは主の前から出て行き、ヨブの足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で彼を打った。

2:8 ヨブは土器のかけらを取って自分の身をかき、また灰の中にすわった。

2:9 すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」

2:10 しかし、彼は彼女に言った。「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。

 潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかり、信仰深く高潔なヨブになぜ試練が襲い、苦難が望んだのかと言うテーマで3章から最後まで40章にわたって議論が展開されます。

 第一に、すべての災いは悪魔・サタンが引き起こすという考えがあります。咳をしたり風邪を引いても、それは悪霊だとか言って、すべてのうまくい行かない原因を悪魔のせいにしてしまいます。

 第二に、因果応報=親の因果が子に報いる、あるいは前世の因果が不幸の原因とみなす考えで、ヨブの友人たちの論議もそのことに集中しています。

 第三に、罰だ、たたりだ、呪いだという考えです。

 第四に、不道徳、悪習慣などで自分の生活が引き起こした結果だと責める考えです。

 第五に、心理的要因と言う考えで、ヨブ自身もそのように告白しています。「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ」

どのような試練や苦難の原因を単一の要因で起こると決めつけると罠に落ちてしまいます。悪魔や悪霊が原因だと大騒ぎすると、彼らが大喜びします。もっと思え、その通りだと考えろとますます思いが曇らされてしまい、悪魔や悪霊を恐れおびえていくのです。
 
イエス様の十字架の死は、私たちを救いだしてくださいました。

ヘブル人への手紙2:1415 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。

 因果応報につても聖書は、イエス様の十字架によって親の罪が子に及ばないことを宣言しています。

ヨハネの福音書9:1-3 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

旧約聖書・エゼキエル書8:2-4 「あなたがたは、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。

わたしは誓って言う。――神である主の御告げ。――あなたがたはこのことわざを、イスラエルで、もう決して用いないようになる。

見よ、すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。

イエス様は十字架の上にすべての罪を贖い、テテレスタイ!すべてが完了したと宣言されたので、アーメンと信じれば救われ罪が赦されます。

 ヨブ記に苦難の意味を訪ねて、なぜ?どうして?を求めると、その答えを見出すことはできません。

 ヨブ自身の結論・・・・。
 ヨブ記42:1-6 ヨブは主に答えて言った。あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。

 知識もなくて、摂理をおおい隠した者は、だれでしょう。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。

 どうか聞いてください。私が申し上げます。私はあなたにお尋ねします。私にお示しください。

 私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。
 
 その結果・・・・

 ヨブ記42:10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。

 毎日の出来事になぜ?どうして?と問うことの多い悩みの人生です。苦難の意味を知りたく思うものです。

 けれどもイエス・キリストを信じた日から、すべての重荷を委ねながら、いろんなでいごとに直面するたびに、祈りつつ?マークから、感謝します!とビックリマークで祝福され、すべてのことが働いて益となる恵みを感謝しつつの歩みです。

PS.
 学院長と面会の約束があると、昨日の午後生駒聖書学院をお訪ねくださった三人の方があったと報告を受けました。日曜日は新世界のエリムキリスト教会礼拝で大阪あので、日曜日の午後に約束はできません。多分お間違えだと思います。

わたしを呼べ!

2011-05-22 07:40:14 | Weblog
エレミヤ33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

 第一に、わたしを呼べ=祈りは命じられています。

詩篇50:15苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

イザヤ55:6主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。

マタイ7:7求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。

ヘブル4:16ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

ヤコブ4:8神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。

テサロニケ第一5:17 絶えず祈りなさい。


第二に、 そうすれば、わたしは、あなたに答え=答えは約束されています。

マルコ11:24だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

ヘブル11:6信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。

ヨハネ第一5:15私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。


 第三に、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう=祈りを実践するすべての人の信仰への励まし

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
3:21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。

 ともかく何事であれ祈りましょう!

 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

 ありがとうございます。答えられ(与えられ、いやされ、満たされ、助けられ)ました。ありがとうございます!感謝します。

 すばらしい五月最後の一週間、豊かな祝福と祈りの答えの日々でに感謝します。アーメン。