牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

自分の体に感謝しよう

2013-09-30 18:56:34 | Weblog
今朝の目覚めの瞬間、体に感謝しているか?という思いが与えられました。聖書には、すべてのことに感謝しなさい!とあります。

 すべての悩みや問題、試練など何事でも、すべてのことに感謝しなさいで解決する恵みを体験して来ました。

 生きているだけでも感謝だと病院入院中は感謝し、右脳内出血が一ヶ月で痕跡もないほど完璧に完治し、脳外科の専門医二人がMRIやCT検査を示しながら、奇跡ですよといやしを告知されました。

 リハビリの主治医もすぐ退院許可を出し、近くの内科医もデータを見ながら、さすが牧師さんですね。不思議なくらいですと完治を喜んでくれました。

 ところが左足のしびれがあり、ほっておけば治りますよと医者に言われながら、左足をさするりつつ、感謝するよりは何でだろう?とつぶやくこともあります。

 今朝の目覚めとともに、神様感謝します!しびれている左足を心から感謝する思いが与えられました。

 自分の体に感謝することは難しいと言われます。毎朝の新聞折り込みには、ダイエットや、美容の広告チラシのない朝はありません。

 もっと美しく、もっと力強く、もっと健康で長寿をと、これでもかかこれでもかとの広告が、あふれ続けています。

 どんなに美しい女性、たとえ理想的に生まれついたとしても、一つも欠点のない人間などひとりもいません。

 でも何とかもっと、もっとと、摂食障害になったり、化粧品や着る物にお金をつぎ込んだり、果ては美容整形したりと留まることを知りません。

 しかもテレビではこうしたら美しくなったと、美形を強調し、きれいでないと人間でないと思わせるような番組さえもあります。

 書店棚にはダイエットの本、長寿の本が並べられ、まるで世の中が体について強迫観念に満ちているようです。それは女性だけでなく、少年少女たちや青年・成人男子、高齢者までも広がりつつあるように思います。

 今朝から思い切り自分の体に感謝し、しびれを感じたら直ぐ、神様いのちをありがとうございます。左足を感謝します!そう告白し、どうですか?と問われたら、左足がと言わないように気をつけようと思います。病は気から、気は言葉から・・・・。

創世記 1:31 そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。

テサロニケ人への第一の手紙5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

天国の予約をもっていますか?

2013-09-30 06:45:41 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記15:26 そして、仰せられた。「もし、あなたがあなたの神、主の声に確かに聞き従い、主が正しいと見られることを行ない、またその命令に耳を傾け、そのおきてをことごとく守るなら、わたしはエジプトに下したような病気を何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたをいやす者である。」

旧約聖書と新約聖書の普遍的原則は同じです。しかし、大きな違いはあります。旧約は、この言葉のように、主が正しいと見られることを行い、命令を聞き、そのおきて(律法)を守るならと、条件があります。

新約聖書は、その条件(律法)を守り実行できない者に代わり、イエス・キリスト(神ご自身が人間となり、この世界に生まれた三位一体の奥義)が、人間の弱さを身代わりとして、十字架に命を捨てて、神のすべての要求のさばきを引き受けました。その罰(裁き)は十字架により終わり、その証拠として墓に葬られ、3日目に復活されました。だから、イエスキリストの十字架と、3日目に死から復活を、アーメンと信じるなら、無条件で救われるのです。

そして、「わたしは主、あなたをいやすものである」との宣言どおりに、その打たれた十字架の傷により(肉体も精神もすべてが)癒される恵みが与えられます。そのような聖書の約束の恵みの中を、きょうも生かされています。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

種子島で生まれ育ち、中学時代は片道9キロを徒歩で3年間、雨の日も風の日も休まず通学しました。16歳でクリスチャンになり、酒もタバコにも快楽的遊びに縁もなく、贅沢もせず、牧師として進み続けてきました。

58歳のとき。東京のホテルで左脳内出血で一ヶ月余入院し、何と昨年は7月に右脳内出血、10月に小脳内梗塞で倒れ、もうすぐ丸一年になります。

しかし、聖書を神のことばと信じ、イエス・キリストの十字架と復活をそのまま信じ続けています。

牧師として、病の方に手を置き、癒やしの祈りをしているので、自分の病の時も、自分で手を置き祈り、また多くのとりなしの祈りに癒され、守られています。

医者を信頼し、薬も使いますが、根本的な健康(肉体、精神、社会的、霊的)は、聖書の約束どおりと信じ語っています。

病院に入院中の方は、医者や看護師の手をイエス様の癒やしの手と信じ、その手に信頼してください。今日も、八尾市の徳洲会病院に見舞いに行きます。牧師と手を置いて祈りますが。医者の手を信頼するように語ります。

薬を使っている方には、信じて服用するようアドバイスします。プラシーボ効果でさえ治るなら、信じて治ると信じて服用したら良いと思います。と書きながら、あれこれと薬ばかり勧める現代医学にも、問題がありますが・・・・。

イエス様は悲しみの人で病を知る救い主です。そしてその悲しみや痛みを、十字架の上で死んで体験してくださいました。

わたしは主であってあなたを癒やす者であると宣言されたお方が、自らその病を身に引き受けてくださいました。その十字架で打たれた傷により、いやしの御業を実現してくださいます。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。ペテロの第一の手紙2章24節

イエス様、いやしてください。と素直にお願いし、アーメン。ありがとうございます。癒され直りました。感謝します。そのように素直な気持ちになる時。十字架の癒やしの奇跡は始まります。

しかし、人間である以上、この肉体はかならず死にます。人生で100%確実なことは、必ず死ぬということです。健康体であっても、弱い体で会っても、病気知らずだろうと、病気であろうと、必ず死にます。

死んだらどこへ行くか知っていますか。8月に沖縄へ生き、立派なホテルへ連泊しました。今回はホテルを予約してもらい、快適な沖縄を楽しみました。自分で予約しなかったのですが、予約してますよと言うことばに安心して出かけ、歓迎されました。

天国の予約も同じように考えてください。イエス・キリストが命という高い代価を支払ってくださいました。

必要なのは、そのことを信用して、アーメン、ありがとうございますと言うだけです。アーメンと言えば、天国行きの予約ができます。自分で代金を支払わなくてよいのです。ただ、アーメンと信じ、その予約を確実にするためにも、信じてバプテスマを受けるだけです。

イエス様。信じます。アーメンと、天国行きの予約を今日なさってください。そうすると、死ぬ不安は消えて、平安と喜びの、今日もまた天国の一日が始まります。

ヨハネの福音書

14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。

14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

14:4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」

14:5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」

14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。


14:27 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。



昨年のブログが返送されて。恵みに感謝し

2013-09-29 19:02:29 | Weblog
生まれからずっと健康に恵まれ、58歳の時初めて左脳内出血になり、東京で一ヶ月余の入院、脳内出血の痕跡もないほどに癒され、元気いっぱいに70歳まで動き続けてきました。

 何度も書き続けたように、7月22日の夜今度は右脳内出血になり、運転中だったので交通事故まで起こしてしまいました。

 救急命救急室で手当てを受け、幸い交通事故の影響は全くなく、右脳内出血治療で三日後(初診は7~10日)には一般病棟に移され、さらにリハビリ病院に転院。

一ケ月後には完治を告知され、退院する恵みが与えられ、9月2日の71歳の誕生日には、礼拝説教、3日は生駒聖書学院2学期始業式説教もできるようになり、あっという間に9月が終わろうとしています。

 10月末には熊本まで講演会。11月3日(祭)には沖縄へ1泊返りで新しい教会献堂式説教で出かける予定です。

 昨年の今日、ブログに書きましたが、10月17日に小脳内梗塞で入院。昨年のブログを読みながら。今日も朝は奈良市で。昼は大阪市で礼拝説教できた恵みに感謝している夜です。


 
大事を成そうとして、力を与えてほしいと神にもとめたのに

     慎み深く 従順であるように 弱さを授かった

より偉大なことができるように 健康を求めたのに

     より良きことができるようにと 病弱を与えられた

幸せになろうとして 富を求めたのに

     賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして 権力を求めたのに

     神の前にゆざまずくようにと 弱さを授かった

人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに

     あらゆるものを喜べるように 生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが

     願いはすべて聞き届けられた

神の意にそわない者であるにもかかわらず

     心の中の言い表わせない祈りは すべてかなえられた

私はあらゆる人の中で もっとも豊かに祝福されたのだ

「この詩はニューヨーク・リハビリ病院の壁に、患者が貼った詩だそうです」

砂漠最大のオアシスエリム

2013-09-29 06:28:13 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記15:27 こうして彼らはエリムに着いた。そこには、十二の水の泉と七十本のなつめやしの木があった。そこで、彼らはその水のほとりに宿営した。
エリムキリスト教会は、ここから教会名=ELIM=Excellent Love In Mission=最高の愛の使命、今日もアーメンと言えば救われます。

偉大な紅海の奇跡から三日目、不平不満、つぶやきでした。苦い水に木を投げ込み、甘くなりました。現代もイエス・キリストの十字架と復活を信じても、霊的・精神的に、人間関係や経済的、肉体的な苦味を経験し、つぶやいてしまう弱さを持ち、これが自分が負うべき十字架だと、悩み苦しむクリスチャンもあります。

ところがマラから少しの行程で、エリムがありました。そこには12の水の泉と七〇本のナツメヤシの木があるオアシスでした。だれもが飲み憩うことができる祝福です。

なぜ妬みや嫉妬、批判や裁きが起こるのでしょうか。比較したり、相対的な幸せだけを求めているからです。信じる人生が、豊かに祝福され、幸せなら人を裁いたり、非難したりしないで、仲良く与え合う日々を生きることができます。

イエス・キリストを信じ、祈りに答えられ、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。日曜日です、すばらしい礼拝を楽しみましょう。

子どもの時から、豊かな貧しさを生きて来ました。人のものを欲しがる事は殆どありません。小学校一年生から歌を歌わなくなりました。その日から歌わないと決めました。歌えないのではなく、歌わないから自分の決断。運動もしないし、物も言わないと決めました。周りから言われても、怒られても平気でした。劣等感になることもなく、徒競走でも反対になれば一番だと思い、平気でした。

イエス・キリストを信じて人生が変わりました。何でもできる信仰が与えられましたが、やはりしないことはしないと決めて、人と比較したり、相対的な幸せ感は持ちません。聖書に書いている言葉を、アーメンと信じ告白し続けています。

高校生の時に聞いた「人が全世界を自分のものにしても、命を損じたら何になろう」との、イエス・キリストの言葉を、心底信じています。自殺=最近は自死と言いますが、やはり自殺です=も殺人も罪、戦争は最大の殺人です。歴史に登場した偉大な指導者で、戦争をした者達は、皆殺人者です。

日本のすばらしさは、平和憲法を持っていることです。それで、日本を世界遺産にと、いつも言っています。人類の歴史の中で、戦争しない憲法を持っているのは日本だけです。

内村鑑三は、私は2つのJを愛する。そして、それのみを愛する。一つはJesus(イエス)であり、いま一つは、Japan(日本)である」
有名な、I Love Two J's です。

全人類を愛して、当然日本人を愛して、イエス・キリストは十字架の命を釘付けにされました。その尊い愛に、全世界がそして日本が早く気づいてくれるよう、今日も祈る朝です。

今朝は3ヶ月ぶりに富雄キリスト教会(奈良市富雄川西町)礼拝へ。昼からは富雄からの足で、難波から恵美須町へ地下鉄でエリムキリスト教会へ。

今日もまた天国の一日、楽しい礼拝の日です。感謝します。

ローマ人への手紙

8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

9:1 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。

9:2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

9:3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

昨年の今日のブログ記事

2013-09-28 18:59:53 | Weblog
 昨年の今日のブログが、グーから転送され、転載しています。


 昨日は、思いがけずに脳内外科の専門医に診てもらう時間が与えられました。

 7月22日に脳内出血と交通事故とダブルで、救急車で堺市の馬場記念病院救急室へ運ばれました。

 自動車は形がないほどに壊れましたが、幸い対人・対物事故は一つもなく、車はひっくり返り、運転していた頭も下向きになっていました。

 そんなひどい状態の車でしたが、運転していたのにかすり傷一つなく守られました。

 救急室では7~10日の絶対安静で、右脳内出血が治っても左半身不随になるかもとの初診でした。

 幸い3日目には一般病棟に移り、歩くこともでき食事も普通に食べれるようになりました。二週間めにはペガサスリハビリ病院へ転院、理学療法士によりリハビリを受けました。

 事故一カ月目の8月23日のCT検査の結果、主治医から完治を告知され、翌24日リハビリ病院主治医からも完治を告知され、退院できました。

 退院後、近くの内科主治医も右脳内出血で一ヶ月で退院はすごいと完治を喜ばれました。

 それから一ヶ月、ずっと左足にしびれがあり、完治しているのにという思いもありました。

 昨日、脳外科専門医に2時間余、ていねいな問診、医師自らの治療、さらに突然でしたがMRI検査までしてもらいました。

 右脳内出血の完治を再確認してくださり、奇跡ですよとのことばをいただきました。これで四名の医者にそれぞれ完治を告知され、主の完全ないやしの恵みが与えられました。

 お祈りをありがとうございます。年内安静を言われており、ゆっくりする幸いを感謝します。

 生駒聖書学院日常業務や、エリムキリスト教会礼拝等は、今まで通り継続中です。

 来月は熊本県での講演会。11月3日は、沖縄県で新しい教会の献堂式メッセージで一泊します。

 昨年、そのような予定でしたが、10月17日に小脳内梗塞で入院し、熊本にも沖縄へも行けませんでした。

 8月に沖縄へ。何と9月15日には、熊本県に益城エリムキリスト教会献堂式まで。神のなさることはみなその時にかなって美しい。

 今月は。アーメンと信じて6名がバプテスマを受け、クリスチャンになる恵みの付でした。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。



コリント人への第二の手紙

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

きょうも天国、静かな夜も

2013-09-28 17:37:19 | Weblog
恵みと愛とに 生かされ今日も
ハレルヤ歌いつ ありがとう感謝
主イエスの十字架 見上げて進む
今日も天国 さわやかな朝
福音語れば アーメン信じ
笑顔はかがやき 新たな出会い
へいあん喜び 幸せあふれ
今日も天国 穏やかな午後(昼)

主イエスは復活 今なお生きて
わが内におられ 見捨てずともに
希望と栄光   常に与えて
きょうも天国 静かな夜も
アーメン

苦い水が、甘い水に

2013-09-28 06:45:42 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記15:22 モーセはイスラエルを葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった。
15:23 彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。15:24 民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか。」と言った。
15:25 モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。。

出エジプトの紅海が割ける奇跡から三日目、喉元すぎれば熱さを忘れるように、長年のムチと暴力、苦労の奴隷生活を忘れるかのようなつぶやきが起こりました。そこはマラ=苦い、苦味を意味する今のアイン・ハフラーというオアシスです。

水が鉱物塩なので、苦くて飲めなかったのです。彼らはつぶやき、モーセは神に祈り叫びました。一本の木を示され、それを水に投げ入れると、水は甘くなりました。

現代も同じです。霊的精神的な苦味、経済的、健康的な苦味、人間関係の社会的苦味があります。酒やタバコの嗜好品や快楽を求めても、その水をの目が苦いだけでなく、渇きは更に強くなります。つぶやいても不平不満、文句や泣き言を言い、当たり散らしても苦味は取れず、自分だけでなく周りにも苦味を撒き散らします。

一本の木を水に投げ入れると、マラの水が甘くなったように、イエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと受けるとき、罪とがや病、呪いや貧乏、地獄行きの死の不安やおそれは消えます。

そしてこの厳しい現実を、天国へ召されるその日まで、平安とよろこび、ありがとうございます。感謝します。ジタバタしないで生きる、甘さと楽しみの人生へと変えられます。

どんな時にもイエス・キリストのお名前で祈る幸いを知っているクリスチャンは幸いです。

今日もまた天国の一日です!平安と幸せを感謝しつつ。


喜びに敏感になれれば

2013-09-27 18:24:44 | Weblog
喜びに敏感になろう。

喜びの感度が高いと、悲しみの数よりはるかに多くの喜びが、人生には用意されています。

 ピリピ人への手紙はわずか4章、7ページだけの短い聖書です。喜びの手紙と呼ばれています。著者のパウロは、手紙を書いたときローマの牢獄に捕えられていました。
毎日24時間、4名の兵士たちに四時間交代でが四六時中、見張られている状態でした。
そんな中でこの手紙には、喜びのことばが24回も記されています。

ピリピ1:3 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、
1:4 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、
2:17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
2:18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。

喜びを決断すれば、今日もまた天国の一日でした。感謝します。今夜も安眠&熟睡です。

恵みは日々に新たに

2013-09-27 17:41:43 | Weblog
主イエスの恵みは 日ごと新たに
豊かに注がれ    絶えることなく
世の終わりまで   愛とあわれみ
御国に着くまで   いつもともなり

主イエスの十字架 その愛こそは
罪とがきよめて   日々に豊かに
病もいやして     健やかにされ
すべてのことをば  ありがとう感謝

主イエスは復活  今なお生きて
御手もて助けて  正しき道へ
豊かさ祝福    とわ(永遠)のいのちも
日々に天国   ハレルヤアーメン
アーメン

祈りと感謝と賛美

2013-09-27 06:04:48 | Weblog
聖書の一言=出エジプト記15:2 主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。
エクソダスの偉大な奇跡、紅海脱出の時、高らかに歌われたのが、このモーセの歌です。十字架の救いを経験したクリスチャンも、いつも賛美歌や聖歌で、賛美を歌うだけでなく、ことばや態度で神を褒め称え、栄光を神にお返しします。賛美し、褒め称え、崇める喜びの日々です。

祈りは、求め願うことです。感謝は、与えられた恵みを感謝することです。賛美は、その言葉の通り、何であれ神の愛と存在を崇め、賛美することです。息子が三歳の頃、旅から五日目に帰宅しました。部屋に入ると両手を広げて、お父う!お父う!(まだお父さんと言えず)と、周りを嬉しそうに回ります。
父がいるだけで嬉しく幸せです。私は、ヒョイと抱き上げ高い高い、さらに喜びは大きくなり、降ろしておみやげを渡すと、また大喜びです。

愛なる神を賛美するとき、神は人生を高貴に輝かし、求める先に必要な物をも備えていてくださいます。

ありがとうございます。唯一の真の愛の神を天の父とし、今日もまた天国の一日です!感謝します。主を賛美します。