牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

過去、現在、未来も

2019-02-28 07:21:00 | Weblog
救いの範囲
救いは、過去、原罪、未来とすべてを含んでいます。
1.過去
イエス様は、私たちの罪のために身代わりとなり、十分な刑罰を受けてくれました。心の罪も、行いの罪も、すべてが終わりました。きれいに新しく生まれ変わりました。だからもう過去は新しくなったのです。
Ⅱコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
5:21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
ローマ8:1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
2.現在
聖霊の内住により、聖なる性質=新しいいのちを受け、信じる者は罪の支配から解放された生活ができます。
Ⅰコリント6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
Ⅱペテロ1:4 その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
ローマ6:11-14 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。

しかし、肉体をもってこの世に生きている限り、完全に罪のない義と認められましたが、肉の性質に支配されないように生活して行きましょう。
そのためには、神様ののことば聖書を毎日学び、従うことです。
Ⅰペテロ1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
次に絶えず祈りにより、神様と交わりを保つことです。祈りは神様とお話することです。
エペソ6:18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
神様を信頼し、すべてを委ねて、正しい聖い生活を送ることです。
ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
最後に、罪を犯したらすぐゴメンなさいと悔い改め、イエス様の血で清めていただき、罪から離れること。
Ⅰヨハネ1:7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
1:9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
3.未来の罪も赦されました。天国には罪はなく、イエス様の十字架の救いを受けたので、栄光の体に帰られます。
ヘブル9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
Ⅰコリント15:51-54 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。

救いの保証

2019-02-27 07:35:41 | Weblog
救いの保証
自分が救われていることを、どうして知ることができるのか。

それは、神様のみことばによって、知ることができます。
そのおとが分かると、感情がぶれたたり、不安になっても、もう大丈夫です。
救いは、神様のみことばを信じる、信仰によります。
いつもしっかりと、聖書の言葉を信じ告白し、救いの確信に立ちましょう。
ヨハネ1:12 しかし、この方=イエス・キリストを受け入れた人々、すなわち、その名=イエス・キリストを信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
10:28 わたし=イエス・キリストは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたし=イエス・キリストの手から彼らを奪い去るようなことはありません。
Ⅰヨハネ2:12 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。
5:12 御子=イエス・キリストを持つ者はいのちを持っており、神の御子=イエス・キリストを持たない者はいのちを持っていません。
5:13 私が神の御子=イエス・キリストの名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。


救いの必要

2019-02-26 07:41:35 | Weblog
なぜ救いが必要か。それは神様が義であるという事実からです。
神様は聖であり、義なので必ず罪を罰します。
出エジプト記34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。
ローマ書6:23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
救われるために何をしなければなりませんか。それに対して聖書は明確に答えています。
ヨハネ6:28 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」
6:29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
使徒の働き
2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。
2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
16:30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と言った。
16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
イエス様は十字架の上で、すべての救いの条件を成し遂げられました。墓に葬られ、3日目の朝よみがえられました。
その救いをアーメンと信じ、イエス様を心に迎えるだけです。そしてその事を信じた知る強い、バプテスマを受けます。
16歳の時、アーメンと信じクリスチャンになりました。心から感謝しています。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
素晴しい救いに感謝しm栖。アーメン。

日々新しく

2019-02-24 06:46:57 | Weblog
日々新しく
Ⅱコリント5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
1.古いものは過ぎ去った=十字架の下で
イザヤ43:18 初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。
どうしても過去のトラウマに支配されます。クヨクヨ思い悩み、新しくなっていない自分がイヤになることもあります。しかし、昔のことを思い巡らすな!アーメン。」
2.見よ。すべてが新しくなった=復活の主とともに
イザヤ43:19 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。
先週、前田基子牧師が詳しく語ってくれましたね。新しいことが起ろうとしている。いや共同訳ではそれは芽生えている。春三月芽吹きがはじまりした。
復活の春です、いのちの芽生えです。
そして人間のこの身体も、日々新しくなっているのです。
人間=約60兆個の細胞の集大成です。そして何と細胞は日々新しく再生しているそうです。
・皮膚は 28日 ・胃腸は 40日 ・血液は 127日 ・骨は  200日
・肝臓・腎臓は 200日で、細胞が入れ替わる。と言われています。
人間が生きるということは、 もの凄いスピードで体のなかの古い細胞を捨て去り、それ以上のスピードで新しい細胞を作り出しては置き換えて、常に新鮮な細 胞で体を保っている。
3.聖霊様による刷新=ローマ8:11 もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
ものすごいことが起こり続けているのです。
聖書を毎日読み、祈り続け、信じていることを告白し、実行するなら、自分が気付かなくて、周りの人が気付きます。
Ⅱコリント3:3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
Ⅱコリント4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

内なる変化は外にも現れます。
クリスチャンはアンチエイジングでなくても、高貴高齢を楽しめ外衣のです。
Ⅱコリント4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
ブライ語で主=アドナイ
ギリシャ語ではキュリオス=キリスト
ローマ書10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
アドナイ・イルエ=創世記24:14=主の山には備えがある
アドナイ・ラファ=出エジプト記15:26=わたしは主であってあなたを癒やす者であるアドナイ・ニシ=出エジプト17:15=主はわが旗=主は勝利
アドナイ・ロイ=詩篇23:1=主は私の羊飼い
アドナイ・シャローム=師士記6:24=主は平安=大丈夫
アドナイ・チドケヌ=エレミヤ23:6=主は私たちの正義
アドナイ・シャマ=エゼキエル47:35=主はここにおられる
アドナイ・エリエゼル=詩篇46:1=主は助け主=詩篇121篇

詩篇103:1-5 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
今週は毎日告白してください。
主は私の一生を良いもので満たされる=満たされた!
私の若さは、わしのように、新しくなる=あたらしくなった!


新しい人生を

2019-02-24 06:42:55 | Weblog
人の持っていない霊的な新しいいのちを持つために、生まれ変わることが必要です。
生まれながらに人は=エペソ2:1-3 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
エペソ4:18-19 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。
道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。
肉体的いのちがなくなると、医学的に死んだと言われます。霊的いのちを持たないと霊的に死んだ者と呼ばれます。
イエス・キリスト様の十字架によってのみ、罪が赦され解放され、霊的いのちが与えられます。
神の子どもとして誕生できます。イエス様の十字架の救いをアーメント信じ、受け入れる人はだれでも、霊的な新しいいのちを受け、生まれ変わるのです。
ヨハネの福音書5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
1コリント15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。
Ⅱコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


生まれ変わる

2019-02-23 07:40:36 | Weblog
なぜ人は生まれ変わる必要があるのか。
1.生まれながらの人は、神様に対して、霊的に死んでいて、神様との愛の交わりを失っているので、生まれ変わる=新生が必要です。
ヨハネの福音書3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
肉とは、肉体のことではなく、人が生まれながら受け継いでいる罪=原罪の性質のことです。
人類の始祖アダムが罪を犯したため、全人類に罪を及ぼしました。
ローマ書5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。
それは、神様に反抗し、神様の愛の教えに従わず、神様を喜ばすことの出来ない原罪の性質です。
人は教区を受け、修養努力し、道徳を守り、宗教を持っても、その肉の性質は、依然として神様に敵対し、真の神様を喜ばせることはできないのです。
所が、人がイエス・キリスト様の十字架の救いをアーメンと信じ、聖霊様によって霊的に誕生すると、
神様のことを知る霊的能力が与えられます。
イエス様を信じる信仰により、恵みにより生まれ変わると、霊的な聖なる性質を与えられます。
その時から、神様を天のお父様として呼ぶこともできる、霊的な能力が与えられます。神様を知り、神様を喜び、すべてのことをありがとう、感謝しますという心も生まれてきます。

2.神の国=天国に入るためには生まれ変わりが必要です。
神の国とは、生まれながらの人が見ることもでいない霊的領域です。
イエス様をアーメンと信じる霊的新生で、体験できる世界です。
ローマ書14:17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
だから人は人間としてこの世=日本に生まれたら日本人であるように、イエス様を信じ霊的誕生をして神の国に生まれた神の子どもとなるのです。
1941年9月2日生まれ7歳。1957年11月24日にアーメンと信じ、バプテスマを受けました。
ガラテヤ書3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
4:6 そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

生まれ変わり

2019-02-22 05:45:29 | Weblog
生まれ変わり
生まれ変わりとは、どういうことでしょうか。
それは霊的な変化です。聖霊様によって生まれ変わるということは、十分に理解できなくても、イエス様の十字架の救いをアーメンと信じる時、聖霊様の働きにより、霊的に新生する奇跡がおこります。
ヨハネの福音書3:3-7 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
ヤコブ書1:18 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
1ペテ書1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。
ローマ書8:141-16 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
Ⅱコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

イエス様のつとめ

2019-02-21 05:42:45 | Weblog
イエス様のつとめ
1,預言者として、神様のみこころを示してくださいます。
ヘブル書1:1-3 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
2.大祭司の務め=クリスチャンの信仰が保たれるようにとりなしの祈りで支えてくださいます
ヘブル書2:17 そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
2:18 主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
7:24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
13:8 イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。
13:5 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
3.王の王、主の主として、再臨されるイエス様
使徒の働き1:9-11 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
黙示録19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
19:16 その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた。

昇天

2019-02-20 05:30:40 | Weblog
イエス様の昇天
1.イエス様は人間になり、十字架に命を捨て、全人類の罪を救い、3日目に復活し、その40日後、
オリーブ山から天に昇られました。そのことを昇天と言います。クリスチャンが召されるときは、召天と表現します。帰天とも言えます。
マルコの福音書16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。
使徒の働き1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
2.それは天に帰り栄光を受けるためと、その十字架の救いを継続し、信じたクリスチャンをとりなすためです。
ヘブル書7:24 しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
ローマ書
8:34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

感想

2019-02-19 15:24:29 | Weblog
講義の感想=平野洋子通信生

小平先生はTHE REVELATION OF THE WORLD(みことばの啓示)というチャートを使って1年間計3回に渡って講義されました。私たちはなぜ聖書の終末預言を学ぶのか?それは神様がクリスチャンに神のことばに精通することを望んでおられるからであり、今の時代に対する理解が、神様に対する献身姿勢を強め、終末が近いことを預言によって知る時に宣教に駆り立てられ、クリスチャンは終末預言のなかに慰めと希望を見出せるからです。正直、この講義を受けるまでは終末をあまり意識せず、黙示録に出てくる登場人物も誰を表しているのかわからないまま読んでいました。
小平先生は時代ごとに聖書の諸契約(アブラハム契約、パレスチナ契約、ダビデ契約、新しい契約)→ダニエルの69週→教会の時代→携挙→大患難時代→再臨→千年王国→最後の審判→新天新地の順で講義され、とても分かりやすかったです。聖書の契約や預言をもとに描き起こされたチャートのイラストもかなりインパクトがあり、引き込まれました。3回目の今回は大患難時代~新天新地だったのですが、私たちクリスチャンに関係のある「携挙」「キリストの再臨」「最後の審判」「新天新地」の箇所は特に興味深かったです。
世の終わりの最初に起こる「携挙」では、イエス様が救われているクリスチャンたちを迎えるために、天から下って来られます(空中再臨)。キリストの体である教会は、一瞬のうちに、死者の場合は体と霊がイエス様に似た栄光の体に復活、生者の場合も栄光の体にされて、空中でイエス様と出会い、そのまま天に上げられて地上から取り去られるので「大患難時代」を通ることはありません。(患難期前携挙説)
「大患難時代」ではイスラエルの目が開かれて、神様は再びイスラエル民族を顧みられ、神様は彼らの地を回復し、祝福の場所とされます。そのためにエリヤとモーセが再び来て、3年半の間預言し、殺され、復活します。旧約時代にバビロンのネブカデネザル王が見た夢と、ダニエルの幻、その後数百年後の新約時代に使徒ヨハネが見た幻も一致しています。エルサレムの神殿が再建され、礼拝が復活し、多くの改心者が起こされますが、反キリストが現われてイスラエルと契約を結びます。しかし、反キリストはその後契約を破り、自分が神だと宣言してこの時代に改心した人たちを迫害します。
「キリストの再臨」はイエス様が昇天された同じオリーブ山から携挙された聖徒たち(クリスチャン)とともに地上に再び来られます。イエス様は「初臨」の時は神の愛が全面的に現れて、救い主として罪を赦すために来られましたが、「再臨」の時は神の義が全面的に現れて、王の王として人間の罪をさばき、世界を治めるために来られます。イエス様は反キリストによって集められた軍隊と戦って(ハルマゲドンの戦い)勝利され、反キリストと偽預言者たちは捕らえられて「火の池」(地獄)に投げ込まれます。
「キリストの千年王国」ではサタンが捕らえられ、千年間「底知れぬ所」に閉じ込められますが、その後一時的に解放されます。サタンは人々を惑わして大軍勢を率いて、また神様に対して戦争を挑みますが、神様は天から火を下し、彼らを滅ぼされ、サタンは捕らえられて「火の池」(地獄)に投げ込まれます。イエス様は王の王、主の主として千年の間地上を支配され、その間事情には完全な義と平和があります。また千年王国が始まる前に、大患難時代に救われて殉教した人たちが復活して(第一の復活)、イエス様とともに千年間地上を支配します。
「最後の審判」の前に救われないまま死んだ人たちが復活します(第二の復活)。その後、すべての人が神の前に立ち、いのちの書に名の記されているクリスチャンは罪にさばかれませんが、名の記されていない人たちはそれぞれの罪に応じてさばかれ「火の池」(地獄)で永遠に苦しむことになります。私たちは1人でも多くの方に福音を伝えて、罪を悔い改めてイエス様を信じて救われるように導かなければなりません。
今の世界は「最後の審判」によって終わり、現在の天体は火によって消滅します。「新天新地」が神様によって造られます。救われている者は新しいエルサレム(天国)に住むことがゆるされています。救われた私たちは永遠の時の中に入って行きます。

聖書は人類創造から将来の「新天新地」に至る歴史の中に明白ないくつかの時代が存在していることを示しています。それらは①無罪の時代(人類創造~楽園追放まで)②良心の時代(楽園追放~大洪水まで)③人間政治の時代(大洪水~バベルの塔まで)④約束の時代(アブラハム~エジプト移住まで)⑤律法の時代(シナイ山~カルバリ山まで)⑥恵みの時代(カルバリ山~大患難時代、再臨まで)⑦王国の時代(再臨~最後の審判、新天新地まで)です。これを「ディスペンセーション神学」(壮大な神の摂理、計画、聖書を文字通りに解釈する立場)といいます。私たちが生きている教会の時代は⑥恵みの時代のなかにあり、ペンテコステの日に天から聖霊が下り、教会が誕生した時から始まっています。このことは旧約時代には知らされておらず「奥義」と呼ばれていたことをこの授業を通して知りました。この「教会の時代」は教会の携挙によって終わり、その後で地上には7年間の「大患難時代」が始まり、その後メシア(イエス様)が「再臨」され、イエス様によって「千年王国」の時代が始まります。旧約時代に与えられていたさまざまな契約はこの「千年王国」時代に成就し、この時代が過ぎると「最後の審判」があり、そして最後に「新天新地」が生まれます。
これらのことから聖書では「イスラエル」と「教会」は別のもので同時進行で書かれてあり、黙示録や福音書に書かれてある世の終わりの記事は「教会」の終末論ではなく、「イスラエル」の終末論であることを知りました。「教会」は「携挙」され天に携げられ、私たちは「大患難時代」を体験しないからであり「大患難時代」のいろいろなさばきも「イスラエル」のことについて書かれているからです。この2年間、小平先生の小預言書と終末論でさまざまなことを学ばせていただきました。できれば来年度の大預言書も聴講させていただきたいなと思うほどです。感謝します。