牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

祈りは答えられた

2017-06-30 18:09:45 | Weblog
ヤコブの手紙1:5\7 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。
ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。
2006年になって、地下鉄御堂筋線あびこ駅東の奥中歯科医院へ行く。治療が終わり、歯科医と応接室で歓談。祈っても答えられないのは、なぜかとの歯科医の質問。疑うからやと答える。
疑わないで祈るにはどうしたらいいかと質問され、さっと答えられなく沈黙のまま。
主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。それでも疑いが入るなら。アーメンと祈ったらすぐ、与えられました。答えられました。感謝しています。と言えばいいと答えました。
歯科医からの帰路、長居公園までの一駅を歩きながら、私を大いに祝福してください。ヤ別の祈りを祈り、アーメン。ありがとうございます。大いに祝されました。感謝してます。ハレルヤと口ずさみ、今年でもう11年。
ヨハネの第一の手紙5:14-15 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
アーメンは真実誠です。誠=言+成、本音の祈りが、聖書の約束通り成ることを信じてのアーメンです。
祈りや願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったことは、すでにかなえられたと知り、ありがとうございます。感謝してます。心安んじ、今できることを果たしていくだけです。今年も明日1日から後半に向かいます。半年間の恵みに心から感謝し、気力も充実の恵みの朝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

明日を決められない

2017-06-30 05:25:35 | Weblog
未来を決めることはできない

人生には保証などは一つもない。
明日は必ずいきっているという保証さえない。人は未来を決められない。
いくら努力しても、それが未来への保証となるわけではない。人生に、確かものは一つもないのだ。
突如、災難があなたを襲い、あなたは死ぬかもしれないのだ。
一寸先のことでさえ、自分で支配することはデキナイのだから、人は自分で生きているのではなく、いかされえいるのだと気づくべきだ。
人生とは、じぶんおやりたいことをやるための舞台ではなく、いかされている目的を実現する旅路なのだから。
予期せぬできごとが思わぬ可能性の扉を開いたり、ひどい失敗がその人の才能を開花させたりしてm結果的に、自分が計画もしていなかった人生を、歩んでいるということがどれだけあるのだろう。
しかし、それこそがその人の本分だったということが。
人はころんだり失敗したりすることで、生かされている目的に近づいていく。
その歩みは予測不可能だ。
自分の行く末をすべて知っている人は一人もいない。
やりたくもない嫌なことが、あなたをベストな場所に導く機会になるかもしれない。
しかたなく始めた仕事が大成功につながるかもしれない。
実のところ、あなたがそのときになんをしたいかという欲求は、自分にとって最善の道を選ぶための妨げになるかもしれないのだ。
だから気づこう。人の歩みは、いのちと目的の与えてでアリ、偉大な演出家である神によって定められているのであって、人の理解をはるかに超えているのだ。
だから、自分の人生が自分の思ったとおりになるべきだと考えるのはやめよう。
それは勘違いだし、むしろ、そう考えることは、あなたにとっての最高の道からあなたを遠ざけしまう最悪の結果を招くことになるかもしれないのだ。
やりたいことをやったとしても、生かされている目的を実現できなかったら、その人生に何の価値があるというのだろう。

箴言20:24人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか。
人の一歩一歩を定めるのは主である。人は自らの道について何を理解していようか。


試練を喜びとして

2017-06-29 18:17:09 | Weblog
ヤコブの手紙1:2-4 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
左右内出血、小脳梗塞主治医白戸誠爾医師に診てもらい、自動車にはねられた時、軽い脳震盪だけで影響はなく、奇跡ですね。まだ使命があるから大丈夫です。道を歩かないで、歩くときは付き添ってもらいなさいとの診断。
聖書は試練は世の常で、耐えられない試練には合わせないと約束。それだけでなく、さまざまな試練に会う=2014年5月から一人暮らし=≈時は、それをときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰は試され患難は忍耐が生じ、忍耐から失望に終わらない希望が、そして、頑張る=顔晴れる、ありがとうございますの日々です。
良く回る独楽は、軸の芯がまっすぐです。子どもの頃、自分で木を切って、削って独楽を作りました。そんなに器用ではないので、軸が中心を保てないので、長と回ってもすぐこけたり、ひっくり返ったり、横へ行ったりでした。
人生も同じです。幸い高校生の時、イエス・キリストをアーメンと信じ、揺るがない人生を歩んでいます。
独楽の芯よりも確実な、十字架に死に復活した、主イエス・キリストを心に迎えたので、
聖霊の助けにより、コマッタ、コマッタにならない毎日を平安で幸せです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

昔は良かったと言うな

2017-06-29 06:59:44 | Weblog
昔も今も同じ

昔は良かったなどと、言ってはならない。
このように言うのは、繰り返されてきた人間の歴史を知らぬ無知をさらすことだ。
人の営みは、昔も今も大差ない。
古いものへの郷愁よりも、未来への希望で生きよ。

伝道者の書7:10 「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。
昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない。


昔は良かったと言うな

2017-06-29 06:59:44 | Weblog
昔も今も同じ

昔は良かったなどと、言ってはならない。
このように言うのは、繰り返されてきた人間の歴史を知らぬ無知をさらすことだ。
人の営みは、昔も今も大差ない。
古いものへの郷愁よりも、未来への希望で生きよ。

伝道者の書7:10 「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。
昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない。


空の空

2017-06-28 04:53:51 | Weblog
営みは変わらない

空の空、すべては空。虚しい。すべてが空しい。
この天の下、人は必死にもがき苦労しながら生きている。
しかしそれだけの人生なら、いったいそれが何になるというのだ。
一つの時代は去り、また次の時代が来る。
しかしそこに生きる人間達の営みの何が変わったというのだろう。
日は昇り、また沈む。風は南に吹き、あるいは転じて北に吹く。
巡り巡って風は吹く。川は海に流れ込む。しかし海は決して満ちることがなく、
巡り巡ってまた元の川へ戻っていく。
昔あったことは、これからもある。歴史は繰り返されるのだ。
それを知りながら、人の目は何を見ても飽くことを知らず、耳は何を聞いても満ち足りない。
過去や歴史から学ぶことのない人間の営みは連綿と続く。
なんと空しいことだろう。

伝道者の書1:2-11 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。
一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。
日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。
風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。
すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
「これを見よ。これは新しい。」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。


天に宝を

2017-06-27 18:14:19 | Weblog
マタイの福音書6:19-21 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
長く使えるものを買うのが生活の知恵。イエス・キリストは、虫が食うものや、さびできず物にならないもの、盗まれるようなもの、このような快楽と財産を求めるなと教えた。
着る物はいつか古びたり、やがては傷んでいく。単なる肉体的な快楽は、次第に色あせ、楽しむたびに喜びが減少する。そのような快楽に支配されないように。
時が立って喜びが薄れていくものに執着しないように。盗まれるもの=物質には永遠性はない。物質的なものを宝にすれば、やがて必ず失望し、平安も幸せも奪われてしまう。
自分の宝は、天にたくわえなさい。地上で行う親切や善行は、天に宝を積むことです。自分のために積んだ宝は失われるが、喜んで与えた宝は天に貯えられる。
また、品性がその宝です。この世から去るとき、持って行けるものは、その人の品性だけです。ペテロの第二の手紙1::5-7 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのは真理です。心に思うことがすべてこの世のことなら、永遠について何の興味も持たない。宝がすべて地上にあれば、必ず来る死を迎える時、不安と悲しみや辛さに中を、地上に残された宝を惜しみつつ、後ろ髪を引かれる思いで、地獄への道へ向かいます。
この世に価値がないとは、聖書は教えていません。しかし、この世は人生の目的ではなく、目的地への行程です。この世とこの世のものに心を奪われず、天国を思いつつ、神の国と神の義を求めつつ、愛に生きた者は、その時が来たら喜んでこの世を去ります。神のもとに行く時が来たからです。
このようにいつまでも存続する者は、信仰と希望と愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。
日本人はその愛に生きる民族です。最初に覚えるのは、愛=あいうえおです。しかも、愛が上=あいうえです。その愛は十字架上に現されています。今こそ日本人すべてが、その愛を知り、愛を上に置く国になるときです。
ヨハネの第一の手紙4:7-9 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子=イエス・キリストを世に遣わし、その方=イエス・キリストによって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

ありがとうございます。今日もまた豊かな愛の天国の一日です。感謝します。

豊かに生きる

2017-06-27 18:10:26 | Weblog
マタイの福音書6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
この聖書のことばは、所有物が生活の領域に占めることへの警告です。イエス・キリストは、富と所有物について、第一に、すべてのものは神に属していると教えた。地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。(詩篇24:1)
森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。(詩篇50:10-12)
この基本を理解すると、すべての物質的=富、時間、知恵、知識、肉体、所有物について、これは神様のものだから、神様の栄光のためにと考える。そこにクリスチャン生活の醍醐味がある。
だから、常に人間が物品よりも重要であり、人のいのちは、は全世界より尊い存在です。財産をつくり、金を貯め、富を増やすために、人間が物品として利用されるなら、そのような富は罪悪です。
どんな方法でその財産があり、作られたかによって、富裕者の人生が問われます。
しかし、聖書は富は結果的な善であり、イエス・キリストが来られたのも豊かさを与えるためと宣言しています。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(コリント第二8:8)富や金銭、物質を所有することは、罪ではなくて厳粛な責任です。クリスチャンは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、愛にも富み豊かにされて、名誉ある独立を保ち、家族を養い育て、助けの必要な働きのため、恵みのわざにも富む人生を生きることができます。
快楽に快楽、贅沢に贅沢を重ねるだけに、富を求め続け、富にのみ生きがいを感じたり、金があれば何でも買え、何事でも解決できると思うなら、金銭を愛することがすべての悪の根になります。
そんな悪の根を刈と取り、神の栄光のために、繁栄する人生を今年の後半も力強く生きる人生です。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント第二8:9)
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。

蒔いた物を刈り取る

2017-06-26 07:33:00 | Weblog
原因と結果の法則

生きることについて、根本的な思い違いをしてはいけない。
人は種を蒔けば、必ずその結果を刈り取ることになるのだ。
つまり、原因があって結果がある。
これこそ神が定めた宇宙の法則だ。
もし、あなたが常日頃から、自分の刹那的な欲望を満たすために行動しているなら、その結果、強い自制心によって欲望を取り締まる医師の強い人になるわけがない。
結果は全くその逆で、欲に溺れて自滅の道をたどるのがおちだ。
しかし日頃から、欲をを制し、良心のとがめを感じることのない行動を積み上げている人は、自制心や忍耐力を身につけた人となる。
これこそ、社会的に信頼されうる人物となるための土台だし、豊かな実りある人生を期待できる人の条件である。

ガラテヤ人への手紙6:7-10 思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。
ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。





神の言葉は生きている

2017-06-25 20:46:57 | Weblog
へブル人への手紙4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
神のことばは生きている。力がある。両刃の剣よりも鋭い。関節と骨髄の分かれさえも刺し通す。心のいろいろな考えやはかりごとをを判別することができる。
神様のことば=聖書のことばは生きていて、力にあふれています。それは鋭い刃物みたいに切れ味が良く、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々なすがたをさらけ出します。
目覚めと共に聖書のことばに導かれ、何事があろうと、生きていて力があることばを、自分の心と口から離さず、行動する時、大きな平安と幸せな日々です。

恵みと愛との新たな朝に
主イエスの十字架仰ぎ信じて
祈りと賛美で癒しの恵み
ありがとう感謝で天国の朝
アーメン。