牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

久しぶりに東京へ

2012-05-31 05:28:53 | Weblog
 今日は久しぶりに東京です。午前11時より駒込の中央聖書学校チャペルを会場に、全日本ペンテコステ教団協議会セミナー(年に一度)が開催されます。

 日本ペンテコステ教団、日本アッセンブリー教団、チャートオブゴッド教団、オープンバイブル教団、フォースクエア教団、ネクストタウンズミッション、キリスト福音の群れ、神の家族教会、単立ペンテコステの群れ、シオン宣教団など10教団と、単立やグループなどから集まります。

 1996年~2004年まで、東京では元気の出る聖会、さいたま市でアサエル宣教聖書学院を持っており、毎月一度は東京へ出かけていました。

 アサエル宣教聖書学院を閉鎖し、それ以来東京へ行く機会がかなり減りましたが、今年は2月から二回目の東京です。

 生駒駅まで3000歩を歩き、久しぶりに電車での出掛ですが、京都駅まで約一時間、新幹線で午前11時の礼拝時間にゆとりで間に合う距離です。

 協議会後、流山おおおたかの森駅で、種子島の星原中学校時代の一年先輩と会い、夕食の約束もあり今夜は東京一泊です。

 明日は京都オンヌリ教会で夜の集会メッセージ。今日もまた天国の一日です!と元気で行ってきます。感謝します。

詩篇



20:1 苦難の日に主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。

20:2 主が聖所から、あなたに助けを送り、シオンから、あなたをささえられますように。

20:3 あなたの穀物のささげ物をすべて心に留め、あなたの全焼のいけにえを受け入れてくださいますように。セラ

20:4 主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを遂げさせてくださいますように。

20:5 私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。

20:6 今こそ、私は知る。主は、油をそそがれた者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。

20:7 ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

20:8 彼らは、ひざをつき、そして倒れた。しかし、私たちは、立ち上がり、まっすぐに立った。


今月、天に召された愛する方々を思う

2012-05-30 04:37:57 | Weblog
人は必ず死ぬと分かっていても、やはり愛する方々との別れは辛いものです。

 4日(木)に蓼科市までジュース断食に行きました。早く着いたので甲府市まで走りました。甲府市には、神の愛キリスト教会(エリムグループ)有泉弘牧師(20年前の卒業生)がおります。

 60代で単身寮で学び、学期終了とともに奥様の待つ甲府市へ飛ぶように帰宅しました。若い神学生たちが恋人の所へ飛んで行くと冷やかされながらの3年間でした。

 立教大学レスリング部で活躍し、同時に本が大好きで大量の本を持参し勉強に集中していました。夏季休暇中はアルバイトで、何と電話機の営業で64万円にもなり、会社から再就職を懇願されたりもしました。

 卒業後、周りの反対もありましたが、自宅2階を改装しキリスト教会として開拓伝道でした。

 5月4日にお訪ねしたら入院中とのことで、奥様と一緒に病院へお見舞いに行きました。

 意識はしっかりしていて、健康の回復をアーメンと信じて祈り、大変喜んでくれました。自著を何冊か持参していましたので、読まれますか?と聞くと、目を輝かせて読むとのこと。

 奥様は本を読む気力があるなら大丈夫ですと、喜んでくださいました。7月にまた蓼科まで来るからもう一度お訪ねしますと、別れを告げました。

 今月17日に安らかに天国へ召されたことを、奥様から知らせがありました。年老いてなお実を結ぶ牧師の道を選ばれた、有泉弘牧師の88歳の凱旋に、天でも大きな歓迎の時だったろうと感謝します。

 主の聖徒の死は、主の御前において尊い。(詩篇116:15)

 また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」(黙示録14:13)

 87歳の教会員森口静江姉。沖縄・琉球大学病院で洗礼を受け召された西川さん。召される直前に息子に洗礼を受け召された山根先生のお母様、そして嫁に洗礼を決意させたその姿など、それ以外にも悲しみを越えて、天国を思うお電話やメールなど、また、また、一期生の小川イエス福音教会中川博牧師の奥様も80歳で召されたことも知りました。

 五月の空を越え天国へ召された方々を思い、美しくさえずるメジロや小鳥たちの声を聞きつつ天国を思う朝です。

 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

哀歌

3:21 私はこれを思い返す。それゆえ、私は待ち望む。

3:22 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

3:24 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。

3:25 主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。

3:26 主の救いを黙って待つのは良い。



詩篇

118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。

118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。

118:25 ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。

118:26 主の御名によって来る人に、祝福があるように。私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。

118:27 主は神であられ、私たちに光を与えられた。枝をもって、祭りの行列を組め。祭壇の角のところまで。

118:28 あなたは、私の神。私はあなたに感謝します。あなたは私の神、私はあなたをあがめます。

118:29 主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

 

 


神の恵みはいつもあなたとともに

2012-05-29 09:01:47 | Weblog
朝、聖書を開くと、「勇士よ。神の恵みは、いつも、あるのだ」というみことばが、目に飛び込んできました。。
その続きには、「この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む」と、詩篇52:1&8にありました。

 ありがとうございます。神の恵みはいつもある!今日もまた天国の一日です!感謝しますと、目覚めた上天気の朝です。

終末論講義で、京都福音教会・小平元昭牧師が朝早くから来られました。カンボジアでの宣教会議で発熱とお腹をこわしているそうですが、微熱になり昼食は食べられないけれども、教室で熱心に講義しておられます。

 また午前9時過ぎには、梅田オアシスの店長交代とのことで、生駒市、奈良市を巡回されるので、生駒聖書学院も訪ねてくれます。前店長とも知り合いなの、お二人での訪問です。

 神の恵みはあるのだ!との聖書の言葉に、励まされて元気でスタートの朝です。

 今日も恵みと救いの日です!大阪エリムキリスト教会では今夜も、大勢の人がイエス様を信じて救われるのが楽しみです。

コリント人への手紙6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

哀歌3:22-23 私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。

エペソ人への手紙 2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

 神の恵みによって、いつも平安に満たされています。

 平安=詩篇55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

神の恵みでいつも神様に信頼できます。

 信頼=詩篇56:4 神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。

神の恵みでいつも豊かな慰めを与えられます。

慰め=56:8 あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。

56:8 あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に/しるされているではありませんか。(口語訳)

56:9 あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録に/それが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。(新共同訳)

ありがとうございます。今日も神の恵み豊かな天国の一日でした!感謝します

また会う日まで!と天国へ

2012-05-28 05:14:34 | Weblog
今年も7月27日(金)~30日(日)、種子島の友人たちや二つのキリスト教会で、朝と夜の礼拝です。

 特に熊本の詩人・濱田龍郎兄も自動車で同行し、土曜の夜は知り合いを招いて講演会も計画されています。今までと違った種子島訪問になります。今から楽しみで祈っています。

 それまでに新しい本も出版予定で、種子島に福音をとの祈りを続けています。新しい出会いも与えられそうで嬉しい限りです。

 西之表キリスト教会には、濱田龍郎兄も小学生~中学生時代出席していたとのことで、「アンクルトムの小屋」で主役を演じ、感動てきだったことなど、池田牧師からもお聞きしました。50年以上ぶりの西之表キリスト教会訪問に、大きな神の選びと導きを感謝しつつ祈っています。

 昨年、池田久子先生は天国へ召されました。その思い出を池田牧師が書いた便りをいただきました。昨年も紹介したと思いますが・・・・。

 「妻久子は平成21年7月子宮癌を発症し、放射線照射と抗がん剤投与を受け、同年9月には患部は癒され、すっかり元気になって退院しました。

退院後は自宅で普通の生活をいたしましたが、今年の6月、健康チェックで肺に影が発され、癌転移の疑いで、西之表の田上病院に入院し抗がん剤治療を受けました。

 しかし、病巣は徐々に広がり、妻にとっては体力負担となり、通常でも38キロとやせ形でしたが、加えて食が細く、召される直前には28キロになりました。

病院の手厚い治療にも関らず、本人の衰弱は日増しに進行し、主治医と相談の結果、緩和治療に切り替えて頂きました。

 
 10月5日の朝、本人は自力でトイレに行こうとして倒れ、救急車で、田上病院に入院いたしました。

妻は今生の終わりが近づいたことを悟り、「主が迎えに来られるので、延命は不要だからね」と言いつつ。10月5日午後4時15分、家族が見守る中に息を引き取りました。

額に「J」印

 病院についてから気づいたのですが、倒れたとき額を打ったところが紫色になって、あたかもローマ字「J]の形をしておりました。救い主主イエスJesusの頭文字です。

このとき、ヨハネの黙示録14章1節の「その額には子羊の名と、子羊の父の名とが記されていた。」の言葉を示され、大いに驚き慰められました。本人が躓いてできた打撲の痕が救い主イエス様の証印になろうとは!
 神様は「全てを益に変えてくださる」(ロマ書8:28)とそのいきなはからいに感謝しました。

妻は77年の生涯で、私より先に旅立ちましたが、肉体の苦痛、束縛、この世の衣食住をはじめ、生きるために必要なすべての物から解放されて、霊の世界へ移されました。

彼女はキリスト様にあって自由であり、新しい神のみ国に移住しました。加えて今生の別れに召天式に臨んでくださった方々が、今までの度の集会よりも多く集まってください、図らずも讃美歌と聖書の約束を、ご参列の皆様と分かち合う栄光の時となり、感謝いたしました。


 また会う日まで

 私も今78歳を迎えたばかりです。これまでは妻と二人で教会のこと、幼稚園のこと、中国九江での奉仕、いっしょにやって来ました。

 妻は本当によい協力者でした。これからしばらくは一人になりますが、再び相見る日が来ることを楽しみにしています。

「先に、行っているね。」「待っててね」は私の独り言。妻も私も、主イエスによって整えられ、新しいみ国で多くの先輩たちと、感謝と喜びの生活を送る日が来ることを信じ、希望をいただいております。


ヨハネの黙示録

7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、

7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」



今日はペンテコステの日!キリスト教会の誕生日です

2012-05-27 08:52:56 | Weblog
クリスマスは世界中で祝われるキリストの誕生日です。12月25日と定めらられています。

 イースターはイエス・キリストの復活の日。毎年日付けが変わります。キリストの死からの誕生日です。今年はデパートでもイースターの売り出しがありました。リオのカーニバル(謝肉祭)が有名です。

 今日はペンテコステの日!キリスト教会の誕生日です。イエス・キリストが十字架上に死なれ、三日目の朝復活されました。そのよみがえりの日から40日目、キリストは聖霊のバプテスマを約束して天にお帰り(昇天)なりました。

 その日から10日後の日曜日の朝、エルサレムの二階座敷の集まって祈っていた120名の弟子たちの上に、突然に聖霊が臨まれました。

 彼らは聖霊に満たされい今まで語ったことのない異言を語り、聖霊降臨が実現しました。

 その日にペテロが説教し、3000名の人々がイエス・キリストを信じてバプテスマを受けました。その日から聖霊なる神の働かれる恵みと救いの教会時代がスタートしました。その救いの恵みの時代は、今も継続中です。

 今、全世界のクリスチャンで五人に一人は、異言を語ります。それくらいに聖霊のお働きが豊かな時代の終わりになっているのです。

 ペンテコステ運動は、1901年にカンザス州トピカのベテル聖書学院で行われた年末年始の祈祷会で、指導者であるチャールズ・F・バーハムをはじめ神学生のほとんどがいわゆる「聖霊のバプテスマ」を体験し、異言で神をほめたたえたことが契機となった。バーハムは、テキサス州のヒューストンに聖書学校を移転して、その学生でもあった牧師のウィリアム・シーモアが1906年、アメリカのロサンゼルスのアズサ通りで集会を行ったところ、集会中に聴衆である信徒のなかに「聖霊のバプテスマ」を受け、エクスタシー状態に陥り、異言を語る現象が起こった。このことがロサンゼルスの新聞に掲載されて、全米に広まった。

 このようなペンテコステ運動のいわゆるリバイバル集会は、3年にわたってロサンゼルスのアズサ通りにある伝道館、メソジスト教会などの教会堂を借りながら続けられ、その間にアメリカ各地のみならず隣国のカナダや海を越えたイギリスなどからも集会へ集う参加者がいた。そのような参加者があかしすることによって世界中に広められました。

 ペンテコステ運動の特徴は、最初のペンテコステの日と同じように、聖霊に満たされるとき異言を語ることです。

 使徒の働きやコリント人への第一の手紙にあるように、異言で祈り賛美するというしるしが伴うとういう信仰を持っています。

 異言だけでなく、ペンテコステの日以来、初大教会に現わされた聖霊の賜物(=カリスマ)と同じものであると信じています。

 初代大教会と同じ聖霊の働きを信じ異言を語り、奇跡を信じる教会をペンテコステ派、その宣教運動をペンテコステ運動と呼ぶようになりました。

クート師のペンテコステ教会への影響

 生駒聖書学院の創立者、レオナ―ド・W・クート師は、特に関西にあるペンテコステ派教団、単立教会や小さな群れの多くに、直接的・間接的に大きな影響を受けています。

 クート師のペンテコステ派内での影響を無視することはできないと言われています。

 クートの影響の理由は、クートが戦前から生駒聖書学院で長年にわたり多くの伝道者を訓練したことと、多くの(アッセンブリーズ教団とフォースクエア教団以外の)アメリカのペンテコステ派宣教師はクートを頼って来日したからである。

 又、アメリカでも、クート師は1941年にインタナショナル・バイブル・カレッジを、テキサス州サナントニオに建て、多くの卒業生を日本に宣教師として送りだしました。

 それらの伝道者・宣教師は日本でのペンテコステ派の働きの中核として新しい教会を開拓し次世代の伝道者を指導しました。

 それらの新しい世代(クートの孫弟子やひ孫弟子)の中には既存の教団に入り中心的な働きをしている牧師も大勢います。

 クートの影響を直接あるいは間接的に受けた教団は、日本ペンテコステ教団、日本福音ペンテコステ教団、チャーチ・オブ・ゴッド教団、ネクストタウンズミッション、キリスト福音の群れ、トータルクリスチャンチャーチ、シオン宣教団などがある。それ以外にも生駒聖書学院を卒業した牧師たちが、関西を中心に多くの単立教会や群れがなんらかの影響を受けていると言っても過言ではありません。

 ペンテコステの日に生駒聖書学院にいる恵みを思い、今日もまた天国の一日です!

 ありがとうございます。クート師との出会いと、聖霊のバプテスマを受け異言を語る恵みをうけたことを!感謝します。



ヨハネの福音書16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

16:14 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」



テモテへの第二の手紙1:7 神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。


泥かぶらの話

2012-05-26 07:49:30 | Weblog
泥かぶら

 奈良時代(710-794)は今、歴史的には非常にすばらしい時代のように言われていますが、本当はもっと暗いみじめな時代でした。今の日本も大変な時代で、いつどうなるかまったく分からない状態です。しかし、今よりもっと悲惨な時代であったことは確実です。

 その頃、ある村に貧しい一人の女の子がいました。お父さんはどこに行ったかわからない。お母さんは死んでしまって孤児みなしごです。
天涯孤独ですから、いつも汚い恰好をしているので、子どもだけでなく大人さえも皆がいじめます。唾をかけます。石を投げます。もちろん一緒に遊んでくれません。

 だけどこの子は非常に気性が激しく、石を投げられたら石を投げ返した。唾をかけられたら、かけ返しました。そして遊んでくれなければ一人丘に上がって夕陽を見て知らん顔でした。そんな子だからますますいじめられました。

 でも時おりその子自身も考えました。このままでは自分はどうなるんだろうかと。

 その村を一人の高齢の旅人通りかかり、その子のなりゆきをじっと見ているのです。「気性の激しい子だなあ。そして絶対に負けん子だなあ。よしわしが助けてやろう。」ということで、その子がいつものように丘の上で夕陽を見ながらたたずんで座っているのを後ろから肩を叩きました。

 「どろかぶらよ、お前は本当はすばらしい子なんだ。だけども今のままではダメだよ。」といって、 三つのことを教えました。


一、自分の顔を恥じないこと
一、どんな時にもニッコリ笑うこと
一、人の身になって思うこと
 

 女の子はそんなことは無理だと思ったのですが、このままではどうにもならない。よしやってみようと思いました。そして最後までやるぞと決心したのです。

 ところが、ある時とんでもないことがおこり、極めつけみたいなことで濡れ衣を着せられます。

 実は、このどろかぶらという女の子を嫌っていじめていた、村一番の美人で庄屋の娘こずえ」でした。ところがある時、「助けて」!とどろかぶらのところに走って来ました。

 その後ろからお父さんの庄屋が鞭を持って追いかけて来るのです。こずえは庄屋が命よりも大切にしていた茶器を割ってしまったのです。しかもこのこずえが、どろかぶらが割ったんだと言いながら、走って来たのです。

 どろかぶらはその時に、それは私がやったのではないと言いませんでした。

 自分を一番いじめた子、この子の気持ち、人の身になって思うことと言われたことを実践し、黙ってこずえをかばいました。庄屋は当然、どろかぶらに先入観を持っていますから、こんな汚い奴とそのまま、どろかぶらを打ちたたきました。


 もう何度も何度も鞭で叩かれ体はぼろぼろになって、また丘の上の夕陽を見ながら泣いていうろ、後ろからそっとやってきた人がいます。それは自分をおとしめたこずえなのです。

 そして、自分が一番大事にしていた宝物である櫛を差し出しました。「助けてくれてありがとう。ほんとうに悪い事をしてごめんなさい。これは私の宝物だからあんたに貰ってほしい」と言いました。

その時、生まれて初めてどろかぶらは報いられたことを知りました。そして「その櫛はいらないから、どうかその心だけでいいからこれから仲良くしてね。」と言いました。

 こずえはさらに感動して、どろかぶらの泥を払って櫛ですいてあげてかたわらの花を挿してあげました。

 それから毎日毎日、今までの評価がどんどんと逆転し変わってきした。

なおさらこのどろかぶらは、旅人の三つの言葉をさらに実践し続けました。

 喘息持ちの老人の家には山奥に入って薬草を取って持ってきたり、子供が泣いていたら慰めてやったり、あるいは子守りをしてやったり、人の嫌がることを次から次にやっていきます。だから村人にとってついにどろかぶらは村にいなくてはならない人になっていくのでした。

ところが、人買いの次郎兵衛が村にやってくると、どろかぶらの仲良しの一人の娘を買っていこうとしました。売られて行こうとする親友は泣き叫び、それを見ていたどろかぶらは、ついに自分が身代わりになろうと決心しました。。
 

 そして人買い次郎兵衛に「その子の代わりに私を連れて行ってくれ。」と言い、次郎兵衛はびっくりし、目をむいて言いました。「お前、何を言っている。遊びに行くのではないということが判っているのか。もういいかげんにしろ。さっさと向こうに行け。」と。


 はじめは取り合わないのですが、メソメソ泣いている女の子と健康ではちきれんばかりのどろかぶらを見て、どっちが高く売れるか考えました。「よし、じゃあ、こっちのほうがいいな」とどろかぶらを連れて行くことしました。


 ところが、どろかぶらは三つの言いつけを守っています。自分の顔に恥じない。自分の未来が必ず開かれるという信念を持っています。どんな時にもニッコリ笑っています。常に相手の身になって考えています。

 ですから、都へ上がる間、毎日毎日、何を見ても素晴らしい。何を食べても美味しい。どんな人に会っても常にその人を虜にしてしまう魅力がある笑顔を忘れない。

 ついに次郎兵衛はある時、置き手紙をしていなくなってしまいました。


 その手紙には、 「私はなんとひどい仕事をしておったか気が付いた。お前のお陰で、私の体の中にあった優しい心が目覚めた。ありがとう。天使のように美し子よ。どろかぶらよ、幸せになってくれよ。」と書いてありました。

 この話を読んで、

 いつもにっこり笑うこと。人の身になって思うこと。自分の顔を恥じないこと。これこそ美しくなる最高の化粧品だと思います。

 新聞折り込みには、毎朝のように化粧品やエステ会社の案内チラシがあります。きれいになりたいという願望は何歳になっても変わらないようです。顔や身体に高額のお金をかけている人も多くいるようです。

 しかし、ほんとうの美しさは、きれいとは違うものだということに気づいたら、毎日は天国の日々に変わります。

 美しいという漢字は、羊の下の字もともとは女という字だったそうです。羊の下に立つ女、それが美しいと言う字です。

 聖書では羊は、イエス・キリストのシンボルです。「見よ。世の罪を取り除く神の子羊!」

 ですからイエス・キリストの十字架の救いを信じて、心がきれいになるときほんとうの美しさが輝くのです。クリスチャンの女性たちの美しさは、イエス・キリストの十字架の下に立つ、へりくだった美しさでもあるのと思います。

 三つの化粧品は、お金がいらない!使っても減らないし、使えば使うほど、質が良くなる!どこへでも持って行ける!すばらしいものです。

 ありがとうございます。今日もまた美しく輝く天国のい一日です!感謝します。

箴言

31:25 彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。

31:26 彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。

31:27 彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。

31:28 その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。

31:29 「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。」と。

31:30 麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。

31:31 彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。






チア・にっぽんコンベンション2012大会

2012-05-25 08:45:25 | Weblog
ウィキペディアにある、ホームスクーリングと、チャーチスクールの説明です。

 ホームスクーリング(英語: homeschooling)は、学校に通学せず、家庭に拠点を置いて学習を行うことをいう。オルタナティブ教育の形式のひとつであり、ホームスクール(英語: homeschool)、ホームエデュケーション(英語: home education)などともいう。

 またホームスクーリングが盛んな米国などでは、家庭を拠点としながら大部分の時間を戸外の教育機関で過ごすケースが多々あるため、在宅教育(ホームスクーリング)とともに、自宅ベース教育(Home-based education ホーム・ベイスド・エデュケーション)と言う表現が使われる

チャーチスクール

 公教育が荒廃していると考えた、アメリカ合衆国の一部のキリスト教徒の間で、自分たちの子供の教育を自分たちで行おうとする運動がで起こった。これがチャーチスクールの始めである。

 日本でも2000年5月に「チア・にっぽん」や2001年に「日本チャーチスクール協会(JCSA)」いう支援団体ができた。

 およそ60のチャーチスクールがあると言われている(2008年12月現在)。

 チャーチスクールでは、宇宙や生命の起源の説明として創造論を教え、聖書に書かれた教義を教える。受験教育ではなく人格教育に重点がおかれている。チャーチスクールが公教育の行き詰まりに対しての新しい教育の突破口の可能性があると考えている人たちもいる。

 そのチア・にっぽん・コンベンション2012関西大会が、生駒聖書学院を会場に今日と明日の二日間にわたって開催されています。

 遠くは宮城県や九州、四国などからも参加があり、すでに会場が設営されており、今朝は小チャペルであ朝の祈りと礼拝でした。

 午前中の授業も小チャペルで行います。

 聖書に基づいた教育が必要であり、すでにテキストも完備し、小学校規模の人数が集まり、学校法人に向かって備えしているスクールもあるようです。

 ミッションスクールがキリスト教精神で運営されていても、クリスチャン教師たちがものすごく少なく、聖書の教えを伝えることも宗教の時間だけになっているようです。

 そんな中でのチャーチスクールは、大きな問題を投げかけているようです。

 ともかく、今日と明日は久しぶりに大にぎわいのキャンパスになります。明日は礼拝での挨拶と祈り、午前11時からの分科会担当を依頼されています。

 久しぶりに小チャペルでの朝の祈りと礼拝でした。落ち着いた雰囲気でのひと時を終え、今日の講師を迎えた朝です。

 今日もまた各地から来られる牧師家族や、昨日は五人の子どもといっしょの卒業生もありました。

 今朝は宮城県名産のゴマ団子も美味しくいただきました。

 朋あり遠方より来る、また楽しからずや!の二日間です。

ローマ人への手紙

1:8 まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、

1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。

1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。

ダイヤモンドの土地

2012-05-24 08:16:28 | Weblog
昔、インダス川のほとりにひとりの農夫が暮らしていました。広大な農場で大きな家もあり、周りからうらやまれるほどの暮らしをしていました。

 ある日一晩泊まった旅人が、ダイヤモンドの話をしてくれました。その高価な石を手に入れれば、今の農場の何倍もの土地が手に入る。

 一つかみのダイヤモンドで国も買うことができるかも知れない。王侯貴族にもなれるというとてつもない話でした。

 彼はまんじりともせず夜を過ごし、農場を売り払い、財産をかき集め、ダイヤモンド捜しの旅に出かけました。

 ヒマラヤを捜し回り、パレスチナへ行き、その後ヨーロッパの国々を捜しましたが、見つかりませんでした。

 お金は底をつき、着物はボロボロになり、食べ物もなく飢え渇きにさいなまれ、ついにはスペインの崖から、海に飛び込み死んでしまいました。

 その頃、農場を買い取った男が、農場を流れる小川を渡ろうとしたら、キラリと光る石が見えました。それを拾い上げた男は、七色に輝く光の石を家の暖炉の上に飾りました。

 前にその家を訪れた男がまた宿を求め、暖炉の上に置かれている石を見ると、興奮して叫びました。ダイヤモンドだ。どこでこれを見つけたのですか?

 男は家の庭で見つけたただの石ですよ!まだたくさんあります。旅人はまた叫びました。これは本物のダイヤモンドです!

 史上最大と言われるダイヤモンド鉱山・ゴルゴングの鉱脈はこのようにして発見されたのです。

 ラッセル・コウンエル牧師は、この話を説教として6000回以上話したそうです。自分の教会だけでなく、アメリカ中をビジネスマンのためにも講演し、やがてはテンプル大学を創設し、多くの若者たちにも多大な影響を与え続けました。

 このダイヤモンドの土地から三つのことを教えられます

 第一に、自分が住んでいる土地にダイヤモンドは無いと思って、捜しまわった農夫の悲劇です。私たちも自分には何もないと、不平や不満の気持ちで捜し回っているなら、永久にほんとうの幸せを見つけることはできず、失意のうちに生涯を終えて島します。

 だから、自分の与えられている恵みの豊かさに早く気づいて感謝しつつ、おかれた所で輝いて生きることが一番です。

 「見よ。わたしはだれも閉じることのできない門をあなたの前に開いて置いて。あなたは少ししか力がな方にもかかわらず、わたしのことばを守り、」わたしの名を否定しなかったからである」 黙示録3章8節

 第二に、ダイヤモンドの原石は研磨されないままだと、ただの珍しい石にすぎません。カットされ研磨されてこそ、素晴らしい値打ちあるダイヤモンドとなるのです。イスラエルやオランダで研磨工場を見学しまし、素晴らしい輝きに磨き上げられる工程に感動でした。

 「今の時の軽い艱難は働いて、永遠の思い栄光をもたらすのです」

 「なぜなら患難をも喜んでいます。患難は忍耐(練られた品性)を生みだし、忍耐は希望を生みだすことを知っているからです。そしてこの希望は失望に終わることがありません。なぜなら聖霊によって神の愛が豊かに注がれているからです」

 第三に、二番目の農夫も、旅人のアドバイスが無ければ宝の持ち腐れで、ダイヤモンドに気づかず単なる飾りに過ぎません。良いアドバイザーや協力者が有ると、すごい能力が発揮されるのです。

「信仰の創始者、導き手であり完成者である、イエスを見上げつつ進もうではありませんか」

 「わたしは決してあなたを離れず、あなたを見捨てない」「見よ。わたしは世の終わりまであなたとともにいます」

 最高の導き手であるイエス・キリストがおられる人生は、どこにいてもそこがダイヤモンドの土地となるのです。

 詩篇1:3まことにその人は、流れのほとりに植えられた木のようだ。ときが来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える。繁栄する。成功する。

 

 



キラキラ輝く幸せの秘訣

2012-05-23 10:05:16 | Weblog
キラキラ輝いて幸せに生きることができます。それはいつも良いことに目を注ぐことです。
 
 自分田周りにいる人、あるいは出来事や大自然の中に、きらめく星空になど、いつも美しいものだけを見ることです。素敵なことや、すばらしい出来事に注目することです。

 今日のトップ記事は、東京スカイツリーのスタートニュースでした

 二十二日に開業した高さ六百三十四メートルの東京スカイツリー(東京都墨田区)で、天望デッキ(三百五十メートル)と天望回廊(四百五十メートル)という二つの展望台を結ぶ二基のエレベーターが午後五時十五分ごろ、強風のため運転を停止するトラブルが発生した。運営会社の東武タワースカイツリーは、天望回廊の営業を午後十時から約二時間半前倒しして、終了した。

 同社によると、二基のエレベーターは高所にあり強風の影響を受けやすいため、風速三○メートル以上で運転停止する規定になっている。

 ところが、この日の風速は一四~一五メートル。同社広報宣伝部の高梨博武課長は「開業初日でもあり、安全を最優先した」と説明。エレベーターを悪天候などで停止するかは内規に基づき判断するというが、内規で風速三○メートルと設定した根拠について同社は「説明できない」と話している。

 二基は、二十三分間にわたり停止。天望回廊には約二百人の入場客がいたため、二基とも下り運転のみ再開して、天望デッキへ誘導を始めた。その後、天望デッキに滞留する客が増えたため、入り口フロア(四階)から天望デッキへ上るエレベーターも三十七分間、上りに客を乗せるのを取りやめた。

 天望回廊へ上れなかった来場者へは、料金の払い戻しに応じた。

 この日、スカイツリーを中心に商業施設なども含む東京スカイツリータウンの来場者は約二十一万九千人。このうち展望台へ上ったのは約九千人だった。(東京新聞)

 すごい人気だと思いました。と同時に聖書のバベルの塔の記事も思わされます。人間の心理は、新しい珍しいものがみたい!また高い所に登りたい!という気持ちが強いのだと思います。

 毎日スカイツリーを見に行くこともできません。でもいつもプラス面を見つめていると、不思議なことや素晴らしいことが起こり始めます

 今日もまた天国ン一日です!との告白にも力が入ります。 そしてキラキラ輝く日々が継続します。

 聖書のピリピ人への手紙のことばです。

 「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい」

 すべての真実なことを静かに考えると、人生はキラキラと輝き始めます。うそや偽りを考えるといくらでもあるのが世の常です。

 すべて誉あること、ほめられたり称賛されたことを思うとキラキラ感動で輝きます。

 すべての正しいこと清らかことを思い、それらが自分には縁がないと思うと、一生輝けないままで終わります。

 自分の周り人や出来事の中に、すべての正しいことや清らかななものを見つけるとき、キラキラの人生に囲まれ続けます。

 すべての愛すべきこと、そんなことは遠くにあると思っているなら、永遠に愛すべきことは訪れません。

 孫たちの笑顔に囲まれるだけでなく、道を行く親子連れに挨拶し声をかける時、愛がキラキラと輝きます。

 すべて称賛に値すること、最年長初優勝を決めて引き揚げる西の花道。37歳の男の目から熱いものがあふれ出した。「緊張していたのもあったし、瞬間的に色々なことを思い出したから」。本人も想像していなかった平幕優勝。賜杯を抱いて、「いろんな人に支えられて。辞めなくてよかったよ」。

 大島親方に誘われ、モンゴル出身力士の第一陣として旭鷲山らと来日したのは20年前。17歳だった。しかし相撲部屋の生活になじめず入門半年で脱走。故郷に帰ってしまった。現地まで連れ戻しに来てくれた師匠の「相撲はモンゴルの時代になる」の説得がなければ、この日はなかった。

 旭天鵬、最年長初優勝に男泣き、感動でキラキラ輝いていました。まさに称賛に値する優勝だと思います。

 
自然の世界に、スポーツや子どもらの笑い声の中に、美しいものがいっぱいです。

 もし、いつも疲れていたり、意気消沈したり、弱さや失望を感じているなら、五月の最後の一週間、集中的に聖書のことばの勧め通りやってみませんか。
 

 「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい」

 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 奇跡の輝きがあなたの人生をキラキラと輝かせてくれます。

 今日もまたキラキラ輝く天国の一日です!感謝します。

コリント人への第二の手紙

4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。

4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。




身体も喜ぶことばを使おう

2012-05-22 05:11:10 | Weblog
こんな実験があるそうです。

 AさんがBさんを後ろから抱き上げるのですが、Bさんが「今日はすごくいいことがあって、鳥みたいにフワーと心が軽い!」と、イメージして口にすると、AさんはBさんを簡単にもと上げることができるそうです。

 では反対に「今日は朝から気分が悪い。鉄みたいに身体も思いも全然だめ!」と、口にしてイメージすると、ほんとうに重くてなかなか持ち上がらないそうです。

 同じ人なのに、思ってことばにするだけで、わずかの間に大きな違いが出てしまいます。

 身体が喜ぶことばを使うだけで、入院していても、少々弱い身体でも健康が守られる幸いを経験できるのです。

 身体が喜ぶことばは何でしょうか。1998年11月に左脳内出血で倒れて以来、毎朝のように聖書のことばを告白します。

 そのことばを告白し、アーメン。ありがとうございます。告白したとおりになりました!感謝しますと宣言します。

 たとえば、「わたしは主であってあなたを癒す者です」 アーメン。信じます。主よって癒されました!感謝します。

 「あなたがたはその打たれた傷によって癒されました」 アーメン。ありがとうございます。イエス様の十字架によって癒されました!感謝します。

 「愛する者よ。あなたの魂が恵まれ栄え幸せであるように、あなたがすべてのことに恵まれ栄え幸せで、かつ健康で有るように祈ります」

 アーメン。ありがとうございます。私の魂は恵まれ栄え幸せでした。すべてのことに恵まれ栄え幸せでした。健康も守られました。感謝します。

 朝の目覚めとともに、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。

 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い」(哀歌3:22-23)と、生かされている奇跡に感謝します。

 「これは主がなさったことだ。私の目には不思議なことだ。この日は主が造れられた日!この日を楽しみ喜ぼう!」(詩篇118:23-24)と、高らかに宣言します。

 人間関係はなおさらです。ちょとしたことで相手を許せなかったり、不平や不満に心が支配されてしまいます。

 そんな気持ちがストレスとなり、身体の不調までももたらします。いつも喜ぶことは、すぐ相手を許すことです。傷つけられたことばや態度に出会うとイヤなものです。でもそれを心に入れてしまえば、自分の心にしこりのように溜まってしまいます。

 人を許すことは自分を許すことです。十字架上のイエス様の祈りに赦されている平安と喜びを忘れないようしたいものです。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないでいるのです」

 許し忘れると気持ちも晴れやかになり。体も軽やかになります。

 ありがとうございます。すべてを許しました。十字架の元で赦しました。もう忘れました。感謝します。

 心も身体も軽やかに五月朝です。

 今日もまた天国の一日です!祝福を祈ります。感謝します。

テサロニケ人への第一の手紙

5:16 いつも喜んでいなさい。

5:17 絶えず祈りなさい。

5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

5:19 御霊を消してはなりません。

5:20 預言をないがしろにしてはいけません。

5:21 すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

5:22 悪はどんな悪でも避けなさい。

5:23 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

5:24 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。