おら畑さ行ってたんだ
ジャガイモ植えてた
そしたらゴーってすごい音さ
たまげたねえ
となりの畑の人さ走ってきて
逃げろーって
おら命ひとつ持って逃げて来たんだ
着の身着のままって
これほんとのことだっぺよ
なーんにもないべさ
二十年は帰れんて
そだともおら二十年は生きられんからさ
おら、もう二度と家には帰れないべさ
=濱田龍郎自薦詩集=
この詩が造られたと同じ現場にいました。同じ人かも知れませんが、ボツボツとツない被害の怖さを語ってくれました。
同じ畑にいた他の人たちにも、逃げろーって大声で叫びました。上に向かって逃げた人たちは、いのちからが着の身着のままでしたが、祈りが助かりました。
この方(かなり高齢で腰も曲がっていました)は這うように上に逃げました。舌の家にお金を取りに行かなくてはと下って行った方たちは、二度とその姿を見ることもなく、家ごと流されてしまいました。
私に話してくれた恒例の方は、大事だと思っていた見える物(お金や家などなど)が、ほんとはいのちを救うものではなく、奪うものになったんだね。自分は見える物にとらわれないで上に向かって逃げたから救われたのですよと、しみじみ語ってくれました。
被災地訪問を思う時、本当に大切なものは、みえるものではないことにきずいたと言う高齢の方の言葉を思い出します。
今また日本は見える物だけを大事にするような時代に逆戻りの時代の観がします。然りと見えない神を見上げる国になりたいものです。
今日も病院でイエス様の救いを心に迎える方との出会いがありました。
今日もまた天国の一日です!
ヨハネの福音書
20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。
20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。
20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。
20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。