牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

老いの処方箋

2013-05-31 16:06:36 | Weblog
 ひとときという車内雑誌に、渡辺純一著の老いの処方箋という文があり、久しぶりの新幹線の中で詠みました。

 年齢を重ねていくと、老眼になり、さらに歯が弱くなり、会話やテレビの音が聞き取りにくくなってきます。

 またこしや膝に痛みが出てきて、時には歩行困難になり、行動範囲が狭くなります。他に記憶力が衰え、会話がはずまないなどと、様々なマイナス症状が出てきます。

此処まで読んで、聖書の伝道者の書12章に同じように書いてあるのを思い出し、3000年前も現代も同じ悩みだなと思いました。


 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。

その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。

通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。

彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。

こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。

ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。(12:1-7)

 解釈をしなくても、高齢者の姿が象徴的に描写されています。今までは、すべて問題なくできていたのにともどかしい気持ちになります。

70年年間、元気いっぱい頭痛も腹痛も、身体のどこにも痛みなく、精神的にもストレス(ストレスがないと言うのがストレスだと先輩牧師に言われたり)なく、元気で朝早くから夜遅くまで、また世界中を動き周っていました。

 昨年、「天国から送り返された牧師」として、一ヶ月の入院・再入院でイエス様の癒しの恵みをいただき、生かされています。 

 身体は何十年も休みなく働き続けたのですから、いろいろ弱ってくるのは当たり前だと言われても、今までは好きな時に好きな所に自由に行けたのに、自由に車も動かせずもどかしく思います。

 71歳になったことを素直に受け止め、老いることを大げさに嘆かず、こんなものかと受け止めて、今日もまた天国の一日です!生きていても天国、死んだら永遠の天国と、平安と喜びに包まれて、病気の方を見舞い、握手した方々の幸せを祈り、、イエス様を信じてもらいながらの日々です。

 もう明日から6月、今年も後一ケ月で半年、今日も牧師として、ゆっくりとですが、イエス様の十字架の救いを与えられたチャンスと生かして、祈りつつ励んでします。

イザヤ書

40:26 目を高く上げて、だれがこれらを創造したかを見よ。この方は、その万象を数えて呼び出し、一つ一つ、その名をもって、呼ばれる。この方は精力に満ち、その力は強い。一つももれるものはない。

40:27 ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。

40:28 あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

40:29 疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

40:30 若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

40:31 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

この世で最上のわざは

2013-05-31 08:07:06 | Weblog
美しい心で年をとり
働きたいけれど休み
喋りたいけれども黙り
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見てもねたまず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり
弱って、もはや人のために役立たずとも
親切で柔和であること

老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後のみがきをかける
まことのふるさとに行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる
それは祈りだ
手は何もできない
けれども最後まで合掌できる
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声を聞くであろう
「来よ。わが友よ。われなんじを見捨てじ」と。

=朝祷会の機関紙「人生の秋」に紹介された詩から引用=

詩篇

91:14 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

日々に天国

2013-05-31 06:03:58 | Weblog
恐れは消えゆき  御霊に満ちて
福音伝える   使命の道に
みことば真実   主イエスが常に
先立ち下さる  勝利の道に

みことば信じて  強く雄々しく
右にも左も    それず真直(ますぐ)に
世界に伝える   十字架の救い
恐れず迷わず   献身の道

福音語れば   人々信じ
罪とが赦され  神の子となり
とわ(永遠)のいのち受け 日々に天国
平安よろこび   ありがとう!感謝
アーメン

完成された救いをアーメンとともに

2013-05-30 08:02:08 | Weblog
聖書の一言=こうして、天と地とそのすべての万象が完成された(創世記2:1)

完成された世界に、罪が人類を支配し、問題だらけの世界に。しかし、主イエス・キリストは、全人類の罪を背負い、救いを十字架の上でテテレスタイ!(完了した)

 いま、アーメンと信じるだけで完成された救いがあなたの心に。昨日も出会った看護師さんや、売店の女性もアーメン信じますと、イエス様を心に迎える祈りのとき。

今日もまた天国の一日です!

黙示録
3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

ヨハネの福音書
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

見舞うたびに元気になる姿を喜ぶ

2013-05-29 16:44:15 | Weblog
恵みの朝明け 恵みの雨も
豊かにそそがれ 喜びあふれ
福音伝える 使命とともに
主イエスの救いは 真実なれば

賛美に満たされて 希望かがやき
活き活き生きて 天使の笑顔
出会う人々 アーメン(と)信じ
神の子とされて 新たな日々を

主イエスの十字架 罪とがきよめ
あふれる平安 感謝あふれて
御霊に満たされ とわ(永遠)のいのちを
今日も天国 かがやく笑顔
アーメン

 いつくしみ深きのメロディで賛美しつつ、朝のチャペルでヨブ記よりメッセージを聞き、午前中に生駒駅まで送ってもらい、電車でお見舞いに行き、見舞いに訪ねるたびに、お元気な姿にいやしと回復の祈りにも力がこもります。

 お世話くださる看護師にも、時間外のお見舞いを詫びつつ、握手で幸せを祈りアーメンと信じる祈りもできました。

 玄関で介護士に支えられている通院の高齢者の癒しを祈り、二人に証しを「天国から送り返された牧師」を渡すと、迎えの車が来てさようなら。

 売店でも50代女性とお話しし、握手し幸せを祈りアーメンと信じる祈りもできました。

 明日は、神学生の恒例のピクニック。晴れると生駒山登山。帰り無デパートでお菓子を持ち切れないくらい買ってタクシーで帰宅。

 運転手は生駒が初めてで、指導員に導かれながら聖書学院まで、学院を紹介しながらあっという間でした。生駒駅から学院入口まで840円。

 毎日恵みに生かされ、今日もまた天国の一日です。

ゼカリヤ書
10:1 後の雨のときに、主に雨を求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の草をすべての人に下さる。

神はすべてを良しとされた

2013-05-29 06:03:51 | Weblog
聖書の一言=神は見て、それをよしとされた。(創世記1:10)

人は満足しない事の方が多いけれど、天地宇宙、大自然調和を欠くことなく美しい。

神は見て、それをよしとされた。

完璧主義に陥らずおおらかに回りを見てみよう。

良いものばかりで驚くだろう。今日もまた天国の一日です。

感謝!感謝!すべてに感謝!アーメン。

災いと思ったら奇跡が

2013-05-28 17:36:26 | Weblog
 元旦の礼拝が終わり、三々五々帰り始めました。大変ですの声とともに、早く救急車をと言う叫び!

 体が少し不健康だった60代男性が、奥様と階段を帰る途中、倒れて階段の角に頬をぶつけて怪我をしてしまいました。元旦とのことで救急車も遅れ、お急ぎで駆けつけ守りと癒しの祈りをしました。幸い手当てをしてもらい大丈夫でした。
ました。
 今日はその半年ぶりの後日談です。堺市から大阪市二移転し、新し住まいの祝福を祈ってほしいと依頼され、午後から大阪市内までゆっくりゆっくり出かけました。住所近くの洋品店でご主人に道を尋ね、お話もできたので、牧師で家の祝福を祈るために生駒から来たと話しました。

 ご主人と握手をし、ご主人の健康と店の繁栄を祈り、アーメンとともにイエス様を心にお迎えする祈りにもアーメンと応じてくれました。

 訪ねた家で、元旦に実は奇跡が起こったのですとのこと。詳しくお聞きすると、元旦まで声がでなくて讃美歌も歌えず、奥様との話にも支障があるほどだったのに、階段にこけて救急車で運ばれると、急に声が出るようになったとのこと。

 元旦礼拝の後、枚方に住む母親(95歳)を訪ねると、顔に包帯をしているから、キリスト様を信じているのになぜと言われてしまいました。奥様はお母さん実は奇跡が起こったのですよと言いました。

 母親は怪我をしているのに、でも倒れるまで声が出なかったのに、出るようなったと言うと、キリストの神様は不思議な神様だねと、一緒の喜んでお正月を祝いました。それから今月まで、新しい住まいも含めて不思議なことが続いて、お二人との幸せでいっぱいでした。

 ムリして頑張るのではなく、エリムキリスト教会は、どな時でも平安と感謝があふれているから大好きです。前よりもうんと近くなった教会を喜ぶご夫婦の祝福を祈りました。

ペテロの第一の手紙

  3:1 同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。

3:2 それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。

3:3 あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

3:4 むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。

3:5 むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。

3:6 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。

3:7 同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

救いは神の言葉とともに

2013-05-28 06:17:16 | Weblog
聖書の一言=神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。(創世記1:9)

問題や試練だらけに見えても、神のことばが語られるとき必ず解決の道があります。

思いがけないところから救いが来ます。

今日もまた天国の一日です。

どうしてそんなに

2013-05-28 05:58:50 | Weblog
わたしの気持ち

どうしてそんなにやさしい目ですか
どうしてそんなに見つめてくれて
どうしてそんなにわたしに
涙をくれるんですか

どうしてそんなにやさしい手ですか
どうしてそんなに暖かい手で
どうしてそんなにわたしを
抱いてくれるんですか

どうしてそんなにやさしいいのですか
どうしてそんなに溢れる愛で
どうしてそんなにわたしを
包んでくれるんですか

わたしはなんにもできません
わたしは心で叫ぶだけ

ありがとう ありがとう
ありがとう ありがとう
それが精一杯のわたしの気持ち
=濱田龍郎自選詩集=

濱田龍郎自選詩集「十一人の友に捧ぐ」が。文庫本として文芸社から発行され、全国書店に陳列されます。
 出版のためにお祈り応援お願いします

イザヤ書
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

申命記
33:27 昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。

四季のめぐり合い

2013-05-27 15:43:48 | Weblog
愛する人よ
巡り逢った春の日を
忘れない
青春はほろ苦く還ってくるよ

導く人よ巡り逢った夏の日を
忘れない
正直な生き方を訓えてくれた

詩を詠む人よ
巡り逢った秋の日を
忘れない
優しさをありがとうと奏でる調べ

心の友よ
巡り逢った冬の日を
忘れない
夜更けまで語ろうかいで湯の宿で
=濱田龍郎自選詩集=