牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

いのちの尊さ

2018-11-30 05:56:01 | Weblog
マタイの福音書6:25 だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
何を食べるか、何を飲むか。何を着ようかと、心配するなと、イエス様は教えました。
衣食足りて礼節を知る=生活に余裕が生まれ、心配事がなくなって初めて、礼儀に心をくだけると言うことわざです。
イエス様は心配しなく良いと教えました。なぜならいのちがある、生かされていることに優る幸はないからです。からだは着物よりたいせつなものです。
いま生きている恵みと実感。これがあると、毎日ありがとうと感謝しながらです。聖書のことばを信じて生きている毎日、これに勝る平安、これ以上の幸せはありません。
平安がないので、いくらあくせく働き、あるいは贅沢三昧に遊び暮しても、いがみあったり、争ったりの不平不満の生活です。
貧ほどつらいものはないと、乏しいことを否定的捕らえるけれども、貧は世界の福の神。貧は世の常人の常。貧は士の常=清貧であることは、人の道を学ぶ士にとっては、当たり前のことだ。孔子のことばにも貧にして楽しむ=貧しくても、貧富にこだわらず、人の道を踏みゆく日々を楽しむ。
生きている限り不安は誰にもあり増す。心配の種はどこにでもあります。心配の種を平安に変えてみませんか。その秘訣は、心配しないことです。心配だ、心配だと考えたり、口にしないことです。不思議な事が起ります。主がなさる恵みです。
もう一度、イエス様のことばを味わってください。
マタイの福音書6:26-34 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
イザヤ書26:3-4 志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。 ハレルヤ!アーメン。






私は喜んだ

2018-11-30 05:51:36 | Weblog
詩篇122篇
都上りの歌。ダビデによる

人々が私に、「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、私は喜んだ。
エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。
エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。
そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。
そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。
おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。「おまえのうちに平和があるように。」
私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。

助けはどこから

2018-11-29 05:45:13 | Weblog
詩篇121篇
都上りの歌
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。

心配するな

2018-11-29 05:30:16 | Weblog
マタイの福音書6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

ナザレからエルサレムまで歩くと二日。イエス様の時代は歩くだけ。聖地旅行には13回も行ったが、バスであっという間です。限りな九青い空、糸杉の群生、ぶどう園、大麦の波、オリーブ畑、山や丘の変化、春だと美しい花々の彩り、地中海からの爽やかな風。乳と密の流れる約束の国。
その美しい自然の中に、イエス様のことばが優しく語られます。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
その通りです。
着るものものや、食べる物にこだわる私たちです。でもそんなことは人間の価値と名の関係もないのです大事なのは、神様を第一に生きることです。神を第一に優先し、ありがとうございますと感謝する人生に、心配はありません。
マタイの福音書:32-34
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
ピリピ4:6-7 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
Ⅰペテロ5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

苦しみのうちに

2018-11-28 05:52:00 | Weblog
詩篇120篇
都上りの歌
苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。
主よ。私を偽りのくちびる、欺きの舌から、救い出してください。
欺きの舌よ。おまえに何が与えられ、おまえに何が加えられるのか。
勇士の鋭い矢、それに、えにしだの熱い炭火だ。
ああ、哀れな私よ。メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとは。
私は、久しく、平和を憎む者とともに住んでいた。
私は平和を――、私が話すと、彼らは戦いを望むのだ。


日ごとの食事

2018-11-27 05:50:13 | Weblog







日ごとの糧をきょうも与えて下さい。

天にいます私たちの父よ。
主の祈りの最初のことばです。
イエス様は、祈る時、人に見せたり聞かせたりする祈りではなく、自分の奥まった部屋で、戸を閉めて、だれにも見られない所で祈りが聞かれると約束しました
だから、こう祈りなさと。有名な主の祈りを教えてくれました。
『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。マタイ6:9-13
主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みに会わせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。

祈りはまず第一に、神の栄光をたたえ、神の心が広く地上に行き渡るように祈ります。
そして、日ごとの糧や救いが得られるように、何でも必要が与えられるよう祈ります。
さらに、赦しの祈りです。人を赦すことは、凡人のできることではありません。形ではできても、とても心の底から、十字架上のイエス様のように、彼らは何をしているのか、わからないからです。しかし、それを実践しないと、神様は罪をゆるしてはくれません。イエス様の愛は厳粛なのです。
愛は赦しの実践です。その時に、祈りはさらに自由になります。
マタイ6:14-15 もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

敵を愛する

2018-11-26 18:11:48 | Weblog
敵を愛する
イエス様は、天の父なる神の愛を伝え、天の父が完全なように、人間も完全であるようにと教えました。
仇や敵はいくら憎んでも憎み足りる者ではないのですが、イエス様は愛しなさいといいました。 逆ではないのか、なぜかおかしいのではともおもいます。
旧約聖書では、3 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と書かれています。
これがユダヤ人や、一般の常識から見ても、ごく当たり前の教えです。
イエス様は、常識を打ち破って、全く新しい愛の世界へ導きます。
それは、自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。何という愛でしょうか
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる人を愛したからと言って、何の報いが受けられるでしょうか。そんなことは当たり前のことです。
自分を苦しめたり、敵対する人のために祈ったり、愛したりする人はすばらしい人です。
そうありたいと思っても、中々できない現実があります。
聖書の教えに従って一度やってみましょう。すがすがしい気持になり、笑顔が輝きます。
ルカの福音書6:27-38しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。
あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。
すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。
自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。
自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。
返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。
ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。
あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。
与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」






賛美がわきあふれ

2018-11-26 05:47:43 | Weblog
詩篇119篇
169-176私の叫びが御前に近づきますように。主よ。みことばのとおりに、私に悟りを与えてください。
私の切なる願いが御前に届きますように。みことばのとおりに私を救い出してください。
私のくちびるに賛美がわきあふれるようにしてください。あなたが私にみおきてを教えてくださるから。
私の舌はあなたのみことばを歌うようにしてください。あなたの仰せはことごとく正しいから。
あなたの御手が私の助けとなりますように。私はあなたの戒めを選びました。
私はあなたの救いを慕っています。主よ。あなたのみおしえは私の喜びです。
私のたましいが生き、あなたをほめたたえますように。そしてあなたのさばきが私の助けとなりますように。
私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。

与える

2018-11-25 07:16:56 | Weblog
ユダヤ民族がローマ属国として、不当に苦しい生活だった中で、サドカイ派の人々は、財宝を蓄え不純な享楽にひたっていました。
持っている者はますます太り、意地は汚くなる、一部の持てる者は金銀財宝に目がくらみ、贅沢のし放題。
残された大部分の人々は荒野で羊を追い、麦を育てて日ごとの糧にいのちに灯をともすような日々です。
貧富の差が人間関係も引き裂くようでした。物欲、金銭欲に執着し、人間の心を失っている人々に、イエス様はそのことをはっきり指摘します。
物に執着しないで、「求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい」=マタイ5:42
イエス様は食べる物が無い人に、恵んでやれる心こそ、神の愛を持つ人などだと訴えます。
現代では、物が豊富にあり、お金さえあればどんな贅沢でも、ご馳走でも欲しいままにできます。
ここしばらくのニュースは、カルロス・ゴーンの50億円不正取得ついてにぎやかでした。しかし、金の力がすべて思いのままと豪語しても、心は汚れ虚しく薄汚れ、生き生きした美しさや、愛に欠けてしまいます。
日本の国会議員給与と、公務員給与は世界一高収入です。財政が足りないと消費税値上げ法案が通過使用としています。
まず議員から年収を減らし、大企業にも税を十分に治めてもらえれば、消費税を上げなくても大丈夫なのにです。
なぜ世の識者や評論家、経済学者、マスコミは声をあげないのでしょう。いや本気で国民のことを考えている政権党は声を上げないのでしょう。
イエス様の時代でも、金持ちの不正が痛打されています。金持ちが威張って不正を犯せば、貧しい人たちは塗炭の苦しみにあえぐのです。
当時の食生活は、いなごの塩ゆでが唯一のご馳走だったのに、金持ちたちは贅をつくし、食べた物をはき出しては、またご馳走をむさぼる宴会続きでした。
現代も、人に与える至難さを、愛の心で与え実行する心はすばらしいですね。少しかなくても良い。量の多少より、お互いをいたわり合う優しい愛の心が大事なのです。
その意味で、ボランティア活動で、被災地を訪れている人たは心豊かな人たちです。
食べ物だけなく、イエス・キリストの救いも届けることが出来れば、天国にも大きな喜びが上がります。
他人を苦しめて自分の目的を達する人もいます。その人の財がたまればたまるほど、悪い人相になっていくのはどうしてなのでしょう。お金があってもなくても、穏やかに優しく愛に満ちた顔になりたいです。
受けるよりも与える方が幸いです。ゴールデンルール=黄金律に生きる天国の一日を祈ります。ありがとう。感謝します
箴言3:27-30 あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。
あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。あす、あげよう。」と言うな。
あなたの隣人が、あなたのそばで安心して住んでいるとき、その人に、悪をたくらんではならない。
あなたに悪いしうちをしていないのなら、理由もなく、人と争うな。
11:24-26 ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。
穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。
15:15-17 悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。
わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。
野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。
17:1 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
ぜひ読んで見てください。
ルカの福音書12:13-21=豊かな収穫の金持ち
16:19-31=金持ちとラザロ

喜び

2018-11-25 07:09:58 | Weblog
詩篇119篇
161-168君主らは、ゆえもなく私を迫害しています。しかし私の心は、あなたのことばを恐れています。
私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。
私は偽りを憎み、忌みきらい、あなたのみおしえを愛しています。
あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。
あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。
私はあなたの救いを待ち望んでいます。主よ。私はあなたの仰せを行なっています。
私のたましいはあなたのさとしを守っています。しかも、限りなくそれを愛しています。
私はあなたの戒めと、さとしとを守っています。私の道はすべて、あなたの御前にあるからです。