牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

信仰の賜物

2019-01-31 05:36:00 | Weblog
聖霊様の賜物
力の賜物
1.信仰の賜物
信仰には救われる信仰があります。
エペソ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
ローマ10:9-10 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書を読むことで信仰は強められます
ローマ10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
祈りで信仰を得ます。
ヘブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
同時に特別に与えられる賜物の信仰が与えられます。
ローマ2:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。
聖書の実例をお読みください。
モーセの信仰と紅海横断=出エジプト記14章
ヨシュアの信仰と太陽=ヨシュア記10章
バルナバの信仰と教会開拓=使徒11:19-26
パウロの信仰=使徒27章
イエス様の約束=マルコ16:17-18
恵まれた信仰生活を、聖書を読み、礼拝を守り、祈りの中で成長して行きましょう。
聖霊様の賜物の信仰も必要に応じて、豊かに与えられます。アーメン。


十字架のメッセージ

2019-01-30 09:15:53 | Weblog
1コリント2:1-5 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

聖霊様ありがとうございます。歓迎します。
イエス・キリスト様は人生の土台です。
この世ではすぐれた知識や知恵、血統や家柄など、様々な小細工などを、土台にしようとしています。しかし、この世のどのようなものも砂上の楼閣です。
聖書には永遠に続く土台は、イエス・キリスト様の十字架の救いだと明言しています。
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
十字架のことばとは、十字架についての話です。
パウロはコリントに行く前、アテネへ行きました。アテネはソクラテスで有名な哲学と理性の都です。
アレオパゴスの丘で、パウロは修辞学の粋を尽くして語りました、結果はほとんどありません。
コリントにきたときは、精神的も疲れ果てており、テント作りをしながらでした。ところが
使徒の働き18:9-11 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。
わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。
その失望の中で、パウロは十字架の救いだけを語りました。
なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
その結果、聖霊様の助けと恵みが注がれました。
使徒パウロの体験を聞いて見ましょう。
あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
十字架の福音を阿アーメンと信じ、クリスチャンになり、今日も十字架の救いを伝え続けています。
聖書のメッセージを複雑化しないで、伝え続けましょう。理論的に学び、しっかり理解する恵みも与えられています。。
1コリント2:6-7 しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
理解できない。分からないと言って、聖書からずれるのでは無く、読んで学んで理解して、幸と平安を体験してください。
必ず素晴しい成功と繁栄の人生があなたのものです。
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、そして、
人の心に思い浮かんだことのないもの
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。

過去は=ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
現在は=1:17 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。
将来は=
10:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

何も思い煩ったり、心配しないで、アドナイ・シャローム=主の平安。シャローム。大丈夫。アーメン。祝福の日々を祈ります。

預言

2019-01-30 05:47:03 | Weblog
聖霊様の賜物
1コリント12:7-10 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
2.発声の賜物
異言の解き明かし
解き明かしは通訳ではなく、その異言の意味を伝えるものです。短い言葉でも、解き明かしが長くなったり、長い異言でも短い意味の解き明かしもあります。
異言の解き明かしは、人々の役に立つ場合に与えられる賜物です。教会の中には、そのような記録が残されています。

預言の賜物
Ⅱペテロ1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
1コリント14:3-4 ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。
異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
預言の賜物は、教会の徳を高めます。
現代特に気をつけないと、自称預言者とか、預言の賜物があると自慢する牧師達がいます。
その言葉は聖書のことばでは無いので、しっかり吟味することが必要です。霊を見分ける賜物で吟味すればよいですね。
1コリント14:29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
現代は特に、主は言われると直ぐ言う人に注意してください。
神のことばの真実にアーメンと信じましょう。
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

雪かな?

2019-01-29 07:55:23 | Weblog
チャペルから外へ出ると、雪がチラッチラ。曇り空が広がり、矢田丘陵が少し輝く。雲におおわれ太陽も顔を出せない。
雀が餌を早く?と囀る。カラスも待っている朝の風景です。
昨日は5300歩だったが、今朝はもう3500歩。ゆっくり歩きで今日は7000歩ほどの行動になりそう。

いつもこの時期、内村鑑三の詩を口ずさみます。

春は来たりつつある
雪は降りつつある
しかし春は来りつつある

寒さは強くある
しかし春は来りつつある
春は来たりつつある

春は来たりつつある
雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず
汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春は汝にもまた来たりつつある

様々な試練や困難、健康のことやお金のこと、人間関係やどうしてか分からないようなことも起こってきます。
しかし、冬来来たりなば、春遠からじ!で、春はもう来たりつつあるのことばが響きます。

異言

2019-01-29 05:51:28 | Weblog
聖霊様の賜物
2.発声の賜物
異言=聖霊のバプテスマのしるしとしているのが、使徒の働きでの経験です。聖霊のバプテスマのしるしと信じているのが、ペンテコステのクリスチャンです。
17歳の時、聖霊のバプテスマを受けました。その日に今まで語ったことのない言葉=異言を語り、今でも祈りの時は異言で祈ります。
また異言は賜物です。今全世界では5人のクリスチャンに一人が異言を語り、全教会を越えるカリスマとして広がっています。
1コリント14:2 異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。
14:4 異言を話す者は自分の徳を高めます。
14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。
14:18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝しています。

異言で祈る時、聖霊様が共にいる恵みを体験し、自由に霊的交わりに導かれます。
ローマ8:26 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
8:27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

異言で祈ると平安と安息、豊かな霊の解放=爽快な気分も与えられます。
イザヤ書28:11 まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。
28:12 主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。
祈る時、祈りは自由になり、平安と気分爽快。霊の奥底からの喜び、知性の祈りも深まり祝福されます。
1コリント14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。



知識と知恵

2019-01-28 06:54:04 | Weblog
聖霊様の賜物
1.啓示の賜物
知識のことば
全知、全能の神様は、人間に全知を与えていません。聖霊様が特別な計画で与えてくださる特別な知識が知識の言葉の賜物です。
ヨハネ6:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
申命記29:4 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに、悟る心と、見る目と、聞く耳を、下さらなかった。
29:29 隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現わされたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行なうためである。
聖書の例=ヨシュア記7章
1サムエル9:20 三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないように。あれは見つかっています。イスラエルのすべてが望んでいるものは、だれのものでしょう。それはあなたのもの、あなたの父の全家のものではありませんか。
Ⅱ列王き6:8-12参照

ペテロの例=5:3 そこで、ペテロがこう言った。「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。
5:4 それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

知恵の言葉
知恵とは、知識を賢く賢明に用いて、問題を解決したり、人間関係を正常にする賜物です。
ヤコブ書1:5 あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

ソロモンの知恵=Ⅱ列王3:16-28参照

霊を見分ける力
1ヨハネ4:1 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
1テモテ4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
参考にお読みください。
イエス様=マタイ16:22-23 
ペテロ=使徒8:22
パウロ=使徒16:16-18
二つの霊があります
当然ですが、聖霊様の健全な霊です。平安で落ち着き、イエス様の栄光が現されます。
もう一つは、悪霊です。イエス様の御名を汚し、不安と恐れをもたらします。
聖書をしっかり読み、祈りで聖霊に導かれているなら、迷わされること無く平安と輝く喜びに導かれます。
こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。
それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

春は近い

2019-01-27 08:00:29 | Weblog
雪の予報でした。外へ出ると太陽の輝き。
いつもこの時期、内村鑑三の詩を口ずさみます。

春は来たりつつある
雪は降りつつある
しかし春は来りつつある

寒さは強くある
しかし春は来りつつある
春は来たりつつある

春は来たりつつある
雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず
汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春は汝にもまた来たりつつある

様々な試練や困難、健康のことやお金のこと、人間関係やどうしてか分からないようなことも起こってきます。
しかし、冬来来たりなば、春遠からじ!で、春はもう来たりつつあるのことばが響きます。
出口のないトンネルはありません。そのトンネルを立てて見ると、どんなに出口が見えないような長いトンネルでも、しっかりと光が差し込んできます。
長い忍耐が必要なこともあります。でも朝の来ない夜はないように、また夜明け前が一番暗いように、どんな試練や困難にも必ず解決や勝利が与えられます。
聖書のことば生きていて力があります。本音でアーメンと応ずるとき、聖書のことばを体験することができる、幸の日々。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日。感謝です。

詩篇
84:1 天の神様。 あなたの神殿の美しさには、全くほれぼれいたします。
84:2 この神殿の内庭に入り、生ける神様のおそば近くに出ることを、私は夢にまで見ているのです。
84:3 雀やつばめでさえ、祭壇の回りに巣を作らせてもらい、ひなを育てています。 天の神様。私の王様。
84:4 神殿に住めて、常にあなたを賛美できる人は、なんと幸せなことでしょう。
84:5 神様から力をいただき、神様に従って歩むことを最優先したいと願う人は幸いです。
84:6 そんな人には、涙の谷も、祝福のわき出る泉となるでしょう。
84:7 彼らはいよいよ溌剌としてシオン(エルサレム)に向かい、一人ずつ呼ばれて、主にお目どおりを許されるのです。
84:8 ああ神様、私の祈りを聞いてください。
84:9 私たちを守る盾であられる神様、あなたが油を注いでお立てになった王をあわれんでください。
84:10 あなたの神殿で過ごす一日は、よそで過ごす千日よりもすばらしいのです。 悪の宮殿に住むよりは、神の家の門番になりたいと思います。
84:11 神様は、私たちの光であり、守り手であるからです。 神様は恵みと栄光を下さる方であり、ご自分の道を歩む者に、良いものを出し渋ったりはなさいません。
84:12 天の神様に信頼する人は幸いです。

賜物

2019-01-27 07:39:35 | Weblog
聖霊様の賜物
1コリント12:4-9 さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
9つの賜物
1.啓示の賜物
知恵の言葉
知識の言葉
霊を見分ける
2.発声の賜物
預言
異言
異言を解き明かす
3.力の賜物
信仰
癒やし
奇跡
明日は、それぞれを説明します。9つを覚えてください。

ふと見ると

2019-01-26 08:18:44 | Weblog
ふと見ると大形のカレンダー、28日が日曜日。もう一つのを見ると27日が日曜日。
何と大形のカレンダー、1日先を行っている。念のため2月を見ると、4日日曜日となっており立春。
大きなミスにカレンダー印刷の時、気付かないまま納品したのかなと思う。
元旦から毎朝見ていても、気付かなかった自分にもおかしく、朝から一人笑いの土曜朝です。
愛する日本も、いつのまにかウソを思い込まされ、平和憲法を変革し、戦争の道を進んでいる。
政治家が国ためと声高に言うときは、国民のことは考えていないときときだと思った方が良い。
間違いを指摘すると、指摘した方が嘘つき呼ばわれするような国にならないように祈る。
沖縄県民投票が全市町村実行される、当然のことだが、反対した市長と議員達の意識の卑さにあきれる思いがする。
西之表市馬毛島=種子島12キロ沖が米軍基地、あるいは政府がいう航空母艦離着陸練習場にならないよう願う。
1テモテ2:1-8 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。
ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。




聖霊様のバプテスマ

2019-01-26 07:46:25 | Weblog
聖霊様の バプテスマのしるし
使徒2:1-4 五旬節=ペンテコステの日になって、みなが一つ所に集まっていた。
すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば=異言葉話しだした。
聖霊様降臨のペンテコステの日、満たされた人々が異なることばで話し出しました。このことばが異言です。聖霊のバプテスマの証拠です。
10:44-47 ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。
割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。
彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。
「この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。」
そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。
19:2-7 「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。
「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。
これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。