牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

天国へ

2018-08-31 07:14:23 | Weblog
捕らわれ人のうめきが、御前に届きますよう。
あなたの大いなる力のゆえに
死に定められた人々を
生きながらえさせtください。
私たちは、あなたの民、あなたの牧場の羊です。
私たちは、とこしえまであなたに感謝し
代々限りなく、あなたの誉れを語り告げます。
詩篇79:11&13

罪に捕らわれ、精神的なトラウマに捕らわれのうめきが多い現代です。
イエス・キリストの十字架は、そのすべてを解決し、アーメンと言えば解放されます。
死に定められた私を面、生きながらえさせてくださり、明後日の9月2日に77歳の誕生日を迎え、現役で牧師として仕えています。
脳内出血になり、集中治療室からの生還体験を書きました。天国から送り出されて牧師と題して、クリスチャンでない編集者に渡すと、天国から追い返された牧師と題する冊子が届きました。
編集者は笑ってこの方が良いですよ。多くの方に読んでもらえました。
人間にとって100パーセント確実なことは、必ず死ぬことです。どんなに長寿でも、死は確実にやって来ます。
3日の旅でも、ホテルを予約します。沖縄へ行くときは、半年前に予約するので、何も心配しないで、日常を楽しく働きます。
ホテルへ着くと、お待ちしてましたと、部屋まで親切に案内してくれます。今年も4連泊でしたが、快適な滞在でした。
死んだ後、どこへ行くのか分かっているので、人生は楽しく、平安と幸に満たされます。
ありがとうございます。きょうもまた天国の1日です。感謝します。

とこしえまで感謝を

2018-08-31 06:15:20 | Weblog
詩篇79篇
アサフの賛歌

神よ。国々は、ご自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮をけがし、エルサレムを廃墟としました。
彼らは、あなたのしもべたちのしかばねを空の鳥のえじきとし、あなたの聖徒たちの肉を野の獣に与え、
聖徒たちの血を、エルサレムの回りに、水のように注ぎ出しました。彼らを葬る者もいません。
私たちは隣人のそしりとなり、回りの者のあざけりとなり、笑いぐさとなりました。
主よ。いつまででしょうか。あなたは、いつまでもお怒りなのでしょうか。いつまで、あなたのねたみは火のように燃えるのでしょうか。
どうか、あなたを知らない国々に、御名を呼び求めない王国の上に、あなたの激しい憤りを注ぎ出してください。
彼らはヤコブを食い尽くし、その住む所を荒らしたからです。
先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください。あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。
私たちの救いの神よ。御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。
なぜ、国々は、「彼らの神はどこにいるのか。」と言うのでしょう。あなたのしもべたちの、流された血の復讐が、私たちの目の前で、国々に思い知らされますように。
捕われ人のうめきが御前に届きますように。あなたの偉大な力によって、死に定められた人々を生きながらえさせてください。
主よ。あなたをそしった、そのそしりの七倍を、私たちの隣人らの胸に返してください。
そうすれば、あなたの民、あなたの牧場の羊である私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう。

まさかの坂

2018-08-30 09:24:24 | Weblog
私たちの救いの神よ。私たちを助けてください。
御名の栄光のために
私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。
御名のゆえに
詩篇79:9

神のなさることはみなそのときにかなって美しい!伝道者の書3:12

人生には三つの阪がある。
上り坂、下り坂。そしてまさかという阪。
まさか!自分にこんなことがと思うようなこともあります。
でも、そのまさかは、転げてしまう坂になるか、天国への上り坂になるかのどちらかです。
人生76年、たくさんのまさかを体験してきました。そのすべてが神の恵みで美しく輝きます。

どんなに暑くても炎暑でも、爽やかな秋風が来ます。

一寸先は光です。まさかの坂は、最高の上り坂の恵みです。
まずいても、転んでも起き上がり自分だけしか出来ない経験なら、特別ラッキー!幸せです。

どうして自分だけ?きっと特別な意味が、また使命があります。

心からありがとう。感謝です。と宣言するとき、不思議な奇跡の気持ちがわき起こります。

幸と平安で、インマヌエル、アーメン。マラナタ。ハレルヤ!
ありがとうございます。きょうもまた天国の1日です。感謝です。

正しい心で

2018-08-30 06:37:02 | Weblog
詩篇78篇
78:52-72
しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。
彼らを安らかに導かれたので、彼らは恐れなかった。彼らの敵は、海が包んでしまった。
こうして神は、ご自分の聖なる国、右の御手で造られたこの山に、彼らを連れて行かれた。
神はまた、彼らの前から国々を追い出し、その地を相続地として彼らに分け与え、イスラエルの諸族をおのおのの天幕に住まわせた。
それなのに、彼らはいと高き神を試み、神に逆らって、神のさとしを守らず、
もとに戻って、彼らの先祖たちのように裏切りをし、たるんだ弓の矢のようにそれてしまった。
また彼らは、高き所を築いて神の怒りを引き起こし、刻んだ像で、神のねたみを引き起こした。
神は、聞いて激しく怒り、イスラエルを全く捨てられた。
それで、シロの御住まい、人々の中にお建てになったその幕屋を見放し、
御力をとりこに、御栄えを敵の手に、ゆだねられた。
神はまた、御民を剣に渡し、ご自分のものである民に対して激しく怒られた。
火はその若い男たちを食い尽くし、その若い女たちは婚姻の歌を歌わなかった。
その祭司たちは剣に倒れ、やもめたちは泣き悲しむこともできなかった。
そのとき主は眠りから目をさまされた。ぶどう酒に酔った勇士がさめたように。
その敵を打ち退け、彼らに永遠のそしりを与えられた。
それで、ヨセフの天幕を捨て、エフライム族をお選びにならず、
ユダ族を選び、主が愛されたシオンの山を、選ばれた。
主はその聖所を、高い天のように、ご自分が永遠に基を据えた堅い地のように、お建てになった。
主はまた、しもべダビデを選び、羊のおりから彼を召し、
乳を飲ませる雌羊の番から彼を連れて来て、御民ヤコブとご自分のものであるイスラエルを牧するようにされた。
彼は、正しい心で彼らを牧し、英知の手で彼らを導いた。

安らかに、恐れることもない

2018-08-29 06:57:21 | Weblog
神は、ご自分の民を羊の群れのように「連れだし、
家畜の群れのように、荒野の中を連れて行かれた。
神が安らかに導かれたので、彼らは恐れなかった。
詩篇78:52-53

那覇市のハイアットエージェンシーホテル4連泊。今年は2回目の沖縄行。
名護市、うるま市、南城市、那覇市で礼拝を送迎されました。
2012年10月、脳梗塞で倒れ、スッパリと免許返上。運転を止めたので沖縄はレンタカーで動いていたので、送迎やバス、近辺はタクシー。ワンメーター590円。空港からホテルまで1500円。モノレールもあるが、ホテルまで歩くのでタクシー利用。
元気で時間がたっぷりあるころは、国際通りからくうこうまで。また首里城や最長は浦添市までも。
那覇市内に滞在するので、ほとんど歩き回った。
5月から毎日一万歩を止め、5000歩目標にしたので、毎日6000歩~7000歩になったが、昨日は那覇空港で乗り遅れたり、関空での遠距離もあり、万歩計は9960歩になっていた。
パソコン持参しないので、4日間はFBだけでした。
76歳最後の週、聖書のメッセージを大好きな沖縄で語れた。より出会いもあり、帰宅したらいっしょにイスラエルにいった検査技師の看護師からの便りも届いていた。90歳の両親の介護で、退職しているとあり、次回は会えるでしょうと電話で話しました。
生きている限り、試煉や問題、困難もあります。しかし、愛と全能で唯一の真の神は、聖書にある奇跡の御手で助け支えてくれます。
どんなことがあろうと、神が安らかに導いてくれるので、恐れることなく、平安で幸いに守られます。
9月2日で77歳になります。行くたびも死の縁を経験したが、その度にいのちを助けられました。
100パーセントの天国を確信しているから平安に守られ、生きていても天国、死んだらなお天国です。
それは、イエス・キリストが十字架上で、死の原因である原罪をすべて引き受け救ってくれたからです。
アーメンと信じバプテスマを受けました。
罪の支払う報酬は死です。神の賜物はイエス・キリストにある永遠の命です。ローマ書6:23
イエス・キリストをアーメンと信じることで、永遠の天国が保証されます。イエス・キリストと共に生きる人生は天国です。
ありがとうございます。きょうもまた天国の1日です。アーメン。感謝です。ハレルヤ!

奇跡の御手

2018-08-29 05:56:50 | Weblog
詩篇78篇
43-56
神が、エジプトでしるしを、ツォアンの野で奇蹟を行なわれたことを。
神がそこの川を血に変えられたので、その流れを飲むことができなかった。
神は彼らに、あぶの群れを送って彼らを食わせ、かえるを送って彼らを滅ぼされた。
また、彼らの作物を、油虫に、彼らの勤労の実を、いなごに与えられた。
神は、雹で、彼らのぶどうの木を、いなずまで、彼らのいちじく桑の木を滅ぼされた。
神は、彼らの家畜を、雹に、彼らの家畜の群れを、疫病に渡された。
神は、彼らの上に、燃える怒りと激しい怒り、憤りと苦しみ、それに、わざわいの御使いの群れを送られた。
神は、御怒りのために道をならし、彼らのたましいに死を免れさせず、彼らのいのちを疫病に渡された。
また、エジプトのすべての初子、ハムの天幕の彼らの力の初めの子らを打ち殺された。
しかし神は、ご自分の民を、羊の群れのように連れ出し、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。

沖縄へ

2018-08-24 06:54:24 | Weblog
これらすべてにもかかわらず
彼らはなおも罪を犯し
神のくすしわざを信じなかった。
それで神は、彼らの日を一息のうちに
彼らの齢を,突然の恐怖の内に終わらせられた。
しかし、神はあわれみ深く
彼らの咎を許して,滅ぼされなかった。
神は、心に留めておられた。
彼らが肉にすぎないことを。
吹けば戻らない霊であることを。
詩篇78篇より
夜に避難せよとの警報が入り、朝3時には警報解除の通報が響く。
今日から沖縄行だが、昨日は台風20号のため350便以上が欠航。
3年前、沖縄での結婚式を依頼され、那覇空港上空で着陸待機15分。着陸許可無く関空へ引き返し、最終便で再フライト。リゾートホテルチェクインが0時過ぎ。翌朝まで大雨だった。昼の式は好天気に守られ無事に式を終えた。
今回、うるま市での家庭集会では、家族全員との出会いと祝福の祈りです。
今夕は到着が19時30分。砂川竜一牧師の出迎えでレストランへ。10名の養子達と接待夕食。つきすろゴスペル教会では,26日夜の礼拝で説教。
今回も、ハイアットリーゼンシー那覇ホテル泊まり。最近は毎回ハイアット宿泊。ドアマンやフロントマンのほとんどと握手し、幸をアーメンと祈り、もっている冊子を渡す。今回も新しい出会いを楽しみに、カバンには冊子を入れている。
たくさんお祈りをありがとうございます。
26日(日)名護アッセンブリー教会=小渡武也・よしあ牧師
午前11時からの礼拝です。
午後7時半は,南城市つきしろゴスペル教会=砂川竜一牧師で夜礼拝説教。
27日はうるま市家庭集会
夜は那覇市内レストランで,生駒聖書学院同窓会。
ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。

忘れる

2018-08-24 06:15:39 | Weblog
詩篇78篇
78:35-43
彼らは、神が自分たちの岩であり、いと高き神が自分たちを贖う方であることを思い出した。
しかしまた彼らは、その口で神を欺き、その舌で神に偽りを言った。
彼らの心は神に誠実でなく、神の契約にも忠実でなかった。
しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。
神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。
幾たび彼らは、荒野で神に逆らい、荒れ地で神を悲しませたことか。
彼らはくり返して、神を試み、イスラエルの聖なる方を痛めた。
彼らは神の力をも、神が敵から贖い出してくださった日をも、覚えてはいなかった。
神が、エジプトでしるしを、ツォアンの野で奇蹟を行なわれたことを。
お願い
今日から28日まで,沖縄へ行くので詩篇引用は29日朝からになります。パソコン入力なので・・・。よろしくお願いしま

日ごとの食事を

2018-08-23 06:19:29 | Weblog
神は上の雲に命じて
天の戸を開き
彼らの上に,食べ物としてマナを降らせ、
天の穀物を彼らに与えられた。
それで人々は御使いのパンをたべた。
神は満ち足りるほど食物を送られた。
詩篇78:23-25
毎朝、日ごとの糧を与え給え。アーメンと食卓の祈りです。
文字通り天の食物のマナは、天使のパンです。
現代の天使のパンは,聖書のことばです。人はパンだけで生きるのではなく。神の口から出る一つ一つのことばによるのです。
独り暮しも4年3ヶ月、食事もひとりです。食卓にはみことばのカードがあり今朝も一枚。ヨハネの福音書6章47節=まことに、まことに、あなた方に告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。アーメン。
食事の前に、まず聖書のことばで満たされて、ありがとうございます。感謝!アーメン。いただきます。
明日から沖縄行き。26日に名護市で午前11時礼拝説教。南城市で19時30分説教。
27日=うるま市石川で集会。19時30分那覇市内レストランで同窓会。良い出会いの4泊です。
沖縄へ行き始めて31年になります。
沖縄が,国際社会の平和のシンボルとなり、戦争放棄の地域になるよう祈る朝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します

天の穀物を

2018-08-23 05:47:31 | Weblog
詩篇78篇
17-35節
それなのに、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠で、いと高き方に逆らった。
彼らは欲するままに食べ物を求め、心のうちで神を試みた。
そのとき彼らは神に逆らって、こう言った。「神は荒野の中で食事を備えることができようか。
確かに、岩を打たれると、水がほとばしり出て流れがあふれた。だが、神は、パンをも与えることができようか。ご自分の民に肉を備えることができようか。」
それゆえ、主は、これを聞いて激しく怒られた。火はヤコブに向かって燃え上がり、怒りもまた、イスラエルに向かって立ち上った。
これは、彼らが神を信ぜず、御救いに信頼しなかったからである。
しかし神は、上の雲に命じて天の戸を開き、
食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた。
それで人々は御使いのパンを食べた。神は飽きるほど食物を送られた。
神は、東風を天に起こし、御力をもって、南風を吹かせられた。
神は彼らの上に肉をちりのように、翼のある鳥をも海辺の砂のように降らせた。
それを宿営の中、住まいの回りに落とした。
そこで彼らは食べ、十分に満ち足りた。こうして彼らの欲望を、かなえてくださった。
彼らがその欲望から離れず、まだ、その食べ物が口にあるうちに、
神の怒りは彼らに向かって燃え上がり、彼らのうちの最もがんじょうな者たちを殺し、イスラエルの若い男たちを打ちのめされた。
このすべてのことにもかかわらず、彼らはなおも罪を犯し、神の奇しいわざを信じなかった。
それで神は、彼らの日をひと息のうちに、彼らの齢を、突然の恐怖のうちに、終わらせた。
神が彼らを殺されると、彼らは神を尋ね求め、立ち返って、神を切に求めた。
彼らは、神が自分たちの岩であり、いと高き神が自分たちを贖う方であることを思い出した。