牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

口下手でも

2015-02-28 06:47:20 | Weblog
聖書の一言;1:12 すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」
エレミヤは若い日に、預言者として神の召しを受けました。まだ若くてどう語っていいかわからないと、言い訳します。まだ若いと言うな。どこででも恐れることなく語れ。今、わたしのことばをあなたの口に授けたと、預言者に定めら、あなたは何を見ているかと問われ、彼はアーモンドの枝が見えますと答えました。
アーモンド=あめんどうは、早春に梅が花開くように、イスラエルでも真っ白な花をつけ、とても綺麗です。そのようにエレミヤのことばは速やかに実現すると、保証されただけでなく、神がその実現まで見張っているとの確約です。
若い日から牧師を続けています。エレミヤ書のことばに励まされ、無口でしたが聖書の救いを語り続けています。アーメンと言えば救われますを信条に、現役牧師として救いを伝えています。
アーメンはほんとうにその通り、真実ですと言う意味です。呪文でも題目でもなく、アーメン=誠=言+成。本音でお願いすると必ず聞かれます。しかし、人間には建前もありうそまであります。聖書のことばに嘘偽り建前はなく、本音=誠だけですから、聖書の約束に真実にアーメンと言えば、そのとおり誠に実現します。愛の神はその約束にアーメンと言うとき、アーモンドの花が速やかに開くように、その誠の約束をその通りに実現します。
主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます=使徒の働き16:31=その約束をアーメンと信じ救われました。いつでもどこでもだれでもアーメンと言えば、イエス・キリストの十字架の恵みで救われます。天国行きの予約です。平安で笑顔がアーモンドの花が開くように輝きます。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。


左右脳内出血&小脳内梗塞

2015-02-27 19:23:57 | Weblog
58歳の1999年11月下旬、それは突然やって来た。今まで一度も、頭痛も腹痛もなく、肩凝りすらも経験がないほどに健康体だった。
東京での元気の出る聖会、ホテルで夜着に着替えた時、右手が痺れ、身体中から力が抜けていく。救急車で近くの病院で一晩過ごし、MRIの検査を受け、左脳内出血とのこと。すぐさま、脳内外科のある王子病院に救急車で運ばれた。
集中治療室に入れられて、面会謝絶、5日間の治療が始まった。そこに身動きのできなくなっている自分を発見した。昨日まで力強く語っていた自分とは違う自分。声も出ず身体も動かせない全く違う世界にいる自分を発見した。
すばらしい癒しを経験し、アサエル宣教聖書学院も、2000年-2004年閉鎖まで、70名の卒業生を出し、現在も各地で牧師として活動している。
その後、病を知ることで順調に働きも拡大し、元気で活動していたが、2012年7月に右脳内出血になり、10月には小脳内梗塞に襲われた。昨年は、余命一年を宣告されていた家内が、4年の延命で5月17日に天に召され、一人暮らしにも慣れて来ました。
多くの祈りと愛に支えられ、杖をつきながらで、現役で活動する恵みです。生駒聖書学院も今年度の講義や試験、チャペルが今日で終業。
3月3-4日の両日、篠田真宏牧師の卒業セミナー=黄金律による愛の実践=を受けます。6日(金)午前10時に、10名の卒業生を送り出します。今年は卒業後の研修生となる一人以外、開拓伝道や教会の働きや協力牧師となり、それぞれ活躍です。
働きも、丹後半島や長野県茅野市、山口県下関市、大阪市、堺市、東大阪市と広がります。断食祈祷院や刑務所伝道など幅広い活動になります。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。



生まれる奇跡

2015-02-27 05:46:36 | Weblog
聖書の一言;エレミヤ書1::5-9 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」
そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」
そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。
エレミヤ書の前にあるイザヤ書は、希望のことばにあふれています。イザヤもすごく恵まれた生き方で前向きな人物です。「ここに私がおります。私を遣わしてください」と、積極的に神の働きに名乗りを上げています。
それに比して、エレミヤは涙の預言者と言われています。二人の活動したのは、イザヤは国が繁栄し物が豊かな時代。エレミヤは国が滅びる寸前に活動しました。
しかし、時代がどうであれこの世に生を受け、生かされていることは大きな恵みです。さまざまな言い分があり、言い訳だけをしたい時代もあります。しかし、神の与えられた使命が、すべての人にあります。生きていることがその使命です。あるがままに生かされ、イエス・キリストを信じ数われ、平安で幸いに天国へ召される時まで、生き続ける恵みです。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。
恵みと愛とは 朝ごと日ごと
み神の約束 真実なれば
アーメン信じて ありがとう感謝
平安しあわせ 喜び生きる

主イエスは十字架で すべて解決
恵みで救われ 恵みに生きて
正しく健やか 祝福ゆたか
とわ(永遠)のいのち受け 神の子なれば

主イエスは復活 世の終わりまで
聖霊満たして ともにおられて
福音語れば 聞く人信じ
栄光輝き 今日も天国
アーメン


ことばで体をコントロール

2015-02-26 18:37:05 | Weblog
健康そのもので、風邪も引かず、頭痛も腹痛、腰痛も肩こりもない、健康人生でした。酒もたばこの経験もなく、手を置いて祈ると、病が癒され、臨終の床でイエス様を信じ、アーメンと言うだけで平安が顔に浮かぶ、臨終も多く看取りました。
1999年(58歳)に左脳内出血になり、東京で一ヶ月入院し、後遺症なく完全に直りました。2012年、今度は右脳内出血と、小脳梗塞で倒れ、交通事故まで起こし、「みたび輝く命を与えられて」出版。再版で「天国から追い返された牧師」と出版社が命名。2冊とも絶版中。後遺症もほとんどなくイエス様の完全な癒しと、多くの方のとりなしの祈りで、杖をついて歩いています。昨年、言語障害もきれいに直り、現役牧師で毎週、礼拝説教や講義、外部教会への奉仕もしたり、43年目になるラジオ放送も継続中です。。
「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」(ヤコブ3:2)
ありがとうございます。今日もまた天国の元気な笑顔の一日です。感謝します。

ほっとけば治る

2015-02-26 18:19:57 | Weblog
右脳内出血で左足が少し歩きにくく、医者に相談すると、ほっとけば治ると言われ、杖をシッカリついて歩くよう厳命された。今日は朝から雨だったが、チャペルや試験問題提出、北海道からの帰りに立ち寄ってくれた永井明牧師接待。夕方の洗礼式や動き回ることも多く、8000歩近い歩数になっている。聖書の第ニサムエル22:37 あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。とのことばもあり、大またで歩いても、よろけない毎日を生かされています。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。

春を待つ喜び

2015-02-26 06:12:26 | Weblog
聖書の一言;イザヤ書66:13-15 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、あなたがたは慰められる。あなたがたはこれを見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように生き返る。
イザヤ書は66章あり、前半39章までは、厳しい叱責の預言が多く、旧約聖書39巻のように思えます。後半40章から、慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。と、慰めと希望のことばが27章にわたって語られ、まるで新約聖書を読むような預言が語られます。
何かあるたびに40章から読み続け、希望に満たされ続けています。
父の厳しさと母の優しさ、その豊かな恵みの中で、春を待つ喜びの朝です。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔に一日です。感謝します。

鏡を見るように

2015-02-25 18:54:38 | Weblog
全能で真実の愛の神は、人生にすばらしい関わり方をされます。かがみ-が=かみ。
神様は鏡のようなお方。イエス・キリストを信じ、十字架に罪をゆるされると、罪の本質である自我を捨て、十字架を背負う人生になります。その時から自分や人を相手の生き方から離れ、神と向き合う人生がスタートします。鏡に自分が写るように、真実の心を写しつつ、高価で尊い者として愛され、平安で幸せな神の子どもとして。今第ニサムエル22:26-29 「あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。あなたは、悩む民を救われますが、高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。 主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます」
聖書のことばを鏡として、輝き生きる日々です。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。

鏡を見るように

2015-02-25 18:54:04 | Weblog
全能で真実の愛の神は、人生にすばらしい関わり方をされます。かがみ-が=かみ。
神様は鏡のようなお方。イエス・キリストを信じ、十字架に罪をゆるされると、罪の本質である自我を捨て、十字架を背負う人生になります。その時から自分や人を相手の生き方から離れ、神と向き合う人生がスタートします。鏡に自分が写るように、真実の心を写しつつ、高価で尊い者として愛され、平安で幸せな神の子どもとして。今第ニサムエル22:26-29 「あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。あなたは、悩む民を救われますが、高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。 主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます」
聖書のことばを鏡として、輝き生きる日々です。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。

祈る前にもう聞かれている

2015-02-25 06:01:45 | Weblog
聖書の一言;イザヤ書65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
大好きな約束です。赤ちゃんを育てる母親は、自分から声をかけ、幼子のしぐさを見るだけで、何が必要かをわかります。神はあいです。親の何十倍何百倍、いや比較ができないほどの広く深く高い愛で平安に守り、導き支え助けてくださいます。
祈りをすると最後に、イエス・キリストのお名前によって祈ります。イエス・キリストの約束だからです。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネの福音書14:13-14)
全能で愛の神は、イエス・キリストのお名前による祈りに答えてくださいます。祈りの最後にアーメンと言います。アーメンはほんとうです。真実、誠の祈りです。誠=言+成る。本音の祈りですが、人間の本音にはたて前や、時には真実でないこともあります。
ことばが成るとは、自分のことば=本音もですが、間違いのない聖書のことばどおりになると信じてアーメンなのです。
聖書の約束を信じて祈るとき、もうことばが出る前から、愛の神様は必要を知り、答えてくださる約束です。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです=マタイ6:8 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです=ヨハネの第一の手紙。5:15
祈る前に聞かれているのですから、祈ったらもう聞かれ、与えられている大きな恵みです。だから、イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。すぐに、ありがとうございます。与えられました。感謝します。そのような祈りをしながらの日々です。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。


悩まされるが

2015-02-24 20:13:59 | Weblog
さまざまな問題や、敵=人と言うより自我=に悩まされる人生です。けれども主イエス・キリストの名により、救われ守られ、勝利の人生を歩む幸せ。主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。(詩篇18篇)愛唱ずるたびに勇気と力を与えられます。愛と全能の神を、幼子の様にアーメンと信じ、信頼する恵み。
ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔一日でした。感謝します。おやすみなさい。