秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

22)神鶏と牛、実は・・・

2009-02-11 | 古代史のミステリー
いつもお参りする大神神社から山の辺の道を北上すると石上神宮(いそのかみじんぐう)があります。
もちろんハイキングで歩かれる方も大勢おられます。
でも今日は車で10分ほどで到着。

ここの神様、「石上大神」は剣とか道具の総称であることを知り、
不思議なんでいつか行きたいと思っていました。

日本書紀に記された日本古代の二つの神宮は、伊勢神宮とここらしい。
 
 

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と書かれた鳥居の扁額をくぐると、境内には鶏が放し飼いになっています。
手水舎近くの木の上にもきれいな鶏がとまっていました。

鳴き声も堂々と、神鶏の威厳があります。
人が近づいても逃げないので同行の友人は鶏の写真ばっかり撮ってました。
授与所で、鶏の形のおみくじまで買ってた。

 

鶏は、元を質せば近所の人が境内に鶏を捨てていったことが始まりで、その後知らない間に増えて今に至ってるそうです。
また丑も誰かが奉納したもので、何の縁もない単なる牛のオブジェだった。

布留山の北西麓に鎮座しているためか、うっそうと茂った木々の下で、苔むしているところが多かった。
空気はすがすがしい。
友人は、どこか伊勢神宮に似ているねと言ってました。

私の感想は、清濁併せ呑むって感じ?
懐が深いというか、あまねくものすべてを受け入れているような。

 
桜門を入ると、奥に拝殿があります。
平安時代後期1081年、白河天皇が宮中の神嘉殿を寄進されたのが拝殿で国宝となっています。

本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、そこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていました。
1874年の発掘を期に出土した剣(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため、大正時代に本殿が建造されました。

 

石上神宮の祭神は、
●布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
 神武東征の時、熊野で土着民の抵抗にあって苦戦した際に天津神から高倉下を通して天皇の手に渡っった平国之剣とその霊威

●布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
 鎮魂の主体である天璽瑞宝十種(あまつしるしのみづのかんたから)の起死回生の霊力

●布都斯御魂大神(ふつしのみたまおおかみ)
 スサノオが八岐大蛇を退治された天十握劍(あまのとつかのつるぎ)の威霊

布都魂という名の神が使っておられた剣で、記紀体制上、神名が剣になったのでしょうか。
大阪・豊能郡能勢町の野間神社には、ご祭神は饒速日命(布留大明神)と書かれているそうです。
となると布留魂はニギハヤヒ?

石上神宮は古代、大和で軍事と鎮魂を司った物部氏の総氏神です。
平安時代、「もの」の怨霊と解せられた「もののけ」
ものを取り扱うのに著しい呪術を伝えたのが物部氏で、
中でも十種神宝をもって天皇の霊を扱ったという。

大嘗祭(天皇が即位後、最初に行う新嘗祭)の時、
物部氏が宮門の威儀に立ち、鳴弦の呪術を行い悪霊を追放する役目を務めた。
この呪術にたけ部門の棟梁であった物部氏が、のちの「もののふ=武士」の原型でもあるといわれています。

石上神宮の天神庫(あめのほくら)には、各氏族や朝廷の莫大な武器や神宝が保管されていたそうです。

戦国時代、織田信長に石上神宮も焼き討ちにあい、この時十種神宝が持ち去られたそうで、ここにはないのです。

 

物部氏の祖ニギハヤヒが天降る際に携えてきた「十種神宝」
羸都鏡(おきつかがみ) 邊都鏡(へつかがみ)
八握劔(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)
死反玉(まかるがえしのたま)足玉(たるたま)
道反玉(みちがえしのたま)蛇比禮(おろちのひれ)
蜂比禮(はちのひれ)品物比禮(くさぐさのもののひれ)

これらを授けるときの教えが「布瑠之言」
『もし痛むところあらば、この十宝(とくさのたから)をして、一二三四五六七八九十(ひふみよいつむななやこおと)と言いて、布留部由良由良止布留部(ふるべゆらゆらとふるべ)。
かくなさば死人(まかれるひと)も生き返えらん』

スゴイお宝でしょう。

大阪市平野区にある楯原神社内の神寶十種之宮に、十種神宝が祀られているらしい。
偶然町の古道具屋で発見されある篤志家がこの神社に献上。
石上神宮から返還要請があったが返されなかった。

次は楯原神社を見に行ってこよう。

15 コメント

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Unknown (メネフネ)
2009-02-14 23:39:01
「清濁併せ呑む」ってとこが、いいですねぇ。
ふところの深さを感じます。

布都御魂は香取神宮の剣神・経津主命がシンボライズ去れたものではと思います。鹿島神宮の武甕槌命が出雲の国ゆずりで使ったとされますが、経津主命もいっしょに行ってますしね。

香取神宮はいまでも剣道と剣法のメッカです。ちなみに今住んでるとこの一の宮がこの香取神宮なんですよ。なんせ剣神・武神なんで、怒らすとこわいッス(笑)。

物部はもののふなので、経津主命とつながります。

それにしても、楯原神社内に十種神宝が祀られてる?
知らなかったなぁ。聞き捨てならない話ですね。
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メネフネさんへ (おざさ)
2009-02-15 19:10:31
4枚目の画像の階段、右手には摂社出雲建雄神社拝殿があります。
内山永久寺が廃寺になって移築されたそうで、国宝ですって。
あと天神社、七座社があり、末社として猿田彦神社・神田神社・祓戸神社などがありました。
鶏だって丑だって、それなりに威厳があって、それぞれがもとからそこにあったかのようにおさまっていました。

今日は、香取で殺傷事件があったようですね。
青森では震度4の地震、いろいろ動いていますね。
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楯原神社 (かなちゃん)
2010-06-09 13:01:19
楯原神社は我家の氏神様です。
大阪市平野区喜連にあります。
十種神宝は本殿の裏側に祭られています。

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かなちゃんさんへ (おざさ)
2010-06-09 21:48:56
はじめまして、コメントありがとうございます。
喜連にお住まいですか。
実家の宗教の融通念仏宗は平野に本山があるので何度かあのあたり行った事がありました。
楯原神社ってとても歴史のある神社だそうですね。
このあと数日後初めてお参りに行って確かめに行きました。
その時の記事は
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/e01a198a1d4baad3fbf703baa0f29c73
写真1枚だけですが載せてますので、またみていただけたらと思います。
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凄いですね (りひと)
2017-02-04 10:09:43
平野と石上の関係興味深いですね。かなり気になります。財は今でも平野なんでしょうね。石上は器が大きいですね。
また境内社の関係も興味深いです。昨日神田明神に行ってきたのもあり神田社と白髭社と祓社(水神)はありますので。
また楯の付く神社で大々杼彦仁という言葉が検索で出てきたんですけど大の神は伊豆でも探していて大仁と関係しそうにも。もちろん大国主もその範疇に入るはずです。
平野から伊豆っていう方向性は三島というキーワードでもありそうで、伊豆に葛城神社っていうのとも連動してきそうです。牛と鳥も。

ヒレが財にあるなら多分水神も関係するはずです。石上から伊豆大仁へ行く地形的な情報を確認しておきます。奈良大阪の古墳時代の勢力が突如消えるならば移動が一番簡単な話。ただ近畿中心のお話しか残っていないから仕方ないのですが古墳は都合悪くても消すことは出来ないはずSMAPの草薙さん香取さんが行った伊豆の葛城神社が奈良の石上とも大阪平野とも関係ありそうに思いますね。事代主は伊豆にいるんですから関係ないわけはないでしょうね。地図探ってみます。6652
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りひとさんへ (ulala)
2017-02-04 16:48:06
伊豆の葛城神社、祖廟や氏神さんと一緒に移動してたんでしょうね。

先のNHKのヒストリアは、群馬県榛名山の噴火灰で埋もれてた鎧をまとった人骨のメッセージでした。
ご覧になられましたか?
ほんの少し前にコメントでこの武人のこととか書いてくださいましたよね。
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/262037.html

以前、イタリアはポンペイで火山灰に埋もれた遺跡見学しました。
あちらほどの規模はありませんが、同じ状態で発見されています。
武人だと思ってたら、王に近い存在だったことがわかったそうです。
そして堺市の黒姫塚古墳の出土した鎧とどう違うかを説明されてました。
人骨の歯のエナメル質を検査すると、どこで生まれ育ったかが判明し、榛名山の人骨の男女は長野県から来たことがわかり、小さな子供は群馬で生まれてることがわかるんだって。
今の技術すごいです。
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情報ありがとうございます。 (りひと)
2017-07-20 10:48:36
興味深いですね、鎧きて四つん這いですか。
なんか男って感じですね。男の儀式みたいにも。
列とかがあれば秩序があったはずでその場所のは適材適所の人財がいた可能性ありますね。

タイミング的になんですけど高槻の今城にいってきました。そこには力士の埴輪がありました。以前テレビの番組で力士は神事のお役目のある存在として榛名山の火山灰の下に位置も最初のままあったとか。フォーメーションですね。

で思ったのはそもそもは、裸でその後鎧に以降していくのかなあ?と。巫覡は帽子かぶっていたようだけど、そこの役目とは違うお役目としての力士と鎧の武人は時代を経て移動したのかと。

高槻は三島ですし、鎌足の阿武山ですからね。諏訪の建御名方の関係者だと思えますね。
群馬の前は、諏訪ですかあ。これも考古学でも立証出来そうな気がします。諏訪は縄文の遺跡やもっと前は顕著ですけど弥生あたりで消えてますよね?群馬に行ってそうですね。

でその前が大事でそこに伊豆がくるのかな?伊豆は黒曜石等でもそもそも諏訪とは縁があり並行していた可能性も十分あります。

で高槻ですよね。ここの今城は継体天皇系と言われるのも石での水路とか設計とか相当な知識があったしまた埴輪の規模も。行けなかったんですけどはにわ工房も尾根沿いの傾斜を利用していたんで鎌足系の知識は入ってきてるでしょう。すると鎌足と天智天皇はここに関わっていそう思いますね。水鳥のはにわも鎌足とか嶋さんの継承、鵜飼いもでしょう。鳥も出てきそうですね。
あと面白かったのが今城の周りは八幡多かったzですね。あと吉野の方も八幡が多かったです、不思議です。

八幡神は相撲や武人と縁があり、中枢の方を悪い方から守る役目を持っていたんでは?
である時相撲の継承を忘れて女系の戦いの神の方にいってしまった故、女がやたら強くなり男をやっつけてしまうようになったようにも。変な親子の事件や最近の話題も行き過ぎた女に手が付けられない感じ、立場に合う品格を持てずにいるのも上下関係のお付き合いがないからでしょうね。

野見宿禰が八幡であれば道真さんも天神という八幡にもなりかねない。こっち青ですね。でこっちには女は入ってはいけないというのも相撲や山に関しても子供への愛情という名のエゴに向かいかねない女への門前払いとも思えます。そうじゃないと秩序は保てないのでしょうね。
そこに鎌足が入れるのか?鎌足の方がナカの一族っぽいんですよね、天智天皇よりも。
氷室の額田大仲彦命さんは青の大の皇子だとしたらナカは青だし、額田系も物部系なので青にはなります。こっちが天智天皇継体天皇系。

赤の皇子が鎌足だとすればこっちが反正さんの方だったかも?赤のお母様二人を育てたら額田大王は母であり赤の姫になる。
ナカは青なんですね、これ人間ウォッチでも結構合ってます。田原天皇っていう田原も鎌足系だと人間ウォッチでは思えるのでやはり今回は八幡に近づく前に赤系の見極めを作るって話だったようですね、黒髪山のお隣には王子の墓みたいなのもあるので赤の息子もやられて嫁に取られてそうにも。財産絡むと今同様昔も怖いですよ。次回大阪にいったら八尾や玉造や石切あたりの第二弾です。青の姫も結構大変なので青の皇子からアプローチしたいです。

なので巫覡とは別の意味の力士や武人の役割は秩序が出来てからの必要なお役目だったんでしょう。大地の神と縁が持てるのも大男でしょうね。
わにがいっぱいきているらしいですけどこちら青は和邇氏でしょうし、赤は初期尾張氏ですね。
3795どちらも今違う者が乗っちゃってますから大変です。攻撃すると思う壺なので村八分の四面楚歌にしないといけないので、行動さえみればすぐに見極めも出来るでしょう。

お相撲の名古屋場所は、尾張強いでしょうね。群馬もおばあちゃん同様女が強い場所でそこに諏訪からきた民族が大昔からいるとなると御嶽海が勝てたのもありですね。御嶽も山だけじゃない海の要素は古代必須です。高安さん、追いつけるといいですね。宇良さんは、のちに相撲界をまとめる事代主命になってくれるといいですね。3795、7266
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りひとさんへ (ulala)
2017-07-21 16:09:49
高槻の今城塚古墳行ってこられたんですね。
隣接の歴史館も立派な施設でしょう。

高安も宇良も今日はどうかなぁ~
白鵬は以前はなんとも思わなかったけれど、今場所はいやです。
特に強烈張り手にウンザリ。
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鷄と牛 (りひと)
2017-09-17 08:47:35
今東京は牛の祭と八幡の祭りに注目してます。
で台風がまた狙ってますね。
先ほど大阪では岸和田のだんじりとか無事にできて何よりでしたね。台風予想より遅いですし、うまく今日を乗り切って欲しいです。

そんなタイミングなので誰が置いたか牛のオブジェって凄すぎですね。でフツさんは武神でなく巫覡神で決して武力タイプではないと思います。なのでニギハヤヒが武力タイプか巫覡タイプかで自分との相性考えてみようと思ってます。

また渋谷で榛名の神に偶然出会ってのうららさまのコメントの中での注目ポイントが、堺の黒塚との違いですね。堺も違う話題で出てきてましたよね。黒塚の橿原の冊子あったような?ちょっと違いみてみますね。

でね〜、不思議に枚岡に行って感じたのは天児屋命さんの存在です。小屋根さんは小が付く事もあるように思うので赤ですし、イメージもこっちが武神ですよ。で確か瓊瓊杵命のトレーニングで弓とか乗馬とか教えたような気がしますね。
だとすると邇邇芸は青要素を持つ対角のイメージも出てきちゃってます。鳥は青で牛は赤でしょう。
でね〜、相撲の話題も触れてくれてますけどうららさまのコメントの後になんとみんな休場ですね。日馬富士はまた大変ですし。宙吊りの屋根があるあの土俵が屋根の神と関係ありそうに思っていたので小屋根さんにもこの字を使っちゃうのかも?と。相撲の神には赤も青も関わっているようにも。今この赤が相当青に攻撃されてそうです。
でもでもですよ、青に誤解があるんじゃないかとも。赤い姫にフォローして頂いていい関係で違う素材を同じ目的の為に活かし合う関係で行ってくれないかと。世界平和にも同じようなイメージありますね。日本は偽の赤になりかけちゃっているのでまず赤い姫に救って貰って重陽は男同士のウィンウィンの関係を世界平和で人間が自然の中でいかに安全に過ごせるかという目的を揺るがせる事なくやって行かねばと一日本の一般人は思いますね。青に知識を与え、本当の敵は人間の欲や嫉妬であり人間そのものではない事である事もゆっくりお教えてサポートしないと自然に人間はやられちゃいます。自然は別格だと思わないと出来ない事。神は知っているはずなのでその系統の人間に気付きがあればいいですね。

なので台風さん自身ではどうも出来ないなら周りの状況が変わってきて悲劇が少なく済む事を願います。どうなっていくか?武神ではなく自然をよめる巫覡がサポートして欲しいですね。

堺と榛名の違いも。榛名と玉手山あたりはどんな関係かも超気になりますね。岐阜も入ってくるかな?

台風18号日本縦断から少しベクトルが変わってくるか突然勢力弱まるそんなフィクションが起きても楽観視しないで奇跡のおかげだと一番ひどい事を考えて対策出来る人間第1号に日本国民がなれるといいなあと思いますね。助けられても気づかずでは相手もそっぽ向きたくなりますもんね。
ありがとうといえる未来を思い描、くのみです。
3540、4655
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Unknown (りひと)
2020-04-08 12:55:46
うわあ、この記事で比禮って出てきてますね。
今これ大事に思いますよね、ウィルスとの闘いにも。
どんな神宝なのか気になります。

勝手なイメージでは、パタパタするものじゃないのか袖を振るような感じで。この前猿田彦神社からお守りが届いたんですけど太田関係だと意識してましたけど久延毘古さんの記事で始まりそして太田種子命が呼ばれたんですよね、古代では伝染病が流行った時期です。ウズメさんも関係しそうな理由がなんとなく理解出来てきましたよ。

あとさっき別の所で天理の事でってお話の件が氷室さんです。奈良市の方は桜綺麗みたいですけどあそこ舞楽でしたよ。額田関係も出て来そうですね。そうそう思い出したんですけど島留学で粟島行かせたいって思ったらこの粟島の古墳だかがまたドンピシャ好みでした。弥生はないんですよ、説ですけどね。つまり縄文移行の古墳に祀られてるのが額田の関係との説ありました。枚岡の近くに地名もありますよね。

石上とどう関わってくるのか?今後の研究者の方に期待したいです。

榛名の文字がコメントに出てきてましたけど、グットタイミングですよ。神様喜んでいるといいなあと。ありがとうございます。そう私も展示の紹介ビデオで鎧の武人の事知りました。DNAって凄いですよね。群馬と長野は繋がりが科学であるんですよね、古墳埴輪の時代に。
科学であると考古学も歴史も見直すしかないようですし、外国の遺跡で活躍中の日本人もそれをしているようだとドキュメンタリーやっていましたよ。

今のコロナの状況が本当見苦しいですよね。
改竄出来ない物もあるんですよ。そして行動を見ればしたかどうか?は形跡で分かるはず。

あとそう最近調べている分野でも過去を調べてそれを直そうとしている方の動きも歴史では各時代で出てきます。そこも理由なり知識がありなので今後にもきっといいヒントになると思います。

日本をいい国にしたいって思った過去の神さん達にや人間に感謝してます。同じ目的なら出来るはずですよね。
目的が違うならどうするか?も考える時期ですよね。

違う視点で物事を考えても目的が一緒なら同じように動き出すでしょうね。

そうだ携帯のブックマークのデータが全て消えて忘れてしまったんですよ。新潟の粟島ってまた調べなくちゃ。アワシマって言うと音だけで父のワークのキーワードですし、それから文字替えると見えなくされちゃうんですよね。

石上さんのおかげで思い出しました。うららさまのおかげで私も縁が出来るといいなあと思います。4/8ですよね、意味ありげです。
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