散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

維新の会綱領を否定、江田幹事長の憲法観~主体的浮動層の擁護へ繋がる~

2013年04月03日 | 国内政治
みんなの党・江田幹事長は「憲法改正は参院選の焦点にならない」「戦後憲法は基本的人権の尊重や三権分立など民主主義的な価値観を導入し、軽武装で戦後の復興・成長に果たした役割は大きい」「改正自体は否定しないが、わが党は公務員制度改革、地域主権など国の形を根底から変えるような改革を優先したい」と語った。維新の会・石原慎太郎共同代表との違いを鮮明にし、議論の沈静化を図った措置だ。一方、民主党の細野幹事長は憲法観の違いから選挙協力を断念したとのことである。

重要なことは、江田コメントは側面から橋下徹共同代表をサポートし、筆者が想定するように、橋下―江田ラインを構築する役割を果たすことでもあるのだ。しかし、細野は軽くいなすという初歩的な政治的な芸当ができず、民主党の立場を狭くした。

江田の立場は明快であるが故に、公務員制度改革、地域主権などの改革を優先することを改めて主張できる。この主張において、軍備問題は急務ではない。米国の核のカサは依然として必須であり、その中で基地問題等実務的な課題が多くある。また、対外的にも、韓国、台湾、東南アジア、オセアニアの反応が厳しくなくはずだ。しかし、民主党は政治的立場を鮮明に出来ていなが故に、柔軟な考え方ができないというパラドックスに陥っている。

前々日の記事で、維新の会の綱領は憲法万能の極論、「九条絶対視」の正反対の極論と、その発想は同根であり、この対立が不毛であることは実務家のよく知る処、と述べた。その点、江田が示した現憲法観は常識的な実務家の考え方に沿っている。すなわち、私たちが大事にしているのは、先ず、基本的人権、自由、男女同権、などの基本的問題で有り、明治憲法になかったことであるからだ。それらが保障されていたが故に、個の能力が解放され、戦後の復興・高度経済成長に繋がったのだ。第九条の平和主義は無能な旧陸軍の復活に対する抑止として働き、軽武装・日米安保のもとで、米国に倣った軍産複合体の形成を日本において不要とした。

実務家は日々の忙しい仕事の中で、特に発言はしないサイレントマジョリティである。この立場を代弁できる政治家とそれを報道するマスメディアが日本には欠けており、それが政治の世界で主体的浮動層の重要性20130104」を認識する契機を阻害していると常々考えていた。これを良い機会にして常識ある発言とその報道が増えることを期待した。

      
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