散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

永井陽之助のマルクス観~レーニンとの違いを強調

2014年12月18日 | 永井陽之助
以前の記事では、永井陽之助を介して、レオンチェフのマルクス観を紹介した。では永井自身はマルクスの思想をどのように考えていたのか。
 『ピケティの出現を予言~永井が引用、レオンチェフのマルクス論141206』

永井はマルクスを、西欧社会民主主義の思潮に位置づけている。下記の論文はロシア革命以降の米国知識人社会の潮流を整理し、その内容を、アメリカン・イデオロギーとして、概観したものだ。

「かつて、その創始者の反対の主張にもかかわらず、ブルジョア啓蒙思想の線に沿ったユートピア思潮の一支流であったマルクス主義的社会主義は、資本主義と同様に一箇のイデオロギーに転化し、無自覚で無拘束なメシア的使命観と、冷厳な「国家理性」の野合は、恐るべきスターリン主義の鬼子を生み落とした」。
(『なぜアメリカに社会主義があるのか』(「年報政治学1966」所収,脱稿1965/12))

ここで、マルクスの思想をユートピア思潮の一支流と位置づけ、レーニンによるロシア革命からスターリン独裁に至るソ連の歴史とイデオロギーから峻別している。更に、対する資本主義もまた、イデオロギーに転化したとして、アメリカン・イデオロギーも厳しく批判している。

「私のいう民主的社会主義社会とは、マルクスが描いたように、人間か人間らしい生きがいを見出し、自己実現の可能性を発現しうるような社会、つまり経済・社会・政治制度が人間の価値創造の手段として従属されているような民主的規律と秩序をもった新しい社会を意味する…日本は、徳川の鎖国時代を平和に生存しえた貴重な経験をもつ民族として、平和な、非競争的な目標価値で、民族の生存を意味づけ、この激動の世界を切り抜ける貴重な歴史的実験をなしつつある…」。(『日本外交の拘束と選択』(「平和の代償」所収、初出1965/6「中央公論」)

ここでの議論は憲法問題で、その改正を提起するに当たって、社会観を簡潔に述べたもの。「マルクス」と「鎖国時代」を併記している処に射程の長さを感じる。逆に、マルクスを引き合いに出さなくても良い様にも思える。

「民主主義も共産主義も人類の経験する唯一の精神革命とも云うべき啓蒙思潮が生んだ異母兄弟であって、伝統的秩序を否定する「負のユートピア思想」を共有しているが、そのシステムを動かす「正の行動規範」については何も語っていない」。
(『さらばマイフェア・レディ』(「時間の政治学」所収、初出1976/5「中央公論」)

「…社会主義と共産主義(マルクス・レーニン主義)を区別すべき…マルクスとレーニンとは非常に違うんだ…」。
(『死か再生か、岐路に立つ社会主義』(「朝日ジャーナル」所収、1979/3/30号)

中越戦争は社会主義イデオロギーの矛盾を白日のもとにさらけだした。しかし、ハンガリー動乱(1956)、チェコ事件(1968)などの先例があるにも拘わらず、日本の左翼陣営は混乱するばかりだった。

ここでは、構造改革派の論客、佐藤登氏との対談から採った。社会主義=マルクス、共産主義=レーニンとして、マルクス・レーニン主義を解体している。

      

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