散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

ピケティの出現を予言~永井陽之助が引用したレオンチェフのマルクス論

2014年12月15日 | 永井陽之助
1973年にノーベル経済学賞を受賞したワシリー・レオンチェフ(1906-1999)は、研究初期の論文、「マルクス経済学の現代的意義」(1938)において、“マルクスの予言”を次のように述べている。

「マルクスの業績の今日的評価…資本主義体制の長期的傾向についての彼の見事な分析…富の加速度的集中、中小企業の急速な衰退、累加的競争制限、固定資本の重要性をますます高める持続的技術進歩、そして…繰り返す毎に振幅の大きくなる景気循環―以上の卓越した予言はすべて実現し、…」。
 『マルクスの予言』「経済学の世界」所収P103-111 時子山和彦訳(日経新聞社1974)

続いて、「全く見事なこの予言のリストが、現代経済理論に持つ意味は何であろうか…ハイマン教授の次の言葉に良く表されている…マルクスの仕事は、依然として、我々が果たすべき仕事についての尤も包括的かつ印象的なモデル…」。

この中で“尤も包括的かつ印象的なモデル”との指摘が光る。
これが60年以上の後、今般のトマ・ピケティの著作「21世紀の資本」(山形浩生他訳、みすず書房)によって検証されて表現されている、と云えないだろうか。

実は、レオンチェフの著作は永井陽之助『経済秩序における成熟時間』(中央公論1975/12号(「時間の政治学」所収))に引用されており、引用箇所は、永井の引用からほとんど転記している。即ち、上記の論文で永井が展開した現代経済学批判もレオンチェフに続いて射程の長い洞察から出てきたことが理解できる。

では、レオンチェフ論文において、何を永井が重要視したのか?それはレオンチェフの次の引用だ(「時間の政治学」P19)。
「予言の正しさに見られるマルクスの実績を説明するものは、彼の分析能力でもなければ、いわゆる方法上の優越性ではない。彼の強みは資本主義体制についての現実的で経験的な知識の深さである。…人間行動の予見に関しては、専門的心理学者といえども“性格判断”のコツを身につけた経験豊かな素人に遅れがちなことは、これまでもしばしば実験的に明らかにされた処である。マルクスは資本主義体制の性格判断家であった」。

そうであれば、マルクスが“性格判断”によって得た認識を診断的表現として述べたのに対し、ピケティは過去のデータを分析して、同じ認識に到達し、それを数学的表現にした。それが以下の不等式であったと云える。
 「資本収益率(r)>経済成長率(g)」

どちらが判り易く、説得力に富んでいるのかは、明らかである。
診断は患者に対して説明可能でなければならず、一方、数式は閉鎖的な専門集団に通用する、いわゆる科学的言語だけであれば良い。

それを踏まえて、更に永井は、レオンチェフの上記の引用を、「社会学的認識の本質を衝いて余す処がない」と高く評価する。マルクスが捉えた「資本」が今に蘇って評価されるとするなら、社会科学の“科学”とは何であるのか、改めて問われる必要があるだろう。

      


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