室井絵里のアート散歩

徒然現代美術&感じたこと、みたもの日記

追悼・前衛世代がまた亡くなった。

2015年08月15日 | アート他
一昨日から、いろいろとあったが。
昨日の午後、鴨居羊子の初期のパートナーさんだった森島瑛さんが亡くなったと、岡本太郎美術館から知らせがあった。
五年前に鴨居羊子展をした時に会った若手のキュレターの名刺が多分残っていて、娘さんが知らせてきてくれたようだ。
遅くにできた娘さん一家とも離れて暮らしていた。
新聞記者時代を通して、ダンディな人であったが、ついこの間まで地下鉄に乗って市内にでかけ、好きな画廊により、お酒を飲んで街を散歩していた。
享年93歳。東京芸大油画出身で、戦争中は出征して諜報部員だったという噂もある。戦後鴨居羊子と同じく大阪読売新聞を経て、鴨居が設立したチュニックの補佐役として鴨居の初期時代を支えた。鴨居羊子とは晩年決裂し、それを関西では司馬遼太郎さんなんかが不思議がっていた。
その司馬さんも亡くなって久しい。奥さんの緑さんも春に亡くなって、形見分けの品が実家に届いていた。
後からいろいろと調べていたら、結局今東光や司馬遼太郎や、鴨居羊子と岡本太郎をつなげたのはこの森島さんだったということもなんとなくわかった。本人は、たぶらかしていたが、岡本敏子さんの記録によると鴨居羊子より早くに森島さんと岡本が親交があったのがうかがえた。
私が最期に交わした会話は、夏前に暑くなった時に片山真理さんのテレビ番組をみてと電話して、そのあと、みたよ、面白かったな~ありゃすごいはという会話だった。
そのあと、母に「絵里ちゃんが電話くれて嬉しかったわ、それにあの片山真理ちゃんいうこもすごいな、面白い子がでてくるな」という電話もかかったらしい。
最期の日は、娘婿が昼ごはんを一緒に食べ、よく食べ、よく話して、あれはまだ相当長生きするねと帰宅した夜に近所の人から亡くなったという知らせが入ったという。
飄々とした人だったな。
岡本太郎が、万博のリサーチに大阪に来た時に同行したとか、そういう話の中身をもっと聞きたかったんだけど、まぁ、そういう話はなんかたぶらかされた。
そういえば、小林くんのキリンプラザでの白桃房のシンポジウムの会場でも偶然あったりしたな。80年代の後半だったっけ。
2月に大阪で展覧会やるときにはみてもらいたかったのにな。
なんだか、森島さんらしい。寂しいけれど。明るい、死だ。しかしやはり戦後前衛世代がまた一人逝ってしまった、喪失感は大きい。謹んでご冥福を祈る。
ちなみに、若手キュレーターは今東光の弟日出海さんの孫にあたる今は群馬の前橋アートセンターにいる、吉田くんの名刺です。私はいまさら名刺交換する仲でもなかったので、名刺渡してないし。彼のがあったのがなんか、面白い。

一日遅れて、でも、娘さんからハガキが届きました。

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