木場にある東京都現代美術館に朝からでかけました。
常設展示場を使って、「アルス・ノーヴァー現代美術と工芸のはざま」という特別展示(3/27まで)を企画した、美術評論家北澤憲昭さんを中心として昨日と今日2日間連続の「工芸ー歴史と現在」というシンポジウムを聞くためでした。朝ちょっと遅れたため、残念ながら午前中の参加作家のセッションは少ししか聞けませんでしたが(参加作家の金沢健一さんに「遅れてきたでしょ」と、ちょっとお叱りをうけました。)午後の北澤さんや、金沢21世紀美術館の学芸員不動美里さんなどのセッションはほとんど最後まで参加しました。北澤さんはこれまでいわゆる工芸と現代美術と分けられていたことを混在させることによって両者の隙間を埋める・・と言ってらしたと思います。そのことには賛同しますが、実際の展覧会として企画されたものを見て納得は正直できません。
不動さんや、元0美術館の学芸員で今は京都造形大学の先生である天野一夫さんの発表中に、不動さんのお父上京都のアーティストだったことはわかったのですが。それは、天野さんっ、日本画の抽象考えたのーっていうのは、ちよっとわかったけどね・・・。シンポジウムで、自分の書いた文章を読むは皆さん、無いでしょと思う。それは聴く人に対してあまりに無防備。自分の文章に酔わないで、自分の企画した展覧会は自分の力じゃないと、作品と真摯にむかうは、そういう客観的態度が、展覧会でも、シンポジウムでも必要でしょ。
と、思ったから目の前に座っていたにも関わらず辺りはばからず出ました。
銀座の資生堂ギャラリーで北澤さんが企画されているシリーズ展も・・同じテーマなんでしょうけど・・ぶっちゃけていうと、私は評論家としての北澤さんの仕事は好きですが、それを具体的に展覧会で見せてもらった時にはどこか、「ちゃうんとちゃうのー」と思ってしまうところがあるんです。だって、その空間に並べられた作品はほとんど「工芸作品」には見えませんでしたから・・・。その意味では、どの作品をもって「工芸」と定義づけないともいえて、すごく冒険だとは評価します。
ただ、私じしんも、文章も書いてきたし、今はキュレーターもしていますが・・・これはなかなか両立する仕事ではない。
自分の論理とか、予感とでもいいますかの正しさを実際に展覧会として見せることは並大抵の技じゃないし。
確かに日本の近代を考える時に工芸のもつ意味ってのは大事なんでしょうけど、もはや、ここでこうして語られていることに何の意味が-特に美術館に見にきてくれる数少ない、多くの人たちに-あるんだろうか・・・と、ちよっと思ってしまったりしましたが・・・。もうちよっと他のパネラーの皆さんが北澤さんに突っ込んまないと、企画者北澤さんに失礼じゃないかと・・・ま、最後までいなかったので、私が帰ったあと誰かがちゃんと敬意をもって突っ込んだのかもしれませんが・・少なくとも基調講演を聞いたところで、果てたので出ました。
さて、企画展の方は今年のベネチア・ビエンナーレのコミッショナーをつとめる現代美術館の笠原さん企画の「愛と孤独、そして笑い」展(3/21まで)。笠原さんはこれまでも女性アーティストに焦点をあててきましたが、今回の作家も女性作家たちだけです。シビアな日本を生き抜く女性作家の展覧会というところでしょうか。「一生遊んで暮らしたい」などゴシック文字で壁に言葉を掲げた、イチハラヒロコなどはこのタイトルそのままにぴったりという感じがします。
オープニングに行った時に、イチハラさんにもらった彼女の作品でもある「お守り」(グッズショップに売ってます)には「人生思い通り」と書いてありました。彼女がこれをそっと私に手渡してくれた時に、改めて言葉のもつ力強さみたいなものを受け取った気持ちがしました。イチハラさん、ありがと!!大切に携帯につけさせてもらっています。
窓には、私が子供の頃はやった名前を画数で並べて占っていく逆三角計の数字が並んだ恋占いがありました。
キャプション見る前に、「95%は誰?」と聞いたら「4さまよ、ちよっと内緒だけど。」と笑ってましたっけ。イチハラさんの作品は私にとっては、同世代で関西的弁を理解できるので笑える部分が魅力です。
でも、彼女の作品は私はどこかでそういうセマセマした共感や「言葉」のもつ力をもちつつ、それすら超える力があると思っています。
あと、作品としてはイケムラレイコさんも好きだけど。後、もうちょっと展示考えてあげてと思ったのは、綿引さん。
出光真子さんの作品には、悲しく深い意味があるんだけど、美しいという意味で共感。
正直、ちょっとしんどいかなーと思わなくもない作品もありましたけれど。
「愛・孤独・そして・笑い」これは展覧会みたあとのタイトルへの印象ですけど。
もう一つの企画展は「榎倉康二展」(3/21まで)。榎倉は1960年代から活躍していた作家なので、1995年に亡くなった時に「早すぎた死」と言われても私は充分なキャリアのある作家だと感じていましたが、今回作品のもつ物質感とでもいうのでしょうか独特の物質の気配を感じさせる美しい展示を改めて見て、考えてみれば五〇代のはじめで亡くなっていたんだなぁと、改めて色々と考えさせらるものがありました。作品の力と空間がいい意味で計算されたいい回顧展だったと思います。
ただ、作家が亡くなってしまっているのでこそ出来たいえる、いい展示ともいえるしなー。
オープニングで会った、銀座の画廊のオーナーのおばさまに(榎倉さんと同世代)「室井さんは、どっちの展覧会のオープニングにいらしたの?」と聞かれました。
「同世代的には、イチハラさんですが、榎倉さんのはいろいろ考えさせられました」と。
現代美術の作家や、作品とつきあうということでは相手がたいてい生きているだけに色々ありますが、作品の力強さに改めて出会うと考えさせられます。
私は、榎倉展で車いすに乗ってらしたおじいさんが気になりました。聞くところによると、榎倉さんたちが通っていた
洗足の飲み屋さんのオーナーさんだということ。こういう方が、この展覧会を見てどう思われたのかお聞きしてみたいと思う今日この頃です。今日、2回めを見ましたが、ちよっとますます伺ってみたいと思いました。
東京都現代美術館 www.mot-art-museum.jp
常設展示場を使って、「アルス・ノーヴァー現代美術と工芸のはざま」という特別展示(3/27まで)を企画した、美術評論家北澤憲昭さんを中心として昨日と今日2日間連続の「工芸ー歴史と現在」というシンポジウムを聞くためでした。朝ちょっと遅れたため、残念ながら午前中の参加作家のセッションは少ししか聞けませんでしたが(参加作家の金沢健一さんに「遅れてきたでしょ」と、ちょっとお叱りをうけました。)午後の北澤さんや、金沢21世紀美術館の学芸員不動美里さんなどのセッションはほとんど最後まで参加しました。北澤さんはこれまでいわゆる工芸と現代美術と分けられていたことを混在させることによって両者の隙間を埋める・・と言ってらしたと思います。そのことには賛同しますが、実際の展覧会として企画されたものを見て納得は正直できません。
不動さんや、元0美術館の学芸員で今は京都造形大学の先生である天野一夫さんの発表中に、不動さんのお父上京都のアーティストだったことはわかったのですが。それは、天野さんっ、日本画の抽象考えたのーっていうのは、ちよっとわかったけどね・・・。シンポジウムで、自分の書いた文章を読むは皆さん、無いでしょと思う。それは聴く人に対してあまりに無防備。自分の文章に酔わないで、自分の企画した展覧会は自分の力じゃないと、作品と真摯にむかうは、そういう客観的態度が、展覧会でも、シンポジウムでも必要でしょ。
と、思ったから目の前に座っていたにも関わらず辺りはばからず出ました。
銀座の資生堂ギャラリーで北澤さんが企画されているシリーズ展も・・同じテーマなんでしょうけど・・ぶっちゃけていうと、私は評論家としての北澤さんの仕事は好きですが、それを具体的に展覧会で見せてもらった時にはどこか、「ちゃうんとちゃうのー」と思ってしまうところがあるんです。だって、その空間に並べられた作品はほとんど「工芸作品」には見えませんでしたから・・・。その意味では、どの作品をもって「工芸」と定義づけないともいえて、すごく冒険だとは評価します。
ただ、私じしんも、文章も書いてきたし、今はキュレーターもしていますが・・・これはなかなか両立する仕事ではない。
自分の論理とか、予感とでもいいますかの正しさを実際に展覧会として見せることは並大抵の技じゃないし。
確かに日本の近代を考える時に工芸のもつ意味ってのは大事なんでしょうけど、もはや、ここでこうして語られていることに何の意味が-特に美術館に見にきてくれる数少ない、多くの人たちに-あるんだろうか・・・と、ちよっと思ってしまったりしましたが・・・。もうちよっと他のパネラーの皆さんが北澤さんに突っ込んまないと、企画者北澤さんに失礼じゃないかと・・・ま、最後までいなかったので、私が帰ったあと誰かがちゃんと敬意をもって突っ込んだのかもしれませんが・・少なくとも基調講演を聞いたところで、果てたので出ました。
さて、企画展の方は今年のベネチア・ビエンナーレのコミッショナーをつとめる現代美術館の笠原さん企画の「愛と孤独、そして笑い」展(3/21まで)。笠原さんはこれまでも女性アーティストに焦点をあててきましたが、今回の作家も女性作家たちだけです。シビアな日本を生き抜く女性作家の展覧会というところでしょうか。「一生遊んで暮らしたい」などゴシック文字で壁に言葉を掲げた、イチハラヒロコなどはこのタイトルそのままにぴったりという感じがします。
オープニングに行った時に、イチハラさんにもらった彼女の作品でもある「お守り」(グッズショップに売ってます)には「人生思い通り」と書いてありました。彼女がこれをそっと私に手渡してくれた時に、改めて言葉のもつ力強さみたいなものを受け取った気持ちがしました。イチハラさん、ありがと!!大切に携帯につけさせてもらっています。
窓には、私が子供の頃はやった名前を画数で並べて占っていく逆三角計の数字が並んだ恋占いがありました。
キャプション見る前に、「95%は誰?」と聞いたら「4さまよ、ちよっと内緒だけど。」と笑ってましたっけ。イチハラさんの作品は私にとっては、同世代で関西的弁を理解できるので笑える部分が魅力です。
でも、彼女の作品は私はどこかでそういうセマセマした共感や「言葉」のもつ力をもちつつ、それすら超える力があると思っています。
あと、作品としてはイケムラレイコさんも好きだけど。後、もうちょっと展示考えてあげてと思ったのは、綿引さん。
出光真子さんの作品には、悲しく深い意味があるんだけど、美しいという意味で共感。
正直、ちょっとしんどいかなーと思わなくもない作品もありましたけれど。
「愛・孤独・そして・笑い」これは展覧会みたあとのタイトルへの印象ですけど。
もう一つの企画展は「榎倉康二展」(3/21まで)。榎倉は1960年代から活躍していた作家なので、1995年に亡くなった時に「早すぎた死」と言われても私は充分なキャリアのある作家だと感じていましたが、今回作品のもつ物質感とでもいうのでしょうか独特の物質の気配を感じさせる美しい展示を改めて見て、考えてみれば五〇代のはじめで亡くなっていたんだなぁと、改めて色々と考えさせらるものがありました。作品の力と空間がいい意味で計算されたいい回顧展だったと思います。
ただ、作家が亡くなってしまっているのでこそ出来たいえる、いい展示ともいえるしなー。
オープニングで会った、銀座の画廊のオーナーのおばさまに(榎倉さんと同世代)「室井さんは、どっちの展覧会のオープニングにいらしたの?」と聞かれました。
「同世代的には、イチハラさんですが、榎倉さんのはいろいろ考えさせられました」と。
現代美術の作家や、作品とつきあうということでは相手がたいてい生きているだけに色々ありますが、作品の力強さに改めて出会うと考えさせられます。
私は、榎倉展で車いすに乗ってらしたおじいさんが気になりました。聞くところによると、榎倉さんたちが通っていた
洗足の飲み屋さんのオーナーさんだということ。こういう方が、この展覧会を見てどう思われたのかお聞きしてみたいと思う今日この頃です。今日、2回めを見ましたが、ちよっとますます伺ってみたいと思いました。
東京都現代美術館 www.mot-art-museum.jp