室井絵里のアート散歩

徒然現代美術&感じたこと、みたもの日記

『写真家 井上青龍の時代』太田順一著 ブレーンセンター刊

2013年02月20日 | アート他
『写真家 井上青龍の時代』という本を、最近読んだ。
井上青龍さんは、1960~70年代関西の釜ヶ崎の写真を撮り、白と黒とのコントラストが明確な光と影が印象的な写真家として知られた。岩宮武二に師事し、森山大道が最も影響を受けた写真家と発言していることで近年展覧会やその写真の持っていた意義などを見直す人も増えている。この本の著者太田順一氏も写真家、同じ写真家としての井上青龍の生涯にわたる写真活動への評価を冷静にとらえつつ、彼の周辺への取材を綿密に行い、それらからさらに本人像に向けての長編。

表紙がブルーで、若い頃の井上青龍さんが子供たちと遊んでいる写真(誰が撮ったんんだろう?)私自身にとっても、懐かしい笑顔だ。この本の中では、中山文甫会を中心に取材されていて、未生流は取材されていなかった。私の母は華道未生流の雑誌『未生』の編集を長くしていた。もともとは、1950年代に父が雑誌の編集を先代の家元とはじめたと聞いている。母はその後を引き継いだわけだが、最初は岩宮さんに、その後は井上さんにも写真を撮ってもらっていた。私の父や、未生の先代家元肥原康甫、今東光などでモダンモデル茶会というのを開いていてその時に井上さんや、同じく写真家の谷口青さんにも写真を撮ってもらっていたらしい。

この本の中では中山文甫会以外の華道の流派とは井上さんの気質が激しく断絶したようなことになっているが、そんなことは無かったと思う。少なくとも、私が子供の頃も時々写真をもって我が家に来られたり、ついでに私も近くの象公園で井上さんに写真を撮ってもらったりした記憶がある。
父が亡くなったあとも、家には人がよく集まっていた。1970年の万博の頃は、万博取材ということで新聞記者の女性や男性や、時々具体美術のアーティストさんやら、詩人、そこに井上さんも来られていた。
私は当時10歳くらい。家に高いクーラーをつけたので、来た人に「100円頂戴」なんて言ってた中に井上さんがいらしたが、まぁ、そんなことよりも、井上さんがご自身の子供さんにはむしろ酷い父親だったようだが、よその子にはそんなことはなくて、というか、私が早くに父を亡くしていたので、可哀相と思ったか、どうなのかわからないが、結構可愛がってもらった。当時子供用の本として発行された『ユンボギの日記』という本を持って来てくれて、最後についているハングル表で「ハングル」なる韓国の文字の読み方と、構造を熱心に教えてくれた。当時の私は井上さんがなぜハングルを読めるのか、不明だったがともかく、なぜだか熱心に教える井上さんにつられて他の大人が酒を飲んでいる中、その時ばかりはハングルを教わっていた暖かい記憶がよみがえってきた。この本で井上さんがハングルをなぜ読めたのか知れたのも良かった。(井上さんのお子さんは、私よりちょっと年下だったはずだが、時々子供さんの話もされていたようにも記憶している)。

後年井上さんは、大阪芸大の写真学科の教鞭をとられていた。私は同じ芸大の文芸学科に入ったが、特に交流は無く、卒業が決まって大学の研究室に入る時に初めて井上さんを訪ねてご挨拶をした。
「大きくなったな~。また、こっちにも遊びに来」と、変わらない笑顔であった。
その後に、また写真学科に遊びに行く機会もないままに、間もなくして井上さんは南の海で不慮の事故で亡くなってしまった。

そのような個人的な思い出もあって、分厚い長編ノンフィクションを一晩でいっきに読んでしまった。
もちろん、個人的な思い出だけでない、この本が顕わそうとして時代について私が最近(鴨居羊子展以来)考えているからかもしれない。そういえば、最近の若手評論家が過去のノスタルジーにとらわれるのか悪いということで、1960年代を懐かしむ風潮を否定するのを見るのだが、確かに、ノスタルジーとか、過去は良かったという意味でその時代に埋没することは私も否定する。しかし、過去や時代をふりかえる行為はノスタルジーだけに終始するわけではない。私の場合も、子供時代が懐かしいとか、日本が元気だった時代が懐かしいとかそういうノスタルジーで語ることができない、重さがこの時代にはあると考え、それを考察することが未来を開くと信じ、過去を振り返るよりも、未来のためにそうしているつもりだ。いや、この時代というだけでなく「過去」には元々、そういう意味があるのだ。過去や現在が無ければ未来はない。ノスタルジーではなく、つい最近の過去であるこの時代もそろそろ歴史の中の過去へと組み込まれつつある、そこにいた人々も亡くなったりしている。それにもう一度光をあて、客観視することは必要なことであろうと思う。

読んだあと、実家の母に電話した。
奥さんや子供さんのご苦労のことなど「全然知らんかったわ~。青龍さんの展覧会の時は奥さん喜んではって、良かったなと思ってたんやけどね」と言っていた。実家には、お花だけでなく青龍さんが撮った写真が何枚か残っているようだ。

(高知出身の井上さんであるから、高知の美術館でも、また、写真専門の美術館でももう一度この人の写真を見直し、時代を見つめ直す展覧会が開かれたらいいのになと思う。)
コメント
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