6月末に終了するギャラリー山口の三獄伊紗さんと、キューピックギャラリーの笹岡敬さんと、ノマルエディションの今村源さんの個展をみるためにでかけた。
個人的には、この三人の作家たちと「光の記憶」というシリーズの展覧会を関西でやっていた時にご一緒していたし、画廊を点在させて見て回るという試みだったので、期せずしてそういう組み合わせの個展を見て歩くということになったのだ。
みたけさんの山口の会場は、ピンポイントカメラで撮影された琵琶湖及びその近辺の風景写真が並べられていた。
透かして見る風景。点在する意識。見えそうで見えない、実際に見るとはできない「場所」。ギャラリーのり空間が開放的なので、少し作品の強度が弱められる感があり、残念なところだったが、静謐な空間だった。
ノマルの今村さんの個展は、なかなか。さすがと思わせる手法のドローイングとモノのインスタレーションが並ぶ。
これってモノとドローイングセットで売るのだろうか、これがセットされたインスタレーションとして見るのが面白い作品だし、どうなるんだ、の、ようなことを考えながら、作品に覗き込んでしまった。
キュービック・ギャラリーの笹岡敬さんの個展は、事前に「危険」だと聞かされていた。
宙づりのまるで、小さな飛行機とか、羽虫のような装置がビュンピュンとまわっている。遠心力で、だんだんまわり方が大きくなってくる・・・。あ、あぶな。
それとともに壁面や空間に生じて来る光と影を見ていくわけだ。まず回っているものを追うのと、意外と神経を行き渡らせないといけない世界。全部を見渡すことが困難なので、しまいに見ることそのものを放棄してしまいたくなってくるようなところもある。
一ヶ月前の京都のギャラリー射手座の作品が、じっと動かない像を見つめていくというものだったのと記憶の中であるいは、網膜の記憶というものがあめとすれば、その中で比較すると、楽しい。
個人的には、この三人の作家たちと「光の記憶」というシリーズの展覧会を関西でやっていた時にご一緒していたし、画廊を点在させて見て回るという試みだったので、期せずしてそういう組み合わせの個展を見て歩くということになったのだ。
みたけさんの山口の会場は、ピンポイントカメラで撮影された琵琶湖及びその近辺の風景写真が並べられていた。
透かして見る風景。点在する意識。見えそうで見えない、実際に見るとはできない「場所」。ギャラリーのり空間が開放的なので、少し作品の強度が弱められる感があり、残念なところだったが、静謐な空間だった。
ノマルの今村さんの個展は、なかなか。さすがと思わせる手法のドローイングとモノのインスタレーションが並ぶ。
これってモノとドローイングセットで売るのだろうか、これがセットされたインスタレーションとして見るのが面白い作品だし、どうなるんだ、の、ようなことを考えながら、作品に覗き込んでしまった。
キュービック・ギャラリーの笹岡敬さんの個展は、事前に「危険」だと聞かされていた。
宙づりのまるで、小さな飛行機とか、羽虫のような装置がビュンピュンとまわっている。遠心力で、だんだんまわり方が大きくなってくる・・・。あ、あぶな。
それとともに壁面や空間に生じて来る光と影を見ていくわけだ。まず回っているものを追うのと、意外と神経を行き渡らせないといけない世界。全部を見渡すことが困難なので、しまいに見ることそのものを放棄してしまいたくなってくるようなところもある。
一ヶ月前の京都のギャラリー射手座の作品が、じっと動かない像を見つめていくというものだったのと記憶の中であるいは、網膜の記憶というものがあめとすれば、その中で比較すると、楽しい。