室井絵里のアート散歩

徒然現代美術&感じたこと、みたもの日記

新宿梁山泊・風のほこり

2006年01月11日 | アート他
今年は元旦から、下北沢のザ・スズナリで梁山泊の「風のほこり」をみさせていただいた。
8日には、同じく新宿梁山泊の女優陣たちによる「楽屋」をみにいく。「楽屋」は清水邦夫作で
25年くらい前に渋谷のジャンジャンで初演された(と、思う)お芝居。

楽屋で繰り広げられる「女優」の物語だ。

金さんの演出では、韓国で韓国の伝統的な太鼓の演奏を学び、現代風に軽やかに舞い、叩く
楽士二人の出演だ。彼らがいることによって、生と死のイメージがより明確になり、四人の
女優のうち生きているのは、たった一人だったんだ・・・ということが、じわじわと伝わって
くるのだ。

ただ一人生きている「女優」である梶村ともみさんの演技も、生身であり
楽屋で息を抜いている時の生身の女性という感じで好きだった。
それでいて、ライバルの女優にいつ立場を奪われるかもしれないのだ。
他の女優さんもなかなかいい。
楽屋では、私は女優に色気は必要ないと思うのだが。

後の飲み会で、金さんが梶村サンに「色気が必要」と駄目だししてらしたが、そーかな。
とか思ったりした。また、女優のパトロンの男を今度出すと言ってらしたが、
それも面白いかもしれないけれど「楽屋」での女優の色気が出て・・・。

最後の場面で、数々の衣装が浮かび上がってくる様は、さすが美しいと思えた。

テント芝居に慣れたせいか、久しぶりにちゃんとした「演劇」みちゃった気がしました。


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森美術館・杉本博司展

2006年01月07日 | アート他
 森美術館で九日まで開催中の杉本博司展へ。杉本博司は、ニューヨークと東京在住の1948年生まれ
の前衛写真家。
 私は、八十年代に初めて大阪の国立国際で杉本の「海景」を展評に書かせていただいてから、
ずっと杉本の作品は気になっていた。

 前回の横トリでの杉本作品、また、昨年のエルメスでの作品にふれて・・・。
作家がこだわりをもって空間に立ち会っているのは、わかるが、何かひっかかるものがあった。
能とのコラボレーションとか、森美術館では杉本の作品を回顧できていいのだが、どこかしら
「悲哀」も感じる。

 それは、日本のアーティストが世界にうって出る時にもたざるをえない「何か」が
実は非常に薄っぺらなものかもということだ。
 か、もしくは、こうでしかオリジナリティ・・たとえ、それが幻想としても、西洋で
生き抜くためにはこの表現しかないのか。それが、逆に日本にもどってきても受け入れられる
ということに、作家としてジレンマは無いのか・・・無いか、大きなお世話かと思いつつ。
 
 現代美術の世界は、いつまでたっても欧米中心だ。杉本の力は認める、好きでもある
でもなぜか哀しい。

 杉本より上の世代でフランス在住で活躍していた作家が、奥さんの具合が悪くなった。
晩年日本に帰りたいと思っていたが、奥様の介護についてフランス政府から「一生の保障」
を確約された。それで、日本に戻れなくなったと。年賀状にあった。
 欧米に住み、活躍することの悲哀みたいなものが、例えば、去年の東京都美術館での
イサム・ノグチ展にも見られたように思う。
 
 そこの垣根って、実はまだ超えられないのかなぁ。

 
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新宿梁山泊・風のほこり

2006年01月03日 | アート他
元旦から、展覧会をやっていたら行くところだが残念ながらやってなかったので
下北沢・ザ・スズナリで元旦公演新宿梁山泊の芝居「風のほこり」をみにいく。
さすが、金さんというか、元旦からアングラやるかぁーとも思ったが。
正月に歌舞伎とか文楽というんじゃなく。ちょっとわくわく。
客席は満席。

子供の頃、大晦日から都ホテルに泊まり元旦にかけての夜中は京都の八坂さんに初詣。
二日は祖父母の家に行くという正月を過ごしていた。

一年の計は元旦にあり。と考えれば、昔祖父母が自分たちの子供や孫を二日に
集めていたのは、深い意味がある。
つまり、元旦はそれぞれ自分のために過ごしなさいという意味だったのか。
子供だから、その頃の親が自分のために元旦を過ごしていたのだろう。

長いこと、そういうことは忘れていたが私の最近は、そういうことで元旦は
自分のために過ごすことに決めている。

で、面白かったのが元旦からアングラを下北沢にみに来ていた人たち。

唐さんは、自分の書き下ろした芝居だが元旦は来ないと聞いていたのに
来ていた。
山口昌男さん、後から帰ったら細川周平さんもいらしていたらしい。

元旦は、恋人が大事なら二人で初詣も行けばいいし。
自分の家族が大事なら、自分の家族と過ごせばいいだろう。

私は、期せずしてアングラのお芝居とおつきあいし、お屠蘇まで
いただいて来た。

唐さんが、唐さんのお母さんを主人公に書かれた「風のほこり」。
唐さんは、亡き母さまと元旦を過ごされたのかもしれない。

芝居の内容は、静かで唐さんの本の割に時代が飛ばない。
毛糸のズロースを昭和5年からはいていたとしたら、唐さんの
お母さまはかなりモダンだとか、主演の度会さんが知的だけれど
ちょっと二十歳のぴちぴちさんに欠けるとか思ったけれど、
考えてみれば唐さんにとってごじしんのお母さんは、二十歳の頃
ではなく三十代位だったんだろうし、そー考えれば主演女優の人選も
わからなくない。ズロースも昭和5年にはなかったかもだけど、
昭和十年代にはあったかも。

作者唐さんじしんを知っているということで、本とか芝居に対しての
深みというか、ひっかかりが増えることは楽しいことだ。

美術と、作品の関係もしかり。
作品は、作品として存在するが、そこには作者という人間がいる。

人間がやっているということを、単に逃げにしないで、ちゃんと襟を
正して色々なものをみたり、書いたり、考えたりするのが仕事なのだと
元旦からちょっと考えた。



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