室井絵里のアート散歩

徒然現代美術&感じたこと、みたもの日記

無題

2014年04月29日 | アート他
明日というか、義母の誕生日の「昭和の日?」だったけ、4月29日は昭和には天皇誕生日で、それから「緑の日」とか変わってたけど。
義母の誕生日には変わりない。ほんで、先月に完成したお墓に義父のことを納骨する。義父は、去年のご自分の誕生日の日に亡くなるかという大方の予想を裏切り、その前日に亡くなった。

ここのところいいお天気だったけど、明日は「雨」(なんとかかわせるはず)の予想の義母は、ちっょとドキドキしていて、電話か私の携帯に。
なんか、亡くなってもお父さんが言いたかったのかな~。って。

お葬式の時は、台風来るとかわさわささせたし、納骨は雨かいな~
彼は優しい人なので、どちらもかわせると私は言ってたけど。
なんか不安だったらしい。

この感覚、面白いですね。
韓国語だと、チェミイッター。語感は軽いです。
興味深いだと、少し語感重くなるかな?

義母さんは、遺影はともかく位牌(神道ではレイジ)も、移動した老人ホームにもっていかなかった。
お墓つくっても、お墓もなかなかみもいかなったけど、ようやく行ったら、預けておいたお骨にはお参りできなかったらしい。

なんやねん、今時の墓所ってそんなもんか。
これ、私の大叔母さんとか、私の母の従兄弟のお墓も
ある春秋苑で起こってますね。

死んでしまったら、物質として人間の肉体はほぼ消えます。
しかし、亡くなっても何かが残るような気がする。

私は、基本的には無神論だし、神道のはずでも宗教も信じないし、モノはどうでもいいですし、まーモノを作っている人の仕事をみせるのが仕事だけど・・。
基本はどうでもいい。

後世に残るかどうかなんてのは、問題ではないと思います。
それは、自分の血統という意味でも。

そういうことではなく、精神性をどう伝えるかしかないですよね。
自分と血がつながっていても、アホもいるやろし。

人原の歴史なんてのは、こういうことの連続。
裏切ったり、裏切られたりしていただけでしかない。
しかし、モノとして残ったものをしばし大切に扱うのは、
人間の感覚とか感性とかなんだろうなぁ、
それをあだや疎かにしちゃったら、罰あたるっての。

だから、モノは嫌い。だけど、気持ちのこもったモノは好き。

気持ちたって、気色悪いモノはどんなに高価なモノでも嫌い。
コメント (1)
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