室井絵里のアート散歩

徒然現代美術&感じたこと、みたもの日記

NHKスペシャル・原発メルトダウン危機の88時間

2016年03月19日 | アート他
再現ドラマとして綿密に作られている。
しかし、ここで描かれていること =つまり、メルトダウンが始まっているのではないかは直後から私のツィッター上のTLでは語られていた。
何人かの知人が福島の人に必死で「逃げて」て語りかけていたことも記憶に濃い。

原発の基礎知識がなくても、人のカンが正しい場合があるのだろうと思う。
現在、首都圏は安全だということになっているが。
そもそも、放射能についての安全のレベルは科学的にも解明されているわけではないので「福島」でないので「安全」とは私自身は思っていない。
(他にも因果関係の明確にされないことが多々あるので、特に別に逃げる気も無いし、そういえば事故直後も関西から関東に戻ってきたが)

先日朝まで生テレビが「どうする原発」をテーマに放送されていた。元滋賀県知事の嘉田さんが「滋賀は立地県ではないので、そもそも避難指示や勧告も存在しない」というところからはじまったというようなこと。縦割りな上に、国も、電力会社も、地方自治体も国民の安全に責任をもってないという事実。
また、福島市民で避難して、解除になった地域の活動家の女性が「私たちは何十年も原発に何かあったらと避難訓練をしてきたが、実際には何も役に立たなかった」と発言されていたこと。またゴーマニズムの小林よしのりが「わしらは原発は安全だと思ってきたのに騙された」。。。と。(単純な人だな)
あと、田坂広志さんが(以前日文研の会議のあと京都駅でお好み焼き食べさせてもらったがその時は広告代理店の方と思っていたら、大学は放射能の研究してたらしい)が、原発の研究をしていたものとして反対の立場で最終処分あるいは、中間処分の場所も確定しないまま廃炉の作業を続けることも危険というようなことを発言されていた。(中間処理は東京など首都圏も分担すべきであるは、原理原則的に正しいとは思うが )。


福島の廃炉作業は、まだまだ続いている。恐らく、私が死んだあともまだやってなきゃいけないだろう。
チェルノブィリのようにコンクリートで固めろという意見もあったが、どうなっているかわからない火種を残して発電所ごと固めてしまうわけにはいかないような気がする。しかし、このまま作業か続くと、汚染水もすぐに敷地内にはおけなくなる。そもそもそれをどうやって保管し続けるのか。
再び、災害が起こったら、それこそ何が起こるかわからない。
福島では直接的な死者が出なかったのは、再現ドラマを見る限り単なる幸運だったとしか言いようがないが、それでも推進派は「原発事故で亡くなるのは、交通事故や、火力発電の事故よりも少ないから良い」と朝生ではいまだに言っていた。しかし、ここでは推進派も単純に推進していなくて、原子力に対して懐疑的でもあったが。

電力自由化で、電気が安くなるとか、あるいは関電や東電など原発をもつ従来の電力会社にお金を払わなくてもよくなるとか発電そのものを選べるとか。。
言われているが、果たしてそうなのだろうか。関電や東電がしっかりして企業でいてくれないと、廃炉そのものの研究も現場の人もなくなってしまわないか。
廃炉作業も、当時の所長も亡くなり、事故当時の関係者もいなくなったあとでどこまで危機感を持って作業を続けられるのかというのも心配だ。
同じ現場にいても、情報の共有ですら難しいのに、伝承するとなると、厄介で難しい。

また、自然エネルギーとして、太陽光発電も北杜市などではずさんな太陽光パネル設置で住民が生活レベルに支障をきたしているともニュースで扱われていたのを見た。
風力発電にも限界がある。水素発電とか・・・はどうなんだろうか。
原子力にはもともと反対だが、いま起こっていることを見ると、かと言ってそのほかのことが正しいとも思えない。
原発以上の隠れた危険がそこに無いとは誰も言えない。

人間というものは、手に入れたものを決して手放そうとしないらしい。
原子力だけでは無い、人そのものを生み出す研究も、クローン研究も、神の領域に踏み込んでいる。
放射能以外に自然に戻らないものも多数発明してきた。
それらを手放していけないとすれば、この先にどうなるのか。いや、どうあるべきなのか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする