江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

キリスト村終焉

2016年09月26日 | 歴史・文化

 昭和28年7月21日、江別太小学校において、江別太地区入植式が行われました。

 それまで、西村らが実質的に国有地の無断借用として入地していた幌向原野の開拓に正式に国の許可がおりたのです。

 入植者41人、増反者18人、入植者の中には地元農家の次、三男のほか、キリスト村待機者数名もいました。
当初描いていた理想郷には程遠いものの、ともあれ、あれほど西村が望んでいた国よる開拓事業が実現したのです。

 入植者の宣誓に立った桟敷は、江別太開拓の恩人として、わずか9日前、55歳の若さで不帰の客となった西村の名を、特に挙げました。
その桟敷や列席の川崎らの脳裏には、吹雪の夜、リュックサック一杯の食料を背負ったまま、幌向原野の真っ只中で道を失っている、西村の途方に暮れた面貌が横切ります。



註 :江別市総務部「えべつ昭和史」826頁
写真:西村夫婦が住んでいたキリスト村開拓事務所
 同上書824頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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