江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

煉瓦事始

2019年03月30日 | 歴史・文化

 江別の工業は、どのように始まったのでしょうか。

 明治27年(1894年)1月11日付けで江別外ニカ村戸長役場から、札幌外九郡役所第一課あての現況調査報告書があります。
同書によれば、「工業者凡そ10戸。本村ハ工業未タ起ラス 農産物製造ノ業モ亦其緒ヲ開カス 其工業者ト称スルハ単ニ桶工治工の如キ其手工物ヲ製出スルニ止マルノミ」と、まだ見るべきものはない、彼誰どきでした。

 ただ注目すべきは、24年に現在の東光町(覚良寺付近)に近別最初の煉瓦工場・江別太煉化石工業が起業された事でしょう。
同工場は、「其規模ニシテ 製造盛ナラズ」(同前、調査報告書)とあるように、その後数年で閉鎖されました。
しかし、これが今日よく知られる江別の地場産業、煉瓦の事始となりました。

 もっとも、同工場には前史があります。
23年、横浜の人藤村用三が開いたもので、これを大倉組手代の土田政次郎が引き継ぎました。
藤村工場は大倉組の煉瓦工場を継いだとの説もあります。
大倉組は、鉄道や集治監など幅広く官営事業に食い込んでおり、資材用煉瓦の工場をもっていたとしてもおかしくありません。
この説は理路がとおり、説得力はありますが、今のところ確認されたわけではありません。



註 :江別市総務部「新江別市史」201頁.
写真:のぽり窯
 同上書p173掲載写真3-18明治30年代北炭と館脇の2代煉瓦工場進出



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トマンベツ・越後屋出張所2

2019年03月29日 | 歴史・文化

 当地に最初に開店したのは、北越植民社の経済的支援者でもあった江別市街の越後屋(柳町久造・長岡藩出身)の出張店です。

 明治25年8月に西山幸之助が新潟県古志郡から入植の三島後二郎(億二郎の次男)の地所の一隅に店を構え、米、味噌、酒、瀬戸物、小間物、太物などを取り扱うことになります。
これが、越後屋野幌出張店です。
翌26年7月10日に出張店1周年の祝宴を開きました。
出席の顔ぶれは、関谷孫左衛門、松川保次郎、平沢政栄門、小泉元端、土田金蔵、三島後二郎ら12名でした。
いずれも殖民社の有力者で、その緊密な関係が推し測られました。

 同店は、27年3月に、「煙草小売営業許可相成候、3月8日ヨリ売始メ仕(つかまつ)ル」(西山資料)、同年同月31日「郵便切手売下許可相成候 3月16日ヨり売始メ」(同前)と、取り扱いをタバコ、切手という趣向品や通信関係まで広げていきました。

 明治32年1月には、商店を越後屋西山幸之助(西山商店)に改め、5月には小児5病玉(薬)の販売を開始、41年には塩の小売の許可を受けました。
幸之助の孫・總によれば、大正期から昭和10(1935)年前後にかけ、西山商店のほか、小倉商店、滝沢鍛冶屋、安沢豆腐店、東田魚屋、篠原雑貨店などが広島街道沿に並びました。

 これは、西山商店は別として、林業試験場の造林事業などで多くの関係者が出入りすることになったためです。
また、位置的な関係から広島や幌向・夕張太方面の人々も、これら商店の顧客となりました。



註 :江別市総務部「新江別市史」200頁.
写真:西野幌の丘の上に建つ林木育種場
   同上書297頁掲載写真を複写し、当ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。




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トマンベツ・越後屋出張所1

2019年03月28日 | 歴史・文化

 明治33年(1900年)8月に野幌郵便局取扱所が開設しました。

 明治38年に無集配3等局に昇格し、郵便、郵便為替、郵便貯金の取扱事務を開始します。
そして、それまで江別郵便局を経由して処理された電信の直接扱いができるようになったのは、44年9月です。

 34年、野幌消防組が結成され、35年には民家を借りて天徳寺が創建しました。
かくて、徐々に野幌市街の形成が進みました。
駅開業10年が経過の、野幌市街の景況はというと、野幌駅周辺の戸数は、おおよそ60余戸でした。
そのうち、商業は旅舎2、木賃宿1、飲食店1、床屋1でした。
小売関係は、屯田市街に10余戸、殖民社側に数戸でした。
いずれも日用品を販売し、また農家の仕込を兼業するものでした。
 なお、床屋1とあるのは、33年開業の藤野床屋(藤野久五郎)です。

 ところで、鉄道を挟んだ屯田側と殖民社側の2つの市街地のほか、もう一つ付け加えておかねばなりません。
それは、街区とはことなりますが、数戸の商店が集まった広島街道沿・トマンベツ周辺です。

 明治41年(1908年)6月、野幌林業試験場がトマンベツの林内に開場しました。
同場は、国有林の経営上切実賢要なる技術的問題に対し調査試験を行い、之が成果を国有林の施業に応用して次号の改善進歩を図るを目的としました。
そのため、土壌、気象、造林および森林保護、林産物利用などの事業を展開しました。
同場の事業が活発化するにつれ、広島街道(現・道道江別ー恵庭線)沿い、トマンベツ周辺に小売、鍛冶屋、大工、屋根職、馬車追などが集まり、純農村地域に異相の色彩を添えました。



註 :江別市総務部「新江別市史」199-200頁.
写真:写真:明治12年(1879年)4月開設した対雁駅逓所の跡地の松
 同上書125頁掲載写真3-3を複写・掲載いたしております。
 

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野幌駅南側市街地

2019年03月26日 | 歴史・文化

 明治23(1890)年5月、野幌駅の南側一帯へ北越殖民社の集団入植がありました。殖民社は、駅南側(鉄道を挟み、屯田兵村市街地の反対側)に倉庫と吹抜け小屋を設け、移住者に配給する米噌の貯蔵庫及び休憩所としました。これを端緒に、鉄道沿いに小さな街区が形成されました。つまり、野幌の市街地は、当初から駅を挟み、屯田側と殖民社側の二つに分かれていたのです。

 20年代末には、山田山三郎が古着屋を開業しました。山田商店は、のち炭、雑穀、米などを扱い、やがて近在の金融機関へと転身していきました。そして、明治31年、北海道炭鉱鉄道の野幌煉瓦工場、翌32年の舘脇煉瓦工場が相次いで野幌駅南側に進出し、大勢の煉瓦職人や労働者が来往、この一帯の人口は一気に増えていきました。もとより、商人たちの来往もあり、職工などを相手の料理屋、風呂屋、理髪店、呉服店、雑貨店などの店を開きました。その他、農村を背景にした雑穀屋など、更には大工、木挽たちの借家も並んでいました。
 
 こうした職人や労働者、あるいは家族の慰安のため、殖民社の竹見堅蔵が同社倉庫を借受けて興行を行ったのも、この頃のことでした。
「30年頃、殖民社の倉庫を借りて煉瓦場相手に常舞台をやって見たり、風呂屋をしたりしたが、却々繁盛した」(『野幌部落史』・竹見談)。

 明治35年、佐野利吉が、「煉瓦餅」を製造し、野幌駅で立売りを開始しました。
「34年野幌で駅売の許可を得たのが佐野の他に松浦孫七さんがおりました。松浦さんは翌年春から饅頭を作って売り出していました。それが煉瓦餅を売り出してからばったり売れなくなったのです。松浦の願いにより、煉瓦餅の製造方法を教え、上包の紙を譲ってやって二軒で売りました」(『野幌部落史』佐野タオ談)。

 煉瓦餅は、短期間の内に野幌名物として知れ渡りました。
明治40年5月に函館に渡った石川啄木は、「やがて札幌、小樽、釧路へと転々とする。彼が小樽から釧路へ移る車中記、「雪中行」が『小樽日報』紙に掲載されたのは、明治41年1月でしたが、そこに「煉瓦餅」が出て参ります。
「白石、厚別を過ぎて、次は野幌。睡眠不足で何かしら疲労を覚えている身は、名物の煉瓦餅を買う気にもなれぬ。江別も過ぎた。幌向も過ぎた。」



註   :江別市総務部「新江別市史」198-199頁参照。
写真:野幌駅鉄道高架化構想モデル
*平成18年(2006年)より進められて参りました函館本線連続立体交差事業の一環として着手された新野幌駅舎されました。事業推進時に提示された構想モデルです。

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本日!自然観察会森の中で春を探そう!開催のご案内!

2019年03月24日 | イベント

 このたび、本日!自然観察会森の中で春を探そう!開催のご案内をいたします!

 本日(3/24)!
 自然観察会!
 森の中で春を探そう開催です!
 事前申し込み不要です。

 防寒には十分ご留意されてご参加くださいね


 自然観察会森の中で春を探そうの日程は、下記のとおりです。
1.日   程   2019年3月24日(日)1000ー12:30
2.集合 場所   自然ふれあい交流館
          *解散場所も同様
3.費   用   無料
4.持 ち 物   防寒服・長靴等
          防寒に留意した服装および歩きやすい靴でご参加ください。
5.主   催   自然ふれあい交流館
           江別市西野幌685-1
           011ー386ー5832


写真:自然ふれあい交流館


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野幌駅前市街地

2019年03月23日 | 歴史・文化

 明治25(1892)年、この市街地に貸与に関して悶着が起こりました
大隊では浜端らに貸付の市街地を北海道庁に返地し、この返地に対して海江田、岩田、長、沢住、村岸、中島、桑原の屯田兵諸士官から貸下願書が提出されたのです。結果から言えば、先に貸付した商人たちを追い出し、野幌屯田の有力者に該地を貸与するという以外の何ものでもなかったのです。

激昂したのは浜端らでした。
大隊に抗議すると共に、道庁に対し嘆願書を提出しました。これが明治26年1月のことでした。これがその後どのような経過を辿り、どう決着をみたかは詳にならないが、その後の推移をみるに、結局は商店を中心とした街区形成が進みました。ここから、ことの顛末が推量されるでしょう。

 なお、明治29(1896)年5月付の現・八丁目通西側にかかわる野幌兵村公有地財産取扱委員会と借主・岩田喜太郎との「土地貸借契約書」があります。これが江別市街を含め、屯田兵村番外地を貸与する時のひな形の一つであろうといわれています。

以下契約書略

 

 

註 :江別市総務部「新江別市史」198頁.
写真:旧野幌駅ホーム<2008年7月撮影>

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野幌駅の開業

2019年03月22日 | 歴史・文化

 野幌市街地の形成も、野幌屯田兵村の番外地として画された駅前に、商店が開業するところから始まります。
 
 これより先、西番外地と呼ばれていた四番通方面に、明治18(1885)年、江別兵村と同様に屯田兵の日用品供給目的で兵村共同販売所(責任者・屯田兵予備少尉岩田喜太郎)が設置されました。
同20(1887)年には浜端宗三郎が日用品雑貨店を開き、前後して金兵衛酒屋、中川雑穀屋なども開業したと伝えられています。

 この頃、この西番外地は野幌兵村の文化の中心地として栄えました。
「七夕祭り、お盆などの行事には、国家安泰五穀豊穣と書かれた大灯籠を掲げ、お国振りを豊富な盆踊りが始まり、夜の更ける迄太鼓の音が響いて華やいだ夏の夜をみせていました」(広報えべつ・「文化財シリーズ」14)

 野幌駅が開業したのは、明治23(1890)年11月です。
江別駅の開業が同15(1882)年ですから、遅れること7年でした。
屯田兵村第二中隊本部(野幌)が、札幌の屯田本部との連絡上必要としたもので、当初は簡易停車場でした。初代駅長は、札幌から派遣された屯田兵石丸辰一郎でした。

 駅の開業契機に、野幌の市街地形成は西番外地から東番外地(駅前)へと大きく変わりました。
 理由は、江別駅前と同様で、屯田兵江別第三大隊では、野幌駅前を市街地(6,318坪)として発展させる意向を明確にしました。
具体的には間口5間、奥行25間を1戸分として区画し、保証金1円、借地料1坪3厘で貸付を行うというものでした。
 これに対し、すぐさま浜端宗三郎他10名から願い出があり、これが許可されました。浜端とは、雑貨店経営者です。つまり浜端は、駅から遠い西番外地から駅前番外地への移転を願い出していました。浜端以外の出願者の中にも、同じケースがあったと予測されます。
 この前後、商家として駅前にあったのは、浜端の他以下のとおりです。
金兵衛酒屋
中川雑穀屋
沖田与惣衛門の旅人宿屋
井上幸吉の菓子屋
長谷川綱吉の豆腐屋兼風呂屋、武沢金松の丸金旅館などでした。

 以降、前谷運送店、岩田、木村、坂本、大江、西沢など各商店が順次開業いたしました。




註:江別市総務部「新江別市史」197-198頁参照
写真:昭和61年12月JR野幌駅南口開業
 「えべつ昭和史」662頁掲載写真を複写し、当ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。


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本日!オペラ ガラ・コンサート開催のご案内!

2019年03月21日 | イベント

 このたび、本日!オペラ ガラ・コンサート開催のご案内をいたします!

 本日(3/21)!
 江別市所在えぽあホールにて 
 オペラ ガラ・コンサート開催します!  

 世界の歌曲、オペラアリア等お楽しみください

 オペラ ガラ・コンサートの日程は、下記のとおりです。 
1.日   程      2019年3月21日(木・祝)開演14時
2.場   所      えぽあホール
         北海道江別市大麻(おおあさ)中町26-7
         011ー387ー31200
3.入 場 料       ¥1,300ー
          *小中学生は無料
          *未就学生入場不可
4.出   演       ソプラノ/亀谷泰子
         メゾソプラノ/松田久美
         テノール/岡﨑正治
         バリトン/宮前暢明
         ピアノ/村上和歌子、山口玲子
5.曲   目       ピゼー/カルメンより「あんたね!俺だぜ!」 他


写真:えぽあホール

 

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2019年拓北農兵隊 北の世田谷物語の昔と今〜展覧会開催中!のご案内!

2019年03月20日 | 企業ファイル

 このたび、2019年拓北農兵隊 北の世田谷物語の昔といま〜展覧会開催中!のご案内を致します!

 昨日(3/19)より5日間!
 2019年拓北農兵隊 北の世田谷物語の昔といま〜展覧会開催中!

 2019年拓北農兵隊 北の世田谷物語の昔といま
 東京 世田谷 三軒茶屋【新雪の時代】アンコール展覧会として開催中です。

 今年(2019年)1月から1ヶ月半、東京三軒茶屋にて
 公益財団法人せたがや文化財団生活工房主催
 江別市総務部総務課(市史・行政資料)協力により開催された
 「新雪の時代」展示会のアンコール展覧会として開催です。

 アンコール展覧会「2019年拓北農兵隊 北の世田谷物語の昔といま」の日程は、下記のとおりです。
1.期   間   2019年3月19日(火)〜3月24日(日)
           10:00ー15:00
2.場   所   野幌公民館1Fギャラリー
           北海道江別市野幌町13−6
3.観 覧 料   無料
4.主   催   拓北農兵隊2世3世の会
5.共   催   江別市教育委員会
6.協   力   公益財団法人せたがや文化財団生活工房


写真:アンコール展覧会「2019年拓北農兵隊 北の世田谷物語の昔といま」チラシ
*「ふだん着」発刊等活動されている名取様よりお便りをいただき、同封されていたのがこのチラシです。
より多くの方にご覧いただけることを祈念しております。
          

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本日!北翔大学学位記授与式挙行!

2019年03月19日 | 教育・学校

 このたび、本日!北翔大学学位記授与式挙行のご案内をいたします!

 本日(3/19)!
 北翔大学学位記授与式挙行いたします!

 平成最後の学位記授与式
 北翔大学は、本年前身であるドレスメーカー創設80周年を迎えました。
 歴史は、確かな歩みを証明するものであり、
 それは、一人ひとりの歩みも同様であり、
 確かな歩みが刻まれています。

 卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます

 これからは、社会人として、仕事人として
 新たな歩みが刻まれていくこととなります

 その第一歩を踏み出す日、
 皆さんの成長を楽しみにしています
 そして、
 数年後、お互いの歩みを語り合いましょう


写真:平成30年度学位授与式会場<北翔大学>


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