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江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

11月度人が集えば文殊の知恵袋講座開催のご案内!

2010年11月30日 | 教育・学校

このたび、11月度人が集えば文殊の知恵袋講座開催のご案内をいたします。

本日(11/30)、北翔大学エクステンションセンター教養講座「人が集えば文殊の知恵袋講座」(道民カレッジ連携講座)が開催されます!

今月のゲストスピーカーは、王子特殊紙株式会社江別工場総務人事部課長でいらっしゃる川村恒宏氏をお迎えいたします。

「江別と紙について」と題して、江別の製紙業100年を語っていただきます。

陸軍航空本部からの指令で王子製紙が戦闘機を手がけるなど、北海道開拓史の大きな担い手であった王子特殊紙株式会社の現在までを、90分たっぷりお話しいただきます。

どうぞ、ご期待ください!

11月度人が集えば文殊の知恵袋講座の日程は、下記のとおりです。

1.日時  2010年11月30日(火)13:10-14:40

2.  場所  北翔大学543教室

3.企画・運営 田口智子(北翔大学短期大学部教授)

4. ゲストスピーカー川村恒宏氏(王子特殊紙株式会社江別工場総務人事部課長)

5. 題目  「江別と紙についてー江別の製紙業100年」

6.問合先  北翔大学エクステンションセンター

                  011-387-3939

(参考)

当ブログ2010年11月29日(月)「北日本製紙から王子製紙へ」

当ブログ2010年11月12日(金)「11月度人が集えば文殊の知恵袋講座(道民カレッジ連携講座)開催のご案内!

当ブログ2009年10月17日(土)「石狩東部広域水道企業団設立」
当ブログ2009年 7月28日(火)「公害防止条例制定」
当ブログ2009年 6月25日(木)「富士製紙から王子製紙へ、独占企業の誕生!」
当ブログ2009年 3月12日(木)「明治日本産業の高度化と北海道」
当ブログ2009年 3月10日(火)「昭和初期の文芸」
当ブログ2009年 1月15日(木)「王子航空機の会社設立と江別飛行場建設」
当ブログ2008年11月13日(木)「電灯が灯された最初の日」
当ブログ2008年11月 6日(木)「富士製紙株式会社江別工場建設」
当ブログ2008年11月 5日(水)「富士製紙株式会社の江別進出」

写真:王子特殊紙株式会社江別工場前道路標識「王子」

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北日本製紙から王子製紙へ

2010年11月29日 | 歴史・文化

昭和45(1970)年9月、北日本製紙株式会社は、王子製紙株式会社と合併し、江別工場も王子製紙株式会社となりました。

北日本製紙株式会社は、もともと王子製紙株式会社の系列会社でしたが、合併の引き金となったのは、同社の経営不振でした。

昭和37年には、50歳以上の100人にのぼる人員整理が断行されました。そして、43年11月に業務提携、45年2月合併覚書調印を経ての合併となたのです。

合併後の江別工場は、昭和49年5月本社(東京)方針で工場設備を増設し、併せて旧式の設備を一新する計画を発表しました。

しかし、同年10月には延期となりました。さらに、50年7月26日から24日間にわたり一斉休業に入りました。これは、48年末から50年にかけての不況の影響でした。この間、鉱工業生産指数は、約20%の減少をみましたが、紙パルプ業界も無縁ではありませんでした。

この延期された生産設備の増設と改良工事は、その後52年4月から総工費約95億円をかけて行われました。

その結果、晒設備には世界で4番目、国内初の多段階式置換漂泊設備が導入されるなど、一躍近代化を遂げました。

その後、56年の業界不況時には、江別工場だけで約460人の一時帰休の措置がとらましたが、それぞれの折目、節目で近代化、合理化の推進が図られ、57年度には、通産大臣表彰、エネルギー管理優良工場を受賞しました。

その他、49年、岩田醸造株式会社工場が千歳に移転しました。同社は、荻ケ丘に本社および工場(味噌・醤油)を置いていましたが、住宅地域のため工場増設ができず、かつ市内に適地がなかったため転出となりました。

明治の創業以来、地元に根ざし親しまれていた同工場の市街移転は、市民に一抹の寂しさを感じさせました。

また、52年10月興和産業株式会社、53年3月丸富建設株式会社と、市内中堅どころの企業の倒産が相次ぎました。それと前後して、49年に市内12の板金業者で発足した日江金属協業組合が、59年、簡易車庫(カスケードガレージ)で通産省のグッドデザイン商品Gマークの選定を受けました。

同商品は、その後ヒット商品となり、広く普及しました。

 

註:江別市総務部「新江別市史」633-634頁.

写真:石狩川方面から撮影した王子特殊製紙株式会社江別工場

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しめ縄づくり開催のご案内!

2010年11月28日 | イベント

このたび、しめ縄づくり開催のご案内をいたします!

北海道開拓記念館主催、しめ縄づくりの体験学習行事が本年も開催されます。

しめ縄は、神社だけではなく個人宅においても無病息災、家内安全を願って、玄関先用、神棚用と異なっています。

北海道開拓記念館主催しめ縄づくりでは、①玄関用玉じめ、②神棚用ごぼうじめ、③宝船の2種類の体験学習のコースが設定されています。

それぞれ所要時間が異なっています。下記要件をご確認いただき、お申し込みください。

北海道開拓記念館主催しめ縄づくりの日程は、下記のとおりです。

1.期 間  2010年12月1日(水)~12月15日(水)の毎日

          午前の部10時10分-11時40分の90分(宝船/14時10分迄の4時間) 

                     午後の部13時-14時30分の90分(宝船/17時迄の4時間)

           *ただし、月曜日は休館日です。宝船申込者はお弁当持参要です。

2.場 所  北海道開拓記念館

3.コース  (1)玄関用玉じめづくり

                    (2)神棚用ごぼうじめづくり

                    (3)宝船づくり

                      *宝船づくりは、しめ縄づくり経験者のみ申込可能です。

4.人 数   上記期間、各回先着10人

5. 申込先  北海道開拓記念館

011−898−0456

 

写真:北海道開拓百年記念塔

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ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo開催のご案内!

2010年11月27日 | 地域
 このたび、ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo開催のご案内をいたします!

 昨日(11/26)より、2010年度ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporoがスタートいたしました!

 クリスマスイルミネーションで華やぐ街並、
 12月を迎えるとクリスマスソングも加わり、行き交う人々の心を高揚させてくれる季節です。

 最もクリスマスが似合う北海道では、ミュンヘン・クリスマス市が開催中です。
 今年は、海外からのshopも2店舗増えているようです。
 また、本年度よりデポジット制を導入し、食事注文の際に容器代100円を支払い、返却と共に100円を返金することによって、容器返却を促しています。
 どの場にあっても、制度化しないと秩序が維持できないというのは、淋しい気がしますね。

 ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporoの日程は、下記のとおりです。
1.期間   2010年11月26日(金)~12月24日(金)
       平 日   12:00~21:00
             ただし、金曜日と12月22日(水)は21:30まで
       土曜日   11:00~21:30
       日・祝祭日 11:00~21:00
2.場所   札幌市大通公園

 2010年度ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporoの詳細は、下記URLをご覧ください。
http://www.city.sapporo.jp/christmas-market/

写真:2009年度ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporoの模様
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農業改良実行組合

2010年11月26日 | 歴史・文化
 大正6(1917)年12月、道庁は町村長あてに単位で農事改良実行組合(大正15年道庁令で農事実行組合と改称)を組織するよう内務部長牒を出しました。
 これは、道庁の危機意識の素直な表現でもありました。

 大正2年の冷水害による大凶作を経て、北の農業は一大転期にありました。
 従来から(1)地力の減耗、(2)作物の品質改善、など指導機関農会をとおし、さまざまな農事改良に取り組んできました。
 例えば、共進会、品評会、講習会、実地指導、等でした。しかし、実効は目にたつものではありませんでした。

一. 優良品種の増殖と種子の配布計画及び栽培
一. 堆廏肥の増産による地力の維持増進
一. 家畜の増殖と自給肥料の確保
一. 病虫害の駆除と予防
一. 産業組合を利用した購買販売と組合共同利用
一. 天候不順と災害に対する種子、および食糧の備慌貯蓄迎行など

 これらを実効あらしるためには、農会だけでは駄目でした。農会の下に単位の実行組合をつくりました。
 なぜ単位だったかといえば、「本道ノ町村ハソノ区域広闊ニシテ 而モ移住者ハ多クソノ郷土ヲ異ニシ 人情風俗ノ相違ハ、従テ一町村住民ヲ一団トシテ精神的結合ヲナサシムルコト困難」(内務部長牒)だったのです。
 だから、町村を単位に細分組織し、ごとに課題の軽量を図り、計画を立てて実践しました。
 換言すれば、射程を短くし、集中力を高める、これが通牒のねらいでした。

 江別では、既に殖民社に野幌報徳会があり、また、野幌兵村には農業振興会があり、これらは実質的に実行組合といってよいものでした。
これに加え、この時期、通牒を契機に組織されたものも少なくありませんでした。

 昭和3(1928)年には、対雁と篠津兵村(四実行組合)にも設立されました。
 対雁の実行組合は、組合員45名の単一組織でした。
 下記に掲げる事業からも明らかなように、地域の課題の所在が見えてきます。
一. 大小麦、燕麦種子改良ノ為メ採種圃ノ経営
一. 秋耕ノ実施
一. 酸性土壌矯正ノ為メ石灰使用
一. 排水ノ設備、掃除ノ実行
一. 堆肥場ノ設備
一. 病虫害駆除予防ノ励行
一. 各種品評会開催ト出品
一. 採種圃経営品評会
一. 堆肥大量生産品評会
一. 玉葱立毛品評会
 
 農事実行組合は、地域における農民の自主的な活動が保障される限り、一定以上の実効をあげたといえます。
 
註:江別市総務部「新江別市史」312-313頁.
写真:野幌兵村農業振興会事務所(昭和4年)
 同上書312頁掲載写真5-4を複写し、当ブログに掲載いたしております。
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野幌兵村農業振興会

2010年11月25日 | 歴史・文化
 大正4(1915)年1月、野幌兵村の農業者を網羅した野幌兵村農業振興会が設立しました。

 目的は、同会々則第三条「本会ハ農業ノ進歩発達ヲ計リ会員相互ノ福利ヲ増進スル」云々です。
 この目的を達するための事業として、同規則第十三条は、下記のとおり規定しました。

一.農事講話会ヲ開クコト
一. 肥料及種苗ノ共同購入ヲナスコト
一. 立毛其他品評会ヲ開クコト
一. 土地ノ改良ヲ計ルコト
一. 防風雪林ノ施設ヲ計ルコト
一. 種子改良ノタメ試作地ヲ設クルコト
一. 其他必要ト認ムル事業

 振興会設立の当面の課題は、兵村の区有財産の維持と効果的な運用でした。
 そのため、同会は共同放牧場の開設など、特に畜産の普及と改良に精力的に取り組みました。すなわち、設立後ただちに畜産施設事業計画を樹立し、翌年、牝牛購買資金制度を設け、基礎牛導入のため960円で仔牛8頭を購入しました。
 以降、毎年10頭前後を導入、大正10年までの6カ年間に57頭(約5千452円)を求めました。
 これら購入牛は、希望の農家に貸付され、兵村内の飼牛増殖の大きな原動力となりました。

 同会は、大正7年に経済事業を分離し、産業組合・無限責任野幌兵村信用購買販売組合を設立しました。
 しかし、これは翌年蹉跌のみ、その再建は同12年の有限責任野幌兵村し尿販売購買利用組合の設立となりました。

註:江別市総務部「新江別市史」311頁.
写真:野幌産業組合事務所
 同上書310頁掲載写真5-3を複写し、当ブログ掲載いたしております。
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カナダ人としゃべらNight! vol.10クリスマススペシャル!開催のご案内!

2010年11月24日 | イベント
 このたび、カナダ人としゃべらNight vol.10クリスマススペシャル!開催のご案内をいたします!

 北海道カナダ協会主催「カナダ人としゃべらNight vol.10クリスマススペシャル」が開催されます。
 今回は、クリスマススペシャルとして、お互いプレゼントを持ち寄って、パーティ形式で開催されます!
 とってもワクワク感溢れる企画ですね。

 北海道カナダ協会主催「カナダ人としゃべらNight vol.10クリスマススペシャル」の日程は、下記のとおりです。
1.日  程   2010年12月11日(土)17:00-19:00
2.場  所   ホテル札幌ガーデンパレス2階白鳥の間
3.会  費   会員2千円/非会員3千円
         上記会費から事前に千円以内のプレゼントを購入して持参
4.申込期限   11月30日(火)
         ただし、定員30名になり次第申込終了です。
5.申 込 先   北海道カナダ協会事務局
         011-233-1003
         011-221-0481
         h-canada@f2.dion.ne.jp

写真:バンクーバー蒸気灯
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産業組合法施行

2010年11月23日 | 歴史・文化
 目地35(1902)年、道内最初の産業組合といわれる無限責任江別勤倹信用組合(大正4年解散)が創立しました。

 これは、明治33年施行産業組合法によるもので、同法は信用、購買、販売、利用事業を認めましたが、江別の組合は貸付と預金を中心とする信用事業に取り組みました。
 組合長伊藤忠次、理事に島村辰太郎、赤石儀二郎、組合員総数27名の、こじんまりとしたものでした。

 ところが、明治37年、農会取扱の陸軍への燕麦納入事業を譲り受けたとたん躓きがやってきました。
 この年燕麦の市価が高騰、組合は軍価格で契約数を確保できませんでした。やむなく、商人から買い戻し、軍には契約価格で納入しました。大損害でした。後の解散は、この時の躓きが尾をひいたものでした。

 また、明治36年3月、無限責任篠津産業組合(大正12年解散)、同年12月には無限責任江別購買販売組合(大正7年改組)が誕生しました。
 これら二者は、組合員の生産物の共同出荷、日用品の購販売を目的としていました。前者は21名、後者は32名でのスタートでしたが、篠津組合は37年の大水害と燕麦納入事業で蹉跌をみました。また、購買販売組合も「組合員ノ生産物及日用品等ノ売買ヲ各組合員適宜ニセシヲ以テ事業状況トシテ記載スルノ事故ナシ」(「明治39年事業報告」)と、活動の停滞にお手あげだったのです。

 初期の産業組合活動は、いずれもふるいませんでした。産業組合の奨励にあたった農会そのものが、解散の危機にさらされていたのだから、当然といえるでしょう。
 黎明期産組の試行錯誤は、その後も続きました。
 これが、地に足をつけ、大きく踏み出すのは大正期を待たなければなりませんでした。

(参考)
当ブログ2010年11月21日(日)「馬鈴薯澱粉の製造」
当ブログ2010年11月18日(木)「糧秣廠と商人
当ブログ2010年11月17日(水)「軍馬飼糧とえん麦」
当ブログ2010年11月16日(火)「江別の酪農」
当ブログ2010年11月14日(日)「精米工場の増加」
当ブログ2010年11月13日(土)「経緯度・標高」
当ブログ2010年11月10日(水)「原始林と貯水池」
当ブログ2010年11月 6日(土)「蛸足式直播機」
当ブログ2010年11月 5日(金)「篠津原野排水計画」
当ブログ2010年11月 4日(木)「対雁泥炭地試験場」
当ブログ2010年11月 3日(水)「石狩川流域泥炭地」
当ブログ2010年11月 2日(火)「札幌製糖会社設立」
当ブログ2010年11月 1日(月)「牛馬貸与規則」
当ブログ2010年10月21日(水)「殖民社の畜力農業」
当ブログ2010年10月20日(火)「第1回国勢調査」
当ブログ2010年10月18日(月)「貯水池の出現」
当ブログ2010年10月15日(金)「米作定着の道筋」
当ブログ2010年10月14日(木)「北海道庁米作方針転換」
当ブログ2010年10月13日(水)「自転車競技」
当ブログ2010年10月 6日(水)「菊花と川柳」
当ブログ2010年10月 5日(火)「大正期の公衆衛生問題」
当ブログ2010年10月 1日(金)「共同物揚場」
当ブログ2010年 9月29日(水)「物資の集散」
当ブログ2010年 9月28日(火)「水陸の結節点」
当ブログ2010年 9月27日(月)「明治末期の製造業」
当ブログ2010年 9月22日(水)「岩田煉瓦工場」
当ブログ2010年 9月12日(日)「水路測定事業に伴う地図の整備」
当ブログ2010年 9月 8日(水)「三角測量事業の成果」
当ブログ2010年 9月 2日(火)「三角測量の開始」
当ブログ2010年 9月 1日(月)「田内・内田東北海道調査」
当ブログ2010年 8月30日(月)「松本大判官の上川・十勝視察」
当ブログ2010年 8月27日(金)「ライマンの石狩川・十勝川探査」
当ブログ2010年 8月26日(木)「明治期初期内陸部踏査」
当ブログ2010年 8月12日(水)「武四郎北海道国郡図の限界」
当ブログ2010年 8月11日(火)「国郡選定と地図作製の影響」
当ブログ2010年 8月 9日(月)「国郡選定と北海道国郡図」
当ブログ2010年 8月 4日(水)「煉瓦事始」
当ブログ2010年 7月29日(木)「屯田兵本部宅地造成着手」
当ブログ2010年 7月27日(火)「鉄道郵便制度」
当ブログ2010年 7月25日(日)「幌内鉄道」
当ブログ2010年 7月15日(木)「江別駅開業」
当ブログ2010年 7月14日(水)「大河のほとり」
当ブログ2010年 7月12日(月)「江別村」
当ブログ2010年 7月 3日(土)「野幌報徳社発足」
当ブログ2010年 6月30日(水)「二大煉瓦工場進出」
当ブログ2010年 6月28日(日)「村の運営」
当ブログ2010年 6月21日(月)「関矢孫左衛門の力業」
当ブログ2010年 6月20日(日)「集団移民の最初の冬」
当ブログ2010年 6月17日(木)「障害を乗り越えた集団移民の実現」
当ブログ2010年 6月14日(月)「独立移民入植」
当ブログ2010年 6月12日(土)「北越殖民社が越後と交わした互換約定書」
当ブログ2010年 6月11日(金)「殖民社の創立」
当ブログ2010年 6月10日(木)「野幌兵村と日露戦争」
当ブログ2010年 6月 8日(火)「西洋屯田江別兵村」
当ブログ2010年 6月 7日(月)「屯田兵二足の草鞋」
当ブログ2010年 6月 3日(木)「ラッパの響き」
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当ブログ2010年 5月30日(日)「屯田兵移住のみちのり」
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
当ブログ2010年 5月24日(月)「集団帰還の前後」
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当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
当ブログ2010年 5月15日(土)「海運の統一」
当ブログ2010年 5月13日(木)「石狩厚田の漁場」
当ブログ2010年 5月11日(火)「移民の保護と自立」
当ブログ2010年 5月10日(月)「小樽から対雁へ」
当ブログ2010年 5月 8日(土)「宗谷越冬と先遺隊」
当ブログ2010年 5月 7日(金)「日露樺太千島交換条約」
当ブログ2010年 4月30日(金)「対雁の市街地的発展から農村村形成」
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当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
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当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 7月10日(金)「れんが100年」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 5月10日(日)「明治期の製造業 木工場」
当ブログ2009年 4月 6日(月)「大正7年北海道食物百番附」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
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註:江別市総務部「新江別市史」310-311頁.
写真:たこ足直播機
 同上書写真5-2掲載写真を撮影し、当ブログに掲載いたしております。
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聖徳太子堂

2010年11月22日 | 歴史・文化
 北海道江別市野幌町所在天徳寺境内には、聖徳太子堂が祀られています。

 同案内看板文により、ご紹介いたします。
 
 昔、推古天皇は、皇位を継承し厩戸皇子すなわち聖徳太子を摂政とした。
太子は中国文化を導入し、完位十二階の制定と十七条憲法の発布は大和朝廷と秩序となった。特に仏教を信奉し篤く三宝を敬い、平等と和合を要とした。中国の技術は土木、建築、芸術と多岐にわたり飛鳥文化を形成した。
 爾来、建築関連の職人と云われる人びとは、聖徳太子を建築技術の神様として信奉し、太子信仰が広められた。

 良質の粘土を産出する野幌は、明治の中期より「のぼり窯」を創始とする大小多数の煉瓦工場が進出、操業を始めた。それに伴ってあまたの職工や労働者が集まり、加えて商業が発達し、ここに全国有数の「煉瓦の町野幌」が築かれた。
 時に、野幌煉瓦土管製造工場の創業者館脇平蔵氏は、事業の繁栄と働く人々の安穏を願い、工場敷地内に職人の神様、商いの神様として庶民に崇拝されている聖徳太子を祭る「太子堂」を建立。
 その後大正15年に天徳寺に土地と堂宇を寄進、毎年8月15日、16日は働く人々の休息日として、煉瓦工場はもとより町の商店街、工業土建業者らが一緒になって盛んに聖徳太子祭を行うようになったのである。
 寺の境内では屋台が軒を並べ、芝居や映画が催され、呼びものの素人相撲においては近隣在郷から大勢の力士や観客が参加し、昼夜にわたって境内を大いに賑わしたと言う。
 今なお「太子堂」は一世紀にわたって野幌の変遷を見つめて、天徳寺の境内に鎮座おわしている。
 栄枯盛衰は時の流れであるが「和を似って貴し」は不変である。
 ここにおいて、地域住民が将来にわたって和して集い、和して楽しむ町づくりのシンボルとしてのわが町の歴史的財産「太子堂」を御前にして和やかに太子祭を行うものである。
 平成20年8月吉日
                               堂守敬白

写真:聖徳太子堂(北海道江別市野幌町49-1)
 撮影許可を得て、撮影・掲載いたしております。
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馬鈴薯澱粉の製造

2010年11月21日 | 歴史・文化
 馬鈴薯は、北海道の気候風土に適し、耕作が容易でもありました。
 また、簡単に澱粉が製造できるので、多くの農家の副業ともなりました。

 特に北海道産の馬鈴薯澱粉(片栗粉)は、工業用原料としても優れ、モスリン(薄地の柔らかな毛織物)を中心に、機織糊、菓子、蒲鉾、薬剤、石鹸などに用いられました。
 府県への移出は勿論、海外への輸出も少なくありませんでした。

 馬鈴薯澱粉の製造が爆発的に増えるのは、大正3(1914)年の欧州大戦の勃発を因としてです。戦争により、ドイツやオランダなどからの輸入が途絶えたイギリス、フランス市場へ、北海道の片栗粉が一気に吐き出されました。
 製造戸数でいうと、2年の8千447戸、6年には2万2千911戸と激増しました。
 「以上の如く異常の進歩を遂け、大正8年は大正2年に比し製造戸数において約13割、価格において15割の増加を示せり」(「殖民公報」第百二十二号)と、受けに受けました。
 しかし、これもまた大戦の終熄と共に需要の激減と価格の低落に見舞われたことは、付言するまでもありません。

 江別においては、明治4(1909)年に石河澱粉所が江別川右岸に開業しました。年間の稼働は50日、従業員は男女各2名ずつ、二馬力水車一式を備えての操業でした。
 道内では、八雲村や上川地方が盛んで、多くの農家が副業に取り込みました。製造方法が比較的簡単であったこともありました。
 その製造方法の大略は、次のとおりです。
 最初に薯洗い(砂や泥を洗い落とす)、その後擦卸器で澱粉粥を作ります。それから粕をとり、澱粉乳とし、何回か沈殿漕をくぐらせ、さし、乾燥させるのです。

 製造時期は、馬鈴薯の成熟との関係から9月から10月中頃までで、季節限定の製造となります。

(参考)
当ブログ2010年11月18日(木)「糧秣廠と商人
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註:江別市総務部「新江別市史」308-309頁.
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 江別屯田兵村遺族会『江別屯田兵村百三十年の歩み』66頁掲載写真を撮影・掲載いたしております。

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