このたび、9月度人が集えば文殊の知恵袋講座開催のご報告をいたします!
北海道みらい事業
道民カレッジ連携講座
江別市民カレッジ連携講座
北翔大学地域連携センター教養講座
9月度人が集えば文殊の知恵袋講座
「人が集えば文殊の知恵袋講座」を開講!
ゲストスピーカーは、渡辺良洪氏をお招きし、
「江別カルタで辿る江別物語2018〜紙を見る、語る〜」と題して
開催いたしました。
ご講話後には、皆様と江別カルタ大会を開催いたしました
明治18年(1878年)8月29日江別屯田兵入地して140年を迎えました。
江別屯田兵公有地は、石狩川沿い兵村1丁目(会社通り・対雁通り)道路から北は石狩大橋付近から東へ石狩川堤防に達する位置18,000坪、江別川入り口付近に至る間(大釜甚八郎土地付近)に位置し、地目は原始林、防風林および雑用地です。
この防風林としていた場所は、富士製紙原木置き場および流送木材置き場として変更され、沿岸一帯に大樹のみ原生し、1大密林地帯であったところです。
現在、北日本製紙工場構内となり貯木場となっています。
富士製紙会社は、原木の利用目的として、
明治39年(1906年)8月着工、明治41年11月完成、12月操業をスタートさせました。
江別町の総人口約3,500人余り、その1/3以上は工場従業員でした。
これは、北海道進出第1号工場となりました。
その後、数奇な曲折を経て、昭和8年(1933年)、王子製紙・富士製紙・樺太工業の3社大合併し、王子製紙江別工場になりました。
大正年間(1912-1926)市街地では、原則として製紙パルプ産業の急速な隆盛に伴うものでした。
初期の製紙工場は大泊や豊原など既存市街地での工場設置されていましたが、第1次世界大戦の影響で国内産パルプが急騰する追い風を受け、各地に製紙工場が建設されるようになりました。
戦時前〜戦時後、製紙業への復帰・再建に努めていきました。
多様な書類に基づいて、ご講話をいただきました渡辺良洪氏には御礼申しあげます。
また、ご講話に引き続き江別カルタ大会にご参加いただきました皆様、お疲れ様でございました。
皆様との素晴らしい時間を過ごさせていただきましたこと、深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
次回は、10月16日(火)13:10−14:50
江別屯田兵村開村140周年記念講演です。
ぜひ、ご期待ください!
写真:9月度人が集えば文殊の知恵袋講座・渡辺良洪氏ご講演模様
江別創造舎ブログおよび江別創造舎FACEBOOK掲載許可を得て撮影・掲載いたしております。