第1コリント6:17
主と結合している者は
(主とともに)ひとつの霊の中にいる
第1コリント6章15~17節において、キリストとの結合の奥義を見ることができる。
この17節におけるパウロの考えはこうだ。
もし人が淫婦の体と結合すれば、一つの体となり、その女の器官となる。
もし我々がキリストと結合するなら、我々の体はキリストの器官となり、キリストとともに一つの霊となる。
もし我々の全存在がキリストと結合するなら、二つの体が一つになって当然ではないか。
主と結合している者は
(主とともに)ひとつの霊の中にいる
第1コリント6章15~17節において、キリストとの結合の奥義を見ることができる。
この17節におけるパウロの考えはこうだ。
もし人が淫婦の体と結合すれば、一つの体となり、その女の器官となる。
もし我々がキリストと結合するなら、我々の体はキリストの器官となり、キリストとともに一つの霊となる。
もし我々の全存在がキリストと結合するなら、二つの体が一つになって当然ではないか。