キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

朝のヒレカツ丼

2021年11月19日 | Weblog
「小林秀雄の人生論」を読んでいるが、お出かけしたり、飲んだり、二日酔いだったりして一向に進まない。
だが、この本は優れていると思う、小林秀雄は感覚的な評論で論理的でないという批判が僕の子供の頃からあったが、なぜそのようにみなされるのかについてはっきりと説明されたのは初めてのような気がする。
物事って分析して良い悪い好き嫌いを判断する前に、直観によって判断しているもので、それがあって初めて対象をよりよく知り分析することになるわけで、今までも気が付いていた事なのだが、小林秀雄の批評のやり方を基にしてはっきりと丁寧に繙いてくれている。

昨夜は二日酔いの影響がより強く午後から出て、夜になってもそれが続いたので、もちろん酒も呑まずに晩飯を喰った。
だが残念だったのは、小田原の鰹の刺身が出ていて、これがまことにもって見事なもので、瑞々しい赤い色をしていて、角が立つようなぷりっぷりの身でね、ぬる燗の酒で食べたらどんなにか美味かったろう。
それでも炊き立ての飯で、それなりに美味しくいただいた。
最近妻が良くやるピーマンと桜エビのサラダがあった。
これ何処が美味いのか分からない。
そしてなんと、ヒレカツと茄子のフライを大量に揚げていた。
まあ、飯のおかずには悪くないから、それぞれ一つずついただいたが、美味かったね。

夜はバッハの無伴奏チェロ組曲をパブロ・カサルスで聴いたが、これってCello Suites 1~6って言うんだね。
音楽の知識が皆無だからまごまごしちゃったが、一回聴いただけでは退屈な曲だなあと思っただけだった。
百田尚樹に拠れば、素人からクラシックを遠ざけているのは、同じ楽曲を繰り返し聴くに堪えないからで、もし10回聴いて耳馴染むとその良さがはっきりと分かるようになり、離れられなくなるらしい。
彼がクラシックを聴くようになったのも、60分テープに曲を納めようとして、最後の何秒かが入りきらず、何度も録音し直している内に、その曲が耳に馴染んで良くなってきたからとのことだ。
パブロ・カサルスの無伴奏チェロ組曲は名盤中の名盤らしいから、繰り返し聴くに値すると思うが、小林秀雄の理論からすると、対象にいくらいいものがあっても、こちらにそれを感知する伝統とか歴史が無かったら直観が働かないわけで、そういった西洋の思想だとか文化を進んだものだといって取り入れても、血肉にならないで自己分裂を起し悲惨な結果になる。

口直しにブランデンブルク協奏曲を聴いたら気分が良くなったから、西洋音階が全て駄目だって訳じゃ無く、といってもバッハなら何でもいいってわけじゃないわけで、この曲の何かがこちらの琴線に響くんだろうね。
音痴は生まれつきなので直らないが、それでもCityPopやJazzで僕を唸らせたりうっとりさせる楽曲や演奏をする人がいるわけだから、クラシックの作曲家や演奏家にもそういった才能を持つ人がいるわけで、それが世間の名声を得た人かどうかは分からないのは、そういった人は耳がいい人が判断した結果で、僕とは感受する部分が異なるわけだから、世間の評価を気にせずに、音痴の僕を唸らせる音楽家を探し出せばいいんだよ。
まあ、取りあえずClassic熱が続くと思われる向こう数か月間、色々な作曲家の楽曲を色々な奏者で聴いてみる事だね。

昨夜は疲れていたので早く寝て仕舞ったら、2時前に目が覚めて、折角だからYouTubeでここのところの政治問題について幾つか番組を視聴して、その内眠ったようで6時過ぎに再び目が覚めた。
昨夜は20枚以上あったヒレカツが7枚残っていたので、4枚を使ってヒレカツをカツ丼にして朝飯にした。
豆腐と若芽の味噌汁、壬生菜の塩に漬けたのを3日目で食べてみたが、先日のような風味が無かった。
もっと日数をかけて乳酸発酵を完了させる必要があるんだね。

今朝もブランデンブルク協奏曲を聴いているが、とにかく5番が好きで、そこから始めて6番に行き1番に戻って全曲を聴くから真っ当なクラシック鑑賞じゃないんだろうけど、バッハは当時の流行作家だから、楽曲は流行歌なので、好きなところから聴いて嫌いなところは飛ばすのがミーハーというものだ。

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