キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

懐メロ

2017年08月06日 | Weblog
朝の散歩は下の息子と東へ向かって10時過ぎに出発した。
久し振りに日差しが強く散歩には快適でない天気で、やはり体力を消耗する。
ヤオマサに魚を求めたがいい魚は無かった。
昨日吾妻山の上から相模湾を眺め、台風の影響でうねりが入っていたが、それが影響したのか不漁であったようだ。
母の昼食に東華軒の鯛飯弁当、麩菓子、美濃屋の柿の種、バタピーを買う。

杉山で絹ごし豆腐1丁と厚揚げ1ヶを買う。
今日も茄子とピーマンをもらう。

帰り道に農家でミニトマトと茗荷、2軒目の農家でフルーツトマトを買う。

家に帰りトマトを井戸水に入れて冷やし、昨日買った西瓜を切って食べる。
西瓜の専門農家のものではないが美味い、これなら小玉とはいえ450円は安かった。
蜂蜜ヨーグルトドリンクを蜜柑蜂蜜で作って飲むが、この蜂蜜がもう買えないらしい。
下曽我の養蜂家のものだが、年々生産量が減っているとのことだ。
フィレンツェの路上市場で買った有機蜂蜜もこくがあって美味いが、わざわざ買いに行くわけにもいかない、近所で他の養蜂家を探しておかないといね。
近所にない場合は天竜川上流で蕎麦屋をやっているトンネルオジサンの山六さんが変わった蜂蜜を扱っているので心配ないのだが。

トマトを摘まみながら、昼飯はまだかと皿を叩いていたら、家内がようやく庭の草取りから上がって来て、素麺を茹で薬味の生姜、大葉と茗荷を準備し出したので、私もピーマンとラム肉をグリルに入れて焼いた。

今日はプレシネがないので昼寝をすることにした。
汗を流して、2階で扇風機をかけてベッドで横になったが、暑くて1時間で目が覚めてしまったのでクーラーに変えた。
4時頃に目が覚めて、高井有一「立原正秋」を読み読了した。
立原はカネのために働くことを嫌った人で、日本が小金持ちになったことを憎んだ人でもあるが、有閑マダムが読者となっていた皮肉に気が付いていたのだろうか。


風呂に入ってさっぱりとして、母の部屋で涼んでいたら、春風亭小朝と磯田道史の対談をやっていたので最後まで観る。
磯田さんは「武士の家計簿」以来大人気だが、どんなかたか詳しく知らなかった。
テレビで拝見して面白い人だなあと思って観ているが、著書を読んだことはない。
岡山県出身で慶應義塾卒で手相見が趣味とのこと、好奇心と探求心が旺盛で疑問があるととにかく納得が行くまで調べるそうだ。
高校生の頃、崩し字の読解に凝ったらしいが、歴史に必要な古文書の読み込みに役立ったのだろう。

家内が餃子を50個ほど電気プレートで焼いたので下の息子と3人でオールフリーを飲みながら貪り食べた。
上の息子は自分でフライパンで20個ほど焼いて食べ出したが、試しに1つ食べてみたら焼き目がクリスピーで美味かった。
父は「男子厨房に入らず」であったが、次の代からは好みがある場合は、各々自分で作ることになっていて、家族の纏まりはなくなったが、料理は進化したかもしれない。

母の部屋で「懐メロ」を観る。
毎夏NHKでやっているが、40年ほど前は父母が若かった頃の歌をやっていて、父は酒を呑んでほろ酔い気分で歌を口ずさんでいた。
今では当時の歌手の皆さんも聴いていた皆さんも亡くなられしまった。
今年は昭和40年50年代の歌を中心にやっていたが、これは私が若い頃に流行っていた歌で、「懐メロ」とは冗談じゃないぜと思ったが、当時は父も同じように思って聴いていたのだろうか。
氷川きよしが司会をやっていたが40歳だと聞いて驚いた。
演歌にヒット曲が生まれないが久し振りに出た若い人だと思っていたら、もう40歳とはねえ、演歌は好きではないが、一度隆盛を極めたジャンルが衰退して行くのを見るのは寂しいものだ。

あみんが久し振りに「待つわ」を歌ったが、1982年のヒットだというが、当時聴いた記憶がない。
この年ハワイから日本へ帰ってきているが、すでに歌を聴かなくなっていたようだ。
10代から20代半ばまでが、歌が身に染みて入ってくる年代のようである。
コメント
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