著者の新井恵美子は「平凡」(現マガジンハウス)を創刊した岩堀喜之助の長女。
神奈川県立小田原城内高等学校を卒業している。
岩堀喜之助は小田原中学から明治に行っているので、まさしく私の小田原高校の先輩にあたる。
疎開で父の実家である前川村に小学校入学の時にやって来た。
東海道線の二宮駅と国府津駅の間にあるところで、今は小田原市前川になっているが、二宮の隣村であった。
前川のことも小田原のこともよく知っている場所と人と事柄が出てくるので面白く読んだ。
家の裏の蘇峰堂道記念館のことも出てきたが、おさめられている手紙や文書に興味深い物が実に多くあるのが分かり、灯台下暗しというのはこの事だなあとなんだかがっかりした。
小田原のお城の南西に小田原文学館があり、二度ほど行っているが、そこの通りを西海子(さいかち)通りと云い、谷崎潤一郎、斎藤緑雨、岸田国士、小杉天外、三好達治、坂口安吾などが住んでいたらしい。
知りませんでしたね。
しかしこの辺りは、もっと前は武家屋敷があったところで、小田原藩士だった我が家の祖先もこのあたりに住んでいたと思う。
その後、平塚の在で寺子屋をやり、昭和になって二宮秦野間で軽便鉄道を経営したので、現在のところにいるが、一度正確な住所を調べてみよう。
前川の北に当たる山の上に沼代という所があり、戦争中そこに飛行機が墜落したと母に聞いていたが、その話も出てきた。
著者が墜落機を見たという片木さんからその様子を聴いている。
多数のグラマンに攻撃されて煙を出している友軍機が敵をかわそうとしたが、別のグラマンの編隊に攻撃され、パイロットはハッチを開けて立ち上がってバンザイをしながら蜜柑山に突っ込んだ。
陸軍が遺体を引き取って行ったが、頭と両手が無かった。
後で頭と腕を見つけて埋葬しプロペラを建てたが、昭和28年墓石を建てたとのことだ。
飛行機は「疾風」陸軍の新鋭機であった。
中島飛行機のことを調べたことがあり、この機は戦時中の最優秀機であった、しかし多勢に無勢、悔しいですね。
パイロットは鹿児島出身の上原重雄中佐26歳、前日可愛がっていた部下が未帰還となり、制止を振り切って単機仇討ちのため迎撃に出たとのこと。
遺族や親友は片木家を探し当て墓参しているのがせめてもの慰めだ。
この片木さんの娘は私の小田原高校時代の同級生、御父上のお顔も存じあげているが、こんなことがあったとは知らなかった。
母に話したら、片木さんはすでに亡くなっているとのこと、もう直接お話しを聞く機会が無いのが残念だ。
神奈川県立小田原城内高等学校を卒業している。
岩堀喜之助は小田原中学から明治に行っているので、まさしく私の小田原高校の先輩にあたる。
疎開で父の実家である前川村に小学校入学の時にやって来た。
東海道線の二宮駅と国府津駅の間にあるところで、今は小田原市前川になっているが、二宮の隣村であった。
前川のことも小田原のこともよく知っている場所と人と事柄が出てくるので面白く読んだ。
家の裏の蘇峰堂道記念館のことも出てきたが、おさめられている手紙や文書に興味深い物が実に多くあるのが分かり、灯台下暗しというのはこの事だなあとなんだかがっかりした。
小田原のお城の南西に小田原文学館があり、二度ほど行っているが、そこの通りを西海子(さいかち)通りと云い、谷崎潤一郎、斎藤緑雨、岸田国士、小杉天外、三好達治、坂口安吾などが住んでいたらしい。
知りませんでしたね。
しかしこの辺りは、もっと前は武家屋敷があったところで、小田原藩士だった我が家の祖先もこのあたりに住んでいたと思う。
その後、平塚の在で寺子屋をやり、昭和になって二宮秦野間で軽便鉄道を経営したので、現在のところにいるが、一度正確な住所を調べてみよう。
前川の北に当たる山の上に沼代という所があり、戦争中そこに飛行機が墜落したと母に聞いていたが、その話も出てきた。
著者が墜落機を見たという片木さんからその様子を聴いている。
多数のグラマンに攻撃されて煙を出している友軍機が敵をかわそうとしたが、別のグラマンの編隊に攻撃され、パイロットはハッチを開けて立ち上がってバンザイをしながら蜜柑山に突っ込んだ。
陸軍が遺体を引き取って行ったが、頭と両手が無かった。
後で頭と腕を見つけて埋葬しプロペラを建てたが、昭和28年墓石を建てたとのことだ。
飛行機は「疾風」陸軍の新鋭機であった。
中島飛行機のことを調べたことがあり、この機は戦時中の最優秀機であった、しかし多勢に無勢、悔しいですね。
パイロットは鹿児島出身の上原重雄中佐26歳、前日可愛がっていた部下が未帰還となり、制止を振り切って単機仇討ちのため迎撃に出たとのこと。
遺族や親友は片木家を探し当て墓参しているのがせめてもの慰めだ。
この片木さんの娘は私の小田原高校時代の同級生、御父上のお顔も存じあげているが、こんなことがあったとは知らなかった。
母に話したら、片木さんはすでに亡くなっているとのこと、もう直接お話しを聞く機会が無いのが残念だ。