ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

産科医逮捕に困惑

2006年03月08日 | 報道記事

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総出血量20リットルの修羅場で、必死の思いで、孤軍奮闘していた担当医師には、一瞬たりとも手を離して説明に行く余裕などあろう筈がありませんから、手術中に御家族のもとに説明に行けなかったのは、状況から仕方がなかったと思います。

しかし、ご家族にとっては、何の説明もなく何時間も待たされた挙句に、手術中に患者さんが亡くなられたとあとから知らされた場合は、納得できないお気持ちになるのも当然だったと思います。

患者側の立場からすれば、いくら担当医師があとから詳しく説明したとしても、こういう結果になってしまったことに対する怒りの気持ちの持って行き場がどうしても担当医師に向ってしまい、何か隠しているのではないか?何か重大な医療ミスがあったのではないか?という気持ちにもなってしまうのも、最初は仕方がないことと思われます。

必死の救命の努力にもかかわらず、残念な結果になってしまったことに対して、心より哀悼の意を表したいと思います。その思いは、担当医師が一番強く感じていることです。

今回の事例で、そもそも一番の問題だったと私が思うのは、県や病院の幹部達の初期の対応として、医療供給システムの問題(輸血供給体制の不備、マンパワー不足)を、担当医師の犯した医療ミスという形ですべて個人の責任に押し付けてしまったことで、担当医師に減俸などの処分を科して、それで事を何とか収めようとしていた県や病院の幹部達の姿勢にこそ、非常に大きな問題があったのではないか?と私は推察します(私見)。

それが、今回の担当医師逮捕の直接の原因にもなってしまったのではないか?と私は推察します(私見)。

このような暴挙を許してそれが前例となってしまえば、今後、普通に診療をしている全国の臨床医達が診療の結果次第で続々と逮捕されることにもなりかねず、特に産科業務はこの国では全く成り立たなくなってしまいます。(妊娠したら外国に行って産んでくださいということにもなりかねません!)ですから、我々はこれを黙って見過ごすわけにはいきません。全国の医師達が事件の推移を、重大な関心を持って、見守っています。

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朝日新聞 2006/03/08

 帝王切開手術のミスで、福島県の県立病院に勤める産婦人科医が業務上過失致死と医師法違反の疑いで逮捕された事件の波紋が広がっている。県警は「逮捕は病院関係者と遮断す るため」としているが、医療関係者らは「逮捕する必要があったのか」と疑問の声を上げ、産科医療の担い手不足に拍車がかかると心配する。国が明確な基準を示していない「異状死」の届け出義務違反に問われたことも医療現場を困惑させている。
 (斎藤智子、八木拓郎、田中美穂)

福島県立病院・帝王切開ミス死

■事故の概要
 県立大野病院で04年12月17日、帝王切開手術を受けた女性(当時29)が約4時間半後に手術室で死亡した。
 05年1月、外部の産婦人科医3人による医療事故調査委員会が発足。同年3月に公表された報告書は、死因を「癒着胎盤の剥離による出血性ショック」と認定し、事故の要因 として、 ①癒着胎盤の無理な剥離②対応する医師の不足③輸血対応の遅れ- を指摘した。

手術の経緯(県立大野病院医療事故調査委員会の報告書から)
04年11月23日 切迫早産などで入院
12月3日 超音波検査などで子宮後壁に付着した部分前置胎盤と診断
14日 女性と夫に輸血と子宮摘出の可能性を説明、女性は子宮温存を希望
17日 加藤医師に外科医、麻酔科専門医、看護師4人(のち5人)が手術を担当。輸血用の濃厚赤血球5単位(1単位は血液200ミリリットル中の赤血球に相当)を準備
14時26分 手術開始
37分 胎児を取り出す。手で胎盤をはがし始めるが子宮下部は剥離が困難なためクーパー(手術用ハサミ)を使用
50分 胎盤をはがす。総出血量約5千ミリリットル。濃厚赤血球5単位輸血
15時15分 いわき市の血液センターに濃厚赤血球10単位発注
15時35分 全身麻酔に移行
16時05分 濃厚赤血球10単位を追加発注
30分 1回目発注の濃厚赤血球が到着、輸血。
    総出血量1万2千ミリリットル
    子宮摘出手術開始
17時30分ごろ 2回目発注の濃厚赤血球が到着、輸血。
    その後、子宮摘出
18時00分ごろ 心室細動、蘇生開始
19時01分 死亡確認

 写真 (謝罪する福島県病院局の幹部)

聴取1年「なぜ今…」

 「1人でがんばっている医師の逮捕は非常な衝撃だ」。県立大野病院の産婦人科医、加藤克彦医師(38)が先月逮捕されて以来、県や県警には全国から抗議のメールや電話が 殺到している。
 事故調査委員会の報告書が公表されたのは05年3月。県は医療ミスを認めて遺族に謝罪し、加藤医師を減給1カ月の処分にした。その後も、遺族との和解に向けて交渉を続け てきた県は「なぜ今になって逮捕なのか」といぶかる。最初の聴取から約1年。加藤医師も「良心に恥じる行為は何らしていない」と弁護士に話している。
 報告書は、十分な輸血用血液の到着を待たずに癒着胎盤を無理にはがそうとしたとして「はがすのをやめ、子宮摘出に進むべきだった」と指摘した。癒着胎盤とは、通常なら出 産後に自然にはがれる胎盤が子宮にくっついてはがれない状態だ。
 死亡した女性は出産前に、胎児が出る子宮の出口を胎盤が覆う「前置胎盤」と診断されていた。
 癒着胎盤を出産前に確実に診断することは難しい。ただ、前置胎盤の場合、癒着胎盤の可能性が高くなる。
 加藤医師は癒着していた場合に備え、子宮摘出の可能性を事前に女性や家族に説明していた。報告書は、女性が20代で子宮温存の希望があったため、「摘出の判断の遅れが生じた」とみる。
  一方、遺族は県や病院側の謝罪を受け入れていない。夫の親族は、「病室の外で待っていたが、何も教えてくれなかった」。
 県警は、①大量出血の危険があるのに高度な医療が可能な病院に転送するなどしなかった②癒着胎盤を手術用ハサミで無理にはがした -などを業務上過失致死容疑の根拠に挙げた。ある捜査幹部は、逮捕まで踏み込んだことについて「加藤医師を関係者から離し、話を聴く必要があった」とだけ説明する。
  逮捕後、東京と地元の弁護士8人の弁護団が結成された。弁護士の一人は「刑事罰を科さねばならない過失があるのか。事実関係を徹底究明したい』としている。

「異状死」の基準不在

 加藤医師は、24時間以内に女性の死亡を所轄の警察署に届け出なかったとして医師法違反にも問われている。
 「手術で大量出血したが、異常なもの、医療過誤があったとは考えなかった」。 大野病院の作山洋三院長は、2月20日の県立病院長らによる緊急会議で、警察に届けなかった理由をこう説明した。日本外科学会や国立病院の指針を参考に作られた同病院のマニュ アルでは「医療過誤または過誤が疑われるケースに院長が警察署に届け出る」(事務長)と定めているからだ。
 だが、この規定は「あらゆる診療行為中、または比較的直後における予期しない死亡」が異状死に含まれるとした日本法医学会の指針とは食い違っている。
 99年に都立広尾病院で起きた薬剤取り違え事故では、24時間以内に届け出なかったとして当時の院長が医師法違反に問われ、04年に最高裁で有罪が確定した。
 しかし、異状死の定義を具体的に定めた国の基準は存在せず、解釈はそれぞれの医師に委ねられている。
 3日、東京都医師会と都病院協会の代表が厚労省で会見し、「医師法21条の解釈を含めた法律の整備を早急にしなければ、医師の不安は増大し、結果として萎縮診療になり患者 さんの不利益にもなる」という声明を出した。

「訴訟リスク」医師離れ拍車

 厚生労働省の人口動態調査によると、妊産婦の死者数は、95年に85人だったが04年は49人で、減少傾向にある。ただ、出産の時の原因不明の出血などもあり、死者はなかな かゼロにはならない。
 ある産婦人科医は「お産は無事が当たり前のように思われているが、常に危険は伴う」と話す。
 医師側からみると産科は医療訴訟を起こされるリスクの高い診療科と言える。厚労省研究班が04年に約2500人の産婦人科医を対象に意識調査をしたところ、4人に1人が「産科をやめたい」と答えた。主な理由は「診療業務の負担が大きい」と「医 療事故・医療訴訟が多い」だった。
 厚労省の調査では、産婦人科医と産科医の合計数はこの10年、下降線をたどっている。日本産婦人科学会の関係者は「今回の逮捕で新人医師を含めますます産科離れが進むのではないか」と心配する。
 福島県では、県立病院9院のうち4病院に産婦人科があるが、いずれも医師1人の体制だ。加藤医師も事故当時、1人で年に約200件のお産を扱っていた。
 加藤医師の逮捕後、4院に産婦人科を派遣している県立医大は、大野病院を含む3病院への医師派遣を取りやめ、1院について2人体制に増員する方針を決めた。
 県病院局は「産婦人科医を広く薄く配置するという方針のツケが、今回の事件とすれば、考えを改めざるを得ない」としている。


母体死亡となった根本的な原因は?(私見)

2006年03月08日 | 大野病院事件

はじめに、今回亡くなられた患者様とその御遺族の皆様に対し、心より哀悼の意を表したいと思います。

以下、私見 ***************

今回の福島県立大野病院で起こった母体死亡事例において、

1)癒着胎盤を分娩前に診断することは不可能であり、現代医学においてもいまだ解決されてない問題である。すなわち、癒着胎盤は、現時点では、最高の医療水準であっても分娩前には診断できない。従って、今回の事例において、分娩前に癒着胎盤を予見し得たという主張には何ら根拠がない。

2)妊娠36週、後壁付着の前置胎盤の診断による帝王切開の手術適応にも問題はなかった。同病院で帝王切開を実施したことは、適正な手術適応による通常の医療行為であり、違法行為ではなかった。

3)今回の手術にあたって、術前に子宮摘出および輸血などの可能性も説明されており、患者本人・家族への説明にも特に問題はなかったと考えられる。1000mlの輸血用血液を術前に準備し、麻酔科医の全身管理のもとに、外科医に助手を依頼して手術を実施しており、同病院の医療体制下で考えられる最大限の安全対策が取られていたと判断される。

4)帝王切開で児娩出後に胎盤用手剥離を行うことは通常の医療行為である。癒着胎盤で用手剥離中に大出血が始まった場合には、短時間の間に10リットルを超える大量の術中出血量となる場合も時にあり得る。術中大量出血となった場合の母体救命のためには、大量緊急輸血、十分なマンパワーが必要となる。『事故報告書』を見る限りにおいて、今回は、同病院の不十分な輸血供給体制、マンパワー不足の医療体制の下で、緊急救命処置は可能な限り実施されたと考えられる。

5)担当医は、この手術中の死亡事故について、病院長への報告・相談もしており、病院のマニュアルに従い、医療過誤ではないため届け出の必要がなかったと判断したと聞いている。

1)~5)より、担当医師は、与えられた医療環境下で、医師として果たすべき義務はすべて果たしていたと考えられる。過失は特になかったと考えられる。

今回の手術中の死亡は、医学的に合併症として合理的に説明できる死亡であり、臨床医の立場からは異状死とは断じて認められない。

ただし、この手術が、輸血供給体制・マンパワーが十分に整備された高次医療機関(総合周産期センターなど)で実施されていた場合は、術中死とはならなかった可能性が高いとも考えられる。従って、術中死となった根本的な原因は、同病院の不十分な輸血供給体制、マンパワー不足にあると考えられる。すなわち、医療供給体制の問題であり、担当医個人に帰する問題ではない。

警察が今回の担当医師逮捕の根拠にした『事故報告書』の記載内容にも、個人的には疑問を感じている。県が御遺族への補償金を出すに当たって、現行の法律上では担当医師の医療行為に『過誤』があったことにしないことには補償金を出せないという便宜上の理由から、担当医の『過誤』を認定するような『事故報告書』が作成されたという疑惑も拭いきれない。もしそうであったとするならば、『事故報告書』を作成した県や病院の責任者の初期対応にこそ大きな問題があったのではないか?と考えざるを得ない。今後、このようなことが2度と繰り返されないようにするためにも、『無過失補償制度』の産科医療への早期導入が望まれる。