ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

緊急課題としての産科医確保対策

2008年01月31日 | 飯田下伊那地域の産科問題

産科では全国的に医師不足問題が深刻化し、全国各地で産科施設が相次いで休廃止に追い込まれています。残った医療機関も限界ぎりぎりの状況にあり、このまま放置すれば、早晩、都会でも田舎でも大量のお産難民が発生するのは確実な情勢です。

この事態は国の存亡に関わる国難であることは間違いないですから、国策として、長期的な医師不足対策とともに、緊急避難的(超短期的)な危機回避策を迅速かつ強力に実施する必要があると考えます。

例えば、医療機関の集約化、病院・診療所の連携、勤務医師の負担軽減・待遇改善、訴訟リスクの軽減、助産師の活用など、完全に手遅れになってしまう前に有効な手を次々に打っていく必要があります。

****** Japan Medicine、2008年1月28日

産科医不足を“実体験”した時

長野県内で進む産科医不足

 産科医不足の問題を抱えている長野県の飯田市立病院を舛添要一厚生労働相が視察する2週間前、筆者も同じ病院を訪れていた。長野県出身の妻の里帰り出産を申し込むためだった。しかし病院職員から、来年度から里帰り出産を原則中止にすると告げられ、医師不足を実体験する羽目になった。県内の別の医療圏では、国立病院機構の1病院が今年8月以降、分娩を休止する可能性も出てきている。

 里帰り出産の中止にとどまらず、さらに悪化して地域住民が地元で出産できない事態を避けるためにも、産科医不足への早急な対策が求められている。

 妻の実家がある長野県南部の「飯伊医療圏」(15市町村・人口17万人)は、香川県とほぼ同じ面積に集落が点在している山間地だ。この広大な医療圏で分娩を扱っている医療機関は市立病院と2つの診療所だけ。一番遠い村からだと病院まで車で1時間以上かかり、現在でも地元住民は出産に不安を抱えている。

 ちょうど正月休みで埼玉県から妻の実家に帰省していた時のことだった。妻は5月に出産を控えている。市立病院に話を聞きに行くと、経営企画課の職員は申し訳なさそうに、里帰り出産中止に至る医療圏の医師不足事情を話してくれた。

 飯伊医療圏では2006年度、約1600件の出産を扱った。市立病院には常勤の産婦人科医が5人いるが、うち1人の後期研修医が4月から外科に移ることになった。4月以降は市立病院の産婦人科医4人と診療所の医師2人の計6人で医療圏の分娩を担っていく。

里帰り出産を原則断念

 このため飯田市は来年度から、医療圏の出産件数を年間計1300件程度に抑え、年間300件程度あった里帰り出産とほかの医療圏に住む住民の出産を、原則断らざるをえなくなった。市は産婦人科医師が増員できるまでの間の措置としているが、増員のめどは立っていない。

 市立病院は救命救急センターの指定も受けており、ほかの医療機関で扱えない切迫早産などリスクの高い分娩を24時間体制で対応する。4月から産婦人科医4人が毎月計80人の分娩を扱っていく。このうち、60人が正常分娩、残りの20人はリスクの高い分娩を想定している。限られた医師数で夜勤もあり、訴訟に発展しやすい分娩も扱う厳しい環境だ。

 産科医不足の背景は複合的な問題が重なりあっていると市立病院の職員は説明する。大学医学部の医師派遣機能の低下や、夜勤など病院勤務医の過重労働、医療紛争の増加。さらにこの地域は過疎山村のため診療所で後継ぎがいない。このため高齢化した産婦人科医は分娩を取りやめ妊婦検診のみを扱っている。そのしわ寄せが市立病院にくる。

 また自治体病院のため医師も公務員で給与が定められており、お金をはずむから病院に来てくれということは言えないという。

(中略)

負の連鎖防ぐ対策を

 市立病院の視察の後、舛添厚労相は医師不足対策をめぐり地元首長や医療関係者などと対話集会を開いた。産科医など深刻な医師不足の窮状を訴える声を受け、22日には産婦人科医の実態調査を行うと表明した。来年度予算案で国も本腰を入れて対策に乗り出すが、市立病院のように医療崩壊に一歩足を踏み入れている病院が全国各地に存在する。里帰り出産の中止ばかりか、地域住民でさえもが地元で出産できない最悪の事態へと、負の連鎖が広がるのを防ぐ対策が急がれる。【海老沢岳】

(Japan Medicine、2008年1月28日)


大野病院事件 第12回公判

2008年01月26日 | 大野病院事件

癒着胎盤で母体死亡となった事例

第1回公判 1/26 冒頭陳述
第2回公判 2/23 近隣の産婦人科医 前立ちの外科医
第3回公判 3/16 手術室にいた助産師 麻酔科医
第4回公判 4/27 手術室にいた看護師 病院長
第5回公判 5/25 病理鑑定医
第6回公判 7/20 田中憲一新潟大教授(産婦人科)
第7回公判 8/31 加藤医師に対する本人尋問
第8回公判 9/28 中山雅弘先生(胎盤病理の専門家)
第9回公判 10/26 岡村州博東北大教授(産婦人科)
第10回公判 11/30 池ノ上克宮崎大教授(産婦人科)
第11回公判 12/21 加藤医師に対する本人尋問

第12回公判 1/25 遺族の意見陳述

【今後の予定】 
3/21 検察側の論告求刑
5/16  弁護側の最終弁論
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第十二回公判について
【周産期医療の崩壊をくい止める会】

ロハス・メディカル ブログ
福島県立大野病院事件第12回公判(速報)

第12回大野事件公判!
【産科医療のこれから】

大野病院事件についての自ブロク内リンク集

医療崩壊を食い止めるために
飯野奈津子(NHK解説委員)

****** 医療維新、2008年1月28日

福島県立大野病院事件◆Vol.8

「警察関係者に感謝申し上げたい」

遺族が意見陳述、加藤医師の真相究明と責任追及求める

              橋本佳子(m3.com編集長)

――――――――――――――――――――

 「患者の命を預かる立場として責任を取ってください」(女性の夫)
 「なぜ事故が起こったのが、真相を究明してもらいたいです」(女性の父)
 「警察と検察にお礼を申し上げます」(女性の弟)
  
 1月25日に開かれた福島県立大野病院事件の第12回公判では、遺族の意見陳述が行われ、死亡した女性の夫、父親、弟はそれぞれこう述べた。被告である加藤克彦医師の責任追及、事故の真相究明を求めるとともに、警察や検察に対する感謝の意を表した。

 昨年1月から始まった計11回にわたる公判を経てもなお、医療側と遺族の溝が深いことが浮き彫りになるとともに、医療事故の過失の有無を刑事裁判で争うことの意味を改めて考えさせられる意見陳述だった。

異状死に関する意見書は証拠として採用されず

 この日の公判は午前11時に開廷、午前中は証拠調べが行われ、1時間10分の休憩をはさんで、午後2時すぎには終了した。25人分の一般傍聴券を求めて並んだのは64人。遺族の意見陳述が行われたわりには、注目度はさほど高くはなかった。

 午前中の証拠調べでは、検察側が請求していた加藤医師の捜査段階の供述調書について、その任意性を認め、証拠として採用した。

 一方、弁護側が証拠請求した周産期医療や胎盤病理の専門医計3人の鑑定意見書の採用も決定した。これら3人は法廷で証人尋問も受けている。ただし、異状死の届け出を定めた医師法第21条についての法学者の意見書は、証拠として採用されなかった。加藤医師は、業務上過失致死罪のほか、21条違反にも問われているが、21条については大野病院の院長と加藤医師本人に対する尋問だけで結審することになる。

「自分の行動、言動に責任を取ってください」

 午後に意見陳述したのは、前述のように、帝王切開手術で死亡した女性の夫、父親、弟の3人だ。3人とも、肉親を失った悲しさをそれぞれの言葉で表現しながら、メモを手に10分弱ずつ意見を述べた。

 夫の意見は、加藤医師個人の責任追及が主眼だといえよう。そのポイントを要約すると以下のようになる。

 「術前の説明では、『前置胎盤であり、出血も予想され、子宮摘出の可能性もあるが、輸血は1000mL用意しています。また何かあれば応援を頼みます』などと万全の体制で臨むと聞き、そこまでしてもらえるのか、すべてを医師に託したい、と思いました」
「手術当日は、子供は無事生まれましたが、妻はなかなか戻ってきませんでした。病院に聞いてもはっきりとは言わず、曖昧な返事でした。ようやく医師が現れると、いきなり『亡くなりました』と言われました。その後、手術の説明を聞きましたが、とても納得できる内容ではありませんでした」
「今回の件で一番お話したいのが、責任についてです。私は二児の父親として、責任を持って育てています。手術を受けるに当たって、自分ではどうしようもありませんので、すべてを信頼している医師に託しているのですから、命を預かる立場として責任転嫁はしないでください。何かが欠けているのか、ミスをしたのかなどを考えてください。弁護士は医師に何も問題がないと言います。緊急時の対応や手術にミスがないのなら、なぜ妻は死んだのでしょうか」
「事故後は、悲しい、寂しい、つらい日々です。妻の笑顔がなくなり、これからこの状況で暮らしていくと考えると暗い気持ちです」
「自分の行動、言動に責任を取ってください。言い訳しても一人の人生が変えるわけではありません。一人前の大人として、しっかり責任を取ってください」
「一般社会の中で、医療は聖域でした。素人の関与は許されないと思っていました。それが今回の事件は、社会の出来事になりました。真に開かれた医療を求めていきたいと思います」

「娘は、大野病院でなければ、亡くならなかった」

 父親は、加藤医師への不信感を表すとともに、「真相究明」を求める言葉を何度も繰り返した。

 「まさか命を落とす状況だとは思っていませんでしたが、加藤医師が18時45分ごろ来て、突然、『亡くなりましたが、今、蘇生をしています』と言いました。その後、説明を聞きましたが、坦々を話すので、すべて疑問に思いました。記録を見ると、そこには娘が生きたくて必死にがんばった姿が残されていました。くやしいと思い、また何かおかしいと疑問を持ちました。事故の真相を究明してほしいと思い、カルテなどのコピーをもらうなどの行動を取りました。病院を後にするとき、解剖の申し出がありましたが、即座に断りました」
「事故後の12月26日に加藤医師から聞いた話と、法廷での説明がなぜ違うのか、不思議な気持ちでいっぱいです。示談の話もありましたが、なぜ事故が起きたのか納得できず、お断りしました」
「娘は大野病院でなければ、亡くならなかったと思います。なぜ事故が起きたのか、事故を防ぐことはできなかったのでしょうか。(真相究明に当たる)警察の関係者には感謝しています」
「癒着胎盤は、産婦人科医にとっては一生に一度遭遇するか否かの極めて稀な症例、1万人の妊婦に1人という稀なものであり、大量出血はまれなどと言われ、娘はダメだったと言われても、それは人格侵害、誹謗中傷であり、遺族はますます逆境に追い込まれます」
「事前に、インフォームドコンセントやセカンドオピニオンを取るよう、なぜ勧めてくれなかったのでしょうか。なぜ真実の説明と対応をしてくれなかったのでしょうか」
「術前には院内外のアドバイスがあり、手術中には幾度も他の方が(他の医師に応援を頼むかなどの)警鐘を鳴らしたのに、それを無視した加藤医師の行為は許せません」
「医療機関の管理体制を強化し、二度と悲しい事故は起こさないようにしてください。再発防止と安全管理にまい進してください」

 さらに、弟は次のように不信感を示した。
「手術中、長時間待っていましたが、病室に待機していた家族に一報をし、院内が緊急体制になっていれば、納得できました。本当に最善を尽くしたのでしょうか、と不信感を持つのは当然のことだと思います」
「(事実が解明できなかったときに)光を差し伸べてくれた警察、検察にお礼を申し上げます。このようなミスは二度と起きないでほしいと思います。この無念な思いは、天国にいる姉の思いを代弁したものです」

事件の発端は説明不足、晴れぬ遺族の思い

 大野病院事件が医療界に与えた影響は大きく、萎縮医療などを招き、臨床の現場に混乱をもたらした。その一方、医師法第21条が問題視され、死因を究明するための組織、“医療事故調”設置の議論につながった。

 一つの事件を契機に世論が動き、制度の見直しに発展する――。医療界に限らず、社会問題がこうして改革されるケースは多いが、大野病院事件はその典型といえよう。

 しかし、大野病院事件の当事者にとって、この裁判はどんな意味があり、どう受け止めているのだろうか。遺族はこれまでの公判を傍聴した上で、この日の意見陳述に臨んだ。公判で周産期医療や胎盤病理の専門家たちの話を聞いても、弁護側と検察側のやり取りを目の当たりにしても、「なぜ死亡したのか」、その疑念は晴れなかったのである。どんな判決が出るか分からないが、加藤医師が有罪か無罪か、いずれであっても真相究明がされたと受け止めるのだろうか。今回の事件において、術中および術後の説明・対応が十分でなかったことは否めないだろう。それによって生じた病院への不信感が根底にある以上、遺族の思いは、刑事裁判によっても晴れないこともあり得る。

 なお、論告求刑と最終弁論は、当初予定より1週間遅れ、それぞれ3月21日、5月16日に行われる。

(医療維新、2008年1月28日)

****** OhmyNews、2008年1月26日
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080125/20149

「病院には真相明らかにしてもらえなかった」

福島県立大野病院事件で遺族が意見陳述

【軸丸靖子】

「『天国から地獄』という言葉が、そのまま当てはまる状況だった」――。

 福島県立大野病院産婦人科で2004年12月に帝王切開手術を受けた女性が死亡し、執刀した加藤克彦医師が業務上過失致死と医師法21条違反に問われている事件の第12回公判が1月25日、福島地裁で開かれた。

 公判が始まって丸1年。残った証拠調べを終えて結審となったこの日、初公判から傍聴を続けていた女性の遺族3人が意見陳述に立ち、無念と、加藤医師に責任を求める決意を改めて述べた。

「ミスなかったなら、なぜ妻は死んだのか」

 最初に陳述に立った女性の夫は、手術前に加藤医師から説明を受けたときのことを振り返り、「輸血を用意し、万が一に備えて応援医師も依頼してあるという加藤医師の言葉に、『そこまでしてもらえるのか』と安心して、すべてを託した」「『天国と地獄』という言葉があるが、それがそのまま、当てはまる状況だった」と語った。

 帝王切開手術当日。予定通り、女性が手術室に入って、まもなく赤ちゃんが生まれた。

 「ところがいつまで経っても妻が戻ってこない。看護師に聞いてもはっきりしない。そのうちに奥の部屋に呼ばれて、先生が突然、『申し訳ありません。亡くなりました。いま蘇生しています』と頭を下げた。手術の説明を受けたが、とても納得のいくものではなかった」

 夫が繰り返しのは「責任」という言葉だ。柔らかい語り口ながら、激しい言葉使いで医師を非難した。

 「(結果が悪かった)責任を(患者の身体状況に)転嫁しないでほしい。何が欠けていたのか、なにがミスだったのかを厳粛に受け止めてほしい」

 「弁護側は、医師の処置には問題はなかったというが、問題がないならなぜ妻は亡くなったのか。人間の体はさまざまというが、それに対応するのが医師の仕事だ。分娩室に入るまで健康だった妻はどうして亡くなったのか。病院は不測の事態のための設備を整えているはず。ということは、ミスが起きたのは医師の責任だ」

 「私は、子どもと妻のために、医師の責任を追及する。責任を取ってほしい。取ってもらいます」

警察・検察に感謝する

 続けて陳述に立った女性の父親は、事故後の医師と病院の対応に不信感がつのった、と話した。

 「状況を淡々と説明する加藤医師の姿に疑問を持った。医療記録には、生きたくて必死に頑張った娘(女性)の姿が残っていた。悔しい、何かがおかしいと思って、カルテのコピーをもらった。遺体の解剖は拒否し、悔しさを胸に、病院をあとにした」

 「事故から半年後に病院から示談の話が来たが、時期尚早と話し、交渉は立ち消えた。病院の壁は厚く、なぜ事故が起きたのか、真相が明かされないまま、ただ時間が過ぎていった」

 警察・検察が捜査に動いたことは、遺族にとって朗報だったという。しかし公判で弁護側は、癒着胎盤の発生率は1万分の1程度できわめてまれである、予見は難しい、女性の胎盤が通常より大きく、異常も認められる、とする証言を重ね、医療過誤を否定した。

 これに対し、女性の父親は、「『だから助からなかった』といわれるのは、娘の人権を否定し、誹謗中傷するもの」と断罪。

 「医師不足問題と今回の問題も別問題だ。患者に安心と安全を与える医療を実現してほしい」と結んだ。

 女性の弟もまた、手術中に家族への説明がなかったことを批判し、「その状況に光を差し伸べてくれたのは警察・検察。亡き姉に代わって感謝したい」と話した。

 公判で審理されなかった医師法21条(異状死の届け出)違反については、書面審理となる。次回は3月21日で、検察が論告求刑を行う。弁護側の最終弁論は5月16日。判決はその2、3か月後になる見込み。

  ◇

医師と患者のあいだに横たわる、絶望的な不信感

 丸1年にわたった大野病院事件の裁判が、福島地裁で結審した。

 争われたのは癒着胎盤の予見可能性、胎盤はく離にクーパーを使用した妥当性、胎盤剥離の中止と子宮摘出への移行などという、いずれも高度な医療上の判断の是非。それに、医学の素人である裁判所、弁護士、検察が取り組んでいる。

 有罪となれば、被告である執刀医は「犯罪者」だ。もともと産科は医師が患者から訴えられるリスクが高い診療科だが、大半は民事。それが刑事事件に発展したために「結果が悪ければ罰せられるのか」と全国の医師が猛反発した。おりからの医師不足、医療崩壊に拍車をかける事件として、政界、行政からも裁判の行方が注視されている。

 公判では毎回、精力的な応酬が繰り広げられた。私も初回から取材を続けた。しかし結審まで見て、残されたのは、医師と患者のあいだにある不信の溝の深さへの、単純な絶望感だ。

 産科で「訴訟リスク」が高い最大の理由は、出産という人生最良の瞬間を心待ちにする夫婦が、事故で一瞬にして絶望の淵に突き落されてしまうためだ。

 妊婦は健康な状態で入院する。この点が、病気やけがで入院する人と決定的に違う。その状況で、分娩中に何かが起こると、生まれた子どもに脳性まひなどの障害が残ったり、母体に危険が及んだりする。これが産科医に対する訴訟の多さにつながる(産科無過失補償制度が実施に向けて進んでいるのはそのためだ)。

 今回の大野病院事件でも、女性の遺族は、「天国から地獄」という表現で、こうしたずっと以前から言われている問題を指摘した。

 「病院は真相を明らかにしてくれなかった」「納得のいく説明がなかった」という指摘もまた、小説『白い巨塔』の時代から言われている医療界の問題だ。

 もう何年も前から、医療機関には医療安全対策を講じることが求められている。そのマニュアルには、何か起きたらリスクマネジャー(事故防止や事故対応の担当者、医師や婦長クラスの看護師が多い)がすぐに患者・家族に知らせ、病院長以下が直接、迅速に対応するよう、書かれている。遺族への説明には、リスクマネジャーや病院長らが同席し、担当医1人に任せない。こうした気配りが、医師―患者間の信頼関係を維持し、医療事故を“紛争”に発展させないための最善の策だからだ。

 弁護団代表の平岩敬一弁護士は、「本当は、遺族へのケア――『これはこういうことなんですよ』と説明してくれることが、必要なんだと思う」ともらす。

 それは、司直が手出しする話ではなく、医療界が率先して担うべきことではないだろうか。

 大野病院事件の遺族の意見陳述には、ここまでこじれずに済んだのでは、と思われる部分が多々ある。無論、患者側にも問題はあるだろう。医療に何かを求めるなら、もっと医療を理解しなければならない。そもそも日本の医療は多くを求められるレベルにない。そのことが、一般に知られなさすぎることも事実だ。

 医師と患者が、互いに理解を怠ってきた長年のツケが、この事件に回っているのではないか。加藤医師、女性の遺族とも、その被害者なのではないかと、思われてならない。

OhmyNews、2008年1月26日


産科医不足対策

2008年01月23日 | 飯田下伊那地域の産科問題

産科医不足が進行し、全国各地の基幹病院でも、相次いで産科部門の休廃止に追い込まれています。

個々の病院や自治体のレベルの自助努力には大きな限界があり、このままではこの先、各医療圏の産科医療体制がどこまで持ちこたえられるのか、全くわかりません。

いったん病院の産科部門が休廃止という事態になれば、産婦人科医や助産師達は散り散りにいなくなってしまいます。そうなってから、また一から人を集めなおし、産科診療再開にまでもっていくのは並大抵のことではないと思います。

現在の産科医療の危機的状況を打開してゆくためには、根本的には、国レベルの有効な施策による後押しが絶対に必要だと思われます。

****** 南信州新聞、2008年1月22日

舛添厚労大臣と意見交換

 舛添要一厚生労働大臣は19日、飯田市追手町の飯田合同庁舎で開かれた国民対話で医師確保について意見交換した。同大臣は「目先の問題も長期的なことも車の両輪でやる。問題は山ほどあるが、世界一長生きできる国を守っていきたい」と語った。

 はじめに、長野県を訪れた理由を「予防医療が優れていて高齢者医療のコストが非常に低い。モデルケースになる」と説明。東京大学の講師時代には同市千代で下宿をしたこともあるといい、「飯田の千代は第二のふるさと」と紹介した。

 国民対話では、厚労省の取り組みについて述べた後、参加者の意見質問に答えた。

 参加者は「無過失保障制度を国として考えてほしい」、「公立病院への(産婦人科に対する)補助金をなくさないで」と要望。舛添大臣は「無過失保障制度は病院や医者に掛け金を払ってもらいどんどん拡大したい」と答えた。

(中略)

 産科医の男性は、基幹病院が次々と閉鎖している現状を挙げ、「今までは大学が(医師を)うまく管理していたが、ここ数年できなくなり全国の産科がなくなっている」と指摘。「厚労省の対策は10年後に結果が出るものばかり。私たちはこの4月をどう乗り越えるかを考えている」と訴えた。

 舛添大臣は厚労省の対策を改めて示した上で「目の前をどうするかは非常に深刻。しかし国が命令して北海道から飯田へ来させるような強制力はない。公立病院だけでなく、開業医の皆さんとの連携が必要」とした。

(中略)

 終了後には記者会見が開かれ、舛添大臣は「次の閣議で総理とも相談し、政府全体として緊急事態の認識で(医師確保の)施策を考えたい」と語った。

(南信州新聞、2008年1月22日)


漢方医学について

2008年01月22日 | 東洋医学

中国大陸で生まれて発達した中国伝統医学には非常に長い歴史があります。後漢時代に張仲景という人が当時の薬草を中心とした治療体系を「傷寒雑病論」(しょうかんざつびょうろん)としてまとめたとされています(その原本は伝わってません)。「傷寒雑病論」は、後に、急性熱性疾患を中心とした「傷寒論」(しょうかんろん)と、慢性疾患(雑病)について書かれた「金匱要略」(きんきようりゃく)に分かれ、現在に至っています。

中国医学は5-6世紀ごろ日本に伝わり、本場・中国での発達の影響を受けながら、日本国内でも独自の発達をしてきました。江戸時代中期以降の日本漢方界は、「傷寒論」を最大に評価して、そこに医学の理想を求めようとする流派(古方派)によって大勢が占められるようになりました。現在の日本漢方界でも、「古方派」の影響を受け継いでいる医師が多いようですが、その他にも、「後世派」、「折衷派」、「一貫堂医学」など、いろいろな流派が存在しています。

また、現在の中国医学は「中医学」と言われてますが、中医学と日本漢方とでは、それぞれ別の発展をしてきましたので、今では、用語、処方する薬剤、病気への対応方法など多くの点で異なっています。日本で中医学を実践している医師もいます。

産婦人科では、更年期の不定愁訴などに対して漢方薬が処方される場合が比較的多いです。私も、以前は、更年期障害の患者さんには片っ端からホルモン補充療法を実施してましたが、最近では、乳癌のリスクを考慮して、以前ほどにはホルモン補充療法が実施しにくくなりました。そこで、苦し紛れに、更年期障害で薬を希望する患者さんに、「加味逍遥散」(かみしょうようさん)などの漢方薬を処方してみますと、中には、「この薬でたいへん楽になりました」と言って喜ばれる場合も少なくありません。人によっては、「当帰芍薬散」(とうきしゃくやくっさん)、「桂枝茯苓丸」(けいしぶくりょうがん)、「柴胡加竜骨牡蛎湯」(さいこかりゅうこつぼれいとう)、「女神散」(にょしんさん)などが有効の場合もあります。

妊娠中の感冒に対しては通常の解熱剤や感冒薬は少し使いにくい面もあるので、患者さんの症状に応じて、「桂枝湯」(けいしとう)、「麦門冬湯」(ばくもんどうとう)、「苓甘姜味辛夏仁湯」(りょうかんきょうみしんげにんとう)などの漢方薬を処方する機会も比較的多いです。

妊娠中は麻黄(まおう)の入っている「葛根湯」(かっこんとう)や「小青竜湯」(しょうせいりゅうとう)は避けて、かわりに「桂枝湯」(葛根湯の麻黄ぬきバージョン)や「苓甘姜味辛夏仁湯」(小青竜湯の麻黄ぬきバージョン)にすべきとの記載が日本産婦人科医会の研修ノート(産婦人科と代替医療)にありました。

手術後の腸管癒着に対して「大建中湯」(だいけんちゅうとう)が有効で、外科医もよく処方してます。

癌の治療では、ガイドラインに従って標準治療で対応するのが基本ですが、癌が再発して標準的な化学療法が無効となってしまった患者さんなどに対して、患者さんの希望に応じて、例えば、「十全大補湯」(じゅうぜんたいほとう)、「補中益気湯」(ほちゅうえっきとう)、「人参養栄湯」(にんじんようえいとう)などの漢方薬を処方して、しばらくの間、自宅で元気に過ごしていただいたような経験も比較的多いです。代替療法の多くは、過去の治療実績が少なく、費用も自費となってしまいます。漢方治療の場合は、過去に二千年以上の治療実績があって、多くは保険診療で対応できるというメリットがあります。

西洋医学と東洋医学とを統合し、それぞれの長所を生かして、補完しあっていくのが理想だと思います。

漢方の腹診法

漢方の脈診法


大臣と語る 希望と安心の国づくり

2008年01月20日 | 飯田下伊那地域の産科問題

国民対話集会『大臣と語る 希望と安心の国づくり』に初めて参加しました。今回のテーマは「地域医療の充実-医師確保対策-」でした。

まず、舛添厚生労働大臣の医師確保対策についてのプレゼンテーションがあり、その後に、発言を希望する参加者が一斉に挙手して、司会者から指名された者が次々に発言しました。一つ一つの発言に対して、舛添大臣からの丁寧な返答コメントがありました。信大病院長の勝山教授が司会進行役でした。

百人を超す市民の対話参加者の他、国会議員、県知事、県会議員、飯田市長などの周辺自治体の首長なども参加してました。報道関係者も多く来てました。

たまたま私も発言するチャンスがありましたので、県内の産科医療の危機的な現状、国レベルの緊急対策の必要性などについて直訴することができました。

会場内で出された意見等を議事録にして速やかに公表し、政策への反映状況とその理由などを明らかにするとのことでした。

****** NHKニュース、2008年1月19日

産科医不足 緊急対策を検討へ

 長野県飯田市で開かれた対話集会には、市民など120人余りが出席し、舛添厚生労働大臣と地域医療をテーマに意見を交わしました。

 この地域では、中核病院である飯田市の市立病院が、産科の医師が減ったため、ほかの地域に住んでいる人や里帰りをして出産する人の受け入れを、ことし4月から原則として取りやめる方針です。このため出席した人からは「医師が減ることで、残った医師の負担がこれ以上増える。この地域で出産ができなくなったらほんとうに悲しい」といった不安の声が相次いだほか、病院関係者からも「医師が確保できないと病院はつぶれる。医師の配置を、国はもっと真剣に考えるべきだ」という意見が出されました。

 これに対し、舛添大臣は「産科の医師不足については、対策のスピードを上げる必要があり、政府全体として取り組む体制を早急に考えたい」と述べました。

(以下略)

(NHKニュース、2008年1月19日)


医師確保 取り組みは

2008年01月18日 | 地域周産期医療

私が大学を卒業した二十数年前は、地域中核病院でも産婦人科は1人医長体制の病院がまだ少なくありませんでしたし、今と比べても、医師不足ははるかに深刻で、医師の勤務もはるかに過酷だった気がします。

それでも、当時は、それが普通だと思って、何の疑問もなく生きてましたし、その旧システムで世の中全体が何とか回ってました。

しかし、時代はどんどん変遷し、医療を提供するシステムも大きく変化し、旧世代の医師達の慣れ親しんできた古いやり方では、もう世の中が全然うまく回らなくなってきました。地域の住民の方々にも、それを理解していただく必要があります。

今、矢面に立ってジタバタしている旧世代の医師達も、10年後には、ほとんど全員が第一線を退いていることでしょう。時代の大きな変化に対応できない古い体質のままの病院は、今後はどんどんこの世の中から消滅していくことになります。この世の中に生き残っていくためには、うまく世代交代して、時代の変化にも迅速に対応していく必要があると思います。

****** 信濃毎日新聞、2008年1月13日

医師確保 取り組みは

(略)

資金貸与 効果少しずつ

県衛生技監 桑島昭文氏

 県内で産科など診療科の休廃止がここまで相次ぐとは正直、予想していなかった。昨年1年間で11の病院が14診療科を休廃止した。昨年末には国立病院機構長野病院(上田市)で産科医引き揚げ問題が起きるなど、今後の予測が付けにくい状況だ。

 県は、即戦力となる医師のほか、研修医や医学生の確保など、できることはなんでもやろうと考えている。県外から県内に就職する医師を対象にした研究資金貸与制度は6人が利用するなど、少しずつ効果は上がっている。だが、即効性は見込みにくい。

 県の検討会は昨年3月、「緊急避難」として産科9カ所、小児科で10カ所の連携強化病院を選定し、医師を集約化することを提言した。危険なお産や救急搬送を24時間体制で受け入れる病院がなければ、地域の診療所も安心してお産を扱えない。連携強化病院を「砦(とりで)」として守らなければならない。

 住民の安心には、病院や診療所、介護施設などが連携し、救急からリハビリ、介護まで地域で完結する医療体制が理想だ。長野県は長寿県でありながら医療費が低い。この特徴を地域医療の魅力として全国に発信し、医師確保に役立てたい。

(中略)

大学病院 競争力向上を

信大病院長 勝山努氏

 勤務医不足の原因が、医師養成数の抑制や勤務医に不利な診療報酬改定など、国の医療政策にあったことは事実だ。ただ、厚生労働省だけの責任ではない。

 反省すべきは、大学医学部が国の政策決定にほとんど発言してこなかったことだ。きちんと声を上げ、制度を修正していればここまでの事態にはならなかった。

 2004年度からの新臨床研修制度は、前近代的な医師の教育、供給システムの改革が狙いだ。確かに大学病院に残る研修医が減り、各地の病院への医師の継続的な派遣が難しくなっている。だがそれは、地方の大学病院が一般病院や都会の病院との競争に負けているからだと言わざるを得ない。大学病院としては、臨床研修の充実を徹底する以外に選択肢はない。

 信大病院は「卒後臨床研修センター」を儲け、専任教員として医師1人、看護師2人を配置、各診療科も研修プログラムの充実に努めている。医師と同様に不足が深刻化している看護師の研修体制も整えている。

 教育や研究も大学の役割だが、地域住民が期待する最高の医療を提供し、それを支える人材を養成することも重要だ。大学病院としての競争力を高めていきたい。

(信濃毎日新聞、2008年1月13日)


現実見据え試行錯誤を

2008年01月13日 | 飯田下伊那地域の産科問題

長野県内の最近の年間総分娩件数は2万件程度で、分娩を取り扱っている産婦人科医が、(1次施設、2次施設、3次施設を合計して)まだ120人程度は県内に残っているものと仮定すれば、産婦人科医1人当たりの年間分娩件数は平均すれば160~170件程度ということになります。

従って、完全に手遅れになってしまう前に、医師を適切に再配置することができれば、県内の主要中核病院の常勤医達が今後も働き続けられる職場環境を、何とか維持できるかもしれません。

例えば、産婦人科医5~6人、助産師30~40人、新生児科医、麻酔科医との連携も緊密で、産婦人科医1人当たりの年間分娩件数が150~200件程度の2次施設であれば、それほど過酷な職場環境ではないので、その施設での医療提供活動を長期的に維持していくことも可能かと思われます。

それぞれの医療圏で産科医療の立て直しのための精一杯の努力をすることも大切です。しかし、各医療圏において、それぞれバラバラに、自力で必要な医師を確保して産科医療の態勢を立て直そうとすれば、結局は、少ない医師を医療圏間や病院間で無秩序に奪い合うことになってしまって、かなりの無理があります。

将来的には、各医療圏の利害関係から離れて公平な第3者的立場から、県全体の医師の配置バランスを勘案して、医師の配置をうまくコーディネートするようなシステムを立ち上げていく必要があると思われます。

****** 信濃毎日新聞、2008年1月12日

現実見据え試行錯誤を

態勢立て直しの動き

 2005年夏から1年足らずの間に、出産を扱う施設が6施設から3施設に半減した飯田下伊那地方。

 自治体や医療関係者でつくる懇談会の議論を経て、出産を主に飯田市立病院、妊婦健診を周辺の医療機関が担う「連携システム」を打ち出した。妊婦が持ち歩くカルテを作り、どの施設でも対応できるようにするなど先駆的な工夫も取り入れる。

 05年度に年間500件だった市立病院の出産件数は、06年度は約1000件に倍増。山崎輝行・産婦人科部長(54)は「連携システムで外来の負担が減ったので、何とか乗り切れた」と話す。

 だが、そのシステムも順風ではない。

 地域では3施設(下伊那赤十字病院、西沢病院、平岩ウイメンズクリニック)が妊婦健診のみを受け持ってきたが、常勤医の退職などで、常時健診を受けられる所が今春以降、1施設(平岩ウイメンズクリニック)になる見通し。5人いる市立病院の産科医も転科などで減少するため、4月からは里帰り出産の受け入れを休止する。

 「システムがあっても動かす人がいなければどうしようもない」と山崎医師。県内の「モデルケース」と期待される連携システムは、医師不足の「壁」に突き当たり、苦闘を続けている。

飯田下伊那地方の連携システム 飯伊地方では2005年以降出産を扱う施設の減少で約850件の受け入れ先がなくなった。このため緊急的に、出産は主に飯田市立病院、妊婦健診を他の医療機関が分担するシステムを構築。県内の産科医、小児科医でつくる県の検討会も07年3月、広域圏ごとの医師の重点配置を提言しており、飯伊のシステムを「周産期医療を崩壊させないためのモデル」と紹介している。

(中略)

 県内各地で産科医療を立て直す動きが始まっている。「特効薬」は簡単に見いだせない。行政や医療関係者、そして住民が「医師がいない」現実を直視し、試行錯誤を重ねるしかない。

(信濃毎日新聞、2008年1月12日)


県内中核的病院 産科医3割減

2008年01月06日 | 地域周産期医療

長野県内の地域中核病院における産婦人科勤務医数が、最近4年間だけで3割減ってしまった!という非常にショッキングな調査結果が、本日の信濃毎日新聞の第1面に掲載されました。

地域中核病院の産婦人科勤務医数は予想をはるかに超えるスピードで減少しています。多くの地域中核病院が相次いで産科部門の閉鎖を余儀なくされています。現時点で何とか稼動している産婦人科でも、今後、勤務医の離職を補充することができなければ、産科部門を休廃止せざるを得なくなります。

各医療圏では、何とかしてこの危機的状況を打開しようと、それぞれ、地域としての対応策を必死になって協議しています。しかし、協議をするたびに次から次へと新たな難問に直面し、頻繁に対応策の全面的練り直しを迫られているような状況です。

個々の医療圏や県レベルの自助努力には限界があり、このままではこの先、各医療圏の産科医療体制がどこまで持ちこたえられるか全くわかりません。

現在の産科医療の危機的状況を打開してゆくためには、根本的には、国レベルの有効な施策による後押しが絶対に必要だと思われます。

****** 信濃毎日新聞、2008年1月6日

県内中核的病院 産科医3割減

 県内で、妊婦の救急搬送を受け入れている地域の中核的病院に勤める産科医が、2004年1月時点の100人から、昨年末時点で73人にまで減少していることが5日、日本産科婦人科学会医療提供体制検討委員を務める金井誠・信大医学部講師の調査で分かった。本年度内にはさらに数人が辞め、70人を割り込む見通し。過重な負担からさらに離職が進む悪循環につながりかねない状況だ。

県外転出や産休で

 調査は、県内で妊婦の救急搬送を受け入れていた病院(07年1月時点で22病院)が対象。産科医の退職者はこの4年間で43人に上った。退職の理由は、信大以外の大学から県内の病院に派遣されていた医師が引き揚げなどで県外に転出したケースが12人と最多。次いで産休・育休が10人、開業や結婚に伴う県外転出が9人、県内での開業が7人などとなっている。

 これに対し、この4年間で県内の中核的病院に新たに着任した医師は16人。信大への入局が7人、県外から着任が5人、産休・育休からの復帰が3人などで、差し引き27人が減少した。

 金井講師によると、さらに本年度末で4、5人が退職する見通し。このほか、国立病院機構長野病院(上田市)に産科医4人を派遣している昭和大(東京)が、今年春から段階的に医師を引き揚げる方針を示している。

 厚労省が07年3月時点で都道府県を通じてまとめた調査によると、開業医も含め県内で出産を扱っている医師は112人。ただ、この調査は初めて実施したため、過去との比較はできない。

 産科医不足をめぐり、県内の産科医、小児科医でつくる県の検討会は昨年3月、広域圏ごとに医師の重点配置を提言。入院を必要とする2次医療や救急搬送に24時間態勢で対応する「連携強化病院」として9病院を選定した。

(以下略) 

(信濃毎日新聞、2008年1月6日)


出産・救急 揺らぐ安心

2008年01月03日 | 地域周産期医療

新年、明けましておめでとうございます。

お産難民という言葉がだんだん現実味を帯びてきました。今年は地域の産科医療にとって大きな試練の年です。ただ、この1年間さえ無事に乗り切ればOKというものでもありませんし、自分の住んでいる地域さえ困らなければOKというものでもありません。

燃え尽きないように体力温存をはかりつつ、何とか途中棄権をしないで責任区間を完走して、次世代にタスキをつなぎたいと思っています。

本年もよろしくお願い申し上げます。

****** 信濃毎日新聞、2008年1月1日

出産・救急 揺らぐ安心

相次ぐ診療科休廃止 勤務医に過重な負担

 県内各地の病院で、医師不足から診療科の休廃止が相次いでいる。県衛生部の調べによると、昨年1年間で少なくとも11病院が14診療科を休廃止し、救急患者の受け入れ休止や里帰り出産の制限など、住民生活への影響が拡大している。県民の安心を支える地域医療を、どう立て直していくのか-。本年度から医師確保対策を本格化させた村井県政にとっても、具体的な成果を示し、展望を見いだせるかが問われる年になる。

 「『お産難民』という言葉は聞いたことはあったが、こうやって地域のお産が崩壊していくんだなと感じています」

 昨年12月8日、松本市の信大で開いた医師不足問題を考えるシンポジウム。上田市の主婦、桐島真希子さん(32)が涙ながらに話す言葉に、会場は静まり返った。

 前日の7日、国立病院機構長野病院(上田市)が、派遣元の大学の産科医引き揚げに伴い、新規の出産受け付けを休止すると発表したばかり。上田小県地域で危険度の高いお産を扱ってきた同病院の出産休止は、地域に衝撃を与えた。「自分の子どもたちが大人になって、身近なところでお産ができないとすれば、とても不幸なこと。どうして、こんなことになってしまったのだろう...」もどかしさが募る。

(以下略)

(信濃毎日新聞、2008年1月1日)