ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

新生児蘇生法(Bコース)講習会

2014年02月05日 | 地域周産期医療

救急隊員向けの新生児蘇生法(Bコース)講習会が開催されました。いつものNCPR講習会の受講生は病院スタッフがメインなので、新生児蘇生法の練習はインファントラジアントウォーマーの下で実施してますが、今回の受講生は全員が救急隊員だったので、主に、自宅の床の上で分娩になった場合や救急車内の分娩などを想定して、新生児蘇生法の訓練が実施されました。

またちょうどよい機会なので、新生児蘇生法の訓練の他に、臍帯切断、胎盤娩出後の子宮底輪状マッサージ、肩甲難産や産後大出血などへの緊急対応などの訓練もあわせて実施し、分娩時に備えて救急車内に常備すべき物品の確認、病院との連絡方法や搬送方法などについても話し合いました。

当飯田下伊那地域でも病院前の分娩の事例が毎年数件あり、救急車内での分娩の事例もときおり発生してます。今回の講習会に参加した救急隊員の中にも自宅や救急車内での分娩介助の経験者が実際にいらっしゃいました。救急隊員の方々とこうした訓練を今後も定期的に実施していく必要があると思いました。

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診療体制の維持は可能か?

2012年04月11日 | 地域周産期医療

大学医局人事で若手医師を半年~2年間の任期で派遣してもらっているので、所属医師の入れ替わりは非常に激しいですが、現状の医師の頭数が維持されると仮定すれば、さしあたり何とか当科の診療体制は維持できるものと予想されます。現在の私の主な任務は、若い医師達が思う存分頑張って成長できるような研修および診療の環境を整備することだと認識してます。私自身も今後いつまで今の職場で勤務することになるのか全く予測できませんし、1~2年周期で所属医師がほぼ総入れ替えになっても、当科の診療の質が極端に落ちないようなシステムを確立することが非常に重要と考えています。


地域の産婦人科医療提供体制の維持について

2012年03月04日 | 地域周産期医療

地域の産婦人科医不足の問題に対して各病院や自治体ごとに個別で対応しているようでは、所属する産婦人科医のうちの誰か一人でも個人の都合で辞職したり妊娠したりする度に、上を下への大騒ぎとなってしまい、どの病院も数カ月先の診療体制の維持さえ予測不能で、全く先が読めない不安定な状況が永遠に続くことになります。

やはり、県全体で一体となって産婦人科医療を維持していく体制を構築する必要があるのではないかと思います。たとえ、基幹病院の産婦人科部長が突然の病気で倒れたとしても、地域で必要とされる産婦人科医療の提供は翌日からも滞りなく維持されるような仕組みになってないことには、おちおち病気もできません。

当科でも数年前、中堅~若手の産婦人科医3人が同時に個人都合(開業、転科など)により辞職を表明し、ある日突然、科存亡の危機に陥った苦しい時期がありました。その時は、(里帰り分娩受け入れ中止などの)診療規模の大幅縮小も一時期本気で検討しましたが、大学の医局人事で救済して頂いて、診療規模を大幅に拡大しながら科存亡の危機的状況からも素早く脱することができました。

新人産婦人科医の勧誘・受け入れ、若手医師の教育・育成、地域の産婦人科医療提供体制の維持などを、各病院の個別の努力だけで何とかしようとしても大きな限界があります。大学病院が中心となり、県全体で一体となり一致協力して、若手産婦人科医を育成し、地域の産婦人科医療提供体制を維持していくことが重要だと思います。

そろそろ転勤のシーズンで、当科でも3月31日付けでベテラン医師が一人退職し、そのかわりに4月1日付けで大学から若手医師(後期研修医)を迎えることになりました。私も自分の後任者を迎えるまでもうしばらくここで頑張る必要があります。突然病気で倒れたりしないように健康維持には十分注意しながら、若い医師達と一緒にもうしばらく頑張ってみたいと思います。


地域産婦人科医療の最近の情勢について

2012年02月22日 | 地域周産期医療

東京や大阪などの大都市圏以外では、全国的に産婦人科の勤務医の数はかなり減少しました。また、新たに開業する産婦人科医達は分娩を取り扱わない場合が多いので、分娩を取り扱う施設の数は激減しています。そのため、各医療圏の拠点病院産婦人科に患者さんが集中する傾向が非常に顕著になっています。

医師を供給する大学側の基本的な考え方は、『県全体の産婦人科医療を崩壊させないように守り抜く。そのため、産婦人科医を拠点病院に集約化する。』というスタンスだと思います。

また、各自治体や地域住民の意見が、『近所で分娩できなくなったのは非常に不便なので、産婦人科医を拠点病院に集約化するなんて方針はもってのほかである。産婦人科医を拠点病院に集めるのではなく、医師をなるべく均等に分散し、近所の病院にも1人でいいから産婦人科医を回してほしい。そして、何とかして近所での分娩取り扱いを再開してほしい。』というような方向になりがちなのは十分に理解できます。

いろいろ問題はあるにせよ、拠点病院の産婦人科が何とかもちこたえている医療圏では、産科医療にせよ婦人科医療にせよ、その医療圏で医療が完結してます。しかし、拠点病院の産婦人科が崩壊してしまった医療圏では、正常分娩以外はすべて近隣の医療圏に依存しなければならない非常に困った事態に陥っている現実があります。その落差は非常に激しいので、拠点病院産婦人科への医師集約化の重要性が、一般の地域住民にも、徐々に理解されつつあるのではないかと思います。

最近は、全国的に大学の産婦人科へ入局する若い医師がやや増加する兆しもでてきたと聞いてますが、若い医師達は、医学部を卒業してから最初の十年くらいの間は、症例数の多い大きな病院で研修して、十分に修業を積んで実力をつける必要があります。従って、現在の状況はすぐには変わらないでしょう。

私自身の立場としては、自分の定年退職までは、大学医局と一心同体となり、近隣の産婦人科医療体制が何とか持ちこたえるように頑張りぬきたいと思っています。しかし、私の医学知識<wbr></wbr>や技能もだんだん時代遅れの旧式になりつつあり、<wbr></wbr>定年退職までのあと数年間で次世代へのバトンタッチを完了する必要があります。


我が国の分娩事情の変遷

2011年06月12日 | 地域周産期医療

分娩は、ほとんどの場合、医療者が何も手を出さなくても自然経過でうまくいくことが多いですが、一定の確率で超緊急事態(例えば、肩甲難産、羊水塞栓症、常位胎盤早期剥離など)が発症することも事実です。

一つ一つの超緊急事態は、発症する確率がだいたい決まっていて、リスク因子がわかっている疾患も多いのですが、例えば上記3疾患などでは発症機序やリスク因子が未だ不明で、一体全体どの妊婦さんにどの緊急事態が発症するのかほとんど予測できません。これらの疾患が運悪く発症してしまった場合は、発症直後の集中的緊急対応が非常に重要です。

正常の分娩経過だと思っていた妊婦さんに、突然、超緊急事態が発症した場合は、その場に多くの専門家が居合わせているのかいないのかが、母児の救命のために非常に重要なキーポイントとなります。緊急事態が発症してから大慌てで搬送先を探しているようでは、到底間に合わない場合も現実にあり得ます。

産科の超緊急事態に適切に対応するためには、発症直後に、麻酔科医、新生児科医、複数の産婦人科医などがその場にすぐ集まって、チームですぐさま適切に対応する必要があります。それでも、疾患によっては母児の救命が難しい場合があり得ます。

助産師、産科医、新生児科医、麻酔科医などの専門家の数は限られているので、分散して別個に働くのではなく、多くの専門家が一か所に集まって、チーム医療で一緒に協力して働く必要があります。そういう職場環境でない場合は、産科医はいつ訴えられて医師生命を絶たれる事態となってしまうか全く予測できず、日々安心して働くことができません。不十分な態勢の分娩施設だと、患者さんにとってのリスクだけではなく、そこで働く産科医の負うリスクも非常に大きいのです。近年、不十分な態勢の施設から産科医がどんどん退散し、医師不足に陥った医療機関が、あの手この手で医師募集しても、なかなか産科医を集められないのは、当然の現象だと思います。

しかし一方で、ほとんどの分娩が正常に経過するため、ほとんどの方は自宅分娩や助産所などでの分娩でも何も起こらないで無事安産できるのも確かな事実で、自宅での自然分娩志向の方々も少なからずいらっしゃいます。一般の方々に、産科のリスクの特殊性を理解していただくのは非常に難しいことだと思っています。

『近場で産めなくなってしまうのは非常に困る。産科施設を集約化するのはけしからん。昔はみんな自宅分娩だったが、それでも世の中何とかなってたじゃないか。自分も自宅分娩で産まれたが今こうして普通に生きている。昔に戻って助産所を増やせば、今の産科の問題は解決するんじゃないか。』というような地域住民の素朴な声もよく耳にします。年配の市長さんなどの中にもそのような考え方で、市内に助産所をたくさん作れば産科問題は全部一気に解決すると信じ、そのような政策を実際に推進している自治体もあります。

時代により地域の分娩事情は大きく変遷してきました。近年、日本全体の産科施設数はどんどん減少しつつあり、全国的に産科施設の集約化が進行中であることは確かだと思います。


次世代への継承

2011年02月05日 | 地域周産期医療

地方の公的地域中核病院の産婦人科が次世代に継承されるためには、医師供給元である大学病院と良好な協力関係を維持していくことが最も重要だと思います。

地方だからといって、医療レベルが都会よりも低いなどということは許されません。大学病院の医師たちと常に緊密に連携し、地方病院でも最新の標準的医療を提供し続ける必要があります。

また、地方の一つの病院だけで、初期研修から専門研修まですべて完結するのは無理です。指導医、中堅医師、後期研修医、初期研修医、医学生の臨床実習など、それぞれのレベルで大学病院との人事交流、協力関係を活発化することが非常に重要です。

大学病院と緊密に連携し、最新の標準医療を地域住民に提供し続けるのと同時に、次世代の産婦人科医を育成するための研修の場を提供し続ける地道な努力によって、地域の産婦人科医療が次世代に継承されると思います。

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個人経営の産婦人科医院が次世代に継承されるためには、子育て経過中に、例えば以下のような諸条件を数年ごとに次々にクリアしていく必要があります。

①御子息が医学部受験を決意する。
②御子息が医学部受験を突破する。
③御子息が医学部卒業後に専門診療科として産婦人科を選ぶ。
④御子息が産婦人科研修終了後に産婦人科医院を継承する。

親と子は全く別人格ですから、自分の子が将来どの分野に興味を持ち、何をやりたいと思うようになるのか?は全く予測できません。子どもも高校受験や大学受験の頃までは親の意見に多少は耳を傾けてくれるかもしれませんが、必ずしも親の夢と子の夢が一致するとも限りません。誰でも自分の人生は自分で切り開いていく必要があり、人生行路がどう展開していくのか?は偶然の出来事や人との出会いに依存することも多く、誰にも予測できません。

運よく親の期待通りに子どもが医学に興味を持ってくれて、医学部受験を決意し、無事に医学部合格を果たしてくれたとしても、その子が医学部卒業後に将来の専門として何科を選ぶのかは全く予測できません。運よく親の期待通りに産婦人科を選んでくれたとしても、産婦人科研修を終え、学位や専門医資格などを取得した後に、故郷に戻って来て親の経営する医院を継承してくれるかどうか?は全く予測できません。もしかしたら、大学に残って研究一筋の人生を選ぶようなこともあるかもしれませんし、大病院で最先端医療に従事し続ける道を選ぶようなこともあるかもしれません。


地域の産婦人科医療を継続していくためには今後どうしたらいいのか?

2011年01月23日 | 地域周産期医療

私が当院に赴任した当時(22年前)、地域内に産婦人科を標榜する施設が十数施設あり、どの施設も勤務する産婦人科医は一人だけでした。当科も最初は一人医長体制で、少ないスタッフが連日病院に泊まり込み、昼夜かまわず、がむしゃらに働き通しの日々でした。労働基準法など全く無視で、かなり劣悪な労働環境でしたが、当時は、地方の産婦人科施設はみんな似たりよったりの労働環境で、みんなそれほど疑問に感じませんでした。

医療の在り方の昔の常識は今では全く通用しません。同様に、今みんなが当たり前と思っている医療の在り方の常識も、後から振り返ってみれば、とんでもなく常識はずれの部分がまだまだいっぱいあると思います。おかしいところはおかしいと早くみんなで気が付いて、どんどん軌道修正していく必要があります。

分娩は昼夜を問わないですし、母体や胎児の異常はいつ発症するのか予測困難です。産科病棟は、いつでも30分以内に緊急帝王切開を実施できるように十分な人員を配置しておく必要があります。いざ帝王切開を実施するということになれば、夜中であっても、産婦人科医、小児科医、麻酔科医、助産師、手術室看護師など大勢のスタッフが必要となります。

産科業務は、忙しい日と暇な日の業務量の差が激しく、業務量を一定にコントロールするのが難しいのが特徴です。暇な日は人員が少なくても済みますが、忙しい日は猫の手も借りたいような状況となり、小人数のスタッフではとても回せません。病院の産科業務を継続していくためには、いくら暇な日が続いても、いざという時に備えて大勢のスタッフを常に確保しておく必要があり、その人達に正当な報酬を支払っていく必要があります。大勢の人を雇ったのはいいけれど、暇な日ばかりが続いたんでは、人件費ばかりがかさんで病院の経営が成り立ちません。莫大な人件費に見合うだけの適正な患者数が必要となります。労働基準法を遵守し、かつ、病院の経営も健全に維持していくためには、スタッフの数を十分に増やし、それに見合うだけの十分な患者数を確保していく必要があります。

地域内の産婦人科を標榜する施設の数が多ければ、それだけ一施設あたりのスタッフ数も患者数も少なくなってしまい、どの施設の労働環境も劣悪となり、どの施設の経営も行き詰まり、地域の産婦人科医療が崩壊してしまいます。地域の産婦人科医療を今後も継続していくためには、一施設あたりの産婦人科医数を増やし、将来的には交代勤務制を導入して時間外勤務をなるべく少なくし、労働環境を他の診療科並みに改善する必要があります。産婦人科医や助産師の総数は急には増えないので、当面は病院集約化をさらに推進していく必要があると思われます。


長野県の周産期医療の現状について

2010年10月25日 | 地域周産期医療

全国の平成21年の出生数は1,070,035、出生率(人口千対)は8.5、出生の場所別の出生数の割合は、病院:51.6%、診療所:47.2%、助産所0.9%、自宅・その他:0.2%でした。それに対して、長野県の平成21年の出生数は17,310、出生率(人口千対)は8.1、出生の場所別の出生数の割合は、病院:69.2%、診療所:29.7%、助産所:0.7%、自宅・その他:0.2%でした。

すなわち、全国的には病院での出生数は診療所での出生数とほぼ同数ですが、長野県では病院での出生数が全体の約7割を占めています。

総合および地域周産期母子医療センター(9施設)の分娩件数(平成21年)は6,332で、県全体の分娩件数の34.6%を占めました。

地域周産期母子医療センター(8施設)の分娩件数は増加傾向にあり、平成21年の1施設当たりの平均分娩件数は765.4でした。信州大付属病院:732件、佐久総合病院:819件、諏訪赤十字病院:405件、伊那中央病院:1,131件、飯田市立病院:1,001件、長野赤十字病院:761件、篠ノ井病院:850件、北信病院:424件。

長野県の周産期3次医療は、県立こども病院と信州大付属病院とが担っています。

長野県は計10の医療圏(佐久、上小、諏訪、上伊那、飯伊、木曽、松本、大北、長野、北信)に分かれていて、周産期2次医療は各医療圏内でほぼ完結することが期待されてます。

しかし、上小医療圏では、現在、地域周産期母子医療センターである国立病院機構長野病院が分娩取り扱い休止中で、地域の周産期2次医療をほぼ100%近隣の医療圏に依存しています。従って、上小地域の周産期医療にとって、今、最優先で取り組むべき課題は、周産期2次医療を地域内で完結させることだと思います。将来の地域周産期医療を担う若手医師が地域に大勢集まって来るように、医療提供体制を根本的に変革する必要があります。五年後、十年後に周産期2次医療が地域内で完結しているために、今、最優先で実行しなければならないのは何なのか?ということを、地域で真剣に議論すべき時だと思います。

****** コメント(10月26日記載)

今回、上小医療圏が国の地域医療再生計画に選ばれ、三十数億円の税金が地域医療再構築のために投入されます。それだけの資金をうまく使うことができれば、周産期2次医療体制再構築の基礎を築くことがある程度は可能ではないかと思われます。

しかし、いくら国や県や大学などが働きかけようとも、地域の住民がそれを望まなければ医療体制再構築の方向に動いていくことは難しいのかもしれません。もしかしたら、上小地域の場合は、周辺医療圏の医療体制がしっかりしているのと、新幹線の駅があって交通の便が非常に良いこともあって、地域の住民がそれほど困り切った状況にまでは追い込まれてないのかもしれません。

飯田下伊那医療圏の場合は、二十数年前、地域内に小規模な産科診療所や助産所が多数存在しましたが、周産期2次医療機関は存在しなかったため、周産期の異変は地域内ではほとんど対処できない状況にありました。当時の産科診療所の先生方は周産期の異変が発症するたびに非常に苦労されてました。母児を救命するためには、患者さんを遠く昭和伊南病院や信州大学まで母体搬送するしか手はありませんでしたし、多くの場合は児の救命をあきらめざるを得ませんでした。当時は周辺医療圏も似たような状況で、地域の周産期2次医療を周辺医療圏に全面的に依存することはできませんでしたし、交通の便は県内最悪の地域ですから、当時、地域の住民が困り果てて何とかして欲しいという気運に満ちあふれてました。地域周産期2次医療体制を一から構築するために、多くの人々が全面的に協力してくれました。飯田下伊那地域の周産期2次医療体制は、この二十年間で大きく変化し続けてきました。今後も時代とともに変革を続けていく必要があると考えてます。

****** 参考記事:

最近の産婦人科診療体制の動向について

「上田地域の周産期医療の展望」~信州大学の先生方による医療講演会~

****** 毎日新聞、長野、2010年10月21日

上田市:助産師を積極活用へ 新産院の基本計画発表

 上小地域の周産期医療の柱となる新上田市産院の建設に向けて、同市は20日、一般市民向けに基本設計を発表した。市民ら約20人が建物の概要や機能、完成予想図などの説明を受けた。新産院は延べ床面積が現在の市産院の約2倍となり、医師だけでなく、助産師を活用した分娩(ぶんべん)を積極的に取り入れていくという。

 新市産院は、鉄骨3階建て・延べ床面積約2970平方メートル。病床数は27床で、出産に家族が立ち会える病室を3部屋新設する。立体駐車場も併設し、総事業費13億円を見込む。11年度末に開設の予定で、13年度の分娩数の目標は630件(近年は平均約480件)という。築40年以上が経過している現産院の待合室が狭い▽トイレが男女共用▽エレベーターが無い--などの問題点も改善する。

 一方、新市産院への移行後に分娩費用の値上げも検討されている。また新市産院は核家族化などにより家庭での育児が困難な母親を支援する施設「ゆりかご」も併設する。

 市産院の村田昌功副院長は「新しい市産院は長野病院の近くに建設され、連携してより良い医療環境を作り出せる」と強調した。【渡辺諒】

(毎日新聞、長野、2010年10月21日)


「上田地域の周産期医療の展望」~信州大学の先生方による医療講演会~

2010年07月24日 | 地域周産期医療

平成22年7月21日(水曜日)午後2時~5時、上田市の「ひとまちげんき・健康プラザうえだ」で、「上田地域の周産期医療の展望」と題する医療講演会が開催された。この講演会は上田市が主催し、長野県、国立病院機構長野病院、上田地域広域連合が共催し、上田市医師会、小県医師会が後援した。演者は、信州大学医学部産科婦人科学講座:塩沢丹里教授、同麻酔蘇生学講座:川真田樹人教授、同小児医学講座:小池健一教授(信州大学医学部付属病院長)の3教授であった。

まず、塩沢丹里教授は、減少傾向にある産婦人科医の現状説明から入り、その要因として、新臨床研修制度の開始、激務、訴訟リスクの高さ、女性医師の増加に伴う離職・退職の増加などを指摘した。産婦人科医を増やしていくには産婦人科医のQOLや処遇を改善することが不可欠とし、それらの実現には「集約化が最も可能性のある対策」と強調した。「お産難民を出さないことが最重要課題」として、現在県内に9ある「連携強化病院」(北信総合病院、長野赤十字病院、篠ノ井総合病院、佐久総合病院、県立こども病院、信州大学医学部付属病院、諏訪赤十字病院、伊那中央病院、飯田市立病院)へ重点的に若手医師を派遣していることに理解を求めた。

川真田樹人教授は、まず麻酔学の歴史について説明したあと、長野県の麻酔科医養成の展望について語った。約20の県内の関連病院での麻酔科医数を3~4人へ適正化するには、今後15年間で80人養成する必要があるものの、供給源が信州大だけでは20人不足するとの試算を示した。麻酔科医の確保には、出入り自由な教室運営、他大学とのオープンな協力関係の構築、他県からの受け入れ、などの対策が必要とし、「上田でもできる限り知恵を出し合い、麻酔科としてできることができたら」と述べた。

小池健一教授は、御自身が上田市出身であること、上田地域の医療体制の再構築にかける御自身の熱い思いなどを語った。上小医療圏の地域医療再生計画が選ばれたことは「本当に幸せなこと」とする一方で、「失敗は許されないという思い」とも語り、地域医療の再構築への決意を表明した。医療体制の再構築には単なる機能の回復だけでは「10年後にもたない」とし、信州大学、国立病院機構長野病院などのネットワークで「当地域で初期研修をしてもいいという人をリクルートすることを一番望む」と期待を寄せると同時に、国立病院機構長野病院には初期研修医受け入れ態勢の充実などを求めた。

医療講演会「上田地域の周産期医療の展望」(上田市公式ホームページ)

****** 以下、私見 

上田市を中心とした「上小医療圏」(人口約22万人、分娩約1800件)では、国立病院機構長野病院の産婦人科が地域の産科二次施設としての役割を担ってきましたが、2007年11月に派遣元の昭和大学より常勤医4人全員を引き揚げる方針が病院側に示され、新規の分娩予約の受け付けを休止しました。

現在、同医療圏内で分娩に対応している産科一次施設および助産所は、上田市産院(上田市)、上田原レディース&マタニティークリニック(上田市)、角田産婦人科内科医院(上田市)、東御市立助産所とうみ(東御市)などです。ハイリスク妊娠や異常分娩は、信州大付属病院(松本市)、県立こども病院(安曇野市)、佐久総合病院(佐久市)、長野赤十字病院(長野市)、篠ノ井総合病院(長野市)などに紹介されます。分娩経過中に母児が急変したような場合は、救急車で医療圏外の高次施設に母体搬送されています。

現在の同医療圏の周産期医療の厳しい状況は、かなり以前より多くの人が予測してました。信州大学産科婦人科学講座・前任教授の小西郁生先生(現・京大教授)は、その根本的な解決策として、上田市産院から信州大学の派遣医師を引き揚げ、国立病院機構長野病院・産婦人科を全面的に支援していくという信州大学・産婦人科の方針を2005年に表明し、多くの人がその方針の実現に向けて努力しましたが、諸事情によりその方針を断念した経緯があります。

今は産科一次施設の先生方が必死に頑張っておられるので何とかなってますが、先生方の年齢構成(五十代~六十代)を考えると、今のままでは、地域内のどの施設も五~十年後には分娩取り扱いの継続が困難となる可能性があります。産科二次医療が存在しない地域では、産科一次施設での分娩の取り扱いの継続が次第に困難となってゆくことが予想されます。また、産婦人科二次医療を提供する研修施設が存在しなければ、産婦人科志望の若手医師を集めることもできません。上小医療圏の地域医療再生計画では、これから何十億円もの貴重な国費が集中的に投入されるわけですから、上小医療圏で産婦人科2次医療が提供されるよう医療提供体制再構築のために最大限の努力をしていく必要があります。将来的に多くの若手医師が集まってくるように、医療提供体制を根本的に変革していく必要があります。今回の信州大学の3教授による周産期医療講演会の中でも、そのことが異口同音に何度も何度も強調されてました。

『今この地域で最も必要とされているものは何なのか?』について、もう一度根本からよく検討し、医療圏全体で一体となって、地域の周産期医療提供体制を再構築するための第一歩を踏み出していく必要があると思われます。


駒ケ根市内で産婦人科医院開業

2009年11月19日 | 地域周産期医療

****** 信濃毎日新聞、2009年11月18日

産婦人科医院開業へ 来年6月 お産年360件受け入れ方針

 昭和伊南総合病院(駒ヶ根市)の産婦人科長、山田雅人医師が理事長を務める医療法人「ゆりかご」(同)が来年6月、同市こまがね高原に産婦人科医院「駒ヶ根高原レディスクリニック」を開業する。当面の間、産婦人科医は常勤の山田医師と非常勤1人の2人態勢でスタート。里帰り出産を含めて年間約360件のお産を受け入れる方針という。

 駒ヶ池の南側に建設している医院の建物は鉄骨造り2階建て、約1700平方メートル。入院用ベッド17床、分娩用2床を備える。総事業費は約8億円。お産を扱う2人のほか、内科医2人が更年期障害や骨粗しょう症といった女性が悩みがちな病気の治療に当たり、女性の健康増進を幅広く担う。

 上伊那地方では、昭和伊南と辰野総合病院が医師不足でお産の扱いを休止、伊那中央病院が里帰り出産の受け入れを制限している。こうした状況を踏まえ、山田医師が約2年前から医療法人の設立準備などを進めてきた。

 山田医師は開業前に昭和伊南を退職する。昭和伊南事務部は「後任は未定で、確保に努めている」としている。

 山田医師の妻で同法人副理事長の山田思鶴医師(内科)は「将来は産婦人科医をさらに増やし、より多くのお産を扱いたい。昭和伊南や伊那中央との連携も深めていく」と話している。

 また、同法人は来年3月、南箕輪村沢尻に認知症のお年寄りらを受け入れるグループホームを開業する。木造平屋約480平方メートルで、利用定員18人。屋外にリハビリに役立つ散歩道や、利用者の交流の場となるハーブ園、オープンカフェなどを備える。

(信濃毎日新聞、2009年11月18日)

****** 中日新聞、長野、2009年11月19日

駒ケ根に産婦人科医院 来年6月開業

 駒ケ根市赤穂の医療法人ゆりかご(山田雅人理事長)は、来年6月に同市赤穂の駒ケ根高原にお産などを扱う産婦人科医院「駒ケ根高原レディスクリニック」を開業する、と発表した。里帰り出産を含めて年間約250件のお産を予定し、上伊那地域の産院不足の解消に努める。

 同地域は、産科医不足により昭和伊南総合病院(同市)、辰野総合病院(辰野町)が、2008年までにお産の扱いを休止。伊那中央病院(伊那市)でも里帰り出産を制限する状況が続いている。

 このような地域の産院不足を打開するため、山田理事長が開業を計画した。産科医の山田理事長が常勤医として業務に当たるほか、非常勤の産科医1人を新たに確保する。山田理事長は今年7月から昭和伊南の産婦人科長を務めているが、開業までに退職する。

 クリニックは鉄骨造り2階建て約1700平方メートルで、建設中。入院用ベッド17床、分娩(ぶんべん)用2床を備える。主な診療は産科、婦人科、女性内科。産科は産科診断、妊婦健診、分娩、1カ月検診、母乳外来など。婦人科は子宮がん検診を含めた婦人科疾患全般を扱う。他に内科医2人も勤務し、女性対象の一般内科、更年期障害、骨粗しょう症の治療にも当たる。

 また、同法人は来年3月、認知症対応のグループホームを南箕輪村沢尻に開設する。利用定員18人。 【一ノ瀬千広】

(中日新聞、長野、2009年11月19日)


閉鎖する産院 危険負いたくない

2009年10月26日 | 地域周産期医療

産科医療では、一定の比率で、死産、脳性麻痺、大量母体出血、母体死亡などが発生するのは避けられません。従来は、それらの事例を、産婦人科一人医長の施設でも多く扱ってきましたが、今の風潮だと、不可抗力だとしても、どうしても産科医個人の責任が問われることとなりがちです。今後の産科医療は、多くのスタッフを擁する病院のチーム医療が主流となっていくのは避けられないと思います。

****** 中日新聞、2008年7月19日

危機のカルテ 医療現場から 第1部

閉鎖する産院 危険負いたくない

 「凶悪犯と一緒じゃないか」。岐阜県土岐市の産婦人科医、西尾好司(68)は一昨年2月、テレビのニュースを見ながらつぶやいた。警察に連行される医師の姿が映し出されていた。

 全国の産科医に衝撃を与えた「大野病院事件」。福島県立病院の医師が、帝王切開で出産した女性に適切な処置をせずに大量出血で死亡させたとして業務上過失致死容疑で逮捕された。産科婦人科の学会は「診断が難しく、治療の難度も高い」と反発した。

 西尾は30年間、1人で診療所を守り、約9000人の新生児を取り上げた。急な出産で深夜に起こされ、寝られないことはしばしば。朝から通常の診察もあり「72時間労働なんてざらだった」。そんな生活も「産科医として当たり前」と思っていた。

 70歳が近づき、大学病院で働く産科医の長男に後を継ぐように頼んだが、断られた。「帰ってきたら1人でやることになる。危険を負いたくはない」。長男の言葉が耳から消えない。出産時に万一のことがあれば、巨額な損害賠償を求められ、刑事責任をも問われる時代になっていた。西尾は昨年1月、産科の扱いをやめた。

 この年の秋、同じ土岐市の女性(33)が、2人目の分娩の予約を入れるため走り回っていた。「もういっぱい」「前回の帝王切開はうちじゃない」と産院から相次いで断られた。4ヵ所目でようやく予約できた。「お産難民なんて、もっとへき地の話だと思っていた」

 女性は今週、岐阜県瑞浪市の産院で女児を無事出産した。多治見市を含めた岐阜県の東濃西部地方で出産できる施設は、この3年で4ヵ所減り、6ヵ所になった。「こんな状況では、3人目をほしくても、産む気になれない」とこぼす。身近な場所で産みたいという女性の思いは根強い。

 地域の中核を担う県立多治見病院には妊婦が押し寄せる。昨年は、例年より100件ほど多い約500件の出産を手掛けた。医師は定員より1人少ない5人。危険度の高い妊婦の診察や腫瘍手術をしながら、正常分娩も扱う。

 院長舟橋啓臣(64)は「身を削ってやっている」と言いつつ「安全なお産を守るためには近くに産む場所を求めるより、医者を集めることが大切だ」と進むべき道を模索する。

 妊婦と産科医の意識のギャップは大きい。「産科が置かれた状況を、妊婦や住民に分かってもらうしかない」。舟橋は昨年、東濃地方の医師と行政関係者で「考える会」をつくった。市民向けのシンポジウムを催し、ホームページ「お産ネット東濃」を開設した。医師不足の中、地域のお産を守ろうとする努力が続く。【文中敬称略】

  *  *

 命を守る医療の現場が、きしみを上げている。過酷な職場から医師が去り、経営に苦しむ病院が続出する。診療縮小であふれた患者がさまよい、さらに別の病院の疲弊を招く「負の連鎖」が続いている。医療の問題をさまざまな角度から探る。

産科医の現状 全国で出産を取り扱う病院、診療所は減少している。厚生労働省によると、昨年12月に3341施設あったが、今年中に少なくとも77施設が休止、制限する見通し。産婦人科医が中心の日本産科婦人科学会の会員は15400人で、10年前より約600人減少。2人に1人が50歳以上で、40歳未満は女性が半数を超える。女性は結婚、出産で現場を離れる傾向があり、将来の産科医不足が懸念される。

(中日新聞、2008年7月19日)


上田市産院に副院長着任 常勤医2人体制に

2009年10月15日 | 地域周産期医療

上田市を中心とした「上小(じょうしょう)医療圏」(人口:約22万人、分娩件数:約1800件)は、長野県の東部に位置し、上田市、東御(とうみ)市、青木村、 長和町などで構成されています。

現在、同医療圏内で分娩に対応している産科一次施設は、上田市産院(上田市)、上田原レディース&マタニティークリニック(上田市)、角田産婦人科内科医院(上田市)などです。ハイリスク妊娠や異常分娩は、信州大付属病院(松本市)、県立こども病院(安曇野市)、佐久総合病院(佐久市)、長野赤十字病院(長野市)、篠ノ井総合病院(長野市)などに紹介されます。分娩経過中に母児が急変したような場合は、救急車で医療圏外の高次施設に母体搬送されています。

産科二次医療が存在しない地域では、産科一次施設での分娩の取り扱いの継続が次第に困難となってゆくことが予想されます。また、産婦人科の二次医療を提供する研修施設が存在しなければ、産婦人科志望の若手医師を集めることもできません。

将来的に多くの若手医師が集まってくるように、医療提供体制を根本的に変革していく必要があります。『今この地域で最も必要とされているものは何なのか?』について、もう一度根本からよく検討し、医療圏全体で一体となって、地域の周産期医療提供体制を再構築するための第一歩を踏み出していく必要があると思われます。

****** 信濃毎日新聞、2009年10月14日

常勤医2人体制に 上田市産院に副院長着任

 上田市産院(常磐城5)に村田昌功(まさのり)医師(49)が常勤の副院長として着任し、13日、記者会見した。産院は常勤2人、非常勤2人となる。常勤医が2人となるのは、2007年12月以来。村田副院長は市医療政策参事として、産科を中心とした医療体制充実のための市の政策立案にも携わる。

 村田副院長は秋田大を卒業後、秋田市立総合病院などに勤務。07年12月、医師不足で産科を休止していた沖縄県名護市の県立北部病院の産婦人科部長となり、出産受け付け再開に向け、医師確保などに尽力したという。

 上田市には、全国自治体病院協議会の紹介で着任。村田副院長は会見で、国の政策で医師が増えるようになるまで今後5年、10年とかかるとし「国立病院機構長野病院や信大、医師会などと連携を深めながら、沖縄での経験も生かし、まず医師や助産師、看護師確保に努めたい」と抱負を語った。

 上田市産院では前院長が07年末で退職。以降は常勤1人、非常勤2~3人の体制で、出産数(新生児数)は、ピークの06年度には688人だったが、08年度は479人にまで減っている。

(信濃毎日新聞、2009年10月14日)

***** 東信ジャーナル、2009年10月14日

上田市産院へ常勤産科医が着任 村田昌功医師(49)

「県内外の即戦力の医師を集めたい」

 上田市は13日、上田市産院へ9日付で常勤産科医が着任したと発表した。

 着任したのは、村田昌功医師(49)。上田市には、全国自治体病院協議会を通して紹介があった。

 村田医師は、大阪府豊中市出身で秋田大大学院博士課程修了。同大医学部の文部教官(助手)として勤めた後、市立秋田総合病院・産婦人科医長や沖縄県立北部病院・産科部長として勤務した。前任地の沖縄県立北部病院では閉鎖していた産婦人科の立て直しに尽力し、2年間で閉鎖前の状態に回復させたという。

 産院では副院長として勤務するとともに、市の政策企画局医療政策参事として市産院の建て替え計画や地域医療政策へかかわる。村田医師は「医療の政策にもタッチできないか、効率的な医療資源の活用ができるような仕事に携われないかという条件で(全国自治体病院協議会に)問い合わせたところ、複数の自治体からオファーがあった。(上田市に)情熱を感じ、これ以上適した自治体、病院はないと判断した」とし、「5~10年は医師不足の状態が続く。県内外の即戦力の医師を集めたい」と話した。

 母袋創一市長は「産院の医療体制を含めて地域周産期医療の問題はまだまだ多いが、村田先生の招へいで一筋の光明が射してきた。地域全体の医療の底上げ、充実に全力で取り組んでいきたい」と話した。

 村田医師の着任で市産院は常勤医2人、非常勤医2人、助産師は常勤4人、パート3人、看護師は常勤11人、パート2人の体制になった。

(東信ジャーナル、2009年10月14日)


産婦人科医の状況、「悪化」が半減

2009年09月16日 | 地域周産期医療

周産期医療提供体制も地域により状況はさまざまですが、全体的に見れば数年前の最悪期は徐々に脱しつつあるような印象です。

「産婦人科動向意識調査」(日本産科婦人科学会)の集計結果報告によれば、現場の産婦人科医の意識は、1年前と比べpositiveな方向に変化しているとのことです。一般の方やマスコミの産婦人科への理解が深まったことに加えて、産婦人科医数の増加などが要因として考えらます。2006年度以降、日本産科婦人科学会の入会者は3年連続で増加し、2009年度はさらに増える見込みとのことで、若手医師の産婦人科への新規参入が年々増加する傾向にあります。

当医療圏においても、かつて十数施設あった分娩施設が3施設にまで急減し、毎年毎年、絶体絶命の危機的状況に追い詰められて、何度も何度も「もう駄目だ」とあきらめかけましたが、地域を挙げて一致団結してこの産科問題に取り組み、幸いにも多くの協力者が次々に出現し、優秀でやる気満々の若手医師の新規参入も毎年あり、今のところ何とかギリギリのところでもちこたえています。多分これからも繰り返し危機は訪れると思いますが、みんなの力を結集すればきっと窮地を乗り切っていける筈というpositiveな気持ちになってます。

****** CBニュース、2009年9月15日

産婦人科医の状況、「悪化」が半減

 産科医不足や分娩施設の減少など産科医療の崩壊が叫ばれる中、産婦人科医を取り巻く全体的な状況が1年前と比べて悪化したと感じている産婦人科責任者の割合が、昨年の前回調査から半減したことが、日本産科婦人科学会の医療改革委員会がこのほど発表した「産婦人科動向意識調査」の集計結果報告で分かった。

 調査は今年7月、同学会の卒後研修指導施設743施設の産婦人科責任者を対象に実施。462施設から回答を得た(回答率62%)。

 現場の産婦人科医を取り巻く全体的な状況について、1年前と比較してどのように感じているかを尋ねたところ、「変わらない」が39%(前回35%)で最も多く、以下は「少し良くなっている」34%(17%)、「少し悪くなっている」16%(26%)、「悪くなっている」8%(21%)、「良くなっている」3%(1%)の順だった。

=グラフ= (クリックするとフルサイズの画像が表示されます)

(以下、略)

(CBニュース、2009年9月15日)


沖縄北部病院 産婦人科救急と婦人科を休診へ 妊婦健診のみ予約制

2009年09月15日 | 地域周産期医療

沖縄県立北部病院はベッド数293床、22診療科の総合病院で、沖縄県北部医療圏(診療対象人口約12万人)における地域中核病院に位置付けられていて、地域災害拠点病院にも指定されています。同院産婦人科は05年4月1日から医師不足を理由に診療を休止しましたが、昨年11月には医師4人の体制が整って診療を再開し、今年1月には24時間体制の産婦人科救急診療も再開させました。今年4月に1名が退職し、5月からは産婦人科救急を一部制限して医師3名の体制で診療を続けていました。さらに医師1人が10月に退職して医師2名の診療体制となりました。同院は産婦人科医を募集していますが、すぐに勤務開始できる医師の確保には至っていません。産科は紹介予約制として妊婦健診に重点を置いた診療体制に変更し、婦人科は新規患者の受け付けを休止しています。

****** 琉球新報、2009年10月20日

地元主体の行動重要 産婦人科医不足で意見交換

 【名護】県立北部病院の産婦人科について考える会合「やんばるの母と子の命を守るために、今私たちに何ができるか」が16日、名護市中央公民館で開かれた。名護市各種団体女性代表ネットワーク協議会のほか、市役所や名桜大学などから約20人が参加。同病院産婦人科の現状や今後について意見が交わされた。

 会では同病院の大城真理子医師が2005年の産婦人科休止からの経緯を説明。現在は2人の医師だけで対応していることを挙げて「リスクの高い妊婦は中部まで送っている」と厳しい状況を話した。

 また、医師の増員を目指して県などに働き掛けているといい、「都市部の病院でも産婦人科医が足りないのが現状だ。県は全体を考えるので、北部だけを特別扱いしてくれない。北部のことは北部の市町村が考えるべきだ」と地元が主体性を持って行動する重要性を訴えた。

 参加者からは「医師が長期間働けるような環境をつくるべきだ」「市民がもっと声を上げた方がよい」「市町村が病院支援の積立金を集められないか」などさまざまな意見が出された。

 今後はフォーラムなどを実施して産婦人科の在り方などを考えていくことも確認された。

(琉球新報、2009年10月20日)

****** 沖縄タイムス、2009年9月20日

産婦人科救急と婦人科を休診へ 北部病院

健診のみ予約制

 産婦人科医3人のうち1人が退職予定の県立北部病院(大城清院長)が、28日から産婦人科の救急診療と婦人科の診療を休止する。当面の間、妊婦健診に重点を置いた診療態勢に移行。婦人科外来に通院中で、経過観察を必要とする人のみ、診療を継続するとした。

 同病院は新たな医師確保に向け関係機関に協力を要請中で、診療制限に理解と協力を求めている。

 病院ホームページによると、産婦人科は妊婦健診のみの紹介予約制、婦人科は再診のみの予約制となる。

 北部病院の産婦人科は医師不足のため2005年4月に休止したが、08年11月には医師4人の体制が整って診療を再開。今年1月からは24時間救急診療も再開したが、その後医師が1人退職したことで、5月から救急を制限していた。

(沖縄タイムス、2009年9月20日)

****** 琉球新報、2009年9月19日

県立北部病院:産婦人科救急を休止、

婦人科は一般診療も

 県立北部病院(大城清院長)は産婦人科医師の退職に伴い、医師2人の診療体制となるため、28日から当面の間、産婦人科救急と婦人科診療を休止する。

 産科は紹介予約制として妊婦健診に重点を置いた診療体制に変更。婦人科は新規患者の受け付けを休止する。同院はホームページで「大変申し訳ございませんが、引き続き医師の確保と診療業務の拡大に努力するので、理解と協力をお願いしたい」としている。

 北部病院は2005年4月に医師不足を理由に産婦人科を休止。08年11月には4人体制になり、ことし1月に24時間救急診療が再開した。その後1人が退職して3人体制となり、救急を一部制限していた。

(琉球新報、2009年9月19日)

****** 琉球新報、2009年9月13日

北部病院、産科医また退職 

2人体制で影響必至

 【北部】医師不足で2005年から一時休止し、08年11月から診療を再開した県立北部病院(大城清院長)の産婦人科医師が退職届を病院に提出していることが12日、分かった。同病院はことし4月から1人減の3人体制となっているが、医師退職後は2人体制となり、診療体制に影響が出る可能性がある。

 病院側は医師の退職届を受理しており、今月か来月にも退職する予定。病院はホームページで常勤医師を募集し、県病院事業局と協力して新しい医師確保に向けた調整を進めているが、難航している。

 北部病院は05年4月に医師不足を理由に休止。08年11月には4人体制の診療を開始し、ことし1月に24時間の救急診療が再開した。その後1人が退職して3人体制となっている。

(琉球新報、2009年9月13日)

****** 沖縄タイムス、2009年9月12日

産科医が退職願提出 

県立北部病院/2人体制の可能性も

 【北部】県立北部病院(大城清院長)の産婦人科に勤務している医師が、退職願を提出していたことが11日、分かった。今月中か、10月上旬に辞める考えを示しているという。現在3人体制の産婦人科だが、医師が辞めた後は、2人体制になる可能性がある。北部病院では診療に支障をきたさないよう、新たな医師確保に向け関係機関に協力を要請している。

 北部病院の産婦人科は医師不足のため2005年4月に休止。昨年11月、4人体制が整い、ことし1月からは24時間救急体制を完全再開したが、その後1人辞めて3人になったため、5月からは救急を制限していた。

 病院側は「できるだけ早めに医師を配置できるよう努力を続けている。今ある体制で、患者にとって一番いい方法をとれるよう、来週明けにも院内の関係者で診療内容の方針を話し合いたい」としている。 【新垣晃視】

(沖縄タイムス、2009年9月12日)

****** 沖縄タイムス、2009年5月1日

産科24時間救急を休止 

県立北部病院「医師3人で限界」

 【名護】県立北部病院(大城清院長)は、1日から産婦人科の24時間救急体制を休止し、救急対応を午後11時まで、週末は休診するなど大幅に時間を短縮する。4月までに医師の入れ替わりがあり、4人から現在は3人体制となった。同病院は「現在の人員で24時間体制を続けるのは無理があり、早急に医師を確保したい」としているが、再開のめどは立っていない。

 救急対応は、月曜から木曜の午後5時から同11時までとなる。金曜は通常診療(午前8時30分~午後5時)のみで救急対応は行わず土、日、祝日は休診する。

 同病院の砂川亨医療部長は「24時間体制の維持には4人か5人の医師が必要。月に10日の宿直勤務で、医師を疲弊させることはできない。対応できない時間帯の緊急患者は、中部病院に搬送される。地域の方々には、事情を理解していただきたい」と説明している。

 名護市各種団体女性代表ネットワーク協議会の宮城里子会長は「妊婦の身体的な心配もあるが、『地元で出産することができる』という今までの安心感がなくなる。大きなショックだ」と話した。同病院は今年1月、3年8カ月ぶりに、産婦人科の24時間救急診療を再開したばかりだった。

(沖縄タイムス、2009年5月1日)

****** 琉球新報、2008年6月21日

沖縄 県立北部病院、産科が来月再開

 【北部】医師不在のため2005年4月以降、産科を休止していた県立北部病院(大久保和明院長)が、7月から産科を再開することが20日、分かった。当面は同病院の婦人科で勤務している医師2人で運営する。同病院では医師不足のため05年4月以降、産婦人科を休止。07年12月に医師2人が配置され、ことし2月から婦人科外来診療のみを再開しているが、産婦人科としての再開は3年4カ月ぶり。

 産科再開に女性団体からは安堵(あんど)の声も上がるが、産婦人科で一般分娩(ぶんべん)や救急診療までを担うには通常、医師を最低でも3、4人配置しなければ勤務体制を確保できないといわれており、分娩が再開されても課題は残されたままだ。

 再開される産科では、外来と一般分娩を扱う。一般分娩は365日体制で対応し、外来は、月曜から木曜日に受け付ける。夜間は医師が交代で当直に当たる。金曜から日曜日は1人が緊急連絡係となり、緊急時に産婦人科医2人が確保できれば2人で緊急手術などに対応。1人の場合は、外科から医師1人の支援を受ける。

 対象となるのは、ほかの病院からの紹介妊婦と、合併症妊娠や異常妊娠など、開業医では対応が難しい妊婦。

 産科再開は、北部の女性団体が20日夜、北部会館で開いた同病院医師やスタッフとの歓迎懇親会の席上、村田昌功産科部長が明らかにした。

 名護市女性団体ネットワーク協議会の宮城里子会長は「再開が決まって本当にうれしい。しかし産科医不足は女性だけでなく、男性を巻き込んだ地域全体の問題だ」と語った。

(琉球新報、2008年6月21日)

*** やんばる母と子の命を守る勉強会、2008年5月28日

緊急声明
「県立北部病院産婦人科 医師4人以上の体制を」

 県立北部病院の産婦人科を再開させるには、4人以上の産婦人科医師が必要です。
 休診に至るまでの県立北部病院産婦人科は、個人開業医ではとりあげられない、いわゆるハイリスクのお産を行う施設であり、産婦人科的な救急疾患(子宮外妊娠による大出血など)の患者を救命する救急病院でした。
 そのために3名の産婦人科医が二十四時間三百六十五日、働いていました。産婦人科医にとっては三日に一度は病院に宿泊し、一晩寝ないで働いた後もそのまま外来や手術をするという厳しい職場環境です。使命感を持って働いていた医師たちも過酷な仕事を幾年も続けたあと、働き盛りの年齢なのに退職してしまい、休診となりました。
 県立北部病院を退職した産婦人科医師の言葉を紹介します。

 「四十代半ばにして死神の足音を聞いてしまった。」
 「子供をとりあげる仕事をしながら、自分の子供たちは知らないうちに(家庭で触れ合う時間もないままに)いつの間にか大きくなってしまいました。
 三日に一度は病院に泊まり(それ以外の日もほとんど)病院にいましたので。」

 医師も人間です。人間としての命があり、個人としての生活があります。
 命の危険を感じるような、個 人としての生活がない病院には、医 師は定着しません。
 以前と同じ産婦人科医師3人体制で再開したとしても、前と同様の過酷な勤務体制が再現され、医師が退職し再び休診となるだけです。そもそも、全国的な産婦人科医不足の中、そのような病院で働きたいという医師があらわれるでしょうか。
 再開、継続のためには、産婦人科医師数の増加は絶対に必要なのです。

 県立北部病院では、産婦人科医師を4人以上にした後、ハイリスクのお産と産科救急を本格的に再開させようとしています。現在2人の産婦人科医師が着任しており、婦人科診療のみを実施していますが、その2人の産婦人科医師を中心に病院を挙げて産科再開プロジェクトを進めています。
 北部地域の母と子の命を守りつつ、以前の轍を踏まないで済むよう、県外で働いている現役の産婦人科医やこれから産婦人科専門医をめざす若手医師が「この病院、この地域でぜひ働きたい」と思えるような、母と子と医療者が共に幸せを分かち合える病院、地域を作りたいものです。
 みなさんのご理解とご協力を、どうぞお願いいたします。

     平成二十年五月二十八日
     「やんばる母と子の命を守る勉強会」

(やんばる母と子の命を守る勉強会、2008年5月28日)

****** 琉球新報、2007年10月8日

中部病院、6割北部から 

新生児集中治療室が満床

 県立北部病院の産婦人科休止以降、早産など異常分娩(ぶんべん)の危険性がある北部地域の妊婦のほとんどを受け入れている県立中部病院で、未熟児らを管理・治療する新生児集中治療室(NICU)を昨年利用した乳児は、休止前と比べ北部在住の妊婦の出産が約6倍に増えていることが分かった。この影響で病床が満杯になった中部病院では異常分娩の恐れのある中部地域の妊婦を南部地域の病院に受け入れてもらう“玉突き”が発生。南部でも病床が満杯となり、県内の産科医療は全県的に未熟児の受け入れが困難な、深刻な事態に陥っている。

 北部病院の産婦人科休止により、許容範囲を超えた妊婦受け入れが県内の周産期医療の現場を圧迫、影響が全県に波及している実態が明らかになった。

 満杯の事態を重く見た県は4日「超早産児が例年になく多い」と妊婦に定期健診を受診するなど健康管理を呼び掛けたが、中部病院は「超早産児の数は例年とあまり変わらない。満杯状態が続いているのは妊婦の健康管理などではなく、北部病院産婦人科休止が原因だ」と受け入れ側の問題と指摘した。

 北部病院の産婦人科は2005年4月に休止。中部病院が新生児集中治療室に受け入れた北部地域の乳児は05年は444人中62人、06年は409人中59人。休止前の04年は434人中、わずか10人だった。

 06年は北部からの受け入れに伴い、中部病院は異常分娩の恐れがある中部地域の妊婦13人を、県立南部医療センター・こども医療センターを介し、南部地域の同治療室を持つ病院に受け入れてもらった。

 県内で新生児集中治療室を保持しているのは5病院で合計96床。内訳は県立中部病院30床、県立南部医療センター・こども医療センター30床、那覇市立病院9床、沖縄赤十字病院15床、琉大医学部付属病院12床。このうち県立2病院が、状態がより危険な妊婦を扱う中核医療を担っている。 【新垣毅】

(琉球新報、2007年10月8日)

****** 沖縄タイムス、2007年10月5日

NICU満床 早産予防訴え/県が緊急アピール

 県は四日、県内の周産期母子医療センター(NICU)五カ所の満床状態が続き、「新たな妊産婦の受け入れが困難」との緊急アピールを初めて発表した。早産が多く発生し、早産児の長期入院が続いていることが原因とみている。県内の妊産婦に対し「早産とならない自己管理を」と呼び掛けている。

 県立南部医療センター・こども医療センターの総合周産期母子医療センターによると、今年四月から県内すべてのNICU九十六床で満床状態が続いている。

 通常は在胎週数四十週で出産するが、十月三日現在、在胎二十三週での出産が七人、同二十四週六人、同二十五週二人、同二十六週二人が入院しており、NICUに入院する新生児の二割を超早産児が占めている。

 県健康増進課は県内の妊産婦に対し、(1)少なくとも毎月一回の妊婦健診受診(2)喫煙・飲酒の禁止(3)出血や腹痛、破水があったときにはかかりつけ医に早めの受診―などの早産防止対策をアピール。加えて「妊婦が早産とならないよう、県民全体で妊婦支援を」と呼び掛けている。

 県内の早産などによる低体重児が出生する割合は10・9%で全国平均の9・5%に比べて高い(二〇〇五年)。センターの宮城雅也医師は「早産防止には妊婦の健康管理が重要。病院の受け入れ態勢維持のためにも一人一人の意識改革を」と訴えた。

 県内には、県立中部病院と県立南部医療センター・こども医療センターに総合周産期母子医療センターが二カ所、琉球大学医学部附属病院に母子周産センター一カ所、那覇市立病院と沖縄赤十字病院に地域周産期母子医療センター二カ所が整備されている。

(沖縄タイムス、2007年10月5日)

****** 琉球新報、2007年7月6日

搬送中、救急車内で出産4件 県立北部病院

 2005年4月に県立北部病院の産婦人科医が不在になって以降、ことし4月末までの間、北部地区から県立中部病院へ救急車で搬送された妊婦は169人で、このうち救急車内で出産した妊婦が4人いた。それぞれ医師は添乗せず救急救命士が子供を取り上げた。5日の県議会文教厚生委員会で狩俣信子県議(護憲ネットワーク)の質問に対し、県病院事業局が明らかにした。

 救急車内で出産した4人のうち、2人は早産のため子供が未熟児だった。未熟児の場合、低温にならないようにするなどさまざまな措置が必要。県病院事業局は「低温にならないよう気を付けている」と対応を示したものの、一方で「通常、救急車の中に保育器などは設置していない」と明らかにした。

 狩俣県議は「未熟児の場合は病院で生まれても、大変なほどの、さまざまな措置が必要だ。それなのに救急車の中に保育器などの措置する機器がないのは問題だ。人の命を軽視しすぎている」と指摘。これに対し知念清県病院事業局長は「よく現状を調べて対応したい」と対応を約束した。

 未熟児の子供2人は産後、県立中部病院に入院。現在、その子らも含め救急車で生まれた4人の子供は後遺症などなく、健康に育っているという。

(琉球新報、2007年7月6日)

****** 沖縄タイムス、2007年3月31日

医官きょう引き揚げ/県立北部病院

 県立北部病院産婦人科に派遣されていた防衛医官が五月までの期間を繰り上げ三月末で引き揚げることが三十日分かった。派遣元の防衛医科大学校(埼玉県)も深刻な産婦人科医師不足に陥ったため。北部病院の産婦人科が休診状態になってから約二年。同病院は再び産婦人科医不在の状態に陥ることになった。

 県病院事業局の知念清局長は「北部地区の住民に再度不安を与えることになり、大変申し訳ない。県は引き続き産婦人科医獲得に全力を尽くしていく」と述べた。県は同日、島袋吉和名護市長に派遣切り上げを伝えた。

 県立北部病院は二〇〇五年四月、産婦人科医の辞任で休診状態になったが、防衛医官の派遣で、週一回診療を受け付けていた。

 県は「これまでの患者は、中部病院からの派遣などで診療継続できるよう配慮する」としている。同大学校の産婦人科医師は七人。うち六人を一―二週間交代で派遣していた。

(沖縄タイムス、2007年3月31日)

****** 琉球新報、2006年4月21日

政府、北部病院に防衛医官1人派遣 産婦人科再開目指す

 【東京】産婦人科医の不足のため昨年4月から県立北部病院の産婦人科が休止している問題で、政府は防衛医官1人を同病院に派遣することを決め、20日までに島袋吉和名護市長に伝えた。小池百合子沖縄担当相も20日午後、稲嶺恵一知事と面談した際、医官派遣について「21日に正式発表する」と述べた。派遣される医官1人と県立病院など他病院の医師との連携態勢を整え、5月中の産婦人科再開を目指す。

 北部市町村会の会長として防衛医官派遣を政府に要請した宮城茂東村長は「医官派遣は大変良かった」と述べるとともに、産婦人科再開に向け「週明けにも名護市長とともに関係医療機関に協力を求めたい」と語った。

 県立北部病院の産婦人科の休止後、合併症など高度医療が必要な妊婦は県立中部病院(うるま市)へ搬送されており、北部地区の妊婦の大きな負担となっていた。小池沖縄相は昨年10月、全国から産婦人科医を募集。今年1月、市長選に出馬した島袋氏の応援のため名護市入りし、「防衛医官を4月に派遣する」と明言していた。

 北部広域市町村圏事務組合理事長を務める島袋名護市長ら北部の三首長は3月6日、4月中の産婦人科再開に向け、額賀福志郎防衛庁長官に防衛医官の派遣を正式に要請。それに対し、額賀長官は自衛隊でも産婦人科医が不足しているとして「4月中の医官派遣は厳しい」と答えていた。

 島袋市長らは産婦人科の24時間態勢を確立するため、医師3人の派遣を求めていたが、防衛庁は「複数の医官派遣は困難」としている。産婦人科再開に向けて医師の確保を進めてきた内閣府も「医官派遣は1人が限界」と説明する。

 県内の他病院から常時、産婦人科を派遣するのも困難な状況にあり、高度医療が必要な患者が出た際には、北部病院に勤務する医官と県立中部病院など他病院の医師が連携して、治療に当たる態勢が敷かれるものとみられる。

(琉球新報、2006年4月21日)

****** 琉球新報、2006年4月21日

産科外来は行わず 県立北部病院、防衛医官派遣

 【東京】小池百合子沖縄担当相は21日午前の閣議後記者会見で、1年以上休診していた北部病院の産婦人科について、4月中に防衛医官1人を派遣し、5月から業務を開始すると発表した。防衛医科大学校の産婦人科講師、助手の計4人を1年の間に交代で派遣する。1人体制のため出産対応ではなく、産科の外来は行わない。同病院内のほかの診療科で産科が絡む際の支援と緊急時対応などに当たる。外来診療の再開については依然、めどが立っていない。

 防衛医官は当面1年の派遣になる。小池沖縄相は「厳しい中で防衛庁に人材を派遣してもらった。今後は沖縄県、県立北部病院の協力の下で徐々に業務を拡大していくことが現実的だ」と述べ、業務継続には県の協力が不可欠との認識を示した。

 防衛医官の派遣について、防衛庁側は「もともと3人の定数なので1人でできることは限界があるが、厳しい状況の中で率先して確保した。分べんはできないので、今回の派遣がほかの病院の医師の呼び水となり、将来的に人数が増えることを期待する」と話した。

 派遣決定を受け、稲嶺恵一知事は21日午前の定例記者懇談会で派遣に感謝の意を示した。今後の診療体制について知念清病院事業局長は「地域の産婦人科、県立中部病院とも協力体制を組んでサポートしたい」と述べた。

(琉球新報、2006年4月21日)

****** 読売新聞、2006年4月9日

医師不足で産婦人科が休診中、

名護に防衛医官を派遣へ

 政府は8日、産婦人科医がいないため2005年4月から休診している沖縄県名護市の県立北部病院産婦人科に防衛医官1人を派遣することを決めた。

 同市の要請を受けたもので、防衛医科大学校の教官を中心に人選し、4月中の派遣を目指す。

 米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題で、国と名護市が基本合意に達したことを受け、移設への地元住民の理解を得る助けとしたい考えだ。

 沖縄本島の名護市から北の6市町村には、産婦人科は北部病院と名護市内の2診療所しかない。

 帝王切開や異常出産などに対応できる救急施設は北部病院だけだ。しかし、同病院で辞職などが続き、産婦人科医がいなくなってからは、救急患者は車で30分以上離れた県立中部病院などに搬送されている。

 こうしたケースは昨年4月から今年2月末までに79件あったが、搬送時間がかかるため、病院到着前に救急車内で出産した例もあった。

 沖縄県は全国の大学などに産婦人科医の派遣を求めていたが、応じる医師がいなかった。このため、名護市の島袋吉和市長が3月6日に額賀防衛長官と会談し、防衛医官の派遣を要請していた。

 派遣される防衛医官は自衛隊員であるため、那覇市の自衛隊那覇病院所属とし、勤務先を北部病院とすることで調整している。

 ただ、今回は1人しか派遣できないことから、交代勤務の医師が3~4人必要となる、救急対応が可能な24時間診療は難しく、時間を限った診療となる見通しだ。

(読売新聞、2006年4月9日)

****** 琉球新報、2006年1月8日

「4月に医師派遣」 小池担当相、

北部病院産婦人科の再開へ意欲

 【名護】小池百合子沖縄担当相は7日来県し、昨年4月から休止している県立北部病院の産婦人科について「4月には医師を派遣したい」と再開に意欲をみせた。

 小池氏は「新生児の死亡率が北部地区で2・8%、南部で0・7%。北部は南部の4倍も高い」と指摘。「北部の産婦人科・小児科の再開・充実が必要」との認識を示した上で、「防衛医官の派遣をお願いし快諾を得た」と述べ、4月に北部病院の産婦人科を再開させたい意思を示した。

 同日夜、名護市民会館で開かれた名護市長選挙に立候補予定者の女性部総決起大会で語った。

 同会合に先立ち小池氏は、名護市の出雲殿内で北部市町村長、市町村議会議長と懇談した。この中で県立北部病院の産婦人科が休止となっている問題について「4月に再開できるよう詰めている」と述べた。

(琉球新報、2006年1月8日)

****** 琉球新報、2005年10月25日

沖縄へ医師求む 小池沖縄相が全国呼び掛け

 【東京】「醫師 急募 沖繩へ!」―。内閣府は、県立北部病院で産婦人科が休診となっている問題を受け、沖縄の県立、公立病院で働く医師を全国に呼び掛けている。

 小池百合子沖縄担当相は25日午前、閣議後の記者会見で「沖縄では、残念ながら産婦人科医が不足している。元気な沖縄で生を受ける時に、お医者さんがいないのは心細いこと。沖縄で働くお医者さんを募集します」と呼び掛けた。

 「求ム ドクタア 美ら島プロヂェクト」として「醫師 産婦人科 脳神経外科 急募 沖繩へ!」と、プロジェクト名と募集コピーもレトロ調。

 北部病院だけでなく那覇病院、八重山病院、公立久米島病院の産婦人科医、宮古病院、八重山病院の脳神経外科医も併せて募集している。

(琉球新報、2005年10月25日)

****** 琉球新報、2005年10月19日

救急搬送5ヵ月半で42件 県立北部病院の産婦人科休止

 今年4月1日から県立北部病院産婦人科が休止になっている問題で、9月19日までの間、妊婦が県立中部病院や琉球大学付属病院に救急で搬送された事例は42件あり、そのうち救急車の中で出産した事例が1件あったことが分かった。県は現在、同病院の医師(3人)確保に向け、県外の医師などと面談を重ねているが、確保には至らず、再開のめどは立っていない。

 18日行われた県議会決算特別委員会(池間淳委員長)では、北部病院の産婦人科医問題をはじめとして県立八重山病院や宮古病院など離島医療を含む医師不足問題に質疑が集中した。

 搬送先に間に合わず、救急車の中で出産した事例は7月に発生。救急隊員が処置し、その後は中部病院で対応した。このほか、自宅で出産後に搬送された事例も1件あったという。

 現在、県はホームページ(HP)などを通して医師を募集。これまでホームページにアクセスのあった3人の医師と面談を行っているが、「いつ再開と見通しを示すのは困難」(知念建次県立病院監)な状況だ。こうした中、県立病院に勤務する医師のうち、何らかの理由で退職することが決まっているのは本年度だけで17人おり、退職の意思を示している医師も2人いることが報告された。

(琉球新報、2005年10月19日)

****** 琉球新報、2005年9月7日

医療の低下防止へ 

県立北部病院産婦人科休止

 【名護】名護市の県立北部病院産婦人科休止問題の解決に向けて、北部の医療関係者らが情報の整理・発信をしようと8月30日、「やんばる母と子の命を守る勉強会」を発足させた。関係者らは同科が休止した今年4月から毎月、元妊産婦や搬送する消防関係者などを招いて勉強会を開き、休止の影響について情報交換をしてきた。今後も勉強会や調査などの活動を続け、同科の医師確保や北部周産期医療の低下防止を目指す。

 参加しているのは北部病院の小児科医のほか民間の産婦人科医や小児科医、保健師など約20人で、今後対外的な発言や働きかけにも力を入れる方針だ。役員などは次回の会合で検討する。

 これまでの勉強会では、同科休止後、元妊婦が中部病院までの遠距離通院のため仕事を休まなければならなかったり、負担から家族が体調を崩したりした経験を説明。中部病院や名護市内にある個人の産婦人科医院からは「綱渡り的」に事なきを得た急患事例や、外来患者が急増して労働過多になっていることなどが報告された。

 メンバーの一人、仲村小児科・内科・皮フ科医院=名護市=の仲村佳久院長は「急患搬送などの代替策で以前と同じ医療が確保されたと思っている人もいるが、事実は後退している。正しい情報、判断を共有するところから出発したい」と会の意義を語る。

(琉球新報、2005年9月7日)

****** 琉球新報、2005年4月9日

北部病院、婦人科も「休止」 

継続表明も外来診察せず

 【名護】1日から産科を休止した県立北部病院で、県が存続を明言していた婦人科が外来を受け付けず、事実上「休止」していたことが8日までに分かった。県病院管理局は県立中部病院から産婦人科医師を派遣し、婦人科外来は継続するとしていたが、北部病院の山城正登院長は「短時間しか勤務しない一医師では意味ある外来はできない。(中部の医師の業務は)もともと院内のみのつもりだ」との認識を示している。名護市の宮城幸夫福祉部長は「婦人科は継続する前提で、急患搬送も妊産婦のみを対象に検討してきた。これで約束違反だ」と非難している。 3月7日に北部市町村会会長の宮城茂東村長らが産婦人科存続を要請した際、県は「産科は当面休止するが、婦人科は医師を配置して存続させる」と説明したという。その後の取材に対し、県は婦人科外来は県立中部病院の応援を受けて継続するとしていた。

 しかし、実際には、中部病院の産婦人科医が週に1―2度、午前中に北部病院に派遣され、産婦人科の症状がある他科の入院患者らの治療に当たっている。

 外来・救急は受け入れておらず、実質的には休止状態で、院内の掲示も「産科・婦人科の休止」となっている。産科休止に伴い、産婦人科の入院患者は転退院している。市消防は「婦人科は存続と聞き、婦人科の急患は北部病院に運ぶつもりだった」と話している。

 県福祉保健部・県立病院管理課の松堂勇課長は「北部病院側から、婦人科を休止するという正式な報告は受けていない」とした上で「来週、北部病院と中部病院、消防の各関係者を集めた会議が開催される予定。産科を含めた急患搬送の問題点などを整理し、今後の対応を検討したい」と話した。

(琉球新報、2005年4月9日)


波田総合病院 分娩受け入れ制限

2009年08月26日 | 地域周産期医療

波田町は松本市に隣接し、松本市との合併協議が進んでいます。今後、町立波田総合病院は松本市立となり病院経営が継続される見込みと報道されてます。松本地域は、長野県全体に医師を供給している信州大学附属病院があり、市内には大勢の産婦人科医が住んでますが、小児科や麻酔科も併設された産科施設の数は意外に少ないです。波田総合病院の分娩件数は同地域ではトップクラスです。        

****** 信濃毎日新聞、2009年8月26日

10月からお産の受け入れ制限へ 

波田総合病院

 波田町の町立波田総合病院は10月から、分娩(ぶんべん)の受け入れに「1カ月におおむね50件」の上限を設ける。現在は制限をしていないが、産科医が1人でも欠ければ産科を休止せざるを得ない現状から、医師の負担軽減が必要と判断した。

 同病院の分娩件数は年間600~700件で、松本地域でトップクラス。一方、昨年夏ごろから3人態勢の産科医のうち、1人は育児中で主に外来のみの担当となっており、深夜に及ぶ分娩は男性医師2人が担っている。日本産科婦人科学会は勤務医1人が無理なく扱えるお産件数数の目安を年約150件程度としており、それを大きく上回っている。

 このため、10月から1カ月のお産の予約を50件程度、年間で計約600件とし、現在より100件程度減らすことにした。上限を上回った場合、別の病院や助産院を紹介するなど、お産の場に困らないよう対応するという。受け入れ制限をしていない信大病院(松本市)にも方針を伝えている。

 波田病院の波多腰賢司事務長は「自治体病院の使命もあって受け入れを制限せずにきたが、医師の健康も心配される」と説明。松本地域では近年、産科医不足で産科を休止する医療機関が相次いでおり、「医師が倒れてからでは遅い。早めの予防策だと考えてほしい」とし、理解を求めている。

(信濃毎日新聞、2009年8月26日)

****** 読売新聞、2009年8月22日

激務 産科医不足に拍車

「安心して産めない」

 三重県尾鷲市立尾鷲総合病院の産婦人科医、野村浩史さん(52)は、病院近くのアパートに帰宅した後も、常に携帯電話を手元に置く。緊急呼び出しに備え、緊張した時間を過ごすが、それでも帰宅出来た日は、「ホッとします」。帰れずに、病院に泊まらざるを得ない日は、月に7~10日にもなる。

 市内でただ一人の産婦人科医。受け持つ患者のエリアは、県南部の東紀州地域2市2町に及ぶ。土日や祝日も入院患者の回診をするため、三重県伊勢市の自宅に戻れるのは、別の開業医が当直に入る月に一度だけだ。

 三重大から医師の派遣を受けていた同病院の産婦人科は2005年7月、大学医局の医師不足を理由に約40キロ離れた公立紀南病院(三重県御浜町)に統合され、尾鷲市は一時、常駐産科医がいない状態になった。

 野村さんが単身で赴任してから3年。3日続けて帰宅できなかったことも一度や二度ではない。「ある程度の拘束は仕方ないが、体力面で不安はある」。産科医がもう一人いてくれれば、というのが野村さんの偽らざる思いだ。

        ◎

 「代わりを探してはいるけど、なかなか見つからないんですよ」

 名古屋市立大の杉浦真弓教授(48)(産婦人科)は昨夏から、愛知県豊川市の市民病院に派遣する産科医を探し続けている。当時の院長からひざ詰めで医師探しを依頼されたが、ない袖は振れない。今も医師が見つかるメドは全くたたない。

 同病院では今年1月、家庭の事情で産婦人科の医師が1人減り、3人となった。06年から近くの新城市民病院(愛知県新城市)の診療体制縮小で、同病院からの流入患者が増加していたこともあり、昨夏以降、受け入れる出産患者を制限する状態が続いている。

 ところが、医師の供給源となるべき大学側は今、医局の人手不足という悩みを抱えている。04年度から始まった臨床研修制度により、研修医が病院を自由に選べるようになった結果、大学に残る医師の数が減ったためだ。このことが、地域医療機関の医師不足を招いているとの指摘は多い。

 女性産科医が、子育てとの両立が難しいなどの理由で定年前に引退してしまうケースが多いのも、産科医不足に拍車をかけている。杉浦教授は「学生に産科医の魅力を伝え、女性が長く働ける環境をつくっていくことも必要だ」と訴える。

        ◎

 日本の人口1000人当たりの医師数は2・1人。経済協力開発機構(OECD)加盟30か国の平均(3・1人)を大きく下回る。中でも、激務で訴訟リスクも高いとされる産科医は、この10年で約10%も減少した。愛知県内では、35公立病院のうち、昨年6月現在、19病院が医師不足で時間外救急患者の受け入れ制限や入院診療休止など診療を制限せざるを得なくなっている。

 尾鷲市で産科医が常駐しない期間に長女を妊娠した同市の主婦(39)は、車で片道2時間かけて三重県松阪市の病院に通った。「胎児に異変が起きたらと考えると、安定期に入るまでは不安で仕方がなかった」。医師不足、そして診療体制の縮小は、地域住民の生命や生活を脅かす。

 定年まで今の生活を続ける意思を固めたという野村さんは強調する。「安心してお産ができるという当たり前のことを実現するためには、何よりもまず、医師不足の解消が急務。これがすべての根源ですよ」  【小栗靖彦、田口詠子】

(読売新聞、2009年8月22日)

****** 産経新聞、主張、2009年8月28日

医師増員公約 「偏在」是正こそ解決策だ

 「医師不足」だといわれる。とりわけ、救急、産科、小児、外科などでは深刻な状況で、各党の政権公約はいずれも医師の増員を掲げている。

 民主党は医学部定員1・5倍を明記し、地域医療計画を抜本的に見直すと主張する。自民党も医学教育の充実や勤務環境の改善、救急医療体制の整備などを強調している。

 しかし問題の背景には、病院勤務医が労働条件の厳しい特定の診療科を敬遠し、生活もしやすい都市部に集中することによる「診療科の偏在」や「地域偏在」がある。だとすれば、単純に医師全体の数を増やすだけでは問題は解決しない。

 過酷な勤務医の仕事を軽減するためには、看護師や助産師、臨床検査技師といった医師を補佐するスタッフの能力を上げ、医師に代わって事務を担当する医療クラークを増やすことも必要だ。女性医師が出産後に復職できるように職場環境を整えて労働力を確保することも忘れてはならない。

 勤務医の仕事に見合った報酬の引き上げも進めるべきだ。オフィス街の診療所などの開業医の年収は勤務医の1・8倍にも上る。勤務医に診療報酬を手厚く配分する一方、患者の負担が増えないように開業医の報酬は引き下げるのが現実的な選択だろう。

 診療科の偏在を是正するには、医学部教育と卒後の臨床研修を通じて質の高い医師を育て、病院や診療科ごとに計画的な配置をしていくことが肝心だ。一定の規制措置も検討されていい。医師が診療科を自由に名乗れる現在の自由標榜(ひょうぼう)制を制限し、一部の診療科への医師の集中を防ぐ方法もある。

 勤務医が将来開業する条件として、一定年数を地方で勤務するよう求める考え方もある。職業選択の自由からの議論も必要だろうが、これらは医師法や医療法の一部を改正すれば可能になる。

 医学生の7割以上が(1)給与などの処遇・待遇が良い(2)住居環境が整っている(3)一定の期間に限定する-の条件さえ整えば、医師不足地域で勤務しても構わないと考えているとの調査結果もある。

 しかし、こうした改革の方向性については、開業医を中心に構成する日本医師会が抵抗している。医師会の集票力があるためか、各党の公約に切り込み不足の印象が否めない。

 国民の健康を守るという視点から政治決断が求められている。

(産経新聞、主張、2009年8月28日)