コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

なんとかなるさ

2019-06-28 06:02:30 | Weblog
人生は多少ゲームのように楽しんでやる方が
上手く行くことが多いようです。

余り根詰めて考えると
返って緊張します。

歴史上偉大な人物に
福沢諭吉を知っていますね。
そう慶応義塾を創立した人です。

彼の『福翁自伝』には、
「若いときから困ったということを一度も言ったことがない」
とあります。

どんな状況になろうと、
自分の心は軽くしておいて、
次に自分がなすべきことにすぐ移れるようにしておくのです。

もともと儒学者の父を持つ人であったから、
倫理を守り、
徳を磨くというところも、
生まれつきあったのでしょう。

その上に、進取性があり
へこたれない性格であったため、
世の中に怖いものなどなかったようです。

ある意味で
「命を取るなら、取ってみよ」くらいの
心意気が常にあったのです。

『学問のすすめ』にも
「明るく元気な顔をすることが大切である。
見た途端に相手から嫌われるようなことがあってはいけない」
とあります。

人生には必ず道は開かれます。
どんなことにも何とかなる
くらいの気持ちで
あきらめずに進むことは
必要なことです。

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人生はゲームだ

2019-06-27 06:25:29 | Weblog
成功すればお金持ちになると人は言います。

でも、
「お金はついてくるものだ。
お金は目的ではない、手段だ。
お金は必要なとき、
必要なだけあればいい。
お金より大切なものがある。
それは愛だ」

お金というのは本当にどうとらえていいか難しいものです。

お金に人生最大の価値を置く人もいます。
特に欧米人や中国人はそうです。
東南アジアやお隣の韓国もそうかもしれません。

たしかに、
世の中でお金があれば、
大抵のことはできます。

でも、
チヤップリンの『ライム・ライト』は知っているでしょうか?
映画の中で話す言葉は
「死と同じように避けられ広いものがある。
それは生きることだ」
「私たちは皆、互いに助け合いたいと思っている。
人間とはそういうものだ。
相手の不幸ではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ」
と言っています。

チャップリン自身も大金持ちとなり、
大邸宅を購入し、
多くの人を雇いそこに住みました。

しかし、
いくらお金持ちになっても、
楽しくはなかったようです。

人生は楽しむべきものだ。

そのためには、
世の中に役立ち、
人のためになり、
人が喜ぶ仕事をするための苦労をしていくことを
楽しめるようにするのがいい。

人生には山や谷があり、
障害物がたくさんあります。
自分を妨害する人や抵抗する物が出てきます。

これを一つひとつクリアしていくところに
最大の喜びがあるようです。

まるで、人生はゲームです。

何もない、
うまくお金だけが貯まっていくだけのような生活、
人生なんて少しも楽しくないのは、
そんな映画を観てもつまらないのと同じです。

失敗と戦いながら、
勉強しながら人生を歩むことによって、
結果としてお金が貯まる、
ということが生きがいであるという人が、
偉人となっているようです。
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失敗を乗り越える

2019-06-26 05:51:01 | Weblog
成功者の伝記には、
成功した点の凄さばかりが書かれているものが多い。

しかし、
実際のその人生は、
挫折と失敗を繰り返し、
それを不屈の心で粘り強く乗り越えていくというものなのです。

では、
当の偉人本人たちは、
人生をどう感じていたのであろうか?

どうも楽しくて仕方がなかったようです。

もちろん、
挫折したときは、
「何でこんなつらい目に遭わなくてはならないのか?」
と思ったでしょう。

しかし、
心の中の真の部分は、
「やってやる!今に見ておれ!」というものであったようです。

高い評価を得て尊敬されるということは喜ばしいことですが、
彼らにとってそれは二の次のことです。

一番の幸せというのは、
失敗や困難を乗り越えていく過程の
工夫と努力にあったようです。

世の中で必要なものを生み出し、
あるいは強い組織をつくるリーダーは、
人を集めるときにこの点に注意しています。

ウォルト・ディズニーは、
自分自身で漫画を描くような才能はありませんでしたが、
前向きでへこたれない、
自分に可能性があると信じる若者を見い出し、
まとめていくという才能がありました。

仕事を選ぶ時、
給料が高いから・・・、
余暇が多いから・・・ということのみを重視するようでは、
決して幸福にはなれないし、
素晴らしい仕事もできません。

ウォルト・ディズニーらをよく見てみると、
偏差値が凄く高いとか、
よい学歴があるとか、
よい家に生まれたというわけではありません。

努力を続ける執念というか、
苦労を克服して前進していく喜びに溢れています。

成功目前の、
あと少しのがまんというところで、
いかに多くに人たちが、
あきらめてしまうことだろうか。

あと少しの努力で、
絶望的な状況が、
素晴らしい成功に転じる可能性が秘めているのに。

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失敗という言葉は存在しない

2019-06-25 06:09:12 | Weblog
エジソンの最も有名な言葉は
「天才とは99の汗と1%のインスピレーションでつくられる」
があります。

この「99%の汗」が「努力」と訳され、
「1%のインスピレーション」が「才能」と訳されることもあります。

エジソンは世界の発明王と呼ばれ、
特許だけでもその数は1000はありました。
ですが、
すべてエジソンが新しくつくり出したものかというと、
実は違うようです。
どんな発明品、
例えば、テレビ、スマホ、自動車、ロケット、原子力であっても、
または、どんな音楽、文学、漫画、アニメであっても、
数え切れないほど多くの人の
様々な工夫の上にできています。

エジソンの発明も、
すべては先人のアイデアの蓄積の上に、
エジソンのたゆまぬ、
信じられぬほどの努力、実験、工大が積み重なり、
出来上がったものばかりです。

アップル創業者の
スティーブ・ジョブズも同様です。
様々な画期的商品をつくり注目されたが、
彼の凄さは、
それまでの技術にあっといわせる工夫を加えることと、
マーケティング力、
交渉力、
強引なリーダーシップでした。

だから、エジソンやスティーブ・ジョブズなどは、
常に多くの訴訟を抱えていました。

たくさんの業績をいただいて、
その上に新たに相当な努力をして、
新しいものを生み出しているものの、
その基礎段階に携わっていた人からすると、
「自分がつくったもの」と思うのは当然だからです。

エジソンはとにかく人がやらないほどの実験をどんどんやりました。
白熱電球の炭素フィラメントの材料として適しているものを探して、
中南米にある植物から日本の京都の竹までを試しています。
地球上に存在しているものなら何でも試すという気構えでした。

その汗のかき力は、
神様も「もう十分だ」と言うのではないかと
思えるほどだそうです。

エジソンは、
「神様が私たち人間に与える問題に、解答の広いものは広い」
と言ったそうですが、
おそらく自らその解答を見つけるまでの過程が
楽しかったのでしょう。

彼のような偉人と呼ばれるような人は、
失敗してもただでは起きない精神力を身につけています。

エジソンが64歳のとき、
研究所が火事ですべて燃えてしまいました。
そのとき、父や妻や子を集め、
こんな火事はめったには見られないからよく見ようと言ったそうだ。

また、
火事が夜中だったので、
暗さのため消火活動がうまくいかなかったのを見て、
大型のサーチライト、照明器具の開発を思いついたといいます。

いずれにしろ、
偉人たちの失敗と成功の物語は
波乱万丈で私たちにとって面白いものですが。
一番面白かったのは本人たちでしょう。

少々の失敗を悔やむより、
それを機として、
チャンスとして再びさらに大きく変わっていくことを
楽しむべきだということのようです。
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あきらめなければ成功する

2019-06-24 06:25:33 | Weblog
アサヒビールに、
「ドライ」というヒット商品があります。

昔販売店や飲食業の経営者たちが
アサヒビールを置くことを嫌がっていました。
それくらいに人気がありませんでした。
それを変えたのが「ドライ」です。

その「ドライ」の開発・発売までの苦労は
並大抵ではなかったようです。

当時のアサヒは給与も遅配したそうです。
給料が遅れても会社に残るというのは、
並大抵の精神力ではできないことです。

給与遅配から奇跡の復活を成し遂げた理由について、
数多くの学者たちや講演家が分析しています。
そこからの成功の要因の一つは、
「風通しがよく、物事をあきらめない社風」を築き上げた
というところではないでしょうか。

アサヒでは、
これを「志」と言いました。

志が高ければ、いつか必ず成功する。
失敗の原因を探り、
次への成功の道に必ず転ずると考えました。

その社風は、
若手の社貝たちに向学心を与え、
自由に改善策を出し合うという現象が生まれました。
そして、
商品開発と営業現場そして経営サイドが、
アサヒの復活に向けて、
雄々しく困難に立ち向かったのです。

こうして「失敗しても改善すればいいんだ」
という精神のあり方を身につけたアサヒは、
伸び続けるだろうと思えます。

逆に、失敗が許されないような社風となったとき、
アサヒのピンチのときといえるでしょう。

「ピンチは必ずきます」
そのときにどうするかが問題なのです。

成功しか知らない人が、
生き方やビジネスの進め方を変えるのは難しいものです。

こうした失敗こそ、
成功への道と信じて疑わない生き方と
不屈の精神を持つようとした人が、
自分の生き方を貫き、
最後に夢を実現していくに違いないと思います。
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いかに身を引くべきか

2019-06-21 06:56:31 | Weblog
一端は物事が上手くいっても
その栄光はあっという間に人々の記憶から消え去っていくことは
ほとんどの人が経験しているはずです。

有名なコンクールで賞をとっても
数日すると
あれは何だったんだろう?
と気落ちすることは日常茶飯事です。

順調に成功階段を上り、
昇進も近いと思っていた矢先、
突然外部から
人材をヘッドハンティングするという残酷な環境に遭遇したら、
どうしますか?

ヒットを飛ばして一躍有名な歌手になったが、
突然出演依頼がこなくなり、
いい歌にも恵まれなくなった。
どうしますか?

死別、あるいは離婚によって配偶者をなくした。
どうしますか?

すべてが計画どおりに運んでいたところへ、
突然、体に変調をきたし、
「癌です」という医師の宣告を受けた。
どうしますか?

何らかの形で軌道を外れる時がきます。

その時、考えなければいけないのは、
ここで身を引くべきか否かということより、
いかに身を引くべきかということです。

成功から失敗、
健康から病気、
仕事から引退、
結婚から独身、
生から死へと局面が変わった場合、
どんな態度をとるべきでしょうか?

きれいな身の引き方ができるかどうかで、
残りの人生が楽しくなるかどうかがきまり、
良くも悪くも左右されます。

ある人は、
怒り悲しみ、
傷つき苦しむ。

自分を憐れみ、
他人をうらやむ。

このような人は、
結局は負けたことになり、
悪い印象を残すだけです。

一方、喜んで危機に対処する人がいます。
彼らは出口を入口に変えてしまいます。
失敗や土俵を去ることに対して積極的に向き合う彼らは、
立派な勝利者になります。

世の中は首を切られた、
離婚した、
破産した、
病気になった、
貸していた土地を取られた、
急にものが売れなくなった。

この地球にはなんと出口が多いのだろうか。

しかし、
成功は過程です。
失敗は終点ではありません。
この出口に突きあたった時には、
まず被害を最小限にとどめるのが先決です。
次に、
再生および復活の作業にかかるのが
賢明な解決法です。

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安心領域の外に出る

2019-06-20 05:52:50 | Weblog
人には安心領域
(コンフォートゾーン)があります。

特に脳は
この安心領域から出ることを望みません。

勉強でも
仕事でも
この程度やっていれば
この程度になるだろう。

そんな考えで無理をしないことです。

しかし安心領域にいては
それ以上成長しません。

そこで、
安心領域の外に出る勇気が必要です。

今までは決してしなかったようなことをし始めることです。

具体的には、
スカイダイビングにいく、
個別訪問で営業をする
一番素敵だと思う人をデートに誘う、
顧客に対して誰も聞いたことがないような大きな注文を依頼するなど
思いもよらないことに挑戦したらいかがでしょうか?
特に失うものもありませんし、
失敗しても笑ってごまかせる・・・
そんなものでもOKです。

新しい自分が見えてくるはずです。

あなたは、安心領域の外に出ていますか?
今まで、決してしなかったようなことを始めてますか?
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等身大の目標からチャレンジ

2019-06-19 06:18:08 | Weblog
日常生活で自信を強める方法は、
等身大の目標からチャレンジすることです。

比較的短期間で達成できそうな等身大の目標をクリアすれば、
次のステップに向けての自信が高まり、
その自信が信念強化の栄養分となります。

たとえば、
現在のあなたが小さな小売店のオーナーで、
将来はアメリカ進出をしたいという願望があるとします。
その場合、
いきなり「アメリカにお店をもつぞ」と思わないほうがいい。
その時はそう思っても、
苦痛や苦難に満ちたネガティブな現象に遭遇すると
「常識的に考えたら、やっぱり無理かもしれない」
と思い込んでしまうからです。

そこで、
まず、当面の目標として
「2号店を出す」を目標とし、
それがクリアできたら
「今度は東京に」、
それがクリアできたら「次は・・・・」と、
段階的に目標を上げてみよう。

一つ一つの目標をクリアしていけば、
成功体験ができると同時に、
「願望がかなった。
自分だってやればできる」という自信にもつながっていきます。
その自信が信念の強化につながっていく。

ところが、最初からいきなり大きな目標を目指そうとすると、
2号店ができても、
目標は未達成で、
失敗体験を味わうことになります。
失敗体験は自信を失う結果となり、
ひいては信念を喪失してしまうことにもなります。

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潜在意識は心の底で思っていることに反応

2019-06-18 06:03:49 | Weblog
潜在意識は二つの考えがあれば、
優勢な方を受け入れようとします。
もし、
否定な疑いのほうが優勢だったら、
潜在憲識はそちらを受け入れ、
口に出していること(一時的に漠然と思い描く願い)とは、
反対のことを実現してしまいます。

潜在意識は、
私たちが心の底で思っていることのみに反応を示します。

したがって、
潜在意識に希望通りの結果をもたらしてもらうためには、
顕在意識と潜在意識が葛藤することなく、
完全に一致しなくてはならないのです。

願望の内容は、
できるだけ具体的に吟味します。
そこで、
願望を設定するにあたり、
潜在意識が本気になって受け入れてくれるものに
焦点を当てる必要があります。

そのためには、まず、
願望の内容を吟味することから始めることです。

たとえば、
「将来、社長になりたい」
という願望があったとしたら、
「組織の中で出世を重ねて社長になりたいのか?」、
それとも
「脱サラ・独立して、自分の会社をつくりたいのか?」
を明確にしなくてはいけません。
また、
「脱サラ.独立開業」を目指す場合、
「自分は大勢の社員を引っ張っていくタイプか?」、
それとも
「フリーランサーのような一匹狼タイプか?」
も見極める必要があります。
デザイナーやカメラマンといった
クリエイティブな仕事に携わっている人は、
組織を拡大させる事業展開よりも、
小人数である程度マイベースで仕事をこなしていったほうが、
余分なことで無駄なエネルギーを費やさないですむからです。

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叶えたい現実を決める

2019-06-15 06:10:12 | Weblog

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

もし、
あなたの現実が、
願ったものとは違うものになっていたとしたら、
そこからどうしますか?

答えは、
「叶えたい現実を選びなおし、
その現実に向かって物事を思考し、
ビジョンをイメージしはおす」
ということです。

叶えたい道を選択しなおすということです!

なにかしらの場面に遭遇するたび、
そこから、
より自分の希望にそった方何に進みなおすことによって、
思った通りの生き方を叶えられるようになっているのです。

たとえば、
おなかが空いたので
レストランに入ってなにか食べようとしているとします。
ディスプレイ見て、
あなたにはお安いハンバーグが目にとまり、
そこではそれを選択し
「ランチはこれにしよう」と、
決めたとしましょう。

しかし、
お店の中に入ったときに、
隣の席の人がおいしそうなステーキを食べていました。
それを見たとき、
「あっ、ステーキだ!本当は、私はステーキが大好き!
本当はステーキを食べたい!」と、
思ったとします。

そのとき、
「ステーキを食べる」ということを叶えるには、
あなたが心の中で、
そうしようと思い、
それを選択したなら、
ただそうするだけでいいのです。

すると、
あなたはウェイターがオーダーを聞きにきたときに、
自然に「ステーキをお願いします」と、
言うだけでよく、
あとは、
ステーキを食べるということが自動的に叶うわけです。

しかし、
ステーキを食べるということが叶わない場合があります。
それは、あなたが食べようとは思わなかったり、
あるいは、食べたいと思ったけど、
そうする許可と選択をしなかったときです。
なにかしらの理由付けをして、
不本意な決断を下したときです。

「あっ、ステーキだ! 私もこれが食べたいし 食べようかな」
これが叶えたいことです。
ですから、
そのままこの思考に「よし」と許可し
決断すればすんなり叶ったのです。

しかし、
「食べようかな」のあとに、
「けれどもお金がもったいないから、
ランチはハンバーグにしておくべきだ」
「お昼からステーキなんて賢沢だから、避けるべきだ」
「なにもうらやましくなんかないわ! 私はハンバ、グでいいのよ」と、
叶えたいこととは違うことを思い、
それを否定したり、
拒否したとき、
叶わないことになるのです。

別の言い方をすると、
そのとき「ステーキを食べることを叶えない」
という選択をし、
それを叶えたのです。

本当の願いを邪魔する思考の選択と決断をしたとき、
願いは叶わなくなります。

これはことの大小に関係なく、
自分が下した決断の反映された現実を
受け取ることを余儀なくされるのです。

その決断は、
日頃の思考のくせや、
採用しがちな感情や、
持っている感覚によって、
自然になされてしまいます。

自分が無理な決断や、
いやな決断や、
不本意な決断をしているとさえ、
思わないこともあります。

「叶える力」は、
いつでも思考とビジョンと感情を通して、
最終的に納得し、
許可した決定に従うことになるだけなのです。

だからこそ、
日頃から 「好きな現実を選ぶ」という
思考習慣を持っていましょう。

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