コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

自分を利用しようとする人にだまされない

2020-07-28 10:28:50 | Weblog
世の中には、
相手に何かを無理やりさせるために
巧妙に働きかける人たちがいます。

彼らは、
相手の心理を操作する達人です。

心理操作をする人は、
相手に特定の感情を抱かせ、
相手に何かをさせようとします。

相手がそれに服従すれば、
「見かけだけの報酬」を与えます。

たとえば、
次のような、
言い方がその典型です。
「私の、言うとおりにすれば、けっして後悔しないよ」
「私の言うとおりにしてよかったと後になって思うはずだ」
では、
その報酬がどこに存在するのか?
それは心理操作をする人の心の中にだけ存在します。

正当な要請と心理操作の違いを見抜くには、
どうすればいいのでしょか?

正当な要請とは、
それに同意すれば実質的な報酬が与えられることです。

心理操作の場合は、
実質的な報酬がまったく与えられません。

他の人たちを利用しようとする人がいなければ、
世の中はさぞかし住みやすくなるでしょう。

しかし、
現実はそうはいきません。
そこで、今後心理操作をする人に利用されないようにするには、
次のふたつのことを覚えておくといい。

心理操作をする人は、
実質的な報酬をまったく与えない。

正当な報酬とは、
あなたにとって価値のあるものでなければならない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほしいものをはっきりと伝える

2020-07-21 14:57:46 | Weblog
自分のほしいものを
相手に要求することを恐れてはいないでしょうか。

一般的な理由を挙げましょう。

1
「相手は私が何を求めているかをすでに知っているはずだから、
私はそれを求めるべきではない」。

ある意味でこういう姿勢は立派ですが、
不合理な考え方であり、
失望以外に何も得られないようです。

2
「弱みを見せることになるような気がする」。

しかしそのために、
自分が助けを必要としていることを認めることができないようです。

3
「欲を抑えることで人格が磨かれると思い込んでいる」。

しかし、
ほしいものを持たないことによって
精神的に豊かになることはありません。
こういう馬鹿げた考え方は、
「人生とは苦しいものだ」という考え方から
来ているのかもしれません。

4
「断られるのが怖い」。

要求を断られるとプライドがひどく傷つき、
無力感 にさいなまれる。
以上理由は、
どれも正当性がありません。
自分の要求が理にかなっているなら、
堂々とそれを伝えましょう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の能力を周囲にきちんと伝える

2020-07-20 15:30:16 | Weblog
ほとんどの人は控えめで恥ずかしがり屋なので、
自分の才能や技術を周囲の人に知らせようとしない。

「何かが得意でも自慢せずに謙虚になれ」
としつけられて育っているからです。

「自慢話が好きな人は嫌われる」
と教えられた人も多いことでしょう。

中には自分の能力について話そうとせず、
誰かが代わりに言ってくれることを
期待している入もいます。

しかし、
誰もそんなことをしてくれないので、
結局がっかりすることが多い。

「自慢をすること」と
「自分の能力をありのままに評価して伝えること」
の間には大きな違いがあります。

あなたのしていることがどちらなのかは、
状況によって異なります。

自慢屋は過去の栄光に浸りたがる傾向があり、
同じ話を何度も繰り返します。

たしかに、
過去に大成功したのは事実かもしれません。
しかし、
人間にとって大事なのは「今」と「これから」です。

いっぽう、
自分の能力を正確に表現することは、
自慢とはまったく違います。

事実を誇張せずにありのままに述べることは
決して間違ってはいません、

分野に関係なく、
社会に役立つ才能や技術を持っているなら、
恥ずかしがらずにそれを人に知らせるべきです。

何かがうまくできるかどうかを尋ねられて、
うまくできる自信があるなら、
「はい、できます」と正直に答えよう。
何に習熟して いようと、
それを秘密にしておいてはいけません。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どものころに受けた評価に左右されない

2020-07-17 14:21:11 | Weblog
「自分は無価値な人間だ」と
思っている人があまりにも多いようです。

しかも、
自分が そう思っていることに
気づいていないことも多いものです。

しかし、
自分で気づいているかどうかとは関係なく、
そのような考えは自分自身を害するものです。

私たちの行動パターンが
どのように出来上がったのかというと、
その大部分は子どものころに受けた、
親や教師といった権威者による教育の結果です。

権威者は私たちよりたいてい大きくて、
強くて、
賢かったので、
私たちは「彼らを信じることが自分の最大の利益になる」と思い、
実際にそうしました。

しかし残念ながら、
一部の権威者は自尊心が低く、
「自分は無価値な人間だ」と思っていた。
一般に、
人間の言動は、
その人の自尊心の度合いに左右されます。
権威者は、
自分が子どものころに、
言われたのと同じことをあなたにも言ったにすぎません。

さあ、
ここではっきりさせておきましょう。
彼らのネガティブな意見は彼ら自身に向けられたものであって、
あなたとは何の関係もありません。

いつまでもそれに引きずられている必要もありません。
地球上のすべての人は、
平等に価値のある存在です。
自尊心を高めれば、
それが真理であることがわかるはずです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自尊心を高く持つ

2020-07-13 07:00:54 | Weblog
自尊心を高めることは、
誰にとっても大切なことです。
ところが、
多くの人は自尊心について誤解しています。

また、多くの人は
「自尊心を持つことは倣慢やうぬぼれにつながる」
と考えています。
しかし、それは違います。
自尊心の高い人は倣慢やうぬほれとは無縁です。
いっぽう、
他の人が倣慢であったりうぬぼれていたりしても平気です。

次に、
「自尊心の高い人は自己中心的だ」というのも誤解です。
「自己中心的である」ということと、
「自尊心が高い」ということは正反対なのです。
自己中心的な人は一称賛を求めますが、
自尊心の高い人は称賛を求めない。
自分の価値を信じているから、
他人からの称賛など必要としていないのである。

さらに
「自尊心の高い人は、
自尊心の低い人を見下す傾向がある」というのも、
まったくの誤解です。
自尊心の高い人はけっして威張ったりせず、
誰に対しても敬意を持って接します。

最後に、
自尊心は人生のすべての側面に影響を及ぼします。
だからこそ、
自尊心を高めることは、
最も重要なことのひとつなのです。
人は、
自分の価値を信じて自分のことを好きになればなるほど、
ますます幸せを感じるようになるのです。
自尊心とは倣慢になることではなく、
自分の価値を 信じることです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦手な人に話しかけてみる

2020-07-10 15:21:29 | Weblog
誰にだって苫手な人がいます。

苦手な人に対する最もよくない態度、
それは相手を避けることです。
顔をなるべくどうしても話さなければならないときは、
なるべく言葉少なく事務的に喋る。

これでは相手の人との距離がどんどん遠ざかり、
お互いの間の講が深まるばかりです、

そうならないためには、
苫手な人にもう少し積極的に話しかけることです。

苦手というのは、
相手を認めようとしない気持ちの表れです。

だったら相手を認めようとすればいい。

認めるための第一歩が、
とにかく相手に話しかけるという行為なのです。
その人を受け入れるには、
話しかけるのが一番いいと思います。

誰にでもできる簡単な話しかけは、
挨拶をすることです。

なんだそんなことかと思うかもしれませんが、
苦手な相手には挨拶もしたくないと普通は思うものです。

あなたも実はそうなのではないでしょうか。
苦手な人との挨拶をできるだけ避けようとしていませんか?
たった一言でいい。
テーマも何でもいいのです。
話しかける内容よりも、
話しかける行為のほうに意昧があります。

世の中にはどうしても相性の合わない人、
ウマが合わない人がいるものです。
そういうレベルの人はどう接すればいいのか。

私の場合はこの人と自分は合わない、
それはそれでしかたがないと、
開き直ります。
そうしたほうが絶対ラクになります。
少なくとも、
今よりは普通に接することができるようになります。
あくまで表面的には、
ですが、でも、それで十分だと私は思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「想像力」を働かせる

2020-07-08 12:35:51 | Weblog
ああ、
この人はこんなふうにものを見ているなときき、
私はそう感じるときがあります。

その場合、二通りのケースに分かれます。

一つは、
・・・だからこの人みたいにならないようにしなければ、
と注意するときです。

「あるときお会いした人は、
何かというと人に優劣をつけたがる人でした。」
有名無名を非常に気にします。

そして、丁寧な言葉使いとは裏腹に、
高飛車な態度を取るのです。
そういう人の目でものを見たくない、
絶対見てはいけないと思いました。

もう一つ、
自分はこの人のように見るのを忘れていた、
と反省するときです。

多くの場合は、
私と立場が違う人です。
弱い人といってもいいかもしれません。

もっとも
立場といってもいろいろと考え方があって、
私はフリーランスの事業者ですから、
社会的には十分が立場が弱いのですが、
世の中にはそんな私より弱い人だって、
見方によってはいるのです。

たとえば、
経済的に余裕がなくても、
私には自由に使える時間がたっぶりあります。
時間のコントロールがしやすいのです。

一日のほとんどを会社などに拘東されている人から比べたら、
精神的には賛沢かもしれません。

そして、
その賛沢さに慣れてしまうと、
そうでない人が世の中をどう見ているのかを忘れてしまいます。

自分の目ではなく、
人の目を持つことがときどきは必要です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現実」から目を背けない

2020-07-07 13:26:40 | Weblog
人はとかく事実よりも自尊心を優先しがちです。

自尊心がないのも困りますが、
ありすぎるとかえって裏目に出てしまいます。

「わたしはこんな会社にいるような入間ではない」
わたしはこんな男とつき合うような女じゃない」
と思うのが自尊心です。

一方で、
厳然とした事実がそこにあります。
実にその男性とつき合っていること、
それが事実です。

この場合の自尊心は、
その人の願望に近いか。
事実を認めなくない気持ちが強い。

事実を直視しないと前には進めません
今の会社にいたくない
その事実を前提として、
自分はどうしたらいい?
今の自分がこの会社を辞めたら、
何ができるのか?

そう考えてください。
できることがないのであれば、
事実を認めることが大前提です
できることがないようだったら、
スキルアップするように努力します。
事実を見つめなくては、
進できないのです 。

自尊心よりも事実を重視せよとは、
今の自分を否定しているうちは、
前に進めません。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自分ほめノート」をつくってみる

2020-07-06 12:17:07 | Weblog
真面目すぎる人は、
いつも自分を叱り続けています
白分のあそこがよくない、
ここがどうも足りないと、
自分の欠点ばかりを探し ます。

あるいは、
自分にできないことばかりが、
頭に浮かびます

わたしにはできない、
反省のない人に比べたら、
などと書きながら、
僕は自分の最大の欠点は若く見えるのとか、
性格が大人しいので、
軽く見られるといってか、…
と自分を責めます。

そこで思いつくままに、
ノートにほめ言葉を書き出してみてはいかがでしょうか。

たとえば、
特別な資格はないけれど、
美味しい料理をつくれる。

難しいことはいえない代わりに、
感覚は鋭いほうだ。

恋人はいない、
でも異性の素敵な友達は多い。

他にもいろいろあると思います。

何でもいいのです。
自分をほめることで、
精神のパランスを取る。

そうしないで欠点ばかり思い浮かべていると、
極端な場合は駄目になってしまう。

名前などうでもですが、
精神安定ノート、
あるいはプラスノートともいうべき
「自分をほめるノート」です。

また、
何か一つ自分の欠点が浮かんだら
必ず長所も考えてみる。
そんな習慣をつけると、
自信が持てるようになります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「原点」に立ち返る

2020-07-05 09:13:09 | Weblog
過去にこだわるのは、
後ろ向きの姿勢だからよくない。
よくそんなふうにいいますが、
100パーセント正しいわけではありません。

過去の栄光を捨てられない入がいます。
一つの具体例としては学歴があげられます。
かなりの高学歴を持つ人が、
会社では力を発揮できないことがあるものです。
原因はいろいろあると思いますが、
過去の栄光が高すぎるプライドとなって
一人歩きしているからだと私は思います。

与えられた仕事が、
自分にはくだらなく思えてしまう。
したがって、
熱心に取り組めない。
取り組めないから、
いい結果を出せない。
しかし、
たいていその仕事はくだらないどころか、
誰もが必ず越えなければいけない基本のようなものなのです。
反対によいケースとはどんなことでしょうか。
それは、
自分の原点に立ち返ることができる点です。

「一口に原点」といっても、
決して一つではありません。
成長してきたプロセスのそれぞれの時点に
原点と呼べるようなものがあるはずです。

立ち返るといいましたが、
具体的にはどうしたらいいのでしょうか。

たとえば、
あなたが生まれ育った故郷に帰ってみるのも一つの方法です。
現地に残 っている学生時代の友人に会ったり、
母校を訪ねて先生に会ったりします。
そうした行為自体に直接的な効果があるわけではないけれど、
自分を見つめ直すよいきっかけ となるでしょう。

その他に原点はいくつもあります。
高校、大学、短大、専門学校のとき、就職を決めたとき、
などにも原点があります。

人によってさまざまな原点があるでしょう。
久し会っていないその頃の友人に会うのは、
非常に素晴らしいことです。
友人と話していると、
たとえば当時どんな気持ちでいたのか、
自分の進路を決めたのか、
どんな夢を持っていたのか、
・・・・などを改めて考えるチャンスにもなります。

実際にその場所に行かなくても、
自分の過去を見つめることは可能です。

昔の写真を見る。
それだけでも、
過去の自分がどうだったのか、
はっきりと思い出せます。

「過去に学ぶ」 そういってもいい。

過去に持っていた自分のいいところを、
どこかに忘れてきたのではないか。
そんなふうに自分を見直すのは、
まさに自分の原点に戻ることなのです。

年老いた人にとって、
過去は単なる思い出にすぎませんが、
若い人にとっては自分を見つめ直すチャンス。
言い換えると、
将来に向けてのエネルギー源のようなものです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする