コーチkazuの「夢が実現!」 http://www.katch.ne.jp/~k-kami/

コーチ日本1のkazuさんが満を持してブログに登場!教育コーチを日本に広めた第一人者として、東奔西走しています。

ほんのわずかでも進歩があれば

2021-10-29 07:22:40 | Weblog
考えるのもイヤなことというものは、
誰にでもあるものです。

外で接しているときには明るくて気さくな人でも、
自宅に帰ると不機嫌な人に
ガラリと変わってしまうこともあります。

自宅になにかイヤなことが待っていたりすると、
条件反射的に気分が沈んでしまう、
ということもあるようです。

たとえば、
自宅に自分の居場所がないと感じているとか、
子どもたちが元気なのはいいけれど、
あまり騒ぐので自分のための落ち着いた時間が取れないとか、
そういった、
言ってみれば些一細なことも原因になります

そう言う些細なイヤなことは、
「少し進歩」することで打ち消すことができます。
無理をして「居場所を作ろう」とか
「子どもたちを静かにさせよう」としても、
簡単にはうまくいかないでしょうから、
別の方法で「進歩」するのです。

逆療法ではありませんが、
居場所がないと感じるなら、
いっそのこと自分の気配まで消してみるといいでしょう。
仙人のように姿が見えなくなるわけです。
これはこれで、
大きな「進歩」ですが、
きっと反対に、
自分が家族の中でどういう場所に
いるのかが感じられると思います。

子どもたちが騒ぐ?
それは彼らの仕事ですから放っておきましょう。
これにも逆療法があります。
いっしょになって騒げばいいのです。
子どもたちとのコミュニケーショ ンにもなり、
いい運動にもなります。
これも大きな「進歩」です。

家族の誰かが怒り出すかもしれませんが、
それもその人の仕事です。
怒られたら素直に謝りましょう。
どうして子どもと一緒に騒いだのか聞かれたら、
正直に説明しましょう。
きっと、
これもいいコミュニケーションになるでしょう。
家族もまたまた進歩します。
イヤだイヤだと考えているだけでは、
よけいにうっ屈してしまいます。

イヤなことがいくつあるか数えて、
同じくらい「少し進歩」すれば、
イヤなことが見えなくなることも多いのです。

もしイヤなことにはっきりとした原因があれば、
やはり家族みんなで相談して、
みんないっしょに「進歩」することも考えましょう。
ただし、
あくまでも無理なく、
低い方へと水が流れるように、
自然に「進歩」するまで放っておくのがコツです。

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リニアはいらない

2021-10-28 07:30:35 | Weblog
岐阜県中津川市瀬戸の
リニア中央新幹線瀬戸トンネルの工事現場から
崩落事故があったようだ。

亡くなられた方や
左足を骨折するけがを負った方がおられた。

ところで
リニア中央新幹線って
必要なの?

海外に売りたいのかな。

私は巨額な債務が増えると思うが・・・

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苦しいときにもなにか喜びがある

2021-10-28 07:29:20 | Weblog
自分には、
なにもいいところがない、
長所もないと考えている人でも、
なにかひとつくらい人にアドバイスができることもあります。

たとえば、
小さい頃遊んでやった親戚の子どもが、
今まさに成長して、
社会に出ようとしているようなとき。

そんなときに、
人生の先輩としてなにかちょっとした言葉なり、
人生訓なりを与えたいものです。

我が子ではなくても、
親戚であればその人の社会人デビューには
どこかで関わってきただろうし、
これからも関わるでしょう。

親戚のみんなが顔を合わせる席が、
もし、
親族のだれかの葬儀だとしても、
それはかけがいのないチャンスだと言えるでしょう。

そこで、
あなたは、
自分の苦しみを癒すなんらか
「きずな」を見つけると思います。

自分が苦しいのは、
恐らく「ひとりで頑張っている」からでしょうから、
力になってくれる人々の懐かしい顔を見るだけで、
あなたは、
「よし、もう一回頑張ろう」
と思えるのではないでしょう。

久しぶりに訪れた親戚の家で、
あなたは、
なにも気を使う必要はありません。
ただ、
「あの木は、前より伸びたねえ」
「思ったより枝が張ったね」
「この花はきれいに咲いたね」
と言えばいいのです。

そこで、
きっと親戚も、
連れて行った子どもたちも、
血縁のつながりを感じるでしょう。

なぜなら、
その家の人たちとは、
庭の木が幼いときからのつきあいだからです。

そんな親戚がどこにもないという人は、
これからそういうつきあいを作ればいいのです。

ほんの小さな共通意識、
連帯感でいいのです。

苦しい、
つらい、
というときに、
それをストレートに話せる相手、
ということです。

それは隣近所のおつきあいでもいいし、
職場の友人でもいいでしょう。
苦しいときにそれを察してくれる人は、
パートナーとしての配偶者以外にも必要なのです。

「喜び」はどこにでもあるものです。
苦しいときに手軽に自分の気を紛らわせてくれる喜びは
用意しておいたほうがいいかもしれません。
いざというときには、
まわりを見回す客観性が失われているかもしれないからです。

とっておきの高いお茶でもいれて
みんなに振る舞うことでもいいし、
極上のワインを開けることでもいいのです。

とっておきの喜びは落ち込んだときの特効薬です。

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つらいことはいつか過ぎていく

2021-10-27 07:37:25 | Weblog
楽しいことは早く過ぎ、
つらいことはゆっくり過ぎます。

人間は忘れる動物だと言われます。
野生動物のように記憶していて、
ひとつひとつに神経をとがらせていたら
はありませんがもたないのです。

野生動物の情報量と、
人間が社会生活を送っていく中で蓄積する情報量は、
まさに雲泥の差があります。

野生動物の情報は、
それがなければ生きていけないような
ギリギリのものでしょうが、
人間の情報には、
よけいなもの、
本当はその人には生きていく上で 、
必要がないものもたくさん含まれているのです。

だからこそ、
人間は、ある程度ものを忘れることが
生きていく上で大切になります。

まず第一に、
生まれてこのかた、
身内や親友などの死に接したときの悲しみをすべて
そのまま引きずっていたら、
とてもではありませんが堪えることはできないのです。
悲しみは、いつか薄れていくものです。

そうでなければ、
人間は一生悲しみの中で生きていくことに
なってしまうでしょう。

たとえば、
ちょっとしたケガをしても
そのケガは数日で跡形もなく消えてしまいます。
ケガがいつまでも残っていたら困ってしまいます。
それと同じように、
心の問題も
「いつかは過ぎ去る」
「いつかは忘れられる」と考えることが
心にとっていちばん健康的だと言えるでしょう。

反対に、
楽しいことというものは、
早く終わってしまいます。

それは、
その出来事、
イベントが楽しいから、
時の経つのを忘れるほどだったわけです。

では、
逆につらいことがあっても、
「いつか過ぎ去る」
「いつか終わる」と考えて、
楽しいことと同じように前向きに考えたらどうでしょう。

どんなひどいケガでも時が経てば治るように、
どんな病気もきちんと養生すれば治るように。

そして、
人生や仕事、
家族の問題があっても、
それは一時の問題です。

大切なのは必ずいつかは解決の日がくるということです。
人を憎むことがあっても、
またいつか愛することがあるかもしれない。
憎いと思っていた人が、
本当はあなたにとってもっとも重要な
愛すべき人かもしれないのです。

すべては、
うつろいゆくものだということがわかれば、
前向きになれるでしょう。

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たまには自分を飾ってみよう

2021-10-26 07:35:09 | Weblog
思春期に、
異性に手紙やプレゼントを渡そうとか、
話しかけようとしてドキドキしたことがあるでしょう。

そうでなくても、
気になる異性がそばを通るだけで、
ときめきを 感じたはずです。

あのドキドキ、
ときめきの感覚をとっくの昔に忘れている人も多いでしょう。

それでも、
自分でお酒落をして、
異性に会いに行くとき、
自分の着飾った姿に
ドキドキしたこともあるのではないでしょうか。

そうです。
着飾るということは、
自分自身でドキドキできることなのです。

毎日、お酒落をしている人は別ですが、
しばらくお酒落をしていないなら、
ちょっと自分を演出してみてはいかがでしょう。

なにも、
高い服を着るとか、
ぜいたく品を身につけるということばかりが
着飾ることではありません。

正月に、
下着などを新しいものにする習慣がありますが、
そういうレベルでもいいのです。
ようするに気持ちの問題です。

気持ちを飾るという方法もあります。
ふだん意識していないような、
自分の「いいところ」を出してみるのもいいでしょう。

自分は、
本当はもっと親切だったり、
優しかったりするはずです。

飾るというより、
深層部分の自分を表面に引き出してやる、
という感じでしょうか。

電車に乗ったらだれかに席を譲ろうとか、
横断歩道を年輩の方が渡ろうとしていたら、
介添えを申し出るといったこと、
そんなことをしようとイメージするだけでも、
自分の気持ちが変わってくるのがわかるでしょう。

気持ちが親切で優しくなってくれば、
表情まで変わってくるものです。
きっと周囲の人から表情の変化や態度の変化を指摘されるでしょう。

自分の行動も飾ることができます。
いつもせわしなく働き、
機関銃のように話をしているのだったら、
心掛けて水車のようにゴットンゴットンという、
ゆっくりとしたしゃべりかたにしてみます。

また、
いつも競歩のように早足で町を歩いているのだったら、
ゆったりとした歩き方にしてみる、
というのもひとつのやり方です。

これだけでもずいぶん気分が違います。
いろいろと飾るうちに、
自分の内面に余裕が生まれることを感じるはずです。

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良いコーチは成長の過程でほめる

2021-10-25 07:51:23 | Weblog
負けるコーチは点でほめます。

点でほめるというのは、
「今、勝ったからほめよう」
「今、できたからほめよう」という具合に、
何の計算もなく行き当たりばったりでほめることです。

この場合には、
今ほめたことが相手の心にどんな影響を与え、
今後にどうつながるかという目的がコーチの中にありません。
コーチが、
「ほめること=相手が伸びる」という一元的な考え方でいると、
相手がほめられ慣れてしまうかもしれません。

これでは、
「ミスが多い」、
「勝てない」相手は、
いつまでたってもコーチに目をかけてもらえず、
ほめてもらえません。
そうなると相手もやる気を失っていってしまうでしょう。
相手を伸ばすためには、
ミスプレーをしたときでも、
ほめなくてはならないときがあります。

勝つコーチは、
過去、現在、未来をしっかりと線でつなぎ、
現時点がその相手をほめるタイミングなのかどうかを
計算しつくしています。

例えば、
過去にできなかったプレーが少し上達した時に、
その点をほめるのは、
これから先、
相手がそのプレーをマスターしていく過程の
大きなモチベーションにつながるという判断です。

逆に、
勝った試合で調子に乗りすぎていて、
今ほめてしまうとこの先、
さらにそれを助長させてしまうと判断すれば、
あえてほめない方が
その相手にとってプラスに作用することもあります。
勝つコーチは、
ほめる作業を相手の成長過程のなかで
上手にアクセントとして活用しています。

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思いどおりになるのが人生なのか?

2021-10-22 06:14:13 | Weblog
思いどおりならないのが人生なのか?
思いどおりになるのが人生なのか?

世の中を見てみると、
思うようにならない人生を送っている人たち
が何と多いことでしょうか。

友人、知人、先輩、上司、親戚の人、同僚などにも
そんな人がたくさんいます。

また、
テレビの何らかのインタビューに答えていたり、
雑誌などの記事のコメントにおいても、
人生は思うようにならないと
語っている人たちを多く目にします。

「そんなに世の中は甘くない」
「俺も昔は夢があったんだけどなあ」
「思いどおりになるわけがない」
「人生はあきらめが肝心」
など、
彼らは、
このような言葉をよく口にしてきました。

たしかに言っていることは嘘ではありません。
身を持った体験からにじみでた言葉であり、
事実でもあります。

そうです。
人生は思いどおりにならないのです。
だからといって、
ため息をついてまでも今いる環境を容認し、
その状況に身を任せ、
何かに流されているかのように、
生きていかなければならないのでしょうか。

このような人たちがいる一方で、
自分の人生を思いどおりに生きている人たちがいること
に私は気づいていました。
それは一人、
二人ではなくて、
多くの人が思いどおりの人生を送っています。
その人たちは共通して、
「思いどおりに人生はなるもの」
「あきらめないことが大切」
「夢は叶うもの」
「考えていたとおりになった」
というようなことを口にします。
そしてそれを実現してきたのです。
この言葉も真実であることになります。
人生は思いどおりになるのです。

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感謝、感謝、感謝

2021-10-21 07:30:28 | Weblog
人間は誰もが多くの人々とともに生きています。
社会や会社があって初めて自分があります。
これを忘れて、
自分だけの力で成功したと思っている人は、
感謝ができていない人間です。

人は誰かに感謝をしているとき、
精神的な落ち着きを得ることができます。

反対に、
感謝ができない人間は、
常に心に不平・不満を抱え、
いつもイライラしています。

こういう状態が続くと
十分な能力の発揮は望めず、
せっかくの能力もくすぶり続けてしまいます。

いや、
それどころか、
感謝に気がつかない人間は必ず自滅します。

なぜなら、
人に優しくすることで、
人からも優しくされます。

同様に人に感謝すると、
相手からも感謝されます。

感謝をしない人間は、
誰からも相手にされません。

今、
あなたがこの世に存在しているのは
先祖のおかげです。

日々、
充実した生活を送れるのは、
仕事ゃお金や周りの人々のおかげです。

これを胸に刻み、
自分を支えてくれる
家族、仕事、会社、上司、同僚、お金など、
すべてのものに感謝する心を持ってほしい。

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「戦い」とは人を愛すること

2021-10-20 07:38:29 | Weblog
鹿児島の知覧基地から飛び立った
特攻隊の遺書を読むと、
皆、死を目の前にして、
親や妻に感謝の気持ちをしたためています。

誰も敵に対する憎しみなどは書いてはいません。

彼らは敵を倒すためではなく、
愛する人のために戦ったのです。

人間が行動を起こすきっかけは、
過去の自分のデータに基づいた
「好き・嫌い」や「快・不快」です。

しかし、
戦場ではこれだけでは絶対に生きられません。

いつ死ぬかもわからない状況で、
好きだ嫌いで行動するバカな人間はいないでしょう。

こういう究極の状況を超えるために、
戦士たちは自分の欲求を超えた目的を見つける。

それが、つまり愛する人です。

誰かのために戦う使命を見つけると、
人間にはとてつもないエネルギーがわいてきます。

仕事でも人生でも同じです。

自分の欲を満たすだけの戦いや不満から発した戦いは、
勝っても自分がうれしいだけです。

しかし、
愛する人と幸せを共有するために戦おうとすると、
人はより強く、
勇敢になれます。

これが自己改革という奇跡なのです。

つまり
「人を喜ばせる幸せ」
を目的にした戦いだけが、
人生の勝利をおさめるのです。

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老いては子に従うな

2021-10-19 07:17:46 | Weblog
昔のことわざに
「老いては子に従え」
というものがあります。

これは、
歳をとってからは、
何事も子に任せて従った方が良い、
という意味です。

人というものは歳をとると頑固になります。
そして、
時代も変わります。
同時に、
いつまでも子供だと思っていた
我が子も成長します。

そのため、
我を通すよりも子供の言うことを聞いた方が、
家庭も円満になるし、
その方が自分も幸せになる、
ということだろう。

しかし、
従うということは、
老いた自分を認めてしまった証拠です。

60歳で定年を迎えたとしても、
まだまだ人生半ばです。

それどころか、
豊かな時間を手に入れ、
やりたいことが存分にできる
輝かしいネクストステージなのです。

それなのに、
人生に燃えつきてしまい、
夢も持たず子供に従うなど、
みすぽらし過ぎます。

いくつになっても、
子に従ってはいけません。

いつまでも夢に果敢にチャレンジして、
人生を積極的に生きましょう。

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