元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「遠き落日」

2016-05-29 06:39:50 | 映画の感想(た行)
 92年作品。野口英世の一生を、その母シカとの関係を通し描いた伝記映画。野口英世は、戦前から修身の教科書や絵本に“火傷で変形した左手のハンディキャップを克服して世界の偉人になった”と取り上げられ有名だったが、戦後間もなくは日本人の“尊敬する人”のトップに君臨していた。

 しかし、この映画化にあたって、誰でも知っている偉人伝にしてしまっては面白くも何ともないのは分かりきっており、どういう切り口を見せるかが当然ポイントになる。ところが新藤兼人脚本、神山征二郎監督のコンビはやっぱり、というかまたしても前作「ハチ公物語」(87年)の轍を踏んでしまい、なんとも煮えきらない映画に終わっているのが情けない。

 野口英世は、優秀な学者としての顔のほかに、自分の目的のためなら他人を平気で踏みにじる傲慢なエゴイストの側面も持ち合わせていた。この映画でも、借金踏み倒すは、ずうずうしく他人の家に転がり込むは、渡米してもあつかましく友人知人にたかりまくるは、非常にイヤな奴として描かれている。

 もっとも、その裏には、百姓の子が学問するためには周囲の金持ちを利用するしかなかった明治時代の封建的風土を批判する、新藤兼人の歴史観がヒネくれた形であらわれているのは明白だ。そう、映画はこの路線で偉人のバケの皮をはがしていくピカレスク・ロマンに徹すればよかったのだ。

 ところが“良識派”の神山征二郎はそれを許さない。野口の母親に関するエピソードを多く取り入れ、一種の“母もの”として文部省特選のお墨付きをもらおうとする(結果としてもらったわけだが)。これを三田佳子なんかが演じているもんだから、極めてクサいお涙頂戴映画としての外見を持つに至ってしまった。この脚本と演出のスレ違いは「ハチ公物語」以上である。

 三上博史の野口英世は完全なミス・キャスト。もっとアクの強い俳優を起用して、偉人のウサン臭さを強調すべきだった。それと以前から指摘されていたことだが、神山監督は若い女優の使い方がヘタだった。本作も牧瀬里穂とジュリー・ドレフュスを引っ張り出しているものの、どうでもいい役で何のために出したのかまったく不明。和田アキ子の主題歌も仰々しくていただけない。

 ひょっとしてこの映画は、内容よりも、劇場に託児所を設置するという気の効いたマーケティングによって記憶されるのかもしれない。事実、若い主婦層の取り込みにより封切り時にはヒットしており、この方法は成功といえるだろう。

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