現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学におけるスポーツの描き方

2016-10-30 08:53:58 | 考察
 児童文学の世界では、題材としてスポーツが取り上げられることが良くあります。
 しかし、そのスポーツの部分の記述を読んでみると、多少そのスポーツの経験や知識のある人間が読むと、まるで実態に即していないことがよくあります。
 あのベストセラーであるあさのあつこの「バッテリー」でさえ、少年野球や中学校の野球を知っている人が読むと、野球の描写がまったくのでたらめであることが分かります(あさの自身がこの作品を書き始めたころは野球の知識が全くなかったことを認めています)。
 純粋なエンターテインメント作品やファンタジーならば荒唐無稽な設定も許されますが、一見リアリズムの作品に思えるような場合はスポーツのシーンにリアリティがないのは問題でしょう。
 特に女性作家に多いのですが、そのスポーツの体験はおろか取材さえ十分にやらないで、安直にスポーツ物を書いているケースがあります。
 例えば、ランニングでは、短距離走と長距離走では、トレーニング方法、シューズ、走るフォームなどが全く違うのですが、練習と言えば漫然とジョギングするだけしか描かれていず唖然とさせられることがあります。
 他のスポーツでも同様です。
 野球では、小学生の軟式野球、中学校の部活としての軟式野球、ジュニアリーグ、シニアリーグ、ボーイズリーグなどでの硬式野球などのそれぞれで、用具、ルール、大会、組織などが違うのですが、書き手がまるで理解していないことが多いです。
 バスケットボールでは、中学校以上のバスケットボールと小学生のミニバスケットの違いが同様に書き分けられていません。
 サッカーでは、中学校の部活、少年サッカー(11人制ではなく8人制が主流になっています)、さらにはプロチームのユース組織などに、最近はフットサルも盛んなので、一口にサッカーと言っても非常に複雑です。
 他のスポーツを描く場合でも、同様の問題はあることでしょう。
 これらは、実際に現場を取材すれば解決できますし、そこまでしなくてもネットで丁寧に調べるだけでも基本的なことは分かります。
 そういった手間を惜しんで書いた作品にリアリティを求めることは、最初から大きな無理があります。

金哲彦のランニング・メソッド
クリエーター情報なし
高橋書店


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