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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

6/17(水)「フィガロの結婚~庭師は見た!」/野田秀樹の新演出による笑いに満ちた新感覚オペラ

2015年06月17日 23時00分00秒 | 劇場でオペラ鑑賞
全国共同制作プロジェクト
歌劇「フィガロの結婚 ~庭師は見た!」(全4幕/イタリア語&日本語による公演)


2015年6月17日(水)18:30~ ミューザ川崎シンフォニーホール S席 1階 1C5列 38番 12,000円
指 揮: 井上道義
演 出: 野田秀樹
管弦楽: 東京交響楽団
合 唱: 新国立劇場合唱団
【出演】
アルマヴィーヴァ伯爵: ナターレ・デ・カロリス(バリトン)
伯爵夫人: テオドーラ・ゲオルギュー(ソプラノ)
スザ女(スザンナ): 小林沙羅(ソプラノ)
フィガ郎(フィガロ): 大山大輔(バリトン)
ケルビーノ: マルテン・エンゲルチェズ(カウンターテナー)
マルチェ里奈(マルチェリーナ): 森山京子(メゾ・ソプラノ)
バルト郎(ドン・バルトロ): 森 雅史(バリトン)
走り男(バジリオ): 牧川修一(テノール)
狂っちゃ男(クルツィオ): 三浦大喜(テノール)
バルバ里奈(バルバリーナ): コロン・えりか(ソプラノ)
庭師アントニ男(アントニオ): 廣川三憲(俳優)
声楽アンサンブル: 佐藤泰子、宮田早苗、西本会里、増田 弓、新後閑 大介、平本英一、千葉裕一、東 玄彦
演劇アンサンブル: 河内大和、川原田樹、菊沢将憲、近藤彩香、佐々木富貴子、下司尚実、永田恵実、野口卓磨

 何かと気になっていた「フィガロの結婚~庭師は見た!」がいよいよ川崎にやってきた。全国共同制作プロジェクトでモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」を井上道義さんの指揮、野田秀樹さんによる新演出で上演するというものである。プロジェクトは2015年の春期と秋期に分かれ、春期は5月26日石川、30日大阪、6月6日・7日兵庫、10日香川と回ってきて本日6月17日が最終で神奈川、ミューザ川崎シンフォニーホールでの公演となっている。この後、秋期は10月24日・25日東京、29日山形、11月1日愛知、8日宮崎、14日熊本、というスケジュールになっていて、日本でのオペラ・プロジェクトとしては文字通り「全国共同制作」である。私は今日川崎で鑑賞し、10月には東京芸術劇場コンサートホールでの公演にも行く予定にしている。

 今回の「フィガロの結婚」は、まず上演の形態がホール・オペラであるというのが最大のポイントで、大掛かりな舞台装置のある多目的な大劇場ではなく、音響効果に優れたコンサートホールで行う。本日の会場であるミューザ川崎シンフォニーホールは、改めて説明する必要もないと思うが固定された低いステージを360度の方角から聴くように客席が配置されている。ステージ後方にも客席があり、その後方にはパイプオルガンが設置されている。従って舞台装置の転換や移動などができないばかりか、第一幕が下りない。このホールで本格的なオペラの上演を行ったのは観たことがない。この音楽専用ホールで上演するのだとすれば、かつて行われていたサントリーホールのホール・オペラや、現在行われている東京芸術劇場コンサートホールのシアター・オペラと同じカテゴリーの上演形態になるだろうとは想像していた。

 私は1階のR5列に席を取っていたのだが、会場に入ってみると、1階は1~3列(センターブロック)の座席が取り外され、そこがオーケストラ・ピットとなっていた。4列は座席は残していたが客は入れずに、境界線の役割。つまりピットといってもオーケストラは同じフロアにいるのだ。
 オーケストラはかなり細長いスペースに収まるため、管楽器が上手側に集まっていた。すなわち、ヴィオラの後方(奥ではなく)にフルートとオーボエの4名が並び次の列にクラリネットとファゴットの4に、次がホルンの2名、次がトランペットの2名、最後は右端の出入り口のすぐ横にティンパニといったところだ。ヴァイオリンの後方は見えなかったが、チェンバロがいるはずである。私の目の前にはファゴット奏者がいて、譜面が見える距離。演奏が始まると、まるでオーケストラの中の木管の雛壇にいるような感覚の聞こえ方で、実に生々しい音色なのは良いが、ヴァイオリンの音などはほとんど聞こえてこなかった。

 一方、ステージは完全にオペラの舞台と化している。手前に向かって緩やかに傾いている床が張られ、電話ボックスをふたまわり大きくしたような扉のついた縦長の箱が3つ、ステージに置かれ、これらがお馴染みの「フィガロの結婚」に出てくるドタバタ劇の色々な役割を果たすのである。ステージ正面には長い竹竿が2本ずつX字型に組み合わされて立てられていて(竹矢来風)、出演者の方がこれを抜いて左右に運び去ると、幕が開くという意味になっていた。開演時間が迫り、オーケストラがチューニングをする前から、もうドラマは始まっているらしく、庭師役の俳優の廣川三憲さんが日本の竹の棒(1.5メートルくらい)を2本持って、拍子木のように鳴らしている。井上道義さんが登場しても音楽は鳴らず、廣川さんの語りでドラマが始まった。

 さて、野田秀樹さんの「新演出」は物語の舞台を「黒船の時代の長崎」に置き換えたもの。長崎に領事か何かに赴任してきたアルマヴィーヴァ伯爵とその夫人、そして小姓ケルビーノ。彼らに仕える使用人はすべて日本人という設定で、フィガ郎(フィガロ)、スザ女(スザンナ)といった具合。上記の出演者一覧のように、面白い名付けである。そして、外国人3名は原語のイタリア語で歌とお芝居、日本人出演者は、日本人同士では日本語、外国人との絡みではイタリア語を使う(!)というバイリンガルの使用人たちなのだ。この設定はなかなか面白く機能していた。東京芸術劇場のシアター・オペラ「こうもり」「メリーウィドウ」とおなじ系統のもので、コチラもすっかり慣れてしまっている。イタリア語だけでなく日本語の台詞や歌詞にも日本語字幕がついていたので、聞き取りにくくてもよく判るようになっていた。
 サブ・タイトルにある「庭師は見た!」は2時間ドラマの人気シリーズのパクリだが、実際に庭師アントニ男(アントニオ)が物語展開上の役割を担っているわけではなく、単なる物語の進行役でしかなかったのが惜しいところだ。
 転換のできない舞台と少ない舞台装置を補う形で、「演劇アンサンブル」の皆さんが、パントマイムで色々な動きをする。それがある時はテーブルなどの装置になったり、ある時は出演者の心情を表現する舞踊になったりした。普通のオペラ的な感覚にはあまり見られない演出で面白い手法であった。

 演出の方向性は完全にドタバタ喜劇になっているが、オペラなのだから、出演者の歌唱や演技が重要な要素であることには変わりはない。
 すべてにおいて主演の位置付けで奮闘していたのがスザ女(スザンナ)役の小林沙羅さん。このところ、アデーレ、ヴァラシエンヌと続いてきた延長線上の演技で、活き活きとステージ上を走り回り可愛らしい仕草で、チャーミングな魅力を撒き散らす。いつも前向きで明るく、機転が利いて、素直なのにちょっと勝ち気で・・・・。誰にでも好かれるタイプの可愛らしいキャラクタ作りがうまくいっている。日本語もイタリア語もハッキリした発音で、テンポ感が良く実に活き活きとしている。歌唱についても、よく通る声て、声量も十分、全出演者の中でも一番の出来であった。また細かな演技や表情の豊かさ、とくに歌っている間でも笑顔が本物っぽく、本当に舞台を楽しんでいるように見える。近くで観ていたので余計にそう感じるのかも知れないが、観る者の共感を引き出す笑顔だと思った。
 フィガ郎(フィガロ)役の大山大輔さんは、歌唱も良かったが、むしろ演技面で存在感を発揮していた。
 海外組では、アルマヴィーヴァ伯爵役のナターレ・デ・カロリスさんは、この手の役柄には経験も十分のベテランのはずだが、今日のところは今ひとつこの新演出にノリきれていなかったように感じられた。つまりは言葉の障壁があったのだろうと思う。イタリア語での歌集や台詞のやりとりは良いが、他の日本語部分が理解出来ていないから、テンポ感が合わずに、苦労していたようだ。表情も終始硬く、そこまでは気が回らなかったという風情。
 伯爵夫人役のテオドーラ・ゲオルギューさんは小柄だがとても美しい人で、沙羅さんと背格好が同じくらいなので第4幕の入れ替わりなどにも違和感がなかった。伯爵夫人の2つのアリアは、まあまあといったところ。あまり感情が込められていないようで、淡泊な印象にとどまった。この人も言葉の問題で、新演出を楽しめなかったようである。
 ケルビーノ役のマルテン・エンゲルチェズさんはカウンターテナーであり、もちろん男性。しかもかなり背が高い。いささかヴィジュアル的にケルビーノには向いていないのでは? 本来はメゾ・ソプラノのズボン役をあえてカウンターテナーに変えて採用した意味がよく分からない。やはりケルビーノは可愛くなくっちゃ。
 マルチェ里奈(マルチェリーナ)役の森山京子さんはベテランらしく役柄を楽しみながら歌い、演技しているように見受けられた。存在感も抜群である。
 バルト郎(ドン・バルトロ)の森 雅史さんは、第1幕のアリアを除いては、演出上のこともありあまり目立つ要素が感じられなかったようである。
 走り男(バジリオ)役の牧川修一さんと、狂っちゃ男(クルツィオ)役の三浦大喜さんは、まずまずといったところ。
 バルバ里奈(バルバリーナ)のコロン・えりかさんはコケティッシュな魅力を振りまいていた。オペラ歌手としてはこれからの将来に期待しよう。
 庭師アントニ男(アントニオ)の廣川さんは、物語の進行役の部分の台詞が多く、大変な役割になっていたが、肝心の実際の物語の中に出てくる庭師としては・・・・これはほんのチョイ役なので・・・・むしろ特徴のない人物になってしまっていた。ただし俳優であるのに第2幕の最後の方ではオペラ歌手たちに混ざって歌もちゃんと歌っていた。


画像は1段目、左からデ・カロリスさん、ゲオルギューさん、エンゲルチェズさん。
2段目は、小林沙羅さん、大山大輔さん、森山京子さん、
3段目は、森 雅史さん、牧川修一さん、三浦大喜さん、
4段目は、コロン・えりかさん、廣川三憲さん、井上道義さん。

 演奏の方はというと、井上さんの指揮は全体にテンポが遅めで、いささか軽快感がなかったようにも感じられた。これは歌手たちとの兼ね合いもあったのだろう。日本語の歌唱の部分はテンポの採り方が難しそうで、つまり歌詞と音楽が必ずしもキレイにシンクロしていないので、テンポ感良く速めに進めると歌手が歌いにくくなってしまうのかな、などと思うのだが。いずれにしても、演出が完全にドタバタ喜劇仕様になっているのだから、音楽の方ももう少し軽快感が欲しかったところだ。
 東京交響楽団の演奏については、目の前のファゴットのとぼけた音色と、ほとんどリズム・セクションとなっているホルンとトランペットの音ばかりしか聞こえないような状況だったので、全体像がまったく不明である。

 とまあ、いろいろと感想を述べてしまったが、実を言うと、今日の「フィガロの結婚」は観ていてとても面白かったのである。野田秀樹さんによる「演劇的」な演出は視覚的にも面白かったし、何よりほとんど毒気のない喜劇に徹したことで、完全に娯楽的なプロダクションになっていた。
 「フィガロの結婚」については色々な解釈も増えている。貴族階級と市民階級の革命前夜的な捉え方などをするならば、今日の解釈は「貴族階級=黒船でやって来た伯爵家の人々」と「市民階級=日本人の使用人たち」という置き換えがあって、つまりは西洋では市民革命により世の中が大きく変わったということと、日本では黒船の来航によって文明が開化したということを対比させている、と考えることができる。そして日本のオペラ文化においては、3名の外国人歌手が黒船に相当し、日本人の歌手たちに大きな変化をもたらす・・・・などという図式も見え隠れしている。しかし、実際の上演では海外組は精彩を欠いていたし、沙羅さんの活躍をはじめとして、日本側の方が強かった印象であった。・・・・まあ、あまり小難しく考えるのは止めて、面白いオペラを観たら笑えば良いし、哀しいオペラを観たら泣けば良い。今日の「フィガロの結婚」はとても面白かったので、大いに笑うことができた。私としては大満足であった。ただし、18時30分開演で、終了したのが22時。川崎から帰るのに少々疲れてしまった。

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