Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

5/26(土)東京シティ・フィル/ティアラこうとう定期/宮本文昭と小林美樹のブルッフVn協奏曲と「新世界より」

2012年05月27日 02時57分42秒 | クラシックコンサート
東京シティ・フルハーモニック管弦楽団 第29回ティアラこうとう定期演奏会

2012年5月26日(土)15:00〜 ティアラこうとう・大ホール S席 1階 D列 21番 3,500円(実質2列目)
指 揮: 宮本文昭
ヴァイオリン: 小林美樹
管弦楽: 東京シティ・フルハーモニック管弦楽団
【曲目】
ウェーバー: 歌劇『オイリアンテ』序曲 作品81
ブルッフ: ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 作品26
ドヴォルザーク: 交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界より」

 今日は、東京シティ・フルハーモニック管弦楽団の「ティアラこうとう定期演奏会」に足を運んだ。これまで、東京シティ・フィルを聴く機会はそれほど多くなかった、というよりは積極的に聴きに行ったことはほとんどなかった。ところが、今年2012年2月、「都民芸術フェスティバル」のオーケストラ・シリーズで、宮本文昭さんの指揮するのを聴いて、失礼ながら想像していたより遥かにエキサイティングな演奏に感銘を受けたものである。その後4月にこのオーケストラの音楽監督に就任するということだったので、早速に今日のコンサートのチケットを確保したという経緯があった。もう一つは、ヴァイオリン界に詳しい友人のKさんが今一番お勧めのヴァイオリニストとして小林美樹さんの名を挙げていたこともあり、彼女の演奏も是非聴いてみたかったので、いつものように前の方の席を取った次第である。

 1曲目はウェーバーの『オイリアンテ』序曲。これはあまり聴く機会のない曲だ。全編が軽快な曲想のためか、オーケストラの音量が思ったより小さめに感じられた。いかにもロマン派のオペラらしい曲なので、もう少しダイナミックに、ワクワク感を出して欲しかったところだ。とはいえ、第2主題(?)のヴァイオリンの等は繊細で透明感があったし、アンサンブルも緻密で、洒落た演奏だと思った。このホールの音響のせいだと思うが、2列目で聴いている割には、各楽器の音の分離が良くなく、全体にモワーっと音が混ざっている感じ。とくに管楽器群が抑え気味に演奏されていたので、余計にそう感じられたのかもしれない。

 2曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。大好きな曲のひとつだ。ソリストの小林美樹さんの演奏を聴くのは初めてだったので、期待が高まる。初めて見る小林さんは、比較的大柄な女性で、白っぽいドレスで登場。入念に調弦しているのが好ましい。
 短い序奏ですぐにソロ・ヴァイオリンが入ってくる。初めの印象は、よく音が出ている、楽器が鳴っている、だった。この曲は若い奏者が勢いで弾くくらいの方が躍動的で良いと思うのだが、小林さんの演奏はまさにそんな感じだ。ためらいがなく、ストレートで、しかも明快である。低音部から高音部まで、音に濁りがなく、音程も正確。早い装飾的なパッセージも難なくこなす。音色には、溌剌とした若さが感じられ、明るく伸びやかである。
 さらに特筆すべきは、とてもキレ味の鋭い演奏だったことだ。アクセントが前の方にある感じの立ち上がりの鋭い音で、音楽をクッキリと描いて行く。その辺りも若さに満ちているといえばその通りなのだが、やはり彼女の特性とみるべきだろう。なかなか魅力的な演奏である。少なくとも、ブルッフにはピッタリだ。
 第2楽章の抒情的な旋律に対しては、ppの繊細な歌わせ方からも非凡にものを感じさせる。また音に濁りのない低音部の豊かな響きも、ロマンティックな曲想を描くのに適している。
 第3楽章になると、さらにリズム感の良さが加わってきて、どちらかというと、オーケストラを引っ張っていく感じ。これも突っ込みの鋭い演奏がそう感じさせたのだろう。オーケストラとの掛け合いのリズム感も見事で、丁々発止のやり取りがスリリングであった。コーダに入ってからのテンポアップとフィニッシュまでの高揚感は、この曲の協奏曲としての魅力を十二分に発揮できていたと思う。小林さん名Brava!!を贈ろう。
 一方で、宮本さんのオーケストラ・ドライブも素晴らしかった。『オイリアンテ』序曲とは打って変わって、メリハリがはっきりして、テンポ感にも推進力がある。第1楽章はやや遅めのテンポで始まったのに徐々にテンポが速くなっていく。第3楽章では、むしろやや早めのテンポで、怒濤のように突き進んで行った。ソロ・ヴァイオリンとの「対話」が徐々にヒートアップして行き、フィニッシュに向けては先を争ってゴールに駆け込むようなエキサイティングな演奏を聴かせた。けっこう大音量でオーケストラを鳴らしていたのに、要所をうまく押さえ込んでソロ・ヴァイオリンを際立たせていて、全体としてはダイナミックな演奏になっていた。宮本さんもBravo!!

 後半は「新世界から」。あまりにも名曲過ぎて新鮮味には欠けてしまうが、やはり今日のメイン曲ということで、演奏自体はかなり力の入ったものになった。前半の2曲とは、音の出方が違う。本気モードの演奏ということだろう。宮本さんの今年度のテーマが「完全燃焼」ということであり、まさにそれを体現したといえそうだ。テンポの設定も、全体に躍動感を強く感じさせるやや早め。勢いのある流れの中で、個々の主題をしっかりと歌わせるのは、ご自身がオーボエ奏者だったことも影響していよう。ダイナミックレンジを広く取り、全合奏のffではパワーを爆発させるが、弦楽器が必死になって管楽器に負けないように音を絞り出している。結果的にはバランス良く、オーケストラがひとつにまとまっていた。
 聴かせ所のひとつである第2楽章のコールアングレも、ほどよく牧歌的な音色で細やかなニュアンスが郷愁を誘う。この辺りは宮本さんの指導がうまく成果を上げているようだ。一方金管群も、ご愛敬程度に不安定な箇所もあったが、すべて許容範囲内としよう。トランペットの華やかな音色、トロンボーンの馬力のある音、ホルンもまろやかな音を出していて、概ね良好、といったところだ。弦楽は、ヴァイオリンがとくに澄んだ音色でアンサンブルもしっかりしていて安定感があった。一方、ヴィオラが弱く感じられたのが残念だった。ただでさえ音が奥に向かって出てしまうヴィオラに対して、ホールの音響が足を引っ張っていたのではないかと思われる。
 演奏全体は、迫力もあったし、ダイナミックでもあり、オーケストラの魅力を発揮していたと思う。宮本さんの「完全燃焼」する熱意が、素晴らしい演奏を引き出していたのだろう。演奏後のカーテンコールの様子を見ても、指揮者とオーケストラの関係は良好なスタートとなったようで、メンバーの皆さんも達成感のある表情だった(同じ錦糸町に本拠地のあるもうひとつのオーケストラで先日感じた失望とは大違いだ)

 全曲が終わった後、宮本さんの挨拶があった。オーケストラ運営の窮状を語り、ぜひ多くの人にコンサートに足を運んで欲しいとのことだ。今日のような素晴らしい演奏を聴かせていただいた後だけに、できることなら定期会員にもなりたいところではあるが、何しろ他のいくつかのオーケストラやオペラの団体などからも同じような呼びかけをもらっていて…コチラもいっぱいいっぱいな状況だ。現在私は5つのオーケストラの7つのシリーズの定期会員になっているのだが、それだけでもコンサートの日程がけっこう重なってしまい、どうにも動きが取れなくなってしまっている。とはいえ、東京シティ・フィルもこれからもっと聴きたいオーケストラになった。このブログをお読み下さっている方も、東京シティ・フィルを聴きに行きましょう! きっと素敵な音楽を聴かせてくれると思いますよ!!

 さてそれとは別に、終演後は恒例のサイン会。もちろん小林美樹さんである。演奏が終わって1時間も経っているのに着替えもせずにステージ・ドレスのまま登場し、サイン会が始まった。彼女のCDはショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番とプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番を収録したもので2011年11月のリリース。協奏曲の共演はもちろん東京シティ・フィルで、指揮は飯守泰次郎さんである。実はこのCD、かなり以前に既に購入済みで何度も聴いていたのだが、今日は持って行かなかったので、サイン欲しさに会場でもう1枚購入してしまった…。いい年をしてこういうミーハーなところは抜けないが、それでも演奏家の皆さんのお役に立てれば…という思いもあるのだ…。まあ、もう1枚の方には次の機会にでも…。

 最後に。東京シティ・フィルの「ティアラこうとう定期演奏会」では、開演前にホールの2階ロビーでプレ・コンサートが開かれる。これは間近でナマ演奏が聴けるので、間に合うように会場入りした次第。曲目と演奏者は以下の通り。
 【1曲目】G.ボッテジーニ: 2台のコントラバスのためのグランデュエット第1番より第1楽章
   1stコントラバス: 蓮池 仁 2ndコントラバス: 瀬野 恒 
 【2曲目】椎名林檎/松原幸広編: カーネーション(NHK/朝の連続テレビ小説のテーマ曲)
   1stヴァイオリン: 高木 聡 2ndヴァイオリン: 吉田 巧 チェロ: 薄井信介
 コンサートの本番前の緊張する一時に、このようなプレ・コンサートを開いていただけるのも、私たち聴衆にとっては嬉しい企画である。手の届きそうな距離で聴くがっきの音色には、また格別の良さがあるものだ。

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5/25(土)ウィーン・フォルクスオーパー日本公演『メリー・ウィドウ』/笑いと喝采に包まれ…

2012年05月26日 03時15分30秒 | 劇場でオペラ鑑賞
ウィーン・フォルクスオーパー 日本公演 2012
3幕のオペレッタ『メリー・ウィドウ』レハール作曲
VOLKSOPER WIEN in Japan 2012 / Die lustige Witwe


2012年5月25日(金)18:30〜 東京文化会館・大ホール E席 5階 R1列 18番 13,000円
指 揮: エンリコ・ドヴィコ
管弦楽: ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団
合 唱: ウィーン・フォルクスオーパー合唱団
バレエ: ウィーン国立バレエ団
演出・美術: マルコ・アルトゥーロ・マレッリ
演出補: エンリコ・デ・フェオ
衣 装: ダグマール・ニーフィント
振 付: レナート・ザネッラ
合唱指揮: トーマス・ベトヒャー
【出演】
ミルコ・ツェータ: アンドレアス・ダウム(バス)
ヴァラシエンヌ: マルティナ・ドラーク(ソプラノ)
ハンナ・グラヴァリ: アレクサンドラ・ラインプレヒト(ソプラノ)
ダニロ・ダニロヴィッチ: マルコ・ディ・サピア(バリトン)
カミーユ・ド・ロション: ヴィンセント・シルマッハー(テノール)
カスカーダ子爵: ミヒャエル・ハヴリチェク(バリトン)
ラウル・ド・サン・ブリオッュ: ロマン・マルティン(テノール)
ボグダノヴィッチ: ヨアヒム・モーザー(テノール)
シルヴィアーヌ: リディア・ペスキ(ソプラノ)
クロモウ: マルティン・ヴィンクラー(バス・バリトン)
オルガ: ベアーテ・リッター(ソプラノ)
プリチッチ: ハインツ・フィツカ(バス)
プラスコヴィア: スーリエ・ジラルディ(メゾ・ソプラノ)
ニェーグシュ: ロベルト・マイヤー(俳優/ウィーン・フォルクスオーパー監督)

 5月12日に続いてウィーン・フォルクス・オーパーの来日公演で、今日は『メリー・ウィドウ』を観る。今回の来日公演では、ヨハン・シュトラウスIIの『こうもり』が4回、ニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』が3回、そしてレハールの『メリー・ウィドウ』が4回、合わせて11公演が組まれていて、リハーサルや休暇を含めれば、かなりの長期滞在になる。海外から来るアーティストやスタッフの皆さんとしては、いまの日本に長くは居たくないのはわかるような気がする。これも風評被害(?)。確かに今年はオペラの引っ越し公演が少ない。昨年は震災の後、来てくれた劇場、キャンセルになった劇場、と各国、各団体の温度差が見られたが、今年は震災後に新たな契約がなされないらしく、かなり早い段階から決まっていた、ウィーン・フォルクス・オーパーとウィーン国立歌劇場以外には、大物歌劇場の引っ越し公演がないのが、ファンとしては非常に残念である。というわけで、今年は国内団体のものも含めて、オペラを観る回数が少なくなりそうだ。今日は、その数少ない公演のひとつ。『メリー・ウイドウ』は大好きなオペレッタなので、東京で公演がある時は、できれば見に行きたい演目のひとつ。およそ人間の精神において、負の要素をまったく持たない、バカバカしいくらい楽しい作品だ。だから、この演目の時は、素直に楽しめば良い。誰の歌が上手かったの、誰の声が出ていなかったの、演出がどうの、衣装がどうの、と批評家めいた視点で観賞するのはナンセンスの極み。理屈抜きで楽しんだ方が、良いに決まっている。

 今回持ち込まれたのは、マルコ・アルトゥーロ・マレッリさんによる新演出(2011年5月初演)。とくに舞台装置・美術面のセンスが良く、いかにも現代的な洗練されたもので、女性たちの美しい衣装とともに、華やかな舞台を作っていた。大道具などの舞台装置は、3幕を通しての使い回しであるにもかかわらず、安っぽく見せないところが心憎い。20世紀初頭のパリが物語の舞台となっているはずだが、そのようにリアルな物語性は描き出さずに、ある意味で抽象化された構造物と、逆にリアルに時代っぽさを出した衣装とのマッチングが洗練されていて、実に現代的なオペレッタを作り上げていた。また主人公たちによる物語の展開とは直接関係しない舞踏シーンなども、ウィーン国立バレエ団の皆さんの優雅な動きがとても素敵で、一糸乱れぬ踊り…ではなかったのするところが、いかにもオペレッタ的で楽しい。こういうところのクオリティの高さ、遊び心の素直な表現が見事で、観ていると自然に頬が緩んでくる。おそらくはキチンと計算されている演出と、出演者たちの豊富な経験がうまく噛み合っているのだろう。観ているだけで楽しいし、何度観たかわからないような『メリー・ウィドウ』でも、初めて観るような楽しさがいっぱいの演出だ。
 ついでだが、今日の公演では、3幕のオペレッタを第1幕・第2幕を続けて上演し、第2幕の真ん中、男性歌手陣が歌う「女・女・女のマーチ」の後で休憩が入った(つまり休憩1回)。当然休憩後は突然、タイムラグのない場面、女性歌手陣が歌う「男・男・男のマーチ」(?)から始まる。これも舞台装置を3幕を通して使い回しているから可能なことになっている。

 音楽麺もまた素晴らしい。エンリコ・ドヴィコさんの指揮は、全体的には軽快なテンポを保ち、イケイケの感じが楽しさを煽る。もともとが台詞部分が多いだけに、音楽が鳴った時にはキビキビと快調な演奏。それがウィーン風の優雅な音色で飛び出してくるから、もうたまらない。ところどころのポイントでは、テンポをグッと落としてから徐々に上げて行き、盛り上げ方も堂に入っている。こういうのを名曲というのだろうか…。この『メリー・ウィドウ』に出てくる曲は、どれも解りやすく親しみやすい。それが色々な場面で繰り返し使われているから、一度観た聴だけですべての曲を覚えてしまえるほどだ。だから音楽的には曲がアタマにこびりついているだけに、軽快なテンポ感が求められるのだろう。
 またオーケストラがとても良かった。ヴァイオリンのソロが甘〜い音色で歌ったり、ホルンが何気なく上手かったりと、ごく自然で、まったく違和感なく演奏されていたのがことのほか素晴らしい。技術的に上手いという感じなのではなく、アンサンブルが多少乱れようともビクともしない、日常的な落ち着き。さすがにこの味わいは、他のどんな一流の劇場でも出ないに違いない。ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団ならではのものだ。


ハンナ(左)とダニロ。酔っぱらって寝ぼけているダニロだが、味わい触っただけてハンナだとわかる、お馴染みのシーン(公演プログラムから)。

 歌手陣はといえば、恐らく皆さん劇場との専属契約を結んでいる方々で、オーストリアとドイツを中心にヨーロッパ各国の出身だが、平均的な上手さを持っているといった印象だ。その辺りもいかにもオペレッタ的であり、スター歌手が技量を競い合うのではなく(もちろんそれも魅力のひとつではあるが)、専属歌手同士の和気藹々とした雰囲気が伝わってくる。会話のスピード感とか、演技のタイミングとか、合唱の音量とか、すべてがうまく回っている感じだ。出演者それぞれの歌唱も、誰かが群を抜いていることもなく、平均的に、皆さん普通に上手い。この普通に上手いというのが、意外にあまりお目にかかれないことなのだ。おそらくウィーンでの感覚は、「○○さんが出るから観に行こう」という発想ではなく、「『メリー・ウィドウ』を演っているから観に行こう」という感覚で、いつ行っても平均以上のものわ聴かせてくれる、そんな劇場なのだと思う。

 また『こうもり』にも出演していた劇場の監督、ロベルト・マイヤーさんが歌わないニェーグシュ役で、ほぼ出ずっぱり。このトボケた役を監督自身が「ロロ、ドド、シュシュ〜」と歌まで交えて、大いに楽しませてくれた。終演後のカーテンコールの時にはステージから抜け出し、ちゃっかりピットの指揮台にのぼって、最後の部分のアンコールを指揮するというお馴染みの(?)場面も拍手大喝采である。


中央がロベルト・マイヤー監督(公演プログラムより)。

 やはり今日の『メリー・ウィドウ』も、期待していた通りの上質な上演で、大満足であった。『こうもり』と『メリー・ウィドウ』は日本でもしばしば上演される2大オペレッタだが、今回、ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演でこの2演目を一度に楽しむことができたのは嬉しい限りだ。最近少々財政難のため、両方とも5階席での観賞となってしまったが、ドタバタ喜劇のオペレッタとはいっても、クオリティの高い上演に、あらためて本場物の素晴らしさを見せていただいたという思いである。遠い席からでは、出演者たちの表情までは読み取ることはできなかったが、(本当は一所懸命やっているのだとは思うが)楽しみながら歌って踊って演じている雰囲気が観ている私たちにも伝わって来て、帰り道は皆が笑顔…。とても素敵な週末であった。

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5/19(土)読響第144回オペラシティ・マチネー/ロマノフスキーが弾くラフマニノフP協奏曲2番

2012年05月21日 02時26分54秒 | クラシックコンサート
読売日本交響楽団 第144回オペラシティ・マチネーシリーズ

2012年5月19日(土)14:00〜 東京オペラシティコンサートホール S席 1階 3列 19番 4,400円(会員割引)
指 揮: 篠崎靖男
ピアノ: アレクサンダー・ロマノフスキー*
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 作品18*
《アンコール》
 ショパン: ノクターン 嬰ハ短調(遺作)*
 スクリャービン: 練習曲 作品8-12*
ブラームス: 交響曲 第2番 ニ長調 作品73

 読売日本交響楽団の第144回オペラシティ・マチネーシリーズを聴く。偶然は重なるもので、昨日の日本フィルの定期では上原彩子さん弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いたが、今日は読響でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だ。ソリストのアレクサンダー・ロマノフスキーさんは、1984年ウクライナの生まれの28歳。昨年2011年のチャイコフスキー国際コンクールでは、ラフマニノフの最も優れた演奏に贈られる「クライネフ賞」を受賞した俊英である。今日はそのラフマニノフ。さてどのような演奏を聴かせてくれるのか。ただし、席の位置は昨日よりも条件が良くないかもしれない。本シリーズはステージ拡張のため、第3列が最前列となる。センターブロックのやや右寄り、したがってピアノの底が見えているし、だいいち近すぎる…。

 登場したロマノフスキーさんはスラリと背が高く、なかなかカッコイイ。ピアノのソロで曲が始まるが、徐々にクレシェンドしてくると、かなり強い打鍵になってきて、(私の席からでは)音が歪んでしまう。が、それは我慢するとして、演奏の方は、若いだけあって瑞々しい感性とストレートな表現力が素敵だ。おそらくもっと離れた席や2階席で聴いていれば、また違った聞こえ方になっていたのかもしれないが、オーケストラが主旋律を演奏している間の背景にまわったピアノの分散和音の煌めきに、強い存在感の主張が感じられた。その力強さはややバランスを欠いて聞こえはしたが、普段はあまり意識しないで聞き流してしまう部分にも、これだけ主張の込められた音があり、それが曲の下支えをしっかりとしていることを、改めて認識させられた。ラフマニノフ恐るべし、といったところだ。一方、主旋律を弾く際のピアノの輝きは剛直で男性的。感傷的な旋律も、1本芯が通っているかのような強さを持っている。それ自体はけっして悪いことではなく、ラフマニノフは本来こうあるべきなのかもしれない。骨太のロシアの音楽ならでは、である。
 第2楽章の抒情的な旋律に対しては、ロマノフスキーさんのピアノが描く感傷は、若い男性ならでは。屈託のない瑞々しさが際立ち、あまり切ない感じはしない。
 第3楽章については、華麗な技巧の部分に耳を奪われる。正確なリズム感で、曲の進行をグイグイと引っ張っていくのは聴いていてワクワクする。終盤、フィニッシュに向かっては緊張感が高まっていくのは協奏曲の常だが、それにしても読響の爆発的なパワーとの相乗効果で、素晴らしい盛り上がりを見せた。篠崎靖男さんの指揮する読響は、今日はロシア的な骨太の部分をうまく表現していて、やや荒っぽいところもかえってこの曲に合った興趣となっていたように思う。
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、名曲中の名曲過ぎて、なかなか名演には巡り会えない。それこそ今までに何十回、いや何百回聴いたか定かではないくらいだが、曲をよく知っている分だけ、帯に短し襷に長しということになり、ピアノ、指揮者の解釈、オーケストラ演奏の三拍子が揃って素晴らしいと感じられる演奏は滅多にあるものではない。今日の演奏もとての素晴らしいものであり、とりたてて不満があるわけではないのだが、こちらのアタマの中にあるイメージにはなかなか合致しないようだ。
 鳴り止まない拍手に応えてアンコールは2曲も。ショパンの嬰ハ短調のノクターン(遺作)は、ガラス細工のような繊細な音色の演奏で、思わず耳を澄まして聴き入ってしまう。ナイーブな表現力が素敵だ。スクリャービンの練習曲の方は技巧的な部分を前面に押し出して聴かせていた。ロマノフスキーさんの演奏の多様性を見せていた。

 後半はブラームスの交響曲第2番。ブラームスの4つの交響曲の中では、一番苦手な曲で、何故か昔からあまり馴染めないのである。だから細かいことは避けて、全体の印象を書くに留めたい。
 まず、読響の演奏がなかなか良かった。豊かな音量と立ち上がりのキレの良さ。馬力のある読響サウンドが本領を発揮していた。弦楽のアンサンブルは厚みがあるが鈍重できなく、芯がしっかりしていて重厚である。木管は素直な優しい音色を出していたし、金管も乱れることなく、渋めの音とアンサンブルを聴かせていた。カンブルランさんが振る時の色彩的なサウンドとは違っていて、どちらかといえばドイツ音楽に向いた音色である。また最前列で聴いていても、全体のバランスの良さを感じた。指揮者の真後ろに近い席にいると、第1ヴァイオリンとヴィオラが左右の正反対の方角から聞こえてくるし、第2ヴァイオリンとチェロも聞こえてくる方角がハッキリしていて面白い。このステレオ効果が何とも言えない快感であり、全合奏の時の振動が伝わってくるような音圧も、読響が一番のような気がする。とくに東京オペラシティコンサートホールは、左右の幅が狭いので音が横に逃げないから、一層の音圧を感じる。この音の真っ只中に身を委ねていると、「音楽を体験している」というイメージの快感に浸れるのだ(もっともこれはかなり個人的な印象だとは思うが)。それを一番感じさせてくれるのが読響なのである。そんな意味でも、今日のブラームスは、素晴らしい演奏だったと言える。篠崎さんの指揮も、スタンダードな解釈でとも聴きやすく、オーケストラの機能をうまく引き出していたと思う。休日マチネーのコンサートとしては、肩の凝らない素敵なものだったと言える。

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5/18(金)日本フィル第640回東京定期/ラザレフが刻むロシアの魂/壮麗な上原彩子のラフマニノフP協奏曲3番

2012年05月20日 02時26分29秒 | クラシックコンサート
日本フィルハーモニー交響楽団 第640回 東京定期演奏会
ラザレフが刻むロシアの魂 Season 1: Rachmaninov 3

2012年5月18日(金)19:00〜 サントリホール・大ホール A席 1階 2列 26番 3,800円(春期会員割引)
指 揮: アレクサンドル・ラザレフ
ピアノ: 上原彩子
管弦楽: 日本フィルハーモニー交響楽団
【曲目】〜ラザレフが刻むロシアの魂《Season 1 ラフマニノフ3》
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30
チャイコフスキー: 交響曲 第3番 ニ長調 作品29「ポーランド」

 日本フィルハーモニー交響楽団の今月の東京定期演奏会は、「ラザレフが刻むロシアの魂 Season 1: Rachmaninov 3」。主席指揮者のアレクサンドル・ラザレフさんによるロシアものシリーズで、今日は上原彩子さんを迎えて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番である。この曲はラフマニノフの残した4つのピアノ協奏曲の中で最も演奏難易度の高い曲といわれている。最近では、今年212年2月に横山幸雄さんの演奏で聴いているが、そのことでも分かるように、技巧派ピアニストの腕の見せ所といった趣の強い曲でもある。そういう意味では、今日の上原彩子さんも多彩な表現力はもとより、超絶技巧もものともしないピアニストでもあることだし、たっぷり聴かせていただけそうだ。今日の席は1階センターブロックの2列目、やや右寄り。サントリーホールのステージの高さで、ギリギリのところに置かれたピアノは、2列目からだと塗装していない底が見える。協奏曲ではとくに強く弾かれるので、この位置からだとピアノ本来の美しい音色は聞こえないのがツライところだ。

 さて、上原さんは深紅のドレスで登場し、はにかんだような笑顔が初々しさを残しつつ…。曲が始まれば、巨匠ラザレフさんを相手に堂々たる演奏が繰り広げられた。ラザレフさんが刻む速めのテンポで第1楽章が始まり、単調なピアノの主題提示に続いてオーケストラに主題が引き継がれるところから、ピアノが縦横に煌めき出す。まったく止まることのない音の奔流。上原さんのピアノは、複雑に絡み合った無数の音を徳ほぐすように、明瞭なタッチで複雑な音形を描いて行く。ピアノが目の前にあるだけに、オーケストラに対しても圧倒的に優位に立っているように聞こえた。第2主題の感傷的な旋律を優しく繊細なタッチだ紡いで行くのは、女性ならではの美しさだ。ことさら思い入れたっぷり、というような弾き方ではなく、むしろさっぱりしているとも取れるが、曲自体に濃厚にロマンティシズムが溢れているので、これくらいがちょうど良い。オーケストラとともに抑え気味に曲が進んで行くのは、後半のカデンツァをよりダイナミックに浮き上がらせるためだろうか。長大なカデンツァは、単に超絶技巧を派手に聴かせるというよりは、ロマン派の権化のような美しく感傷的な主題を一層際ただせている。上原さんのピアノは煌びやかではあるが派手過ぎることなく、抑制的な演奏の中に、奥深い表現が潜んでいる、といった印象であった。
 第2楽章の緩徐楽章は、まずラザレフさんが弦楽をすすり泣くように、抒情的に歌わせて行く。ピアノがもっと抒情的にかぶさってくると、そこからはラフマニノフだけの世界だ。即興演奏的な変奏の繰り返しと、その中に描かれる主題の見事なまでの美しさ。いつの間にか主題がオーケストラに渡されると、ピアノの分散和音がキラキラと輝きを増した。オーケストラに対してピアノが明瞭に分離としているため、いっそう鮮やかだった。
 第3楽章は、ピアノが終始引っ張るカタチで曲が進んで行く。上原さんの推進力か見事てあり、甘美な第2主題の泣かせどころも素敵たったし、経過部に現れる分散和音の進行していくところなどは、ピアノの流れるようなレガートがことのほか美しく、やはり名曲にはムダな音などひとつもないのだな、と改めて感じさせられた。コーダでは大きく盛り上がり、壮大なクライマックスでついにオーケストラが爆発し、前身が痺れるような喜びを感じると、テンポが急に上がって一気にフィニッシュへ。しっかりとした構造性と煌めくような輝かしい音色の融合した上原さんのピアノと、じっと控え目に美しいアンサンブルを保っていた日本フィルが、最後に爆発的な音の饗宴を聴かせてくれた。洗練されていて、どこかホットなところのある、素敵な演奏だった。しかしラフマニノフという人は、なぜこれほど甘い旋律を次々と生み出せるのだろう。

 後半はチャイコフスキーの交響曲第3番「ポーランド」。この曲は演奏会で聴く機会はあまりない。レコード・CDでも全集ものでなければなかなかお目にかからない曲だ。スケルツォを含む4つの楽章に、第2楽章として3拍子の舞曲を追加したような5楽章の構成というのも変則的だが、曲想もヨーロッパを意識したもので、あまりロシアっぽくはない。とはいうものの、曲もよく知らないし、楽曲の解釈の良し悪しなどについては皆目見当もつかないので、聴いてみた印象だけを書きとどめておこう。
 まず演奏に関しては、前回に続いて、新日本フィルがとても素晴らしい演奏を聴かせてくれたことが、大変嬉しい。ラザレフさんの指揮は、リズム感の良い推進力が瑞々しく、同時に歌うべきところでは、特に弦楽に豊かな節回しで歌わせる。繊細なppから爆発的な全合奏までのダイナミックレンジが広く、スケール感が大きいのはいかにもロシア的で素晴らしい。その音楽作りに対して、新日本フィルもかなり高水準な演奏で応えていた。ホルンが時々揺らいでいたのを許容範囲内とすれば、管楽器群のダイナミックな押し出しは見事なものだったし、木管も平板にならずに艶やかな音色で空気感を出していた。弦楽は厚みを感じさせるところがロシアっぽく、全合奏になっても管楽器群に負けないパワーも見せていた。2列目で聴いていたことを前提にして、全体のバランスも決して悪くない、力感溢れる演奏だったと思う。
 もうひとつ印象的だったのは、ラザレフさんとともに、演奏に対する全力で取り組む姿勢が素晴らしいことだ。演奏が終わった後のオーケストラのメンバーの方たちの表情がとても良い。達成感のある笑顔がステージの上にたくさん見られた。ラザレフさんはリハーサルは厳しくダメ出しをするらしいが、演奏が終わった後は、メンバーを素直に称える。お互いの信頼感も強いようだ。またカーテンコールの最後、指揮者が下がった後に、オーケストラのメンバー全員で客席に向かってお辞儀をする。この時にまた拍手が大きくなるのだ。こんなオーケストラは日本フィルだけかもしれない。上手いから聴く、下手だから聴かない、などといった次元とは異なる、ファンとの間の絆があるのだろう。最近の日本フィルは、とてもイイ感じなのである。

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5/15(火)読響/第515回定期/三浦文彰と下野竜也が採り上げたツウ好みのシューマン……!?

2012年05月17日 00時35分23秒 | クラシックコンサート
読売日本交響楽団 第515回 定期演奏会

2012年5月15日(火)19:00〜 サントリーホール・大ホール S席 1階 4列 26番 7,000円
指 揮: 下野竜也
ヴァイオリン: 三浦文彰*
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ライマン: 管弦楽のための7つの断章 −ロベルト・シューマンを追悼して−(日本初演)
シューマン: ヴァイオリン協奏曲 ニ短調*
《アンコール》
 パガニーニ:「パイジェルロの水車屋の娘から 我が心もはやうつろになりて」による変奏曲 作品38*
シューマン: 交響曲 第2番 ハ長調 作品61

 友人に誘われて読売日本交響楽団の定期演奏会を聴く。先週(2012年5月10日)のサントリー面曲シリーズに続いての読響だが、正指揮者下野竜也さんによる2回連続になってしまった。週末にはオペラシティ・マチネーも予定しているので、今月は10日の間に読響を3回も聴くことになる。

 さて今日のテーマはシューマン。公演プログラムの解説文によれば、シューマンはかなりツウ好みの音楽だという。従って、ツウではない私は、シューマンはあまり得意ではない…。それでも好みの前方席だったし、三浦文彰さんのヴァイオリンが聴けるので、誘いに応じて来たのだが…。

 1曲目の「管弦楽のための7つの断章」は、現代のドイツ語圏を代表する作曲家アリベルト・ライマン(1936〜)の1988年の作品で、今日の演奏が日本初演となる。演奏前に下野さんによるプレトークがあり、この曲の解説をしてくださった。シューマンの遺作「最後の楽想による幻覚の変奏曲 変ホ長調WoO.24」の主題が盛り込まれているといい、ピアノ(録音)で主題の旋律を聴かせてくれた。プログラム・ノートの解説よりも実際に音で聴く主題の方がはるかに分かりやすいので、このプレトークは良かったと思う。というのは、曲自体はひとつしてまともに響き合う和音が現れないような曲で、冒頭から完全な不協和音の連続。各楽器の音が互いに否定し合っているように、見事に響き合わないまま、進行していく。7つの断章といっても明確な切れ目はなく、混沌とした音の集積の中から、断章3でシューマンの主題がホルンに現れると、たとえ断片的であっても、その明瞭さ、清廉さ、が限りなく透明に浮かび上がってくる。この効果は絶大で、先ほどプレトークの時に主題を敢えて聴かせてくれた意味が分かった。そしてやっと現れたその主題は、またも不協和音によってかき消されて行く。シューマンの精神が病に冒されていったように…。曲に対する評価、演奏に対する評価も、正直に言えばよく分からない。現代音楽も決して嫌いではないが、この曲に関しては、よく分からないというよりは、音楽的に自分とはあまり共鳴しないようにであった。

 2曲目はシューマンのヴァイオリン協奏曲。とりあえず、今日はこの曲を聴きに来たようなものなので…。
 まず三浦さんのヴァイオリンについて。彼のヴァイオリンは独特の音色、あるいは響きを持っている。音に角がないというか、柔らかい音で艶やかでもある。「ビロードのような」と形容したら良いだろうか。音程も極めて安定しているし、技巧的にはこれ以上のものはないくらいである。全体の印象は、決して音量が豊かな方ではなく、(曲のせいかもしれないが)ダイナミックレンジもそう広くはないようだ。それでいてしっかりとした構造感とメリハリが効いているのは、ppからffまでの全域で細やかな表情付けがあり、単調に陥らないからだと思う。スケールの大きな演奏というよりは、繊細にして端正な演奏というべき。音量は大きくなくても、音色は豊潤である。
 今日の演奏に関しては、いや演奏の方は素晴らしかったと断言できるが、何しろ曲が面白くないので、聴き終わっても充足感が不足してしまった。演奏の方にではなく、聴いている私の側に不完全燃焼の気分が漂う。シューマンのヴァイオリン協奏曲は、どこか曖昧な主題と、単調な動機の繰り返しのような経過部の連続で、音楽的な盛り上がりにも乏しく、聴いていても何が言いたいのか分からないような所がある。ヴァイオリン協奏曲だといっても、独奏ヴァイオリンにそれほど特徴的な、あいるは技巧的な要素が乏しく、ずっと引き続けているのに旋律線が見えてこない…など、要するに曲がつまらないのである。シューマン・ファンの方には反論されそうだが、ツウではない私にはどうしてもそう思えてしまうのだ。したがって、三浦さんが卓越した演奏を聴かせてくれていにもかかわらず、不完全燃焼になってしまうのである。一方、下野さんは小編成とはいえオーケストラの音量をかなり抑えめにして、独奏ヴァイオリンを引き立たせるような役回りに徹していたようだった。
 アンコールで弾いてくれたパガニーニの変奏曲は、あっけにとられるほどの超絶技巧の博物館のような曲で、三浦さん自身も(あるいは聴衆もかもしれない)鬱屈としたものを吐き出すようなお祭り的な演奏であった。見守るオーケストラの皆さんもにこやかに温かな視線を送っていたのが印象的。皆に好かれる三浦さんである。そういえば今日のサントリーホールはいつもより女性客が多かったような…。

 後半はシューマンの交響曲第2番。この曲もはっきり言えばツウ好みなのだろう。ツウでない私には、つかみ所がなく、何度聴いても曲がアタマに入ってこないような感じ。第1楽章は長い序奏の後に続くソナタ形式の本体部分も、小さな動機が繰り返されて主題を形成しているのだと思うが、一本調子に延々と続く印象で、主題の対比も明瞭でなく、全体がボンヤリしている。救いはリズムが躍動的なことくらいだ。第2楽章のスケルツォもメリハリがなく、元気いっぱいの曲なのにどうしても退屈してしまう。第3楽章の緩徐楽章は、悲しくも美しい主題が明瞭に現れるという点では非常に分かりやすいが、ハ長調の交響曲で緩徐楽章がハ短調というのが…よく分からない点である。第4楽章は、一見明快な主題で始まるが、様々な主題が現れ、徐々に混沌としてきて一応は派手に終わる。
 明らかにロマン派の曲想で、深く聴き込んでいけば、奥深いところで良さが分かってくるのであろうが、どうもシューマンは苦手である。下野さんはこの曲に対しても、明快なリズム感と、各パートのバランスをうまく取ることで、曲の構造をガッチリと作り上げていた。混沌とした中から、明瞭なフレーズを浮かび上がらせたり、単調に陥りがちなリズムに適度な間合いを入れたりと、曲の描き方としては、苦労の後がよく見える、立派な演奏だったと思う。読響の方も、時折金管が不安定になるお馴染みの部分を除けば、しっかりしたアンサンブルを構築していたと思う。ただし、曲のせいもあるのか、いつもの馬力のある読響サウンドとはちょっと違い、大人し目のナイーブなところを見せていた。

 日頃から、シューマンは苦手に思っていたので、今日のようにダイレクトにシューマンのプログラムを聴けば、その苦手意識も少しは解消するかと思っていたのだが、結果としてそうもいかず、やはり私にとっては分かりにくい作曲家のままである。

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5/12(土)ウィーン・フォルクスオーパー日本公演『こうもり』/極上の音楽と笑いにしばし時を忘れ…

2012年05月13日 23時53分15秒 | 劇場でオペラ鑑賞
ウィーン・フォルクスオーパー 日本公演 2012
3幕のオペレッタ『こうもり』J.シュトラウスII作曲
VOLKSOPER WIEN in Japan 2012 / Die Fledermaus


2012年5月12日(土)14:30〜 東京文化会館・大ホール E席 5階 L2列 21番 13,000円
指 揮: アルフレート・エシュヴェ
管弦楽: ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団
合 唱: ウィーン・フォルクスオーパー合唱団
バレエ: ウィーン国立バレエ団
演 出: ハインツ・ツェドニク
舞台装置: パンテリス・デッシラス
衣 装: ドリス・エングル(エヴェリン・フランクのオリジナルに基づく)
振 付: リリ・クレメンテ、スザンネ・キルンバウアー
合唱指揮: トーマス・ベトヒャー
【出演】
アイゼンシュタイン: イェルク・シュナイダー(テノール)
ロザリンデ: メルバ・ラモス(ソプラノ)
アデーレ: エヴァ・リーバウ(ソプラノ)
イーダ: マルティナ・ドラーク(ソプラノ)
ファルケ博士: マティアス・ハウスマン(バリトン)
オルロフスキー公爵: アンティゴネ・パポウルカス(メゾ・ソプラノ)
アルフレート: メルツァード・モンタゼーリ(テノール)
イワン(オルロフスキーの家僕): マムカ・ニコライシヴィリ(俳優)
フランク(刑務所長): マルティン・ヴィンクラー(バス・バリトン)
フロッシュ(看守): ロベルト・マイヤー(俳優/ウィーン・フォルクスオーパー監督)
ブリント博士(弁護士): ジェフリー・トレガンツァ(テノール)

 ウィーン・フォルクスオーパーの「日本公演2012」が開幕した。今日が初日である。演目はお馴染みの『こうもり』。NBSが2012/2013シーズンに「オペラ・フェスティバル」と称して、ウィーン・フォルクスオーパー(2012年5月)、ウィーン国立歌劇場(2012年10月)、ミラノ・スカラ座(2013年)をセットで扱ったりもしているが、とくにテーマせいなどがあるわけではない。単独の引っ越し公演と変わるところはないようである。今回の来日公演に持ってくる演目は、『こうもり』と、オットー・ニコライの『ウィンザーの陽気な女房たち』ならびにフランツ・レハールの『メリー・ウィドウ』の3本立て。『こうもり』については前回(2008年)の来日公演に続いての上演となる。前回の時も『こうもり』は観ているが、今回は『メリー・ウイドウ』にも行く予定だ。

 さて、ヨハン・シュトラウスII世のオペレッタ『こうもり』については、今さらくどくどと書く必要はないだろうし、ウィーン・フォルクスオーパーについても同じ。ただ今回の上演では、スター歌手を呼んでいるわけでもなく、むしろ通常のウィーンでの公演をこのまま持ってきたような形態である。従って、劇場付きの歌手たちが交替で出演し、複数演目に出演している人もいる。台詞部分もすべてドイツ語のまま、日本語によるアドリブなどもなかった。

 まず、オーケストラが入念に音合わせをしているのが好感が持てる。そして序曲が始まれば、そこはもうウィーンの香りが…(行ったことはないのだが)。弦楽のまろやかな響きや木管の柔らかな音色は、やはりウィーン訛りに違いない。ウィーン・フィルやウィーン交響楽団と同系統の音色であり、軽快なワルツの調べも上品で典雅だ。このオーケストラの音楽に乗って、楽しいオペレッタが始まった。

 まず全体の印象から。何といっても、まとまりの良さ、クオリティの高さ(あくまでオペレッタとしての)に尽きると思う。音楽面はもとより、歌手たちの歌や演技、クセのない演出、観やすい舞台装置、衣装など、どちらの方角からみても文句なし。要するに、ご本家中のご本家であり、世界中のお手本となる上演だろう。もちろん、細かな点では気になる部分もあったが、アラ探しをすることなどは趣旨ではないし、楽しませていただけたので、これ以上は何も望まないことにしよう。

 歌唱の方では、アデーレ役のエヴァ・リーバウさんが技巧的にも素晴らしく、美声を聴かせていた。アデーレは物語上は完全な脇役なのに、出演場面も多く単独のアリアが2曲ある(しかも名曲!!)から、音楽的には主役扱いだ。リーバウさんは楽しそうにステージ上を駆け巡り、達者な演技を見せていた。キレイな声の持ち主で、コロラトゥーラ的な技巧の上手く、軽やかに歌いながら、抜群の存在感を発揮していた。
 あと面白かったのはアルフレート役のメルツァード・モンタゼーリさんだ。経歴を見るとテヘラン生まれのオーストリア人で、ウィーンで学んだというが、イタリア人歌手のように伸びやかな美声のテノールである。ステージ外で歌うことが多い役だが、存在感のある歌いっぶりであった。第3幕の始めで舞台外の監獄から歌うシーンでは、プッチーニの「冷たい手を」や「誰も寝てはならぬ」などを交えて歌い、笑いを誘った。
 アイゼンシュタイン役のイェルク・シュナイダーさんは太めの風貌だけで可笑しさが込み上げてくる人。歌唱も良かったが、演技面で大活躍、重そうな身体で軽いキャラを楽しそうに演じていた。ロザリンデ役のメルバ・ラモスさんはちょっと不調だったのか、低い方の声がよく聞こえなかったのが残念だ。
 変わった役どころのオルロフスキー公爵の役は、メゾ・ソプラノのアンティゴネ・パポウルカスさん。2008年の公演では、カウンター・テナーのヨッヘン・コヴァルスキーさんだったが、やはりこの役はメゾ・ソプラノのズボン役の方が、妙に官能的で面白い。「シャンペンの歌」など聴かせ所ではもう少し声が通ると良かったのだが…。


底抜けに楽しい『こうもり』のステージ(公演プログラムから。画像は出演者が違います)。

 歌わない名役柄、酔っぱらいのフロッシュ役は、何とウィーン・フォルクスオーパー監督のロベルト・マイヤーさん。監督自らが、ドタバタ喜劇風のお馴染みの演技で、観客を大いに笑わせてくれた。おそらく、今日この会場に来ている大勢の方がフロッシュの台詞や役割をよく知っていると思う。『こうもり』を一度観ただけで忘れられなくなる個性的な役柄だからだ。それだけに、何度も見たことがある『こうもり』を知り尽くした観客を再度笑わせるのは、かえって難しいのかもしれない。マイヤーさんは、オーソドツクスながらも、酔っぱらいの細かな演技を含めて、絶妙のタイミングで台詞を放つ。分かっていても笑いがこぼれてしまうのは、さすがであった。ただ、台詞がドイツ語で、笑わせるギャグのポイントと字幕が合っていないため、観客の反応のタイミングがずれてしまうところがあり、やりにくそうなのが残念だった。やはりオペレッタは開催国の原語で上演する、という方法論もありなのかなと思う。

 一方、管弦楽の方は、前述のようにウィーン訛りの典雅な調べがことのほか素晴らしく、まさに、これがウィーン、これがヨハン・シュトラウス、これが『こうもり』といった感じ。これ以上の演奏はありえないだろう。指揮のアルフレート・エシュヴェさんは、比較的クールでどちらかといえば直線的な演奏だったが、全体を軽快なテンポで通し、物語をスイスイと進めていく。挿入曲の「ピチカート・ポルカ」や「雷鳴と電光」の演奏も軽快で楽しかった。ウィーン・フィルの演奏よりも庶民的な味わいがして、むしろこちらの方が良いのではないかと思えるほどだ。

 また本筋には関係のないところで、バレエがとても美しかった。手足の長い美しいバレリーナたちが、ステージ上の大勢の人の間をぬうように登場し、華麗に踊ってさっと引き上げてしまう。計算され尽くされた演出の中で、見せるべきところをキチンと見せる。こういうところが全体のクオリティを高く押し上げる効果をあげている。

 今回のウィーン・フォルクスオーバーの『こうもり』は、スター歌手を擁していない代わりに、公演全体が世界でもトップレベルのまとまりを見せていた。均質で極上のオペレッタである。難しいことは考えずに、素直に楽しめるところが何より素晴らしい。まさにシャンペンの泡のごとく、うたかたの夢…。オペレッタは楽しくて大好きである。

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5/11(土)東京交響楽団オペラシティ/ヴィルデ・フラングのドタキャンを救ったロウヴァリのシベリウス熱演

2012年05月12日 03時25分20秒 | クラシックコンサート
東京交響楽団/東京オペラシティシリーズ 2012/2013 第67回

2012年5月11日(金)19:00〜 東京オペラシティコンサートホール S席 1階 4列 19番 4,217円(会員割引)
指 揮: サンットゥ=マティアス・ロウヴァリ
ヴァイオリン: ヴィルデ・フラング*
管弦楽: 東京交響楽団
【曲目】
シベリウス: 交響詩『フィンランディア』作品26
ニールセン: ヴァイオリン協奏曲 作品33*
シベリウス: 交響曲 第1番 ホ短調 作品39
《アンコール》
 シベリウス: 交響曲 第1番 ホ短調 作品39 から第3楽章

 いつも緻密なアンサンブルを聴かせてくれる東京交響楽団は、できれば数多く聴きたいオーケストラのひとつではある。2012/2013シーズンのサントリー定期演奏会は、プログラムの多くにマーラーの歌曲を含む意欲的なものなのだが、個人的にはあまり得意な分野ではないので、行きたい公演がなくなってしまった。その代わり、東京オペラシティシリーズは年間6回しかない公演の内、ヴァイオリン協奏曲を含むプログラムが4回(ゲスト・ソリストは、ヴィルデ・フラング、アラベラ・美歩・シュタインバッハー、ネマニャ・ラウドゥロヴィチ、戸田弥生)、ピアノ協奏曲(児玉 桃)が1回、コンサート・オペラが1回と、こちらの方は好きな分野ばかり。というわけで、迷うことなく年間会員になった。席は1階4列センターブロックの真ん中よりやや右寄り。新規に会員になった割には、理想的なポジションをいただくことができて、シーズンが始まるのを楽しみにしていたものである。そして今日が2012/2013シリーズの幕開けとなる第67回公演である。

 ところが、最初から大ハプニングが発生。とんだ幕開けとなってしまった。なんとゲスト・ソリストのヴィルデ・フラングさんが体調不良のためドタキャンになってしまったのである。

 開演の7時を過ぎてもオーケストラのメンバーが入場して来ない。何やら不穏な空気が…。そうこうしているうちに指揮者の譜面台が下げられてしまった。??…。若い指揮者のサンットゥ=マティアス・ロウヴァリさんはニールセンのヴァイオリン協奏曲を暗譜で指揮するの? 若いのにすごいなァ、と思っていたら、事務局の方が出てきて衝撃的な発表。いわく、ヴィルデ・フラングさんは、午後のゲネプロまで演奏していたのに、急に体調を崩して発熱・嘔吐、演奏不能になってしまったという。これは本当のハプニングらしく、あまりにも急のことで代役も立てられずにニールセンのヴァイオリン協奏曲は演奏中止となり、シベリウスの『フィンランディア』と交響曲第1番のみ、ということになったしまった。というわけで、事務局も大わらわで対応策を立て、今日の来場者に関しては、希望者には払い戻しをするということになった。いやはや、いろいろなことがあるものである。

 気を取り直して、『フィンランディア』を聴く。指揮のロウヴァリさんは1985年、フィンランド生まれの26歳。ただ若いだけではなく、見た目もクルクルの金髪がかわいらしく、少年の面影を残している。そんな彼が、お国もののシベリウスをどのように演奏するのか、興味津々といったところだ。
 まず驚かされたのは、最初の音からいつもの東響と全然違うことだ。繊細・緻密で抑制された見事なアンサンブルを聴かせるはずの東響が、今日は骨太で荒々しいサウンドを轟かした。金管、とくにトロンボーンとチューバの低音域が地響きを立てて咆哮する。トランペットがファンファーレのように突き抜ける。木管も大きめの音量で押し出してくる。さらにティンパニと大太鼓の連打が地響きとなる。それらに負けまいと、弦楽が全力で対抗して…。とにかく各楽器がよく鳴っていて、当然のごとくオーケストラ全体の音量がものすごく大きい。いつもの東響のイメージと全然違うぞ、これは。

 短い休憩を挟んで、シベリウスの交響曲第1番。こちらも基本的には同じ演奏スタイルだ。ロウヴァリさんの音楽作りは、「若さ溢れる」というイメージとはちょっと違うかもしれない。お国ものだから、シベリウスだからなのかもしれないが、全体に中庸からやや遅めのテンポで、ひとつひとつのフレーズにもコブシを効かせたようなフワンと膨らませるようなニュアンスを大きめに付けて、旋律の歌わせ方とリズムの取り方が独特のものがあった。テンポもフワンフワンと波のように揺らいでいるのに、全体としてはスジが1本通っている感じだ。また管楽器群を十分に鳴らせることによって、音程や音色の不安定な要素をなくしている。これにより、音量が大きくなるだけでなく、音色が濃厚になり、力感溢れるものになっていた。
 シベリウスの音楽の持つ、「大自然」「森と湖」「透明」「雄大」「静寂」といったイメージに対して、「透明」と「静寂」というような清冽なイメージはひとまず脇へ置いておいて、「大自然」の「雄大」なイメージ(映像的なもの)を音に置き換えて、濃厚に描いていく、そんな雰囲気の音楽であった。
 シベリウスの交響曲第1番は、後の大傑作となる第2番につながる、聴き応えのある曲だ。コンサートでも、そうたびたび聴く機会があるわけではない。覚えている限りでは、2010年2月、東京芸術劇場マチネーで、レイフ・セゲルスタムさんの指揮+読売日本交響楽団の演奏で聴いている。その時も『フィンランディア』とセットだった。セゲルスタムさんとロウヴァリさんでは親子以上に年齢が違うので比べるべくもないが、やはり北欧系の指揮者ならではのシベリウスに対する音楽作りがあるようだ。
 今日のロウヴァリさん。この若い指揮者が東響からこれほどいつもと違ったサウンドを弾き出すとは思わなかった。おそらくは、東響の澄んだ音色で美しく透明度の高いシベリウスになるだろうと予測していたのに、良い意味でまったく期待を裏切られた思いである。指揮棒の使い方もしなやかで、両手と上半身を大きく動かし、素人目に見てもわかりやすい指揮だと思う。華奢な体型にも関わらず、全力投球の熱の入った指揮で、終わった後は汗びっしょりでハアハアゼイゼイと肩で息をしている。しかしその熱演ぶりは、描き出された濃厚で豪快な音楽と合わせて、聴いている私たちを喝采させた。細かな理屈で評価するよりも、まずその熱演ぶりにBravo!!を送りたい。

 今日はもちろんお目当てはフラングさんのニールセンだったのだが、直前のハプニングでコンサート自体が崩壊してしまうところだった。ところが、そのためにロウヴァリさんや東響の皆さんにも火が付いたのかもしれない。結果としては、ニールセンが中止になってしまったことは残念なは違いないが、1曲少なかったとはいえ、コンサートは大いに盛り上がった。ロウヴァリさんの熱演がコンサートを救ったといえる。彼の好感度も急上昇に違いない。

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5/11(金)新日本フィル/新・クラシックへの扉/アルミンクの「水」をテーマにしたプログラム

2012年05月12日 01時05分58秒 | クラシックコンサート
新日本フィルハーモニー交響楽団/金曜午後2時の名曲コンサート
「新・クラシックへの扉」第21回


2012年5月11日(金)14:00〜 すみだトリフォニーホール S席 1階 2列 20番 3,600円(年間会員)
指 揮: クリスティアン・アルミンク
管弦楽: 新日本フィルハーモニー交響楽団
【曲目】
ワーグナー: 歌劇『さまよえるオランダ人』序曲
ブリテン: 4つの海の間奏曲 作品33a
     1.夜明け 2.日曜日の朝 3.月光 4.あらし
ドビュッシー:『海』〜3つの交響的素描
     1.海の夜明けから真昼まで 2.波の戯れ 3.風と海の対話
スメタナ: 連作交響詩『わが祖国』より「モルダウ」
《アンコール》
 ヨゼフ・シュトラウス: ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品204

 新日本フィルハーモニー交響楽団の「新・クラシックへの扉」第21回は「水」をテーマにしたプログラムで指揮は音楽監督のクリスティアン・アルミンクさん。
 例によって仕事を抜け出してきての観賞だったのだが、今週は仕事が忙しく、かなり寝不足気味。したがって多少(いや、かなり)ボンヤリしながら聴いていたので、終わってみるとどんな演奏だったのか、あまり覚えていないようだ(つまり、ほとんど眠っていた?)。さて…?。

 『さまよえるオランダ人』序曲が金管の咆哮で派手に始まったのは良いが、なんだか中程から演奏の方も力が抜けてきたような印象がし出して、聴く方も何となく集中を欠くようになってきた。演奏が散漫な印象で、どこか焦点が定まらない様子。まあ、そういう曲には違いないのだが…。
 続く、ブリテンの「4つの海の間奏曲」は、絵画的な色彩感の溢れる美しい曲。「夜明け」は朝靄の立ちこめる海辺の静かな雰囲気が木管ののどかな音色で描かれる。「日曜日の朝」は協会に急ぐ子供たちの休日を描いているというが、言われてみれば確かにそのようなイメージの曲想が続く。「月光」は波間に反射して揺れる月光を描いたものだろうか、穏やかで暖かみのある曲だ。「あらし」暴風が吹き荒れる夜の酒場のシーン、ということだが、確かに獰猛に荒れ狂う嵐の海のイメージ。
 このような描写的な曲に対して、演奏の方は、正直に言えば、あまり映像が目に浮かぶようなものではなく、どちらかというと、楽譜をそのまま演奏している、といった印象だった。

 後半はドビュッシーの『海』から。この曲と『さまよえるオランダ人』序曲の2曲は、同じように「海」をテーマにしたプログラムを組んだ昨年2011年11月の読売日本交響楽団の定期演奏会でも演奏されたのが記憶に新しい。どうしても比較することになってしまうが、カンブルランさんの指揮する時の読響の極彩色の音色に対して、アルミンクさんの求めている音はウィーン風なのだろうか。あるいは新日本フィルそのものの音色が出ていたのだろうか。今日の演奏は、印象主義の代表作『海』としては、絵画的でも描写的でもなく、どちらかと言えば純音楽的ということだろう。ある意味ではキレイにまとまっていたとも言えるのだが、目をつぶって(半分うつらうつらと)聴いていても、夜明けの海の情景や、波の煌めきなどのイメージ(映像)は浮かんでこない。むしろ楽器の音とアンサンブルが音楽として聞こえてくるのである。
 最後は「モルダウ」。この曲も同じような印象だった。聴き慣れた主題が流れてきても、スラブ系の土の香りが漂ってくることはあっても、モルダウの滔々たる流れの映像が浮かんでくることはなかった。
 アンコールのポルカ・マズルカ「とんぼ」が一番雰囲気が出ていたようだ。さすがにウィーンっ子、という典雅なリズム感である。

 今日の演奏を聴いていて気になったことがあった(半分眠っていたので確証は持てないが)。少なくとも、今日のコンサートには楽しさや感動が少なかった。まるで演奏しているのは「お仕事」だから、といわんばかりの義務的なものに感じられたのである。「お仕事」だからやるべきことはちゃんとやる。だけど給料以上のことはやらない…という雰囲気だ。私たちサラリーマンでももっと必死になって働いているのに…と、何となく不満に感じてしまうのだ。ひとつには、これは新日本フィルの方針なのかもしれないが、演奏中もカーテンコールの時も楽団員の皆さんが無表情のままである。どこか白けた感じがしてしまう。また、演奏中、メンバーたちがほとんど指揮者を見ることなく、楽譜から目を離さない。このクールな雰囲気では、素晴らしい感動を呼ぶ演奏は期待できないような気がする。指揮者と願団員の間がうまくいっていないのかな…そんな風に感じられるのだ。ちょっと心配である。金曜午後のシリーズは、定期会員を含めた来場者は、リタイア組の年配の方と主婦層が多い。そのせいもあるのだろうか。今日は拍手にも力が入っていなかったようで、盛り上がらない。皆さんが何となく感じていること、なのではないだろうか。

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5/10(木)読響サントリー名曲/バラーティのブラームスVn協と下野竜也のドヴォルザーク交響曲第2番

2012年05月11日 01時18分33秒 | クラシックコンサート
読売日本交響楽団 第549回サントリー名曲シリーズ

2012年5月10日(木)19:00〜 サントリーホール・大ホール S席 1階 3列 20番 4,181円(会員割引)
指 揮: 下野竜也
ヴァイオリン: クリストフ・バラーティ*
管弦楽: 読売日本交響楽団
【曲目】
ブラームス: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77*
《アンコール》
 エルンスト: シューベルトの『魔王』による大奇想曲 作品26*
ドヴォルザーク: 交響曲 第2番 変ロ長調 作品4

 いろいろとスケジュールの都合が合わず、読売日本交響楽団のサントリー名曲シリーズは2月以来となってしまった。2012/2013シーズンにすでに入っている。席替えして今シーズンから3列目の中央、ほぼ協奏曲のソリスト正面である。そして今日は、クリストフ・バラーティさんによるブラームスのヴァイオリン協奏曲と正指揮者下野竜也さんによるドヴォルザークの交響曲第2番。私のとってのシーズン幕開けは、魅力的なプログラムとなった。

 バラーティさんは1979年生まれでハンガリー出身。33歳という年齢は、ソリストとしては一番活きがよい時期ではないだろうか。身長も高く筋肉質のガッチリした体型だが、見ると指先は細く、いかにも繊細な動きをしそうである。
 もとより内省的なブラームスのヴァイオリン協奏曲は、アクロバティックに派手な技巧を前面に押し出すような曲ではない。それだけに、ソリストにとってはかえって演奏が難しいようで、そのまま弾いたら地味な演奏になってしまうし、派手にガシガシと掻き鳴らすとやりすぎで下品だと言われてしまう。その辺の塩梅が難しいのだ。
 バラーティさんはといえば、ほとんど直立不動の姿勢で、基本に忠実な演奏スタイルといった趣であった。ひとつひとつの音が正確に演奏され、音色も美しく涼やか。低音から最高音まで、極めて正確に音程と明瞭な音色で、安定した技巧である。また音楽作りにも、とくに奇をてらったような部分は皆無で、真正面から楽曲に取り組んでいる、といったイメージだ。まさに正統派ヴァイオリニストといえそうだ(あるいは優等生的?)。
 一方、下野さんと読響は、ヴァイオリン協奏曲だけにいつものような馬力のある演奏ではなく、こちらもやや地味目であった。下野さん流の軽く入るタメと、ハギレの良いリズム感で、普通(からやや遅め?)のテンポの取り方であっても、曲が重くならないのは見事な表現力だ。結果的に、今日の演奏は、キリリと引き締まった正統派の曲作りと演奏で、もっと若い演奏家たちのお手本になるような素晴らしい演奏であった。とくにバラーティさんへの拍手が多かったのと、オーケストラのメンバーの皆さんも彼を賞賛しているようだった。
 私の個人的な感想としては、バラーティさんは若い割には大人っぽい雰囲気の律儀な演奏で、うまくまとめあげていたので文句の付けようもないのだが、もうひとつガツンと来るものが不足しているように感じられた。内に秘められた魂の燃焼が感じられないというような、抽象的・観念的なレベルの話ではあるのだが。まあ、普段派手な演奏をするヴァイオリニストをたくさん聴いているので、余計にそう感じたのかもしれないし、曲がブラームスだったからかもしれない。
 逆にアンコールで弾いてくれた、エルンストの『魔王』は超絶技巧をこれ見よがしにひけらかすような曲で、過去に一度、韓国系ドイツ人のクララ・ジュミ・カンさんがやはりアンコールで弾いたのを聴いたことがある。この曲の演奏では、バラーティさんは律儀さを捨て去り、低音部などに荒っぽい音を交えながらも、勢いのある強烈な演奏を披露し、聴衆の大喝采を浴びていた。う〜む。曲によって演奏スタイルをちゃんと使い分けているようである。

 後半は、下野さんが読響と取り組んでいる「ドヴォルザーク交響曲シリーズ」の最終回で、第2番。とはいえ、このシリーズはあまり聴いていない。今年2012年のお正月に横浜みなとみらいホールで、交響曲第3番と第9番「新世界から」を聴いたくらいである。ドヴォルザークの交響曲は、第8番と第9番くらいしかよく知らないし、食わず嫌いというわけでもないのだろうが、あまり聴く機会を持たなかった。今日は第2番。とくに演奏機会の少ない曲ではないだろうか。もちろん、ナマで聴くのは初めてである。
 曲自体(1888年初演)は、さすがに人気がないだけのことはあって(?)、どことなく曖昧な感じがする。ソナタ形式を踏襲していたり、ロマンティックな旋律や美しい和声が次々と現れてくるあたりは、やはりドヴォルザークらしい。メロディ・メーカーのドヴォルザークが本領を発揮する後年の作品群に比べると、息の長い美しい旋律が出てくるわけでもなく、ベートーヴェンのようにモチーフを展開する形式との中間的なカタチで、要するに曖昧な印象なのである。
 下野さんの指揮は、キレ味が鋭く、リズム感に優れていて、非常に分かりやすく好感度満点である。読響の演奏は、いつも通り(?)、金管が時折不安定になることを除けば、馬力のあるところも聴かせていたし、概ね良好といったところか。だが読響のサウンドとしては、カンブルランさんが振る時やスクロヴァチェフスキさんが振る時などは明瞭な音質の方向性のようなものを感じるのだが、下野さんの時はそれがあまり感じられない。指揮者によってオーケストラの音色が変わるのは当然としても、核となる音が欲しいのも確か。その上で、プラスαとなる何かで色づけされていく、そんなイメージで聴くことができたら、楽しいのだけれども…。

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5/5(土・祝)ラ・フォル・ジュルネ2012〈第3日〉フィナーレを飾ったのは川久保賜紀のチャイコVn協奏曲

2012年05月06日 03時14分07秒 | クラシックコンサート
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2012(「熱狂の日」音楽祭 2012)
〜Le Sacre Russe/サクル・リュス〜


2012年5月5日(土・祝)東京国際フォーラム

 「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2012」の3日目、最終日。今日は協奏曲を中心に4つの公演を聴く。ちょっとしたトラブルがあり(詳しくは後述)、慌ただしくひとつめの公演会場に入った。

■公演番号373 13:45〜14:30 G409 指定席 2列 2番 1,500円
ピアノ: 児玉麻里
【曲目】
チャイコフスキー:「子供のアルバム」作品39 より「朝の祈り」「木の兵隊の行進」「お人形の病気」「木馬遊び」「ポルカ 変ロ長調」「カマリンスカヤ」「マズルカ ニ短調」「ワルツ 変ホ長調」「協会で」
ハチャトゥリアン: トッカータ
ペルト: アリーナのために
プロコフィエフ: ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 作品83

 ます始めはG409会議室でのピアノ・リサイタルから。演奏は児玉麻里さん。今日は後ほど妹の児玉桃さんも聴くことになっている。姉妹そろってスラリと背が高く、そして手が大きい(!)。今日の席はピアニストの真後ろ。しかも前列が空席だったので、演奏する姿を背中側からずっと眺めていた。「祈りをテーマにプログラムを考えました」というご本人の言葉通り、チャイコフスキーの「子供のアルバム」は清廉な祈りが感じられる演奏。素直で優しい旋律が次々と、清楚で透明感のある音色で演奏された。ハチャトゥリアンの「トッカータ」はとにかく同じ音形の音が多く続く曲で、超絶技巧的である。後ろから見ていると、鍵盤上を端から端まで跳ね回る両手の指先が印象に残る。ペルトの「アリーナのために」はまさに祈りを抽象化したような小品。重音で奏でられる無色の旋律が心に染みいってくる。プロコフィエフの「ピアノ・ソナタ 第7番」は、一昨日、広瀬悦子さんの演奏でも聴いた。児玉さんの演奏は、上品な全体像の中に、作品に対して力負けしない力強さを持っている。第1楽章の超絶的な技巧や第2楽章の抒情的な曲想に対しても多彩な表現力を発揮、縦横無尽に駆け巡る予測不能の音楽に対して、真正面から取り組んだ正統派の演奏、という印象だった。

■公演番号324 15:45〜16:30 ホールB7 S席 3列16番 3,000円
指 揮: ジョセフ・スヴェンセン
ヴァイオリン: イェウン・チェ*
管弦楽: パリ室内管弦楽団
【曲目】
ストラヴィンスキー: プルチネルラ組曲
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 作品19*

 昨日に続いてヴァイオリンのイェウン・チェさんを、今日は協奏曲で聴く。その前に管弦楽曲で、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ組曲」。奇しくも昨日、川久保賜紀さんと松山冴花さんが演奏したヴァイオリン曲「イタリア組曲」の原曲である。「プルチネルラ」は大元はバレエ音楽の大曲であるが、それを9曲に絞り込んだ管弦楽用組曲が「プルチネルラ組曲」で、今日はその全曲が演奏された。ジョセフ・スヴェンセンさんの率いるパリ室内管弦楽団は、とりたてて上手いオーケストラとも思えなかったが、木管群の明るく色彩感溢れる音色が素敵で、オーケストラを個性的に見せていた。一方金管はホルンのリズム感が重く…どこの国のオーケストラも、悩みは一緒(?)である。プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲 第1番」は新古典主義的な作風で(1917年作)、古典的な形式的な枠組みを利用しつつ楽想は転調が繰り返され、拍子もリズムも終始動的で落ち着かない曲である。比較的大きな会場(ホールB7は1フロア、フラットで822席)で聴くイェウン・チェさんは、昨日の小部屋に比べれば、音が空間に拡がることもあり、強烈な印象こそやや薄れたものの、鋭くアグレッシブな点は変わりない。第3楽章のロマンティックな旋律などには少々尖りすぎているようにも思えるが、安定的な高度な技巧をベースに、低音部ではガリガリと音を濁しても力を押しだし、中音から高音域にかけては芯のハッキリした音色で、あくまで力強く、攻撃的な演奏であった。絶対に妥協できない「何か」を心の中に秘めている、そんな印象であった。

■公演番号345 17:15〜18:00 ホールC S席 1階 1列 18番 3,000円
指 揮: フェイサル・カルイ
ピアノ: 児玉 桃*
管弦楽: ベアルン地方ポー管弦楽団
【曲目】
ショスタコーヴィチ: バレエ組曲 第1番
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 作品23*

 これだけの規模の「ラ・フォル・ジュルネ」で、ロシア音楽の特集にもかかわらず、チャイコフスキーのピアノ協奏曲がたったの2回しかプログラムに載らなかった。この公演がそのひとつである。児玉桃さんは室内楽などでは抜群の実績を持っているが、協奏曲ではモーツァルトなどが多く、音楽としては華奢な印象を勝手に持っていた。ところが今日の演奏を聴いてその考えは撤回しなければならなくなった。偶然にも取れた最前列センターブロック左寄り。ステージが高めなので見上げるカタチになるが、それでも鍵盤側の内でも両手がキレイに見える位置なので、視覚的には最高のポジションである。逆に、音響的には、ピアノの音は上に向かって出る構造になっているので、底が見えるような位置では本来聴くべきとは言い難い。最前列のこの位置で聴いているかぎりの話だが、派手目なオーケストラのサウンドに対して、豪快とまではいかないが、けっこう力強く対抗し、超絶技巧の限りを尽くしたようなこの曲を、正確に淀みなく、滑るような流れの良いリズム感で弾いていたように思う。指揮者のフェイサル・カルイさんが常に桃さんの方を見ながら、うまくサボートしていたようだ。第2楽章の感傷的な主題などの表現には、女性らしい優しさがあり、とても美しい演奏である。また、遠い位置や録音で聴いている時にはあまり意識されない、オーケストラが主旋律を演奏している時の分散和音などによる伴奏的なピアノ(ここに音がいっぱい詰まっている)の部分が、最前列で聴いているとかなりリアルに聞こえてくる。桃さんの演奏は、もちろん細部に至るまでしっかりとしたフレージングとリズム感を描いていた。オーケストラもピアノも素直に良い演奏だったということができる。桃さんのカーテンコールが長く続いたことからみても、間違いなさそうだ。
 1曲目のショスタコーヴィチの「バレエ組曲 第1番」は、もともと愉快で快活な曲をオーケストラのメンバーもニコニコしながら、時に立ち上がったりしながらの楽しさいっぱいの演奏だった。


■公演番号315 18:45〜19:30 ホールA S席 1階 3列42番 3,000円
指 揮: ジャン=ジャック・カントロフ
ヴァイオリン: 川久保賜紀*
管弦楽: シンフォニア・ヴァルソヴィア
【曲目】
グリンカ: 歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲
チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35*

 本日のトリを取るのは、川久保賜紀さん。超人気曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も、今回の「ラ・フォル・ジュルネ」では2回しか演奏されなかった。本公演がそのひとつ。最終日、時間帯からいってもメイン・イベントに限りなく近いセミ・ファイナルである。そしてその役目を大好きな川久保さんが担うとなれば、聞き逃すわけにはいかない。最終的にほぼ満席となった5,000人(!!)を前に、音楽祭の最後を飾るにふさわしい、素晴らしい演奏が繰り広げられた。
 川久保さんがチャイコフスキー国際コンクールで最高位入賞したのは2002年のこと。以来10年の時を経て、その成熟ぶりもご存じの通りである。実は川久保さんによるこの曲の演奏を聴くのは、2009年7月のミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団の来日公演の時以来、3年ぶりになる。
 まず管弦楽のみで『ルスランとリュドミラ』序曲。超高速パッセージのこの曲、最初の主題部分では弦楽がバラついていたが、再現部ではきちんと立ち直り、ポーランドのオーケストラにふさわしい(?)馬力のあるところを聴かせた。
 そしてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。深紅のドレスで登場した川久保さんは、5,000人を前にいつものようににこやか。曲が始まると音楽に身を委ねるように身体が揺れる。ジャン=ジャック・カントロフさんの指揮するシンフォニア・ヴァルソヴィアは、かなり速いテンポで序奏からグイグイと押してくる。ブラス・セクションが地響きのように轟き、弦楽を含めてかなりの音量を出していた(会場が大きいから?)。ところがヴァイオリンのソロが入ってくると空気が一転する。流れるようなレガートと潤いのある音色のいつもの川久保さん流で、無骨なオーケストラが急に大人しくなる。というのは言葉のアヤだが、川久保さんはソロの部分で意図的にテンポを落とし、旋律を表情豊かに歌わせるので、オーケストラがそれに合わせてテンポと音量を下げることになるのだ。この関係が第1楽章の最後まで続いた。この対比の鮮やかさが曲に新鮮なイメージを吹き込むことになったといえる。そしてカデンツァの見事なことといったら。オーケストラの轟音の間の静寂の中からカデンツァの華麗なパッセージが湧き上がるように出てくる。技巧を感じさせない流麗なタッチで、時に力強く、時には限りなく繊細に音を紡いで行く。消え入るようなヴァイオリンのppに、会場の5,000人が息を飲んで聴き入っているのが分かる。まさに一人舞台であった。
 第2楽章は、感傷的で抒情的な旋律を川久保さんのヴァイオリンがエレガントな歌い上げていく。比較的大きくテンポを揺らし、旋律のもつ本質的な美しさを見つめ、心の向くままに演奏しているといった風情である。態とらしさかなくあくまで自然体なのに、美しい音楽が流れ出てくるのは、曲が完全に身体の中に染み込んでいるからだろう。第3楽章になると今度はソロ・ヴァイオリンが引っ張るカタチで、再びオーケストラが疾走を始めた。かなり早い!! ところが川久保さんは、キリッとした表情の中にも、時おり指揮者やメンバーたちに微笑みさえ見せながら、かなりの快速で曲を引っ張って行く。弓が弦の上を跳ねるように高速パッセージを駆け抜けて行く。コーダに入ってからはさらにテンションが上がって行き、最高潮に達すると、フィニッシュでは弓が高く跳ね上げられた。思わず飛び出すBrava!!の声。
 3年ぶりに聴いた川久保さんのチャイコフスキーだったが、全体的に「緩」では旋律の美しさを、「急」では協奏曲の機能的な魅力を描き出していた。いつもの流麗でエレガントな演奏の中にも、5,000人を前にしてちょっと気合いの入ったところもあって、素晴らしい演奏だったといえる。本日一番の演奏であったことも、間違いない。

 3日間通った「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2012」は、私はこの公演にて終了。たくさんの素晴らしい演奏に出会うことができて、とても楽しく充実した3日間であった。前にも書いたように、これだけ多彩なプログラムが組まれていると、同じクラシック音楽ファンといっても、人によって選ぶ公演が全く違ってくる。他の人たちは今回の人選やプログラム構成をどのように感じていたのか知るよしもないが、あまりホール内では知り合いに出会わなかったのも事実だ。私としては好きなヴァイオリン分野をたくさん聴くことができたし、大好きな川久保賜紀さんと松山冴花さんが参加してくれたので、もう、何一つ不満のない、今回の「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 2012」であった。

【付記】同伴者が昨夕、会場内で、今日の分のチケットをまるごと紛失してしまうというハプニングがあった。ところが親切な方がいらっしゃって、拾得物として主催者スタッフに届けて下さっていた。あの広い会場の中から、完売チケットを含む4枚のチケットが無事手元に戻ってきたことも奇跡的にも思えるが、拾って下さった方、それをきちんと管理してインフォメーション・カウンターで調べられるようにしいたスタッフの皆さん、また一部のチケットに関しては仮券を再発行して下さった「ぴあ」の方々にも、この場をかりて感謝の気持ちと御礼を申し上げます。ありがとうございました。

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