Bravo! オペラ & クラシック音楽

オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

11/30(水)服部百音ヴァイオリン・リサイタル/無限の可能性を秘めた17歳の超絶技巧少女

2016年11月30日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
服部百音 ヴァイオリン・リサイタル

2016年11月30日(水)19:00〜 紀尾井ホール S席 1階 BL1列 3番 5,500円
ヴァイオリン:服部百音(はっとりもね)
ピアノ:ヴァディム・グラドコフ
【曲目】
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 作品27-2
グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 作品45
ヴィエニャフスキ:伝説曲(レゲンデ)作品17
シマノフスキ:『神話』作品30より「アレトゥーザの泉」
ヴィエニャフスキ:グノーの『ファウスト』による華麗なる幻想曲 作品20
エルンスト:『夏の名残のばら』による変奏曲
ワックスマン:カルメン幻想曲
《アンコール》
 ミヨー:ブラジレイロ
 服部隆之:『真田丸』のメインテーマ
 パガニーニ:「24のカプリース」より第17番

 色々な意味で話題になっている芳紀17歳の服部百音さんのリサイタルを聴く。今年2016年10月にCDデビューも果たし、それを記念してのリサイタルを名古屋、東京、大阪で行う。事実上の本格的なデビュー・リサイタルという位置づけになるものだ。

 百音さんは1999年生まれというから現在17歳。東京音楽大学附属高等学校の特別特待奨学生である。海外の国際ヴァイオリン・コンクールのジュニア部門で数々の優勝歴があり、そろそろシニア年齢にさしかかり、さらなる飛躍を期待できる俊英である(チラシのキャッチコピーには「スーパーヴァイオリニスト」という言葉が踊っている)。
 会場で配布されたプログラムに記載されているプロフィールやオフィシャル・サイトを見ても「5歳よりヴァイオリニストを始め・・・・、コンクール受賞歴、師事した先生、共演した指揮者やオーケストラなど」というような、彼女のこれまでの音楽歴が書かれているだけで、その意味ではクラシック音楽の一般的なヴァイオリニストとして扱われている。しかし百音さんにはもう一つの顔がある。その名が示す通り、音楽一家である服部家のお嬢さんなのである。父は作曲家の服部隆之さん、祖父は服部克久さん、曾祖父に服部良一さんがいる。一族には宝塚の歌手や俳優、バレエダンサーなどもいて、日本でも有数の音楽一家の一員なのだ。ところがクラシック音楽の世界とはちょっと異なる世界でもあり、その辺りが微妙な感じがするのだが、プロフィールに一族のことが一切書かれていないところをみると、POPS界・映画界・テレビ界・芸能界などとは一線を画して、クラシック音楽の世界でやっていこうという意志があるようなので、私たちとしては歓迎したいところである。

 さて今日のリサイタル。やはり様々な話題に呼び寄せられてか、紀尾井ホールは大入り満員。老若男女の幅広い層の人々が来場していた。とくに若い人たちの姿が目立っていたし、私たちのようなクラシック音楽のマニア系の人もかなり知った顔ぶれが来ている。
 そして演奏を最後まで通して聴いた印象は「豊かな才能に恵まれた未完の大器」。よく使われる言葉だが、若手に対して「未完の大器」というと、「見るべきところは多く将来性を感じられるが、現在はまだまだ荒削りで完成度が低い」という意味に取られがちだが、百音さんの場合はちょっと違う。私が感じたのは、曲によって仕上がり具合にバラツキがあるように聞こえた。よく練習して十分に弾き込んで来たと思われる曲は、超絶技巧を売り物にするくらいに冴えた技巧を見せ、発揮度の高い演奏を聴かせてくれる。ところが逆のパターンになると楽器があまり鳴らずに、全体のテンションが低い。この辺は若さと言えば若さであって、演奏会の数をこなしていく内に、短い時間で楽曲を自分のモノにするチカラが身についていくのだろう。デビュー・リサイタルとしては、後半の超絶技巧ものに力点を置いたために、前半がちょっと仕上がりが浅いという印象になってしまった。この辺りが「未完」のイメージなのである。

 1曲目はイザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 作品27-2」。J.S.バッハの「無伴奏パルティータ 第3番」からの引用に始まり、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の主題が全体を通じる主題になっている。演奏の印象は、テンポの速い第1楽章・第4楽章は前のめりっぽく走り軽快だが、音量が小さめ。技巧的な早いパッセージなどの際にとくに音量が下がる傾向があり、不明瞭になってしまうのが惜しかった。今日は1階の左側バルコニー席で、ステージにも近くよく見通せていたが、紀尾井ホールの豊かな残響の中に演奏事態の音が埋もれてしまうような印象になってしまった。

 2曲目はピアノ伴奏が付いて、グリーグの「ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ短調 作品45」。まずピアノのヴァディム・グラドコフさんの演奏だが、やはり紀尾井ホールの豊潤な音響を味方に付けていないという印象。そのためにどうも色々な音が混ざってしまい、モゴモゴとして混沌とした感じになってしまう。ピアノのパートは低音部が多用されるため、その音の濁りとキレの悪さが北欧音楽から透明感を奪ってしまっていた。そしてその上に乗る百音さんのヴァイオリンは、音量にムラがあるのと(強弱とは違う意味で)、時々ピアノと合わなくなったりすることもあって、全体的にドタバタした印象に終始した。リハーサルが十分でなかったのか、緊張してしまっていたのか・・・・。

 後半は、ヴィエニャフスキの「伝説曲(レゲンデ)作品17」から。作曲家自身がヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリニストだったから、創られる曲も超絶技巧ものが多くなるが、この曲はゆったりとしたテンポで感傷的・抒情的な主題が語られる美しい曲である。ここでも百音さんのヴァイオリンがもう少し豊かな音量を持っていたら、と思う。表現的には女性的な繊細さが可憐なイメージを創り上げていたが、元は管弦楽伴奏の曲のせいか、ピアノが少々張り切りすぎだったかもしれない。

 続いて、シマノフスキの「『神話』作品30」より「アレトゥーザの泉」。ピアノが奏でる分散和音のようなキラキラした水の煌めくイメージが特徴的な曲だが、ここでもピアノの音が濁っていてちょっといただけない。ヴァイオリンのパートは近代的不確実な主題を単調にならないようにメリハリを効かせて演奏されていた。美しい演奏だとは思ったが、ピアノが邪魔をしてよく聞こえない・・・・。

 次はヴィエニャフスキの「グノーの『ファウスト』による華麗なる幻想曲 作品20」。『ファウスト』の中のアリアやワルツなどをモチーフにして管弦楽との協奏形式で書かれた曲で、ヴァイオリンの独奏は超絶技巧のオンパレード。後半は超絶技巧曲をズラリと並べたカタチになっているが、この曲辺りでようやく百音さんの持ち味が出て来たように思う。ロマンティックな主題は憧れを乗せて歌わせているし、カデンツァ的に挟まれる超絶技巧のパッセージは、音程も正確だし、リズム感も流れるようで素敵だ。音量も出て来たように感じられる。曲の中程で超絶技巧に釣られて拍手が入ってしまい、分断されてしまったのは残念。

 続いては、エルンストの「『夏の名残のばら』による変奏曲」。アイルランド民謡「庭の千草」を主題とする「超」がいっぱい付く無伴奏ヴァイオリンのための超絶技巧曲である。この曲は間違えずに弾くだけでもかなりの技巧が求められるが、その技巧という点では百音さんは及第点だったと思う。というか、かなり上手い。音量もかなり出て来ていた。重音奏法の連続、弓と左手ピツィカートを同時に演奏するなど、全編が特殊奏法ばかりで、しかも多声的な構成や速いパッセージもふんだんに盛り込まれている。ピアノがいない方が自由に弾けて良かったのかも。この曲については、百音さんはコンクールの課題曲になっていたことがあり、かなり練習を積んでいたようである。その分だけ完成度も高く、超絶技巧だけに目を奪われがちだが(曲自体がそういう風に作られている)、音楽的な表現力、つまり主題の歌わせ方などにもスケール感があり、ロマンが感じられて、素晴らしい演奏であった。

 プログラムの最後はワックスマンの「カルメン幻想曲」。この曲もCDに収録したくらいだから十分に練習が積まれていて、完成度が高かった。超絶技巧はいうに及ばず、カルメンらしい妖艶な旋律の歌わせ方など、表現の方も随分と大人っぽい。音量も随分出て来ていた。演奏する方も自信があるのだろう。それが音楽に表れるから、音色にも多彩さが鮮やかになってくるし、リズム感のノリも良く流れもしなやかになる。素晴らしい「カルメン」であった。惜しいところは、ホールの響きを味方に出来ていないところだ。豊かな残響の中にヴァイオリンの速いパッセージが埋没されてしまう。自分の音が自分の音をかき消してしまい、クリアさが失われていく。ホールの響きを意識して演奏を変えていくことは、今後の経験で得ていくことであり、デビュー・リサイタルでそのことを求めるのは酷な話だが、今後の課題としてほしい点である。

 アンコールは3曲。ミヨーの「ブラジレイロ」。サンバのリズムに乗せた軽快な曲だ。ピアノがまたしても邪魔しすぎ。
 続いては、今年のHNK大河ドラマ『真田丸』のメインテーマ。父である服部隆之さんの作曲で、作曲者からの直伝の解釈だから本家本元と言って良い。テレビ番組での演奏は三浦文彰さんだが、演奏の解釈はそれとほぼ同じ。こちらもたっぷりと練習を積んでいるらしく、演奏は力感が漲り、むしろ三浦さんよりも素晴らしいくらい。
 最後の最後はパガニーニの「24のカプリース」より第17番。百音さんは無伴奏曲の方が伸び伸びと演奏できているようだ。それは利点のひとつだが、ピアノ伴奏時、さらにはオーケストラと共演する協奏曲など、他者との共演時に自由が束縛されることとどのように折り合いを付けていくかなども、今後の課題になってくるような気がする。
 それでも百音さんもタダモンじゃない。その才能には相当に優れたものがあることは確かで、将来が楽しみである。

 終演後は恒例のサイン会。新譜のデビューCDも飛ぶように売れていて、あっという間に長蛇の列ができていた。まあ、サイン会の方は今後も機会があるだろうから、今回は早々に諦めることにして、早めに帰宅することにした。

 ちょっと気になったことだが、今日の紀尾井ホールはほぼ満員の盛況であったが、季節柄か咳をする人がやたらと多かった。ピアニッシモの時にも遠慮なくゴホンゴホンを何人もの人が繰り返していたのは、演奏を妨害しているようで、非常に不愉快であった。17歳の高校生が本格デビューするリサイタルに対して、あまりにも可哀想である。聴衆が多いのは良いことだが、ヘタに動員をかけるとクラシック音楽のコンサート・マナーを守れない人が多くなる。聴き手の在り方が問われるところだ。

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【お勧めCDのご紹介】
 服部百音さんのデビューCDです。いきなりショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番という、すごいデビューです。共演はアラン・ブリバエフ指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団。本日のリサイタルでも演奏された、ワックスマンの「カルメン幻想曲」も収録されています。

カルメン・ファンタジー、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
avex CLASSICS
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11/22(火)ドレスデン国立歌劇場/圧倒的な質感を見せつけるご本家による「アルプス交響曲」の素晴らしさ

2016年11月22日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN
オーケストラ・ブログラム Ⅰ


2016年11月22日(火)19:00〜 サントリーホール B席 2階 LA2列 21番 20,000円
指 揮:クリスティアン・ティーレマン
ピアノ:イェフィム・ブロンフマン → キット・アームストロング*
管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)
【曲目】
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19*
《アンコール》
 J.S.バッハ:パルティータ 第1番 変ロ長調 BWV825「メヌエットⅠ」*
R.シュトラウス:アルプス交響曲 作品64

 一昨日に引き続き、「ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN」に足を運び、今日は「オーケストラ・ブログラム Ⅰ」を聴く。この音楽祭の引っ越し公演では、オペラ上演としてサントリーホールの「ホール・オペラ」形式で、ワーグナーの『ラインの黄金』を11月18日と20日の2回行い、後半はシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)による「オーケストラ・プログラム」が2夜開催される。本日は第1回でメイン・プログラムはリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」である。明日の第2回は、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」とリストの交響詩「レ・プレリュード」が予定されている。
 ところで、その両日において、前半のプログラムでベートーヴェンのピアノ協奏曲の第2番と第5番「皇帝」が演奏されるが、ソリストとして招聘されていたイェフィム・ブロンフマンさんが体調不良により急遽降板となってしまった。代役として抜擢されたのは、1992年アメリカ生まれの若手のホープ、キット・アームストロングさん。期待の俊英だけに、どんな演奏を聴かせてくれるのか、興味津々といったところだ。本日はベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番を演奏する。
 指揮するのはもちろん、首席指揮者のクリスティアン・ティーレマンさん。彼にとっては「アルプス交響曲」は得意の演目の一つであり、2001年に、ウィーン・フィルと録音してCDをリリースしているくらい。つまり若い頃から得意としているのである。そして今回はシュターツカペレ・ドレスデン。「アルプス交響曲」は1915年に完成し、その年の10月に、シュトラウス自身の指揮によってベルリンで初演されたが、その時のオーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンであった。1世紀も前の話なので、オーケストラに当時からの伝統がどれだけ生き続けているかは知る由もないが、それでもシュターツカペレ・ドレスデンによる「アルプス交響曲」こそご本家であるといってよいだろう。今やドイツ音楽の第一人者に上り詰めたティーレマンさんとこのオーケストラの組み合わせで演奏される「アルプス交響曲」は王道の中の王道を行くものであるはず。これを聴き逃しては、一生悔いが残るというものだ。
 ・・・・と、こちらはかなり入れ込んで会場入りしたのだが、どういうわけか本日のコンサートは極端に入りが悪かった。半分くらいしか入っていなかったのではなかろうか。近年の外来の一流オーケストラのコンサートで、これほど不入りだったのを見たことがない。特別にチケットが高かったわけでもないので、演奏曲目がいささか地味だったからとも考えられるが、それにしても不思議なことである。2012年の来日公演の時も、2015年の時も、大入りだったのに・・・・。
 一つ考えられることは、今日はNHKホールでNHK音楽祭の公演があり、昨日聴いたサンフランシスコ交響楽団がユジャ・ワンさんをゲストに迎えてのコンサートがあり、同時刻に3500名のクラシック音楽ファンがそちらに行ってしまったことであろうか。ショパンのピアノ協奏曲第2番トブルックナーの交響曲第7番という人気曲をプログラミングしている。やはり選曲も大切な要素になるのであろう。

 プログラムの前半は、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲 第2番」。この曲も、ベートーヴェンの5つのピアノ協奏曲の中では一番地味な曲で、演奏機会も少ない。巨匠ブロンフマンさんの代役として登場した若手のアームストロングさんが、ここでモヤモヤを吹き飛ばすような華麗なパフォーマンスでも見せてくれたら、と期待していたのだが、どうやら不発に終わったようである。
 今日の席はLAブロックの最前列だから、オーケストラの直接音が至近距離で明瞭に聞こえる。ピアノも鍵盤側の背中から見る位置なので直接音が届くはず。ところが、小編成のオーケストラはかなり抑制的な演奏をしていたにも関わらず、アームストロングさんのピアノの音があまりよく聞こえない。基本的に音量が小さいのか、全体的に華奢な印象の演奏なのである。ではその代わりに繊細で美しい音色なのかというと、これがどうもスッキリしない音。打鍵のキレがあまり良くないのか、ペダルを多用しすぎるのか、ひとつひとつの音が明瞭に分離せずに、混ざり合って濁ってしまう印象なのであった。カデンツァなどでも指は回っているのに音が良くないのである。彼は一流の指揮者やオーケストラとの共演の経験もけっこうあると聞くが、今日はティーレマンさんとシュターツカペレ・ドレスデンという超大物との共演、しかも急遽の代役ということで、どうも緊張しまくっていたのではないだろうか。ティーレマンさんはかなり一所懸命フォローしていたようだが、バタついてオーケストラと微妙に合わなくなるところも散見された。とくにテンポの上がった第3楽章のロンドはドタバタとて流れに乗りきれず、しかも音が混沌としていて主題さえが明瞭に聴き取れない・・・・。私も安い席で聴いているのであまり文句を言えるような立場ではないことは重々承知しているが、さすがにいささかチケットの高価なシュターツカペレ・ドレスデンのコンサートとしては到底満足のいくレベルではなかったと言いたいところだ。
 曲が終わると少ない聴衆ながら主に1階の方から万雷の拍手喝采であった。1階で聴けば良かったのかな・・・とふと思う。アームストロングさんのソロ・アンコールのバッハも・・・・何が言いたいのかよく分からない演奏。どうも私との相性は良くないみたいだ。

 後半はいよいよ「アルプス交響曲」。16型以上の弦楽5部と4管編成以上の管楽器群、多彩な打楽器群、ハープ、チェレスタ、オルガン(鍵盤部分はステージ上に移しパイプオルガンを鳴らす)・・・・総勢100名を超える大編成のオーケストラが、サントリーホールのステージいっぱいに展開していた。さあ、気を取り直してここからが本番だ。
 ティーレマンさんが登場し、曲が始まる。「夜」の場面が静かに始まり徐々に色々意な楽器が加わって重々しい不協和音が形成される。その分厚いアンサンブルの中から、「日の出」の動機が輝かしく鳴り響く。この辺りからは完全にシュトラウスの世界だ。トワイライトのアルプスの山並みから一瞬にして差し込む朝日の神々しいまでの輝き。そうした情景がリアルに目に浮かぶ程の描写力。ティーレマンさんが率いるシュターツカペレ・ドレスデンの演奏は、ホルンが巧いだとかオーボエが素晴らしいだとか、そういった次元の演奏ではなくて、オーケストラ全体が一つの楽器であるかのような一体感があり、それが極めて高品質だといえる。だからこのような標題音楽における表現力(描写力)に優れているのだ。また、次の「登り道」になると、情景を描いた音楽であるにも関わらず、主題には親しみやすい旋律が出てくる。そこでのオーケストラは主題を浮かび上がらせるシンフォニックな雰囲気を見せる。バンダのホルンがファンファーレを華やかに刻むと、今度はオペラのような世界になる。シュトラウスのオーケストレーションは本当に天才的なヒラメキに満ちているが、それを演奏するシュターツカペレ・ドレスデンをしなやかに、美しく歌わせるのはティーレマンさん。何と豊潤な音楽世界なのだろう。
 「森へ立ち入り」、「小川に沿って歩む」ところからは、全曲を4楽章の交響曲に見立てれば緩徐楽章に当たる部分に入って行く。豊かな自然と穏やかな空気感が至福の時をはぐくんでいく。「滝」を眺めつつ「幻影」を感じながら「花咲く草原」を経て「山の牧場」で長閑なアルペンホルンを聴く。この一連の物語性をシュターツカペレ・ドレスデンは澄んだサウンドで空気感を描き、ちょっと重めの響きで自然の大きさと山々の厳しさを描き出している。
 「林で道に迷う」辺りからはスケルツォに相当するのだろうか。不安な要素と自然の脅威も垣間見え、「氷河」を見て底知れぬ恐怖を感じる「危険な瞬間」。
 苦しい登山が終わりに近づき、「頂上にて」ホッと一息つく。そこからの「見えるもの」は、アルプスの雄大な山々に燦々と降り注ぐ太陽の光。音楽的にもクライマックスを迎え、金管が晴れやかに、大らかなアンサンブルを響かせる。サントリーホールが光り輝くアルプスの中にあるような、圧倒的な存在感のある音・音・音の饗宴。聴く者にとっても感動的な、至福の時である。
 しかし帰り道には苦難が待ち構えていた。「霧が立ち上」り、「次第に日が翳って」くる。思わず「哀歌」を口ずさんでしまう。「嵐の前の静けさ」で、辺りは静かだが遠くから雷鳴が近づいて来る。オルガンの荘厳な響きが、風向きが変わるように不安感を煽る。自然の脅威が近づいて来る。あるが振り出し、雷が鳴り、突風が吹いてくる。「雷鳴と嵐」が襲いかかってきて、慌てて逃げるように「下山」する。オーケストラの持つ一体感とオルガンが重厚かつ乱暴に荒れ狂い、私たちを嵐の中へと誘うようだ。怒濤のようなサウンドが目の前のオーケトラから沸き上がってくるのは圧巻であった。すごい迫力、それでも極めて音楽的で質感が高いのである。
 嵐が去ると、辺りははや「日没」の時を迎える。オルガンの天国的な響き(太陽)と弦楽の澄んだ音色(空気)が鮮やかなコントラストを描きながら、太陽が赤く色づいてゆっくりと沈んでいく。日没のトワイライトは「終末」。それにしてもオルガンの響きはどうしてこうも天の声のように聞こえるのだろう。雄大なアルプスも、大自然も創造主のなせる技ということなのだろう。登山の一日の出来事を思い出しつつも、「夜」が訪れ、辺りは完全に闇に包まれる。
 最後の音の残響が消え、しばしの静寂がホールを支配した後、おもむろに拍手が湧き起こり、盛んにBravo!が飛び交った。その拍手は長く続き、アンコールはなかったのでさらに続き、ティーレマンさんをソロ・カーテンコールに引っ張り出した。

 結局のところ、この「アルプス交響曲」は素晴らしい演奏だったと思う。ティーレマンさんはベートーヴェンの交響曲などではかなり個性的なところを見せるが、今日のシュトラウスは王道を行くかのごとく、スタンダードな解釈に終始していたと思う。もっとも標題音楽なので特異な解釈はしようもないが、表現という点においても極めて常識の範囲内に収めていたようである。その中でもっとも特徴的と感じたのは、100名を超すオーケストラを一塊の楽器のようにまとめあげ、全体がひとつの意志に統一されて、シュトラウスの「アルプス」という世界観を表現していたことだ。純音楽である交響曲の際は、各パートの個性がもっと際立つように分離させ、その上での緻密なアンサンブルを構築していくティーレマンさんだが、シュトラウスにとって管弦楽による標題音楽の集大成である「アルプス交響曲」においては、各パートの個性を抑え込み、オーケストラ全体で情景を描写しているように思えた。そしてその質がものすごく高いのである。
 各楽器の音で何かを表現するのではなくて、何かを表現するために音を作っている。こうした感性の切り替えができる指揮者や、それに応えられるオーケストラは少ないと感じる。日本のオーケストラのみならず、海外の一流と呼ばれるオーケストラにおいても、なかなか出会うことの少ない能力。上手・下手の問題ではなく、音楽に向き合う感性の違いのような気がするのである。

 「ザルツブルク・イースター音楽祭」を創設したヘルベルト・フォン・カラヤン氏は、「オペラとシンフォニーはクラシック音楽の両輪だ」と言った。彼の弟子であるティーレマンさんはこの音楽祭の芸術監督として後を継ぎ、オペラとシンフォニーの両輪をシュターツカペレ・ドレスデンで回している。しかも世界の最高水準でのことだ。今回の音楽祭の日本公演でも、オペラとしてはバイロイト級の『ラインの黄金』を上演し、シンフォニーとしても2回のコンサートを行った。最近はこういうことができる指揮者は少ないのではないだろうか。両輪を回せる指揮者は、1輪の指揮者よりも沢山の引き出しを持っていて、その結果、表現の幅が広く奥が深い演奏を生み出す。今回の「ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN」では、ティーレマンさんは日本で初めてオペラを指揮して、そうした能力をまざまざと見せつけてくれた。ティーレマンさんに心よりのBravo!!を送ろう。

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11/21(月)サンフランシスコ響+ユジャ・ワン/明瞭・闊達なショスタコP協1番とマーラー「巨人」

2016年11月21日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
サンフランシスコ交響楽団 2016 アジアツアー
SAN FRANCISCO SYMPHONY 2016 ASIA TOUR


2016年11月21日(月)19:00〜 サントリーホール S席 1階 1列 20番 23,000円
指 揮:マイケル・ティルソン・トーマス
ピアノ:ユジャ・ワン*
トランペット:マーク・イノウエ**
管弦楽:サンフランシスコ交響楽団
【曲目】
ブライト・シェン:紅楼夢 序曲(サンフランシスコ交響楽団委嘱作品/日本初演)
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35* **
《アンコール》
 ユーマンス:ふたりでお茶を* **
 チャイコフスキー:4羽の白鳥*
マーラー:交響曲 第1番 ニ長調「巨人」

 音楽監督のマイケル・ティルソン・トーマスさんが率いるサンフランシスコ交響楽団の2016アジア・ツアーは、超人気ピアニストのユジャ・ワンさんを伴って、韓国、台湾、中国(上海、北京)を回って最後が日本公演となった。昨日11月20日が大阪/フェスティバルホール、本日が東京/サントリーホール、明日が東京/NHKホール(NHK音楽祭公演)というスケジュールだ。
 ツアーに持ってきた曲目は、ユジャさんがソリストを務めるのはショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番とショパンのピアノ協奏曲第2番、メインとなる管弦楽曲としては、マーラーの交響曲第1番「巨人」、ブルックナーの交響曲第7番、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」など、重厚なプログラムである。日本の3公演では、11/20大阪ではショパンのピアノ協奏曲とマーラーの「巨人」、11/21サントリーホールが上記の通り、11/22NHK音楽祭ではショパンとブルックナーの第7番。こうなると本日の公演だけでなく、明日のNHK音楽祭も当然のごとく聴かなければならなくなる。ところが明日はサントリーホールでドレスデン国立歌劇場管弦楽団のコンサートがあり、クリスティアン・ティーレマンさんが「アルプス交響曲」を振るという、極めて悩ましい事態となってしまった。よりによってアメリカとドイツが日本で戦争をするようなものである。まさに身体が二つ欲しいところ。泣く泣く下した決断は、明日はご本家シュターツカペレ・ドレスデンの「アルプス交響曲」を聴くことにした。唯一の救いは、明日のサンフランシスコ響はNHK音楽祭なので、NHK-FMの生中継放送と、後日テレビ放送があるので、取り敢えず聴くことはできることである(実際にFMをタイマー録音しておいた)。

 サンフランシスコ響は1911年の設立で、1世紀以上にわたる歴史を持つアメリカの名門オーケストラである。小澤征爾さんが音楽監督を務めていた時期もあり、日本でもお馴染みだ。1995年以降は、現職のティルソン・トーマスさんが音楽監督を務めていて、アメリカ国内だけでなく、世界各国での演奏ツアーを通じて、国際的にも高い評価を得ている。この組み合わせでの来日公演は1997年と2012年に続いて3回目となる。前回来日の2012年11月も、ツアーにはユジャ・ワンさんが同行していて、私は「都民劇場」の公演でプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番とラフマニノフの交響曲第2番などを聴いている。今回もその時と同じく、1列目のソリスト正面=ピアノ下の席を取ることができた。多少音の響きは悪くとも、ユジャさんのパフォーマンスを最短距離で体感できることへの誘惑には勝てないのである。

 1曲目はブライト・シェン(1955〜)という中国系アメリカ人作曲家による「紅楼夢 序曲」という曲で、サンフランシスコ響の委嘱作品であり本日が日本初演である。中国では有名な『紅楼夢』という古典文学を元にシェンがオペラとして作曲し今年の9月にサンフランシスコ歌劇場で初演された。それとは別にサンフランシスコ響の委嘱により、オーケストラ用の序曲として別作品として作曲されたのが「紅楼夢 序曲」ということである。こちらも9月に初演されている。
 序奏から打楽器が多用されるところはいかにも現代曲を思わせるが、主部に入ると中国的な旋律が美しく語られていく。これはオペラの中で使われた素材であろう。曲想はロマンティックなものから劇的なものへと変わっていく。音楽自体は豊かな抒情性を湛えていて、難解な現代音楽ではない。演奏はいかにもアメリカのオーケストラといった感じの明瞭で分かりやすく、ダイナミックであった。

 2曲目はユジャさんを迎えてのショスタコーヴィチの「ピアノ協奏曲第1番」。正式には「ピアノとトランペット、弦楽合奏のための協奏曲」といい、ピアノとトランペットによる二重協奏曲の様相を呈しているが、オーケストラ側も管弦楽ではなく管楽器のない弦楽合奏なので、実際には他には類を見ない構成の曲なのである。1933年の作で、ショスタコーヴィチ27歳、若き日の作品である。従ってまだソビエト連邦政府の介入を受ける前の作品なので、生気に満ちた明るさと皮肉な諧謔性に彩られている。なお、トランペット独奏はサンフランシスコ響の首席奏者、マーク・イノウエさん。ソリストとしても活躍してい他、ジャズ・トランペット奏者としても人気者で、作曲もするなど、多彩な才能の持ち主である。
 ユジャさんは(今日はミニスカートではなかった・・・)登場すると例によってペコリッとお辞儀をして、すぐに演奏が始まる。相変わらず、キレ味の鋭い、そして決して冷たくないピアノが踊り出す。疾走するピアノにトランペットが絡み付き、弦楽合奏が澄んだ音色の軽快なアンサンブルとリズム感で負けじと疾走する。ユジャさんのビアノは、伸びやかで弾みまくり、弾いている本人も実に楽しそうに、快速の旋律を口ずさみながら、正確無比でキレ味の鋭い打鍵。どんなに速いパッセージを弾いても音に一点の曇りもなく、終始、明瞭・闊達である。
 第2楽章は緩徐楽章。調性は曖昧だが抒情性豊かな序奏が弦楽合奏でしっとりと演奏されていく。そこにユジャさんのピアノが入って来る。ロマンティックな音楽がいつしか中間部では激情的なものに変わる。後半ではトランペットがミュートを付けてあたかもコールアングレのようなのどかな旋律をゆったりと歌わせる。ピアノも繊細なロマンティシズムを描き出す。この辺りのユジャさんは弱音の美しさも澄みきっていて絶妙。
 第3楽章は2分にも満たない短いもの。その中にも色々な音楽要素が詰まっている。ピアノが抒情的で美しい。
 アタッカで第4楽章になだれ込むと、Allegro con brioにしてはかなり早めのテンポで快調に突っ走っていく。ユジャさんのピアノは超絶技巧の領域に突入し、過激なパフォーマンスを見せつけるが、演奏自体は極めて正確でひとつひとつの音が明瞭に分離していて、しかも速い!! ユジャ・ワールドが一気に広がっていく。そしてそれを追いかけていくイノウエさんのトランペットも超絶技巧!! 華麗なテクニックで応酬していた。イノウエさんはトランペットの定位置で吹いていたが、ピアノの横まで出て来て演奏しても面白かったのでは? この終楽章は皮肉な諧謔性がいっぱいで、かなりふざけた曲想の通りに、ユジャさんは本当に楽しそうに演奏していた。その音色は明るく澄んでいて、音楽の持つ生命力や喜びをここまでストレートに表現したショスタコーヴィチも珍しい。というか、初めてであった。ユジャさんでなければできないスゴ技であって、他の人が同じように弾いてもただ技巧を見せびらかすようにしかならないだろう。技巧ではなく、彼女のキャラクタがこの音楽を生み出しているのだ。
 曲が終わったら、トランペットのイノウエさんも、ティルソン・トーマスさんも、オーケストラの皆さんまでが、ユジャさんに合わせてペコリッとお辞儀をして、会場の笑いを誘った。アメリカ育ちのユジャさんとアメリカのオーケストの相性は抜群で、めっちゃ明るく楽しい雰囲気は、ドイツ辺りではちょっと考えられないものだろう。

 ユジャさんのアンコールはイノウエさんとのセッションで「二人でお茶を」。完全にジャズ風のアレンジで、多分、アドリブがいっぱいの演奏だったのだと思う。クラシックのコンサートなのに、これが当然、というように会場は大いに沸いた。
 それで終わるはずで客席側の照明も明るくなったのに拍手が鳴り止まず、急遽もう1曲アンコール。チャイコフスキーの「4羽の白鳥」を軽快な超絶技巧で聴かせてくれた。

 後半はマーラーの「交響曲 第1番 ニ長調『巨人』」。この演奏も快演だった。ティルソン・トーマスさんの解釈というか、音楽作りは全般的に「極めて分かりやすい」という印象だ。楽曲には真正面から取り組み、スコア通りのスタンダードな音楽作り。平均的ともとれる適切なテンポ設定、美しく主題を浮き立たせ、和声のバランスも美しい。通して聴いたときの全体的な構造感もしっかりと構築されていて揺るぎない。スコアの中から音楽の本質的な要素を素直に導き出しているのである。逆の見方をすれば、あまり特徴がない、あるいは個性に乏しいということになるのだが・・・・。
 ただし聴いていても平凡に感じることはなく、まったく退屈させないところがスゴイのである。その最大のポイントはオーケストラの音だ。弦楽は濁りのないクリアなアンサンブル。木管の各パートは純粋に楽器の音を質感高く出している。金管は輝かしい音色で極めてパワフル。そしてオーケストラ全体のダイナミックレンジはかなり広く、最大音量もかなり大きい、いわゆるアメリカン・ビッグ・サウンドである。気持ちが良いくらいに大らかで大音量をぶちかますが、そこに嫌味な要素が全くなく、とにかく明瞭で闊達なのである。また、テンポの揺らし方や間の取り方などもしなやかで巧い。音楽をダイナミックにドラマティックに創り上げるのだが、その手法は余りにもストレートだ。
 従って、マーラーの持つ内に秘められた葛藤や悲哀というようなもの、あるいはドイツ音楽に求められがちな悩み深い哲学的な表現などのような、行間から滲み出てくるような奥深い音楽性を求める向きには、かなりあっけらかんとした演奏に聞こえるかもしれない。要するにこれは、いかにもアメリカ的ではあるが、クラシック音楽は決して難しくない、こんなに楽しいものなんだよ、という「分かりやすい」演奏なのである。
 第1楽章。弦楽のフラジオレットの耳に障る音の中、4度下がる動機が何度も提示され、トランペットのファンファーレがバック・ステージから響き渡る。それを受けるホルンは狩人の角笛のように柔らかくのどかだ。第1主題は「さすらう若人の歌」の中の曲から採られている。この主題以外の部分はドイツの森の中の自然描写のような曲想が続く。オーケストラのクリアなサウンドが、かえって美しい自然を描き出すようで、瑞々しく生命力が感じられる演奏だ。
 第2楽章はスケルツォ。低弦のリズムに乗せて、ヴァイオリンや木管がスケルツォ主題を、明るく踊るように歌わせる。ちなみに今日のコンサートでは前半と後半では弦楽5部の配置が変わり、後半のマーラーでは第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが対向に配置され、チェロとコントラバスは第1ヴァイオリンの後方にいた。
 第3楽章は例のコントラバスのソロで始まる。演奏した首席(スコット・ピンゲルさんだと思う)のバス奏者は、第1ヴァイオリンの真後ろ、つまりステージの客席側1列目の下手側の端で演奏した。だから客席からはよく見えるしよく聞こえるわけである。チェロと同じように、フレンチ・ボウという弓の持ち方で、柔らかい音色で主題をとうとうと歌わせていた。この主題がカノン風に繰り返されていく。絡みつくオーボエが色鮮やか。
 第4楽章はシンバル1発で始まり、聴いている人をハッと目覚めさせる。そこから続く怒濤のようなオーケストラの進撃は、アメリカン・ビッグ・サウンドならではの迫力。美しい音のまま音量だけが上がったようになり、打楽器が地響きのように加わると、強烈な音の奔流に実を任せることになる(最前列で聴いているせいもあるが)。続く第2主題は、交響曲第5番の有名な「アダージェット」にも似た、ヴァイオリンの限りなく感傷的で美しい旋律。透明度の高いヴァイオリンのアンサンブルが、極端な対比を鮮やかに描き出している。展開部はオーケストラの機能性が十分に発揮されて、めまぐるとく変化する曲想や第1楽章のファンファーレや主題が登場したりして、オーケストラの表現の幅が広い。それらのひとつひとつの質感が高く、聴き応えも十分の演奏が展開された。第1主題が再現されるとそのままコーダに突入。8名のホルンが立ち上がり、勝利の雄叫びを上げるように、圧倒的な迫力で押しまくられて、フィナーレとなる。会場はBravo!!が飛び交い、大盛況となった。

 というわけで、非常に楽しいコンサートであった。オーケストラのアンコールはなかったが、楽員たちがステージから下がっても拍手が鳴り止まず、ティルソン・トーマスさんのソロ・カーテンコールがあった。私はといえば、コントラバス首席の人と握手を交わしてきた。マーラーの「巨人」を演奏するコンサートで、コントラバスの首席が客席側の最前列にいることは滅多にないと思うので、珍しい体験であった。

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11/20(日)ティレーマン+ドレスデン国立歌劇場『ラインの黄金』/本場の質感と雰囲気を堪能する2時間半

2016年11月20日 23時00分00秒 | 劇場でオペラ鑑賞
ザルツブルク・イースター音楽祭 in JAPAN
ホール・オペラ/ワーグナー:楽劇『ラインの黄金』
〜舞台祝祭劇『ニーベルングの指輪』序夜


2016年11月20日(日)16:00〜 サントリーホール S席 1階 6列 37番 43,000円
指 揮:クリスティアン・ティーレマン
管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)
演 出:デニー・クリエフ
【出演】
ヴォータン:ミヒャエル・フォッレ(バリトン)
ドンナー:アレハンドロ・マルコ=ブールメスター(バリトン)
フロー:タンセル・アクゼイべク(テノール)
ローゲ:クルト・シュトライト(テノール)
アルベリヒ:アルベルト・ドーメン(バス・バリトン)
ミーメ:ゲアハルト・ジーゲル(テノール)
ファーゾルト:ステファン・ミリング(バス・バリトン)
ファフナー:アイン・アンガー(バス)
フリッカ:藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
フライア:レギーナ・ハングラー(ソプラノ)
エルダ:クリスタ・マイヤー(メゾ・ソプラノ)
ヴォークリンデ:クリスティアーネ・コール(ソプラノ)
ヴェルグンデ:サブリナ・ケーゲル(メゾ・ソプラノ)
フロスヒルデ:シモーネ・シュレーダー(コントラルト)

 20世紀の大指揮者、かのベルベルト・フォン・カラヤン氏が私財を投げ打って1967年に設立した「ザルツブルク・イースター祝祭音楽祭」が日本にやって来た。創設以来、この音楽祭のオーケストラはベルリン・フィルが務めていたが、2013年にカラヤンの弟子でもあるクリスティアン・ティーレマンさんが音楽祭の芸術監督に就任したのをきっかけに、現在は彼が首席指揮者を務めるシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)が音楽札のレジデント・オーケストラになった。
 その音楽祭が創立30周年を迎えるサントリーホールとの共同企画で日本でも開催されることになったのである。企画の目玉となるのは、ワーグナーの舞台祝祭劇『ニーベルングの指輪』から、序夜/楽劇『ラインの黄金』。およそ2時間30分に及ぶ全1幕のオペラ(楽劇)である。
 ご存じの通り、サントリーホールはヴィンヤード型のコンサートホールであるから、通常の意味でのオペラ上演はできない。オーケストラの定期演奏会などで、演目としてオペラ作品を採り上げるときは、ほとんどの場合がコンサート形式で行う。それではあまりにも・・・・というわけだろうか。かつては「ホールオペラ」と呼ぶ、セミ・ステージ形式での上演が定期的に行われていたものである。最近は・・・・やらなくなったようだ。この形式では、オーケストラは通常通りのステージ上に配置されて、ステージ周辺の客席をつぶして演技スペースを設け、出演者(歌手たちや合唱団)はオペラ用の衣装を着けて演技も演出もあり、で上演されていた。最近では、東京芸術劇場の「シアター・オペラ」がこの方式でオペラ作品を上演している。
 さて、今回の『ラインの黄金』は、その「ホール・オペラ」をより大胆な形式に発展させ、通常のオペラ・ステージ形式により近いカタチでの上演方法を考え出したものである。その方法とは・・・・。

 まず、ステージはすべてオーケストラスペースに使う。何しろワーグナーのオペラなので、オーケストラ編成は最大級。4管編成以上(ホルン8など)+弦楽5部は16型以上(第2ヴァイオリンとチェロが1プルト多い)、ハープ6と多彩な打楽器群、その他バンダも多数。総勢100名以上となるので、サントリーホールのステージを目一杯使わなければ入らない。これでは、コンチェルタンテ(協奏曲風)に指揮者の横でソリストが歌う「コンサート形式」は不可能だ。
 そこで大胆な発想で実現したのは、ステージ後方の2階P席をつぶして、そこに仮設ステージを造ってしまうという形式。もとよりP席の販売はなく、歌手たちがP席で歌うということは告知されていたので、たまに第九のコンサート等で行うように、Pブロックの最前列で歌うのだろうと考えていた。ところが結構本格的な構造物を設置して、ステージ上にややせり出すくらいの2階に袖から出入りできる舞台を造ってしまったのである。そして背景にはスクリーンにもなる壁を立てて、もはやそこがP席のある客席スペースだとは分からないくらいの本格的なものであった。従って、オペラの舞台とオーケストラの位置関係は、通常のオペラ劇場の舞台とオーケストラ・ピットに近く、歌手たちは指揮者を見ながら歌えるということになる。観客の方が、やや見上げるようになるわけだ。そうした位置関係のために、1階のステージ寄りの前方席はAランクになっていた。これはステージ手前側ギリギリまでオーケストラがいるために、特設舞台が観にくいかららしい。私は今回に限ってS席6列目での鑑賞だったので、歌手たちの舞台もオーケストラのステージも全体がよく見渡せ、音も最良の状態で聴くことができた。

 ところが、私はそもそもワーグナーのオペラ(楽劇)はほとんど聴かない。シンフォニー・コンサートで採り上げられる演奏会用の管弦楽曲(オペラの序曲、前奏曲、『トリスタンとイゾルデ』の「愛と死」など)に関しては普通に聴けるし素晴らしいと思うのだが、オペラ作品に関しては、正直言って大の苦手なのである。物語の世界観についていけないことや、上演時間があまりにも長いこととなど、理由はたくさんある。だから今回の『ラインの黄金』に関しても苦手意識が先にあり、最初からパスするつもりであったが、よくよく考えてみれば、ワーグナーのご本家であるバイロイトのー祝祭管弦楽の構成メンバーの主要な部分を構成するドレスデン国立歌劇場管弦楽団のコンサートであり、しかも指揮者はやはり現在の最高のバイロイト指揮者であるティーレマンさん、歌手陣もバイロイトの常連さん達やドレスデンを始めとするヨーロッパの主要歌劇場の常連さん達ばかりという素晴らしいメンバーが揃っている。これは、ワーグナー作品の上演という点でも、滅多に聴けないレベルのものであることは間違いなく、そういうことならば、ものは試しでというか、取り敢えずというか、話のネタとしても聴いておくべきと判断した次第なのである。動機としては・・・・あまり褒められたものではないが。

 さて、演奏についてだが、まずオーケストラの演奏が、とにかく素晴らしかった。もちろん指揮者が世界最高のワーグナー指揮者であることも確かだが、かといってティーレマンさんが他のオーケストラを指揮してこれだけの演奏を弾き出すことが出来るか果たしてできるだろうかと考えてしまった。
 何と言ってもオーケストラ全体が一塊になっていて、音楽自体に統一した意思が感じられることが上げられる。これは私のような素人が平たい言葉で言えば「雰囲気」が良いということなのだが、全体が豊潤な響きを持っていて、各楽器はそれぞれにかなり質感の高い音色で演奏をしていて、鮮やかに主張をしているにもかかわらず、全パートが同じ色彩のベースを持っているといえば良いだろうか。弦楽はどこまでも澄みきったアンサンブル(清らかな響きとでも言おうか)を聴かせるが、それは木管や金管を溶け込ませるような透明感である。その木管や金管も、例えば歌手の歌唱を妨げることなく、むしろ歌手たちと融和するアンサンブルを生み出すような、器楽的でなく、歌謡的な歌い方をする。旋律が歌唱のような呼吸感をを持っているのである。とくにオーボエは人の声のように語りかけ、ホルンは艶やかで自然の風のようなハーモニーを創り出していた。
 その結果、オーケストラ(全体と各パート)と歌手たちが渾然一体となった、オペラ(楽劇)空間を創り出していく。その中心にいるのはもちろんティーレマンさんであり、オーケストラと特設舞台上の歌手たちの隅々にまで目を配りながら、緻密で絶妙のバランスを保ち、信じられないくらいにしなやかで自然に全体をまとめ上げていく。この辺りが、本場物のワーグナー作品の「雰囲気」がホールいっぱいに広がっていて、実に素晴らしいのである。
 ワーグナーはあまり聴かないと言っておきながらこんなことを言うのは甚だ僭越と言わざるを得ないが、素人なりに感じたのは、こういうのが本物のワーグナーのオペラ(楽劇)空間なのだろうということ。例えばウィーン国立歌劇場あたりでもこういう「雰囲気」は生まれないような気がする。日本でもワーグナー作品は人気が高いが、日本のオペラ団体やオーケストラの演奏でもこうした「雰囲気」は感じられない。上手い下手の問題ではなく、感性の違いといったところなのだろう。ドレスデンの皆さんは、ティーレマンさんと同じ価値観や感性を共有しているようだし、歌手の皆さんも明らかに彼らに共感している。そんな気がしてならない。

 歌手の皆さんの中では、私がとくに素晴らしいと感じたのは、ヴォータン役のミヒャエル・フォッレさんの魂を前面に押し出すような力強いバリトンと、アルベリヒ役のアルベルト・ドーメンさんの地の底から燃え上がるようなバス・バリトン、さしてフリッカ役の藤村実穂子さんのすべてを柔らかく包み込むようなメゾ・ソプラノであった。この3名は、突出して目立っていたと言うことではなく、物語の中で役割に応じて存在感を自然に感じさせてしまう巧さがあった。もちろん、他の歌手たちも皆素晴らしく、主役、脇役、端役といった役割は違っていても力量に差がなく、平均的なクオリティをかなり高めていたように思う。

 演出面についても触れておくと、とにかく前述のような特設舞台という限られた空間でのことなので、あまり凝った演出はしていなかった。舞台空間は抽象的な空間で、とくに舞台装置はなく、衣装も現代のジャケット等を着用しているだけの現代的ではあるが地味な世界。その点ではコンサート形式の演奏に近く、歌手の声は非常にクリアに、声量もピッタリのバランスでよく通って来ていた。音楽専用ホールであるサントリーホールで、しかもPブロックでの特設舞台からでは、声が響きすぎたり、オーケストラの音と混ざりすぎたりするのではないかと懸念していたが、それらはすべて杞憂に終わった。演出がシンプルであったことで、音楽面のクオリティが最高水準にまで高められていたといえそうだ。

 何度もいうが、私は基本的にワーグナーは苦手である。普段はほとんど聴くことがないので、実際には何も語る資格はないと思う。作品自体を理解しがたいのは、聴き終わった後でも変わらない。正直に言えば「どこが面白いのかよく分からない」のである。それでも今日の『ラインの黄金』は素晴らしい演奏であったことは分かるつもり。「雰囲気」に感応したのであろう。
 ティーレマンさんとドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏は、これまでの来日公演もほとんど聴いているがオペラ作品は初めてである。従って、今日の演奏を聴いて初めて、ティーレマンさんの実力の真髄を体験したということになる。彼の師匠であるカラヤン氏は「シンフォニーとオペラはクラシック音楽の両輪」と語っていたという。言わんとしていることはアタマでは分かるが、実際に一人の指揮者がシンフォニーとオペラというまったく異なるカテゴリの音楽芸術を創造する・・・・しかも世界最高のレベルで・・・・ことは、並大抵のことではない。世界中の巨匠と呼ばれる指揮者の中でも、これを高いレベルで実現している人はそう多くはない。思い浮かべようとしても片手で足りてしまう。ティーレマンさんはその中でもトップ・レベルを極めている一人であることは間違いないと思う。私としては、本日は素晴らしい体験をさせていただいたことに感謝する気持ちでいっぱいであった。

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1/12(土)CHANEL室内楽/モーツァルトとブラームスの弦楽五重奏をステージを囲むカタチで

2016年11月12日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
CHANEL PYGMALION DAYS/CHAMBER MUSIC SERIES 2016
シャネル・ピグマリオン・デイズ 室内楽シリーズ(11月)


2016年11月12日(土)17:00~ CHANEL NEXUS HALL 自由席 2列 正面側 無料招待
アーティスティック・デレクター:大山平一郎
ヴァイオリン:鈴木 舞(Pygmalion Days 2012 Artist)
ヴァイオリン:枝並千花(Pygmalion Days 2009 Artist)
ヴァイオリン:長尾春花(Pygmalion Days 2013 Artist)
ヴィオラ:田原綾子(Pygmalion Days Chamber Music Series Artist)
ヴィオラ:大山平一郎(Artistic Director)
チェロ:藤原秀章(Pygmalion Days 2016 Artist)
チェロ:加藤文枝(Pygmalion Days Chamber Music Series Artist)
【曲目】
モーツァルト:弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516(鈴木/枝並/田原/大山/藤原)
ブラームス:弦楽五重奏曲 第1番 ヘ長調 作品88(長尾/枝並/田原/大山/加藤)

 CHANELのピグマリオン・デイズ・アーティストたちによる「室内楽シリーズ」を聴く機会にめぐまれた。このシリーズは年に2回ほど開催されているようで、今年2016年の6月にも1回聴かせていただいてる。11月の今回は昨夜からの3夜連続で開催され、モーツァルトの弦楽五重奏曲第3番〜5番、ブラームスの弦楽五重奏曲第1番とピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲の6曲が3回のコンサートに振り分けられている。演奏するのは過去から現在に至るピグマリオン・デイズ・アーティストと室内楽シリーズ・アーティストに選ばれたことのある演奏家の皆さん。アーティスティック・デレクターの大山平一郎さん以外に10名のアーティストが今回のシリーズに参加していて、本日のコンサートに登場するのは上記の6名である。この中では、ヴァイオリンの鈴木 舞さんと枝並千花さんはまだ聴いたことがなかった。

 本日のプログラムはモーツァルトとブラームスの弦楽五重奏曲で、いずれもヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ1の構成を採る。他の2回はピアノが入るのでおそらく本日とは違っていると思うが、本日のステージ・レイアウトはちょっと変わっていて、CHANEL NEXUS HALL(ほぼ正方形の部屋)の中央に正方形のステージを設け、客席は四方からそれを取り囲むカタチで配置されていた。ステージ上では5名のアーティストが同心円上に向き合って座る。つまり、演奏そのものには指向性がないのである。これは、ある意味では室内楽の本来の姿なのかもしれない。演奏家同士は向き合っている方がアンサンブルがしやすいだろうし、演奏家たちを周りから取り囲んで聴くというのはサロン音楽としてはあり得るスタイルだといえる。ステージと客席とが隔てられるという感覚が希薄になるのも面白い。小さなサロンであれば、部屋全体に音楽が広がるので指向性は関係なくなるかもしれない。
 今日は1番に並んだので最初にホールに入ったのだが、係の人の案内で「こちらが正面です」と言われた側の2列目に席を取ったものの、指向性のないステージ構成ではあまり意味がなかったようである。前半のモーツァルトでは私の方から見るとチェロが目の前で背中向き、これを時計の6時だとすると、1時に第1ヴァイオリン、3時に第2ヴァイオリン、11時に第1ヴィオラ、9時に第2ヴィオラという位置関係で皆が中心に向いている。後半のブラームスでは配置転換があり、全体が時計逆方向に90度回転した。実際に聴いた上でも、あるいは視覚的にも、どちらが正面ともいえないようであった。

 プログラムの前半は、モーツァルトの「弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516」。第1ヴァイオリンが鈴木 舞さん、第2が枝並千花さん、第1ヴィオラが田原綾子さん、第2が大山平一郎さん、チェロが藤原秀章さんという構成だ。
 敢えてヴィオラを二人にした弦楽五重奏なのでから、ここはヴィオラに注目してみたい。
 指向性のない室内楽というのも初めての体験なので、少々途惑ってしまう。基本的には右側からヴァイオリンが、左側からヴィオラが聞こえてくるので、いつもとは左右が逆転しまっているし、チェロは背中を向いているのにやけに大きく聞こえたりする(物理的に近いから?)。とはいうものの向き合って演奏しているだけあってか、アンサンブルは緻密にまとまっている。その中から第1ヴァイオリンの鈴木さんによる主題と、第1ヴィオラの田原さんとの対話するようなやり取りが印象に残る。そして弦楽四重奏に比べると内声部のヴィオラが一人増えるだけで、これほど厚みが増すものかと、感心してしまう。例えば第2ヴィオラが内声部を形成している間に第1ヴィオラがヴァイオリンと掛け合って主題に絡んだりする。弦楽四重奏ではなかなかできない表現形態のようだ。
 深い悲しみに満ちた第1楽章。第2楽章がメヌエット。第3楽章は緩徐楽章でやはり悲しみに満ちた曲想だが曲が進むにつれて悲しみが遠ざかっていく。第4楽章は序奏付きのロンド。序奏は長く悲しみを引きずっているが、ロンドに入るとすべてが吹っ切れたような明瞭で爽やかな曲想に変わる。
 繊細な質感が鮮やかな鈴木さんのヴァイオリンが高音域で煌めき、田原さんのヴィオラがそれを受ける。内声部を厚くしているの枝並さんのヴァイオリンと大山さんのヴィオラで、この4名のアンサンブルを聴く上では、左右は反転していてもやはりコチラが正面かもしれない。チェロだけが後ろ向けなので音というよりは弦の振動が大きすぎてバランスがいまひとつだった。それなら一番良いのはどこの席なのだろう??

 後半は、ブラームスの「弦楽五重奏曲 第1番 ヘ長調 作品88」。こちらはメンバーが一部入れ替わって、第1ヴァイオリンが長尾春花さん、第2が枝並さん、第1ヴィオラの田原さんと第2の大山さんは変わらず、チェロは加藤文枝さんとなる。
 90度時計逆回転されたステージ・レイアウトにより、音楽の聞こえ方の印象がガラリと変わる。右側に行った加藤さんのチェロが豊かで艶やかな音として聞こえてくる。ヴァイオリンの二人が奥に位置するがこちら側を向いているので比較的良く聞こえ、手前側で近いが後ろ向きのヴィオラの二人とのバランスが、ちょっとヴィオラが強めに聞こえるものの、意外に良い感じで、アンサンブルが分厚く感じられた。
 ブラームスの音楽作りは和声をかなり重視している。モーツァルトのように主題と伴奏というふうに分かれる部分は少なく、各パートが同じような音型で和声を厚していく。大きなうねりのように音楽が流れていく。その中から第1ヴァイオリンの長尾さんがふわりと浮き出して主題を聴かせたり、第1ヴィオラの田原さんが音の塊から抜け出るように主題を弾いたりする。
 第1楽章は分厚い音の流れのAllegro non troppo ma con brioで、ハ長調という調性のわりには軽快感を創らずに、重めの和声で貫かれている。第2楽章は緩徐楽章で極めてロマン的ではあるが各パートが音型を揃えて大きな音の流れをゆったりと創り出す。第3楽章はフーガで始まりやがてロマン派らしい自由で闊達な音楽に変わっていく。
 ブラームスも、敢えてヴィオラ2名の弦楽五重奏にしているだけあって、ヴィオラの使い方を工夫している。この五重奏曲はとても美しい曲だが、和声が非常に厚く創られている部分が多い。演奏の方もその辺りをかなり意識していたようで、アンサンブルでは縦の線を合わせつつも横の線のしなやかな流れをバランス良く打ち出していた。素敵な演奏だったと思う。

 終演後は、ホール内のあちこちで出演者を囲む人の輪ができていた。出演者の数が多いと、関係者も必然的に多くなるのであろう。すぐに帰ってしまう人が比較的少なかったようである。ゆるりとした雰囲気の中で演奏家の方たちと交流できるのもサロン・コンサートの魅力のひとつだ(CHANELのスタッフの方たちには申し訳ないのだが)。私はといえば、お馴染みの田原さんともゆっくりお話しすることができて良かった。彼女もこの秋からパリへの留学が始まり、まだこちらでも大学を卒業していないから当分は行ったり来たりの二重生活が続くようである。年内にあと2回はコンサートを聴く予定があるが、来春からは本格的な留学生活に入るので、会える機会が減ってしまいそうで寂しくなる。とはいうものの、何事にも前向きでポジティブな田原さんのこと、たくさんのことを吸収して世界で活躍できるトップ・プレーヤーに育ってほしいものである(そういえば、来年2017年にもCHANELで5月にリサイタルが決まっており、6月の室内楽シリーズにも出演する予定となっている)。
 また、最近ちょっとご無沙汰してしまっている長尾さんにもお会いすることができた。私がCHANELで一番数多く聴かせていただいたのは長尾さんだと思うので、CHANEL=長尾さんというイメージが強く残っている。それにしても、CHANELのコンサートに出演する女性アーティストの皆さんは、美しくメイク・アップされてとても艶やか。ステージが華やかに彩られる。それに対して男性アーティストは黒服でいかにも地味である・・・・。


ヴィオラの田原綾子さん(上)とヴァイオリンの長尾春花さん(下)


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11/11(金)川久保賜紀&村治奏一/文京シビック夜クラシック/大ホールで聴くヴァイオリンとギターの名曲

2016年11月11日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
文京シビックホール 夜クラシック Vol.10
川久保賜紀(ヴァイオリン)&村治奏一(ギター)


2016年11月11日(金)19:30〜 文京シビックホール・大ホール S席 1階 1列 28番 2,250円(セット券)
ヴァイオリン:川久保賜紀
ギター:村治奏一*
【曲目】
ドビュッシー:『ベルガマスク組曲』より「月の光」
モリコーネ:ニュー・シネマ・パラダイス
パガニーニ:ヴァイオリンとギターのためのカンタービレ ニ長調 作品17
パガニーニ:ヴァイオリンとギターのための協奏的ソナタ イ長調 作品61
タレガ:アルハンブラの思い出(ギター・ソロ)*
バルトーク:ルーマニア民俗舞曲
     1.簿の踊り 2.飾り紐の踊り 3.足踏みの踊り 4.ブチュム(角笛)の踊り
     5.ルーマニア風ポルカ 6.速い踊り
ピアソラ:オブリビオン(忘却)
ピアソラ:タンゴの歴史
     1.酒場1900 2.カフェ1930 3.ナイトクラブ1960 4.現代のコンサート
《アンコール》
 ファリャ:『スペイン民謡舞曲』より「ホタ」

 文京シビックホール(公益社団法人文京アカデミー)が主催する「夜クラシック」シリーズは、一流アーティストによるリサイタルまたは室内楽のコンサートを年間に4回開催する。「夜」という名の通りちょっと遅めの19時30分スタートで休憩を含めて90分間というコンサート。今年のシリーズはすべて金曜日の夜だったので、週末の仕事帰りに、ちょっと気取ってクラシックの名曲を素晴らしい演奏で・・・というコンセプトである。
 今期(2016/2017シーズン)は本日が第2回になる。実は年4回のセット券を買っていたのだが、前回は所用が出来て行けなかったので、今日が初参加となった。

 今回はヴァイオリンの川久保賜紀さんとギターの村治奏一さんとのデュオ・リサイタルである。このお二人のデュオは何度も聴いているし、曲目もほとんどいつも似たようなものなので、すっかりお馴染みになってしまっている。ただ、これまでは会場は小さなホールばかりだったが、今回は異例の大ホールである。空間の大きさがまったく違う世界になるので、響きも全然違ってくるし、演奏の仕方も変わってくるはず。その点で、いつもとは違った新鮮な演奏を聴かせてくれるのではないかと、期待するものであった。

 文京シビックホールは、東京フィルハーモニー交響楽団の「響きの森」シリーズ(こちらも年間4回)をかなり以前から聴いているので、お馴染みになっているが、実はこの大ホールでのリサイタル(あるいは室内楽)は経験がない。もちろん1800名入る2階構造の大ホールでのリサイタルというのには、いささか無理があろう。もともとこのホールは、多目的ホールなのでやむを得ないことだが、残響が少なくオーケストラでさえ音がすっぽ抜けてしまうようなところがある。とくに今回は楽器としては音量の小さいギターとヴァイオリンのデュオなので、後方の席まではギターの音はうまくは届かないと思われる。そこで、ギターについてのみ、マイクを立てて音を拾い、小さなアンプ・スピーカーをギタリスト席の後ろに置いて、わずかに拡声をしていた。おそらく、ある程度離れた席(ホール1階の中央辺り)では、気にならない程度にバランス良く聞こえていたはずである。
 私はと言えば、いつものように最前列だったので、奏一さんのギターが鳴り出したときに、不自然な音量に感じてしまった。ギターはこんなに大きな音はしない(自分でも多少演奏するのでよく分かる)。一方で賜紀さんは大ホール故にいつもよりは大きな音を出すような演奏をしていたようだ。それでもヴァイオリンとギターの音量バランスはうまく取れていたので、ナルホド、アンプ・スピーカーのちょっとした効果がかなり有効に効いているようであった。

 1曲目はドビュッシーの「月の光」。ホールの照明をステージを含めてすべて落とし、暗闇の中を賜紀さんと奏一さんが静かに登場し、おもむろに演奏が始まった。夜をイメージするこの曲は、この「夜クラシック」シリーズのテーマ曲になっている。静かにつま弾かれるギターの分散和音に乗せて、細く線を引くように賜紀さんのヴァイオリンが入ってくる。冷たい光が闇を照らし、うっすらと浮かび上がる木々や池の上を風が静かに吹き抜けていく。肩の力が抜けた自然な柔らかさの演奏で、大きなホールの空間に広がっていく音が、あたかも夜空に浮かぶ月の光が無限の空間に広がっていくようなイメージ。情景が目に浮かぶようであった。

 お二人のトークを挟んで、2曲目はモリコーネの「ニュー・シネマ・パラダイス」。1988年公開のイタリア映画『Nuovo Cinema Paradiso』の映画音楽としてヒットした曲(英語表記のカタカナにしてしまうとやや興ざめ??)。映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ(1928〜)の代表作のひとつである。原曲はクラシック・ギター2本のために書かれたギター二重奏だが、今日はもちろんヴァイオリンとギターで、賜紀さんの編曲も少しかわえられた演奏だとか。クラシック音楽専門で映画音楽などは無縁という人でも、聴いてみれば、あぁ、あの曲か・・・・と言うくらいに知られたメロディが出てくる。そういう曲であるから、ヴァイオリンの方はゆったりとして美しいが単純な旋律を繰り返すだけで、とくに技巧的な部分などはない。しかし、そうなると表現力が重要になってくるわけだが、賜紀さんのレベルの旋律の歌わせ方は、普通の映画音楽の演奏レベルを遥かに凌駕している。大らかに歌い、流れるようなレガートを効かせ、繊細で微妙なニュアンスで描かれる音楽世界。単純であるが故に、これ以上はないというくらい、美しい演奏だ。

 続いてパガニーニの「ヴァイオリンとギターのためのカンタービレ ニ長調 作品17」。悪魔に魂を売り渡してヴァイオリン演奏技術を手に入れたと言われたほどの超絶技巧の持ち主だったパガニーニ(1782〜1840)だが、実はギタリストでもあり、とくに1800年〜1805年にギターの曲を多く作曲しているという。この「カンタービレ」の作曲年代は不明で、ピアノ伴奏曲として作られたようだが、ギター伴奏版とともに人気の高い曲である。その名の通り歌うような息の長い甘美な旋律が、流れるような技巧的なパッセージに装飾されていて、ロマンティシズム溢れる小品だ。
 賜紀さんの演奏は、小さなホールで演奏する時よりも全体に音を大きく出していて、また大きなホール故に、音が朗々と響いていた。演奏自体も丁寧に弾いている感じでヴィブラートを豊かに効かせ、レガートも流れるよう。この大らかな歌わせ方こそが賜紀さんの真骨頂で、温かみのある音色と上品な響きがこの曲にピッタリ。また装飾的な速いパッセージも残響の中に一瞬閉じ込められるくらいの速さであったが、私にはすべての音符が正確に演奏されているのを聴き取ることができた。これは最前列ならではの利点だ。素晴らしい演奏だったと思う。

 前半の最後は、同じパガニーニの「ヴァイオリンとギターのための協奏的ソナタ イ長調 作品61」。この「ソナタ・コンチェルタンテ」は1803年の作とされ、パガニーニがギターのための作品にもチカラを注いでいた時期に当たる。そのためか、ヴァイオリンとギターが同等に扱われていて、両者の掛け合いがあたかもヴァイオリニストとギタリストが対話するような雰囲気を醸し出す。この頃のパガニーニはギタリストの女性と恋仲だったと伝えられていて、なるほど優しげなギターのパートに比べると、ヴァイオリン・パートの方が情熱的に感じられる。一般的には音域から言ってもヴァイオリンが女性でギターが男性の方がイメージしやすいが、この曲はどうみてもヴァイオリンがパガニーニ自身を表しているように聞こえる。
 第1楽書は冒頭から賜紀さんのヴァイオリンが鋭い立ち上がりで情熱的に聴かせてくる。それを奏一さんのギターがふわりと受け止める。第2主題のヴァイオリンは優しげな愛情表現のように優しい音色に変わる。展開部はあたかも恋人同士の対話のように、主客が目まぐるしく入れ替わる。この曲での賜紀さんの演奏は、いつもよりは鋭くエッジを立てて押し出してくる。対する奏一さんのギターは丸い音色で優しい。
 第2楽章は短調に転じて、もの悲しい主題をヴァイオリンとギターが交互に弾く。愛し合う男女の未来に不運な要素が見え隠れしているのだろうか。対話しているようだといっても、異なる意見をぶつけ合っているのではなく、将来への不安を語り合っているようである。
 第3楽章は、一転して明るく陽気な主題によるロンド。賜紀さんのヴァイオリンがぐっと明るい音色に変わり、弾むようなリズム感と、躍動的なフレージングが素敵。奏一さんのギターもとてもリズミカルでギターの持つ本来の陽性の部分と、スペインとは違う、イタリアっぽい明るさが素晴らしい演奏だ。
 賜紀さんが語るには、パガニーニはヴァイオリンとギターの曲をたくさん書いているので、もっと色々な曲を紹介していきたいという。旋律を自由度高く歌わせることにかけては天下一品の賜紀さんだから、イタリア・オペラのアリアのような美しい旋律を書くパガニーニをもっともっと聴かせて欲しいものだ。

 後半は、予定されていたプログラムに急遽追加するカタチで、奏一さんのギター・ソロで、お馴染みの「アルハンブラの思い出」が演奏された。奏一さんはこの曲を演奏する際には2小節だけ分散和音だけの前奏を加える。そして主旋律が美しいトレモロで紡ぎ出されていく。奏一さんはどちらかといえばテンポを揺らす方の演奏で、トレモロの主旋律を歌謡的に歌わせるのが特徴。上品でロマンティック。とても素敵な演奏だ。アンプ・スピーカーがなければ後方席までこの繊細な音色が届いたかどうか。

 再び賜紀さんが登場して2曲目はバルトークの「ルーマニア民俗舞曲」。こちらも賜紀さんとしてはお馴染みのレパートリーで、ギター伴奏でも、ピアノ伴奏でも、しばしばプログラムに載せている。ハンガリー生まれのバルトークが、当時はハンガリー領だったルーマニアの各地から集めた民謡・舞曲を素材として、1915年に6曲のピアノ用小品にまとめた。その後管弦楽版にも編曲されている。後になってヴァイオリニストのセーケイ・ゾルターンがヴァイオリンとピアノ用に編曲したのが1926年のこと。今日の演奏は、それをさらにヴァイオリンとギター用に編曲にしたものということになる。
 第1曲の「棒の踊り」では冒頭の奏一さんのギターが思ったよりも力強く低音と和音を押し出し、賜紀さんのヴァイオリンも力強く低弦で主題を弾く。主題が中音域に上がって行くと重音を艶やかに響かせるのが印象的だった。第2曲「飾り紐の踊り」ではヴァイオリンが自由度高く気ままに踊るよう。第3曲「足踏みの踊り」はヴァイオリンがフラジオレットだけで民族調の音楽を奏でるが、これは意外に難しいところ。第4曲「角笛の踊り」はロマン性豊かな曲想の美しい旋律が賜紀さんのヴァイオリンで艶っぽく語られていく。かなり色っぽく表情豊かな演奏である。第5曲「ルーマニア風ポルカ」と第6曲「速い踊り」はつながっていて、村人達が熱狂的に踊り狂っている様子を、軽快で躍動的なリズム感の賜紀さんのヴァイオリンが跳ねるように踊り、奏一さんのギターがそれを煽るようにリズムを刻む。全部合わせても7分程度の曲なのだが、ヴァイオリンがそれぞれの曲でまったく異なる色彩と表情を細やかに弾き分けているのにもかかわらず、全体をルーマニアの民族調の色合いにまとめ上げている。このようなところに賜紀さんのヴァイオリンの奥深いところがある。前半のパガニーニとは色彩感がまるで違う。それでいて、旋律が大らかに歌うところは共通したイメージも創り上げている。それこそが賜紀さんの個性というものだろう。

 続いて舞台はアルゼンチンへと飛び、ピアソラの「オブリビオン(忘却)」という曲。こちらも元は映画音楽として書かれた曲で、1984年、イタリア映画『エンリコ4世』の中の挿入曲である。あいにくとその映画はまったく知らないが、曲の方は誰もがどこかで聴いたことがあるはず。感傷的でロマンティックな旋律が殊の外美しく、賜紀さんのヴァイオリンもすすり泣くような、息の長い旋律をヴィブラートをたっぷり効かせて、濃厚なニュアンスを込めていく。ギターのパートも非常に濃厚なロマンティシズムを湛えていて、奏一さんの上品な音色がむしろしつこさを打ち消していて、美しい響きを創りあげていた。

 最後は同じピアソラで「タンゴの歴史」。アルゼンチン生まれのアストル・ピアソラ(1921〜1992)は、もとはバンドネオン奏者として名を馳せた人。つまりアルゼンチン・タンゴの演奏家だったが、パリに留学して西洋クラシック音楽の作曲法を学び、アルゼンチンに戻って伝統的なタンゴをクラシック音楽と融合させ世界に広めた。この曲は、元はフルートとギターのために書かれた曲であり、4つの楽章から成る。内容は標題通りで、1900年頃の酒場(Bordel=売春宿)で流行っていたタンゴ、1930年頃は当時流行のカフェでタンゴが流れ、1960年にはナイトクラブが主流になる。1990年のタンゴは現代音楽と化しコンサート会場でしか演奏されない・・・・といった風に20世紀の「タンゴの歴史」が描かれているのである。
 第1楽章「酒場1900」はヴァイオリンのソロから始まるが、賜紀さんはアドリブを効かせて自由度の高いソロを聴かせる。それを受ける奏一さんもノリが良い。やがて伝統的なタンゴのリズムに収束していき、二人が息の合った軽快なリズム感で、ちょっと陰の射す陽気さの酒場(売春宿)に流れるタンゴが描かれて行く。
 第2楽章「カフェ1930」はギターの序奏が、頽廃的で行き場のない世界観を描き出していく。ヴァイオリンの主旋律も悲観的なイメージが強い。演奏も湿り気を帯びた色彩感で、しっとりとした佇まいを見せる。中間部になると明るい曲想に変わり、不安感の中にも陽が射す時もあるのだとでも言いたげだ。ヴァイオリンもギターのこのような情感の変化を鮮やかな音色の変化で描き分けている。
 第3楽章「ナイトクラブ1960」になると、タンゴは夜の世界に沈殿していく。見せかけの陽気さと虚飾に満ちた世界観。音楽は夜の世界のイメージを濃厚に漂わせながら、表向きはロマンティシズムを主張する。ふたりの演奏はそういった情感、あるいは情景をリアルに描き出している。
 第4楽章「現代のコンサート」は、タンゴが無調で変拍子の現代音楽に進化(退化?)している様子を描く。それでも何となくタンゴに聞こえるのはさすがにピアソラならでは。賜紀さんの演奏する現代音楽はほとんど聴く機会がないのだが、この楽章のように現代音楽「風」に創られた曲であっても素晴らしい感性を発揮して、明瞭で鮮やかな演奏を聴かせてくれたのはさすがである。

 今日のコンサートは「夜」がテーマだった(わけではない?)が、内容はヴァイオリンとギターによる音楽の世界紀行といったものになっていた。ドビュッシー(フランス)に始まり、モリコーネ(20世紀のイタリア)、パガニーニ(19世紀のイタリア)、バルトーク(ハンガリー/ルーマニア)、そしてピアソラ(アルゼンチン)という風に世界を回った。
 そしてアンコールはスペインに飛び、ファリャの『スペイン民謡舞曲』から「ホタ」。本来の長さのコンサートであれば『スペイン民謡舞曲』も全曲演奏するところだろう。「ホタ」はヴァイオリンのピツィカートがギターのようにリズムを刻むかと思えば、歌謡的な旋律を大らかに歌いだす。その対比も鮮やかだし、ギターのパートもさすがに本国のスペインという感じがして、情熱的なのに感傷的で美しい演奏であった。

 終演後は恒例のサイン会・・・・がなかった。実はこの日、大阪から賜紀さんファン仲間のKさんが聴きに来ていたので、お会いしないまま帰るのもちょっと寂しい、ということで、楽屋にお邪魔してみることに。もちろん係の人に了承を得てのことである。終演後のステージの裏側を通り抜けて(これも得がたい体験だ)楽屋に向かうと、何人かの面会者が訪れていた。ホールの撤収時刻は迫っていたようだが、いつものサイン会とは違って、急かされることなくゆっくりとお話しすることができて、とても嬉しい一時であった。Kさんも大阪から来た甲斐があったと大喜びであった。
 賜紀さんは世界でもトップ・クラスのヴァイオリニストだといえるが、私たちのような者にも気さくに接してくれる。そのふんわりとしたお人柄が演奏にもよく表れている。今日は、大らかに歌うパガニーニや、土の香りのする民族調のバルトーク、エキゾチックなピアソラ、情熱的なファリャなど、文化の異なる様々な音楽を多彩な音色やリズム感を見事に使い分けて演奏してくれたわけだが、全体を通してみれば、楽曲の本質には深く迫りながらも優しくてエレガントな「川久保賜紀流」の演奏になっていて、それが何よりも魅力的なのである。


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11/8(火)アリサ・ワイラースタイン/無伴奏チェロの強烈な押し出しで圧倒的な存在感を主張

2016年11月08日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
アリサ・ワイラースタイン Alisa Weilerstein
〜バッハと20世紀 無伴奏の夕べ〜


2016年11月8日(火)19:00〜 王子ホール 指定席 A列 15番 5,000円
チェロ:アリサ・ワイラースタイン
【曲目】
ブリテン:テーマ「ザッハー」
ゴリホフ:オマラモール
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ 作品8
《アンコール》
 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ハ長調 BWV1007より「サラバンド」
 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ハ長調 BWV1007より「ジーグ」

 ダニエル・バレンボイムさんに見出され、あれよあれよという間にスター街道を駆け上り、今や世界中のオーケストラからもオファーが絶えない超売れっ子チェリスト、アリサ・ワイラースタインさんの無伴奏リサイタルを聴く。前回2014年2月に予定されていた東京・紀尾井ホールでのリサイタルは、最前列センターの席を取っていたにもかかわらずドタキャンされてしまい、非常にガッカリしたことを覚えている。今回の来日では、リサイタルは余所でも無伴奏で行い(ただし曲目は違う)、東京交響楽団の定期演奏会にもゲストに呼ばれていて、3日前の11月5日にドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏した。私は定期会員になっていて今シーズンで一番聴きたかったコンサートだったのに、プライベートの所用でこちらは自分の方がドタキャンしてしまったのである。そういうわけで本日、ようやくお目にかかることが出来たという次第であった。

 今回は王子ホール。たった300名のために演奏する。しかも無伴奏リサイタルである。他会場ではバッハだけだったりしたが、王子ホールで、ブリテン、ゴリホフ、コダーイなど、聴き慣れない無伴奏曲がたっぷりのプログラムで、王子ホールを訪れるコアな音楽ファンのニーズに応える(?)マニアックなリサイタルである。実際に、日頃コンサートホールで見かける人たちが、前方の席を占めていた。私も、王子ホールの会員先行抽選で何とか1列目を割り振っていただくことが出来た。真正面ではないが、無伴奏のチェロなら音源が1ヵ所だから、まったく問題はなかった。むしろ最前列ならではの、弦の振動がダイレクトにこちらの身体を共振させるような、強烈な臨場感を味わうことが出来、大変幸せなことであった。

 1曲目はブリテンの「テーマ『ザッハー』」という曲。もちろん初めて聴く。チェリストのロストロポーヴィチが作曲家パウル・ザッハー(1906〜1999)の70歳の誕生日を祝って、1976年当時の著名な作曲家12名に無伴奏チェロ曲の作曲を依頼した、その中の1曲である。初めて聴くワイラースタインさんのチェロは、何とも強烈なエネルギーを放出し、聴く者にもグングンと迫ってくる。分厚い重音や低弦の開放弦が生み出す倍音を含んだ響きの豊かさが印象に残る。2分くらいの短い曲であった。

 2曲目はゴリホフの「オマラモール」。オスバルド・ゴリホフ(1960〜)はアルゼンチン生まれのユダヤ系作曲家ということだが、名前すら知らなかった。グラミー賞を2度も受賞している売れっ子作曲家らしい。曲想にはタンゴのリズムや和声進行が含まれていて、抽象的な現代曲のイメージの中から、哀愁を帯びたタンゴ風の音楽が見え隠れする。ワイラースタインのチェロは、やや暗めの色彩感を持ち、鋭い立ち上がりでインパクトの強い音。ダイナミックレンジが広く、強烈な押し出しをはかせるかと思えば、弱音の繊細さ(とはいっても芯のハッキリした音だが)との対比も極端である。

 3曲目はJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV1009」。バッハの楽曲でしかもハ長調なので、全体に明るい雰囲気が漂い始めるが、やはのワイラースタインさんのチェロは基本的に暗い音色だと思う。早世した天才チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの再来と言われるのも、ダニエル・バレンボイムさんに見出されたからという経歴から来るイメージだけではなさそうである。多声的な音楽に対して、低音部が強く大らかで、開放弦を強く鳴らすのが印象的。それに対して高音域の声部はメリハリのハッキリした演奏法で対比を明瞭に描き出している。

 後半はコダーイの「無伴奏チェロ・ソナタ 作品8」の1曲のみ。作品番号8が示す通り、コダーイの初期の作品(1915年作曲、初演は1918年)である。コダーイ・ゾルタン(1881〜1967/ハンガリー出身なので姓名が日本と同じ順になる)はバルトークと同い年でハンガリーを代表する民族作曲家だが、日本ではあまり人気がなく、演奏される機会もバルトークに比べれば圧倒的に少ない。日本でも知られているのはオペラ『ハーリ・ヤーノシュ』だろうが、それもオペラ上演されることはほとんどなく、管弦楽組曲に編曲されたものが有名である。ハンガリー音楽をメインしたオーケストラのコンサートで時々プログラムに載る程度である。そんなわけだから、「無伴奏チェロ・ソナタ」を聴くのも初めてだと思う。
 コダーイはヴァイオリンやチェロの演奏にも長けていたといわれ、この曲もチェロの演奏技術上もかなり難度の高いものだということは聴けば誰しもが感じるところだろう。また、テク違法の2本の弦(C線とG線)を半音下げて調弦するスコルダトゥーラが指定されていて、楽曲自体には調号が明記されていないが、最低音からロ短調を基調とすることが覗える。曲が始まると低弦の強烈なインパクトを感じるが、開放弦の強い振動が、独特のエネルギーを生み出しているのを感じる。民族的な香りの高い濃厚な主題が調性を飛び越えて超絶手花技巧で語られていく中音域以上の暗い響きに加えて、倍音を多く含んだ低い開放弦の深い振動が、独特の暗いイメージを増長させているのが特徴的だ。それにしてもワイラースタインさんの演奏は、発揮度が強い。たった1挺のチェロから繰り出されているとは思えない程の音圧があり、ダイナモックレンジも広く、非常なスケール感も大きい。男性的なイメージといったら差別表現になってしまうかもしれないが、とにかく迫力と押し出しは相当なものだ。ただ音が大きく迫力があるというのではなくて、極めて技巧的でもある。正確な音程と立ち上がりの鋭いボウイングから繰り出される音楽は、かなり尖った印象で、聴き手の心の中に切り込んでくるような鋭さと緊張がある。装飾的な速いパッセージも力強く正確である。そして音色は暗い。多用される開放弦の左手ピツィカートが丸い音で対比を鮮やかにする。聴き手の方にも緊張を強いるような演奏であった(楽曲自体にもそういった要素は強いとは思うが)。

 アンコールは2曲。J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲 第1番 ハ長調 BWV1007より「サラバンド」と「ジーグ」。調弦を元に戻し(C線とG線をたった半音上げるだけだが)、ハ長調の持つ絶対的な明快さと楽器の響きが輝くように変わったのが分かり、聴いていてもホッとする感じであった。

 終演後は恒例のサイン会。DECCAから2014年にリリースされているワイラースタインさんの「SOLO」というCDを購入して、サイン会に参加した。画像はちょっと見にくいが金色のペンでサイン入りのジャケットである。その後は例によって撮影会に。見ての通り、流通している宣材写真よりは×××××だが、美人であることな変わりはなく、ステージ上で見せる音楽のスケール感とはちがって、あまり大柄な人ではなかった。陽気なお人柄で、ツーショット写真の撮影などにも気さくに応じてくれたのであった。



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【お勧めCDのご紹介】
 本文でも紹介した、アリサ・ワイラースタインさんの「SOLO/ソロ〜無伴奏チェロのための作品集」です。今日演奏された曲目の中では、コダーイの「無伴奏チェロ・ソナタ」とゴリホフの「オマラモール」が収録されています。他には、カサドの「無伴奏チェロ組曲」と盛 宗亮(ブライト・シェン)の「中国で聴いた7つの歌」という曲が収録されています。

ソロ~無伴奏チェロのための作品集
ワイラースタイン(アリサ),シェン
ユニバーサル ミュージック




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11/4(金)小林沙羅/スーパーリクライニングで「子守歌」をテーマに母心を歌う

2016年11月04日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
第120回 スーパー・リクライニング・コンサート
小林沙羅 ソプラノ・リサイタル」


2016年11月4日(金)19:30〜 Hakuju Hall 指定席 A列 8番 2000円
ソプラノ:小林沙羅
ピアノ:河野紘子*
【曲目】
シャーマン兄弟:『メリーポピンズ』より「眠らないで」
中村裕美:子守唄よ
草川 信:ゆりかごのうた
山本正美:ねむの木の子守歌
池辺晋一郎:風の子守唄
ドビュッシー:『ベルガマスク組曲』より 第3曲「月の光」(ピアノ・ソロ*)
ブラームス:『5つの歌曲』作品49より 第4曲「子守歌」
シューベルト:子守歌 D.498
モーツァルト:子守歌 K.350
R.シュトラウス:『5つの歌』作品41 より 第1曲「子守歌」
R.シュトラウス:4つの最後の歌
《アンコール》
 小林沙羅:子守歌
 小林沙羅:えがおの花

 かなり久し振りに、Hakuju Hall(白寿ホール)の「スーパー・リクライニング・コンサート」を聴きにいった。出演はお馴染みのソプラノの小林沙羅さんで、ピアノは盟友の河野紘子さんである。このコンサート・シリーズは毎月1回のペースで開催されていて、マチネー(15:00〜)とソワレ(19:30〜)の2部構成で基本的には同じ内容のコンサートを行う。1ステージは休憩なしの60分間と短いが、これは出演者への配慮でもある。そして最大の特徴は、Hakuju Hallの座席はリクライニング可能になっていること。実際に背もたれを倒して聴いても構わないというコンセプトなので、大きなヘッドレストを取り付けた座席は1列おきにしか使用せず、306席あるホールを162席しか使わないという贅沢なコンサートなのである。・・・・まあ、実際にシートを倒して聴く人がどれくらいいるかは分からないが・・・・。

 今日の主役、小林沙羅さんは、昨年結婚されてめでたくご懐妊。ちょうど3ヶ月前に男の子が生まれた。既に大阪では産休から復帰しているが、東京では本日からが本格的な復帰、活動再開となる。超人気者の沙羅さんだけに、この後もスケジュールはいっぱい詰まっているようだ。

 さて本日のテーマはママとなった沙羅さんが歌う「子守歌」。古今東西の子守歌を集めている。そしてメインにはリヒャルト・シュトラウスの名曲「4つの最後の歌」。短い60分間でもギュッと凝縮された、けっこう聴き応えのあるプログラムになっていた。
 さらに、本日の2日前、2016年11月2日に、沙羅さんのセカンド・アルバム(CD)がリリースされた。「この世でいちばん優しい歌」というタイトルで、内容はこちらも古今東西の子守歌を中心にアヴェ・マリアも3曲加えている。ピアノは今日と同じ河野さんで、妊娠中の沙羅さんともリハーサルを繰り返して作品を煮詰めていったという。何曲かはチェロの高木慶太さんも加わっている。
 と言うわけで、今日はナマで「この世でいちばん優しい歌」を初公開のリサイタルなのである。

 開演時刻となりたった一人でステージに登場した沙羅さんは、ア・カペラで歌い始める。曲はシャーマン兄弟の『メリーポピンズ』から「眠らないで」。やはりスーパー・リクライニング・コンサートといっても眠っちゃダメというメッセージだ。かつて福井敬さんがこのシリーズに登場した時は1曲目にプッチーニの「誰も寝てはならぬ」を熱唱したとか。わざわざお金を嫌って眠りに来る人もいないだろう。少なくとも、沙羅さんがア・カペラで歌うのを初めて聴いて、眠気なんか吹っ飛んでしまうはずだ。伴奏がない分だけ、張りのある綺麗な声質がリアルな存在感で伝わって来る。


 ここのタイミングでトークが入り、後は続けての演奏となり、日本語の子守歌を4曲続けて。まずは中村裕美の「子守唄」。作詞は中原中也である。一晩中子守歌を歌い続ける母親を描いた詩には子どもが登場しない。ほんのり悲しい歌だ。沙羅さんの澄んだ声質がかえって悲しみを誘う。河野さんのピアノも優しく分散和音を紡いでいく。
 草川 信の「ゆりかごのうた」は誰もがどこかで聴いたことかあるはずの童謡。優しい歌唱に優しいピアノ。肩の力が抜けてほのぼのした温かさが伝わって来る演奏。
 山本正美の「ねむの木の子守歌」。美智子皇后陛下のお作詞である。優しく抒情性豊かに曲である。沙羅さんの歌唱は日本語の発音に適した発声方法でとても素直に聞こえる。決して無理をせず、穏やかな日だまりのような温かさで歌う。しっとりと心に染みわたるような情感の表現は、ベースのシッカリした歌唱技術の上に成り立っているのだと思う。
 池辺晋一郎の「風の子守唄」。混声合唱の曲として作られたもので人気のある曲である。一般的な合唱で歌われているよりも、沙羅さんの歌唱はゆっくりとしたテンポで、死んだ人との幸せだった日々を風が吹くと思い出すといった情感を込めてしっとりと歌う。
 沙羅さんは歌唱の技術を磨くだけでなく、歌曲においては言葉の持つ重みを大切にして各国語の発音にも最大限の研鑽を積み努力している。だからとても自然で聴きやすく、情感を表現しやすい。日本人だからといって誰でもが日本語を上手く発音できるわけでは決してないのである(日本人声楽家でもイタリア風の発声が身についてしまい日本が歌唱が聴き取りにくく歌っている人はけっこう多い)。

 ここで沙羅さんはちょっと一休みして、河野さんのピアノ・ソロでドビュッシーの「月の光」を。子守歌ではないが、優しく穏やかな空気感が漂うこの曲もまた、子どもにぐっすりと眠れるように弾いて聴かせるような夜のイメージ。河野さんのピアノは、伴奏の時とは違って広いダイナミックレンジを採り、一見して静寂の音楽を情感豊かに描き出している。間合いの取り方やふと息を止めて月の光を仰ぎ見てしまうような、情景が目に浮かぶような素敵な演奏であった。


 ここからはドイツ語の子守歌の名曲が続く。
 ブラームスの「子守歌」は小学校の音楽の時間に教わるような曲でもあるが、沙羅さんが歌うと、美しいドイツ語は詩的で幽玄な響きを持つ。力まず、そしてチカラを抜かずに、明瞭な発音で母音も子音もとても詩的な美しい響きで歌われていた。
 シューベルトの「子守歌」の誰でもしっている曲だろう。小学校では日本語の訳詞で歌われるが、本来のドイツ語では語感の抑揚と旋律が見事に融合し、また綺麗に韻を踏んでいるので、純粋に「音」としての美しさも格別。沙羅さんの透き通った声質で歌われれば、曲の美しさも一層際立つというものだ。
 モーツァルトの「子守歌」も美しい名曲。この曲を聴いて改めて気が付いたのだが、沙羅さんの歌う子守歌は、声質や発声がまろやかでとても優しく聞こえる。この慈愛に満ちた優しさは母になった喜びそのものの表現なのであろう。歌曲ほど人の心がダイレクトに表れる音楽はない。
 子守歌の最後は、R.シュトラウスの「『5つの歌』作品41」より第1曲「子守歌」。後期ロマン派になると、子守歌もかなり芸術的な要素が色濃くなる。歌唱の旋律は息の長い伸びやかなものだが、ピアノの伴奏は分散和音の音がいっぱいで、がくきょう全体が濃厚なイメージになる。沙羅さんの歌唱もドラマティックな曲想に合わせて、力感が満ち、伸びやかでスケール感がグッと大きくなっていた。

 プログラムの最後は、R.シュトラウスの「4つの最後の歌」。人生の終わるとき〜死〜に対する様々な感情を綴った4つの歌曲である。シュトラウスはオーケストラによる交響詩の時代や後のオペラの時代など、時期によって作る音楽の分野が偏っているが、その中で歌曲の分野だけは若い時から最晩年に至るまで満遍なく書き続けていて、傑作は各時代に散らばっている。中でも最高傑作に数えられる「4つの最後の歌」は、最晩年の1948年(第二次世界大戦の後)の作曲。翌年にはシュトラウスは亡くなり、死後の1950年に初演したのはフルトヴェングラー指揮によるフィルハーモニア管弦楽団の伴奏により、キルステン・フラグスタートが歌ったというから、私たちの年代の者にとってはそう遠い昔の話ではないのだが、沙羅さんの世代の人たちはどのように感じ、捕らえているのだろう。一度訊いてみたい。初演の際に曲順が違っていたというが、出版された際に現在の曲順になり、定着した。5曲目が未完であったという説があり、この4曲で完成したものかは定かではない。
 この曲を歌った時の沙羅さんは、それまでの子守歌とはまったく違うアプローチを見せた。元が3管編成のフル・オーケストラ伴奏の曲だけに、歌唱のパートも力の配分や声量の加減、つまりは発声方法が全然違っていて当然だ。もちろん本日はピアノ伴奏なので、だいぶ抑制的ではあったが、それでも子守歌とは力感がかなり違う。
 第1曲「春」は、濃厚なロマンティシズムを漂わせつつも、希望を感じさせる明るい声質が清々しく感じる。第2曲「9月」は人生の終末期を秋の季節感の中に歌う。やや愁いを帯びた旋律に清冽な情感が込められていく。歌が終わった後の後奏がしっとりとピアノで語られていくのも素敵だ。第3曲「眠りにつくとき」は人生の週末を迎えた人の心情から訥々と語られる。沙羅さんの透明な声が、強くなく、弱くもなく、諦めの思いを悲しみ封じ込めるように、心に染み込んでくる。以上がヘルマン・ヘッセの詩に曲を付けたもので、第4曲「夕映えの中で」だけがヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフの詩が用いられている。自然の中で、静かに死を見つめて、枯淡の境地が描かれる。音楽の方も劇的な要素は影を潜め、淡々とした曲想に変わる。息の長い旋律が沙羅さんの優しい声で歌われるのが、聴いていて救われる思いがする。デクレシェンドしていく歌唱が終わると、ピアノ(本来はオーケストラ)の長い後奏が命の灯火が徐々に消えていくかのように、静かに消えていく。

 アンコールは2曲(マチネーの部は1曲だったらしい)。新しいCDのために沙羅さん自身が作詞・作曲した「子守歌」。ア・カペラで日本旋法に近い短い曲だが、ママだから歌える優しさがいっぱい。
 最後はいつものように、沙羅さんによるオリジナル曲「えがおの花」。毎回聴いているのに、笑顔=平和=愛する心=優しさを願うこの曲には、ちょっとホロリとさせられる。

 終演後は恒例のサイン会。今日は私もCDを購入して正式に参加した。ジャケットのセンター見開きの部分に、お二人のサインをいただいた(横長になるのでいつもよりちょっと大きな画像にしてみた)。


 沙羅さんと河野さんによるリサイタルは、曲目は違っても、どこか穏やかで、優しい雰囲気が溢れている。きっとお二人の人柄がそうさせるのだろう。とても素敵なデュオである。

 来年2017年3月23日には、紀尾井ホールでセカンドアルバムリリース記念のリサイタルが予定されている。沙羅さんと河野さんに加えてチェロの高木さんも参加して、「この世でいちばん優しい歌」の収録曲が、おそらく全部歌われる。もちろんチケットは確保済み。大きなホールで聴くとまた響きも違うので、楽しみである。
 それまでの間にも沙羅さんはかなり仕事が詰まっているようだが、年末の12月22日・23日には昨年と同様、渋谷のセルリアンタワー能楽堂でのクリスマス・コンサート、年が明けて1月9日には千葉交響楽団(旧名ニュー・フィルハーモニー・オーケストラ千葉)のニュースイヤー・コンサート、2月22日には東邦音楽大学での公開講座(河野さんも参加)などに行く予定でいる。

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【お勧めCDのご紹介】
 小林沙羅さんのセカンド・アルバム「この世でいちばん優しい歌」。2016年11月2日のリリースです。古今東西の「子守歌」と複数の「アヴェ・マリア」が収録されていて、つまり母と子がテーマになっているのですね。録音した時は沙羅さんは妊娠中だったので、優しい気持ちが自然に込められています。ピアノは河野紘子さん、チェロは高木慶太さんが参加しています。

この世でいちばん優しい歌
日本コロムビア
日本コロムビア



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11/3(木・祝)河村尚子ピアノ・リサイタル/千葉/オール・ショパン・プログラムが素晴らしく・・・・

2016年11月03日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
Premium Classic Series Vol.26
河村尚子 ピアノ・リサイタル


2016年11月3日(木・祝)14:00〜 千葉県文化会館・大ホール S席 1階 2列 24番 3,000円
ピアノ:河村尚子
【曲目】
ショパン:3つのマズルカ 作品59
ショパン:即興曲 第4番 嬰ハ短調 作品66「幻想即興曲」
ショパン:ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61「英雄ポロネーズ」
ショパン:24の前奏曲 作品28
《アンコール》
 ショパン:ワルツ 第7番 嬰ハ短調 作品64-2

 千葉県文化会館で開催される「Premium Classic Series」は、年に3回のコンサートが主に比較的著名な演奏家によるリサイタルなどで構成されるシリーズ。2016/2017シーズンは、4月10日に諏訪内晶子さんのヴァイオリン・リサイタル、本日11月3日が河村尚子さんのピアノ・リサイタル、来年の2月19日に錦織健さんのテノール・リサイタルとなっている。毎年呼ばれる演奏家の皆さんは大変魅力的ではあるし、価格も地方公演価格になりお手頃なので、毎年「プレミアムシート」という名の年間会員になっている。

 前回の諏訪内さんの回の時に、運営側の不手際が目立つ出来事があり、憤慨したものだが、今回も河村さんの演奏に関しては素晴らしいものであったと思うが、むしろコンサート自体の環境面での問題が気になって、ちょっと大袈裟に言えば聴くことに集中できなかった。

 まずホール所蔵のピアノ。もちろんスタインウェイのフルコンサートだが、コンディションが良くない。千葉県文化会館は来年で開館50周年を迎えるのでホール自体もいささか、というかかなり古くさい。箱物行政特有の多目的ホールだから仕方がないことだが、音響が良くない。そしてピアノも開館時に購入したものではないかと思われるくらいの年代物。いわゆる「中古」である。それでもそれなりに使っていて、メンテナンスもシッカリしていれば何とかなるとは思うが、まあ本格的なプロが使うのが年に3回〜、という程度では、もはや見事な中古品。タケ●トピアノにでも買い取ってもらった方が良い。
 とくに今回のようにピアノのリサイタルともなると、演奏家が可哀想になってしまう。とにかく音が出ていない。音が曇っていて、乾いている。経年劣化で金属が固くなって、弦が十分に振動していない感じである。従って音がすぐに減衰してしまう。だから音量も出ないし、倍音なんか聞こえてこない。響きが貧弱なのである。
 河村さんの演奏は大小様々なホールで、これまで何度となく聴いているので、彼女特有の透明感とちょっとドイツっぽい豊かで暖色系の響きをよく知っている。機能的で妥協を許さないようなスタインウェイの硬質な金属的な音を、柔らかくいなして、体温の感じられる音色に変えてしまうのである。ところがさすがの名手でも、今日のショパンはくすんだ色に塗りつぶされてしまっていた。
 今日の演奏だけを聴いてるのなら、それはそれで素晴らしく情感の込められた演奏であったとは思う。かえっていつもより一所懸命弾いていたようにも見えた。逆にいつもは曲想に応じて様々に変化する彼女の豊かな表情から、楽しさが感じられなかった。

 もう一つは相変わらずヒドイ聴衆のマナー。演奏中の雑音が多すぎる。咳やくしゃみは遠慮なく、あたかも当然の権利のごとく堂々と。演奏中の機微を無視して、ppでも堂々と。いやはや。それらが生理現象だから仕方がないというのなら、プログラムやチラシをガサゴソガサゴソ・・・・これは故意でしょう?? 運営側も良くないのは、プログラム(紙1枚)とチラシなどを音の出やすい手提げ型ビニール袋で配布していることだ。だから膝の上に置いていても、手で提げていてもちょっと動くだけでガサゴソガサゴソ、となる。さらにプログラムを出し入れするからガサゴソガサゴソ。プログラムをたたんでバッグに仕舞いチャックをギーっと閉める人。財布の鈴がチリンチリンの人。咳が出たのでペットボトルを取り出して飲み始める人。何だかわけの分からないものを落として大きな音を立てる人。これすべて演奏中の出来事である。ここは動物園か!?とツッコミを入れたくなる。さすがにのように雑音が多いと、演奏家にも確実に聞こえているので、心を乱すことにもなりかねない。

 というようなわけで、もう千葉県文化会館の「Premium Classic Series」の会員になるのは止めようかと、真剣に考えることにする。お金を払ってコンサートに出かけて、まともに音楽を聴くことが出来ずに不愉快になるなんて、バカバカしいではないか。ここは私の地元。千葉県人として恥ずかしくてならない。(河村さん、キチンとレビューを書かなくて申し訳ありません<(_ _)>)

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11/2(水)バンベルク交響楽団/ブロムシュテット+諏訪内晶子/進化するベートーヴェン・プログラム

2016年11月02日 23時00分00秒 | クラシックコンサート
KAJIMOTO WORLD ORCHESTRA SERIES 2016
バンベルク交響楽団 日本公演 2016


2016年11月2日(水)19:00〜 サントリーホール S席 1階 3列 23番 20,000円
指 揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
ヴァイオリン: 諏訪内晶子*
管弦楽:バンベルク交響楽団
【曲目】
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61*
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」
《アンコール》
 ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」作品84より序曲

 ドイツの名門、バンベルク交響楽団が名誉指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットさんに率いられての来日公演を聴く。2012年の来日以来、4年ぶりとなる。今回の来日公演ツアーでは、10/29福岡、10/30宮崎、11/1名古屋、11/2・11/3東京(サントリーホール)、11/4東京(東京オペラシティコンサートホール)、11/5京都と回り、5都市で7公演を行う。その内、10/29福岡、11/2東京、11/5京都の公演では諏訪内晶子さんがゲスト・ソリストとして参加する。ツアー洋に用意された曲目は、諏訪内さんが弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲に加えて、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と第6番「田園」、シューベルトの交響曲第7番「未完成」、ブルックナーの交響曲第7番、そしてモーツァルトの交響曲34番である。これらが組み合わせを変えて各地で演奏される。
 私は前回の来日公演の時にはベートーヴェンの「英雄」と第7番を聴いているので、今回は「運命」とヴァイオリン協奏曲の日を選んだ。「田園」も聴きたかったが、諸々の事情で諦めることにした。

 前半は諏訪内さんをソリストに迎えてのベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」。結論から言うと、最近の諏訪内さんにしてはやや精彩を欠いていたという印象だった。もちろんこの曲は、ヴァイオリン協奏曲といってもそれほど派手なパフォーマンスで聴衆を喜ばせるような曲ではない。古今東西の人気のあるヴァイオリン協奏曲の中では、むしろ地味な方に入る。ベートーヴェンの曲だからといって「苦悩を通じての歓喜」というようなテーマ性はなく、むしろ「田園」の系統の穏やかで温かみのある曲である。従ってソリストに求められるのは、過激な超絶技巧でも、強烈な押し出しでもなく、むしろ滋味溢れる表現力ということになろう。
 もちろんそのような曲であるから、諏訪内さんはどちらかといえば淡々と、いわば古典的な純音楽として、美しく演奏していたような気がする。名器「ドルフィン」も今日はあまり鳴っていない。音量は、いつもの協奏曲の時に比べれば、かなり控え目。したがってダイナミックレンジが狭く、ややメリハリも少な目。音質はいつもと変わらず艶やかで申し分ないと感じたが、何となく表現の幅も狭いように感じられた。ちょっと不思議な感じであった。
 ブロムシュテットさんの指揮も、かなり抑制的で、オーケストラを7割程度のパフォーマンスに抑え、ヴァイオリンとの調和を保ってはいたが、全体的にオーケストラ側も精彩がなく、何とも地味目にベートーヴェンになっていたように思う。諏訪内さんの調子なのか・・・・ブロムシュテットさんの解釈なのか・・・・。
 諏訪内さんのソロ・アンコールもなかった。

 後半はベートーヴェンの交響曲「運命」。ここでオーケストラのパフォーマンスがグンと跳ね上がる。音量もダイナミックレンジも、音の立ち上がりも鋭く、全体にエネルギーが満ちている。ただ、これは私だけでなく友人達も同様な感想を漏らしていたが、今日のバンベルク交響楽団は、かつてのようなボヘミア系のドイツ色が濃いローカル・オーケストラ(それも一流の)の持つ、ちょっと渋めで土の香りがして、そして伝統の音と演奏スタイルを継承しているというようなイメージがかなり薄れているように感じられた。良く言えば、国際化が進み、高度の機能性が求められる「今風」のオーケストラへと進化しているということになる。思えばオーケストラ音楽も、グローバリゼーションが進み、人的交流も盛んになっているし、シェフも外国から招かれたりもする。団員達も世代交代が進めば国際化の波に呑まれるようになる。別にバンベルク響に限ったことではなく、来日する世界中のオーケストラで似たような感覚を味わっているように思う。伝統が失われるのを寂しく感じるか、機能性が高まるのを喜びと感じるかは人それぞれ。いずれにしても、世界中のオーケストラが変わってきていることは確かだ。
 演奏の方は、ブロムシュテットさんの若々しい(現在89歳!!)音楽創りにはまず驚かされる。各楽章とも全体的に速めのテンポ設定で、躍動的なリズム感に乗って、推進力も抜群。何と瑞々しくエネルギッシュな「運命」なのだろう。逆の見方をすれば、解釈に少々コクがないというか、インテンポで快走するイメージが強かった。もちろんブロムシュテットさんの持ち味なので、聴く側としては好みの問題となる。私は決してこのような演奏が嫌いなわけではないが、かといって前面的にBravo!!と感じる風でもない。演奏自体のクオリティは(機能的という意味で)極めて高く、文句の付けようもなく上手い。弦楽のパワフルなところなどは、日本のオーケストラも見習うべきだろう。そういう意味からも、やはり世界の一流のオーケストラの一つには違いないのだが、私としてはちょっとだけ、不完全燃焼の部分を感じていたのも確かなのである。

 アンコールは「エグモント」序曲。多少失礼な言い方になってしまうかもしれないが、この曲の演奏が本日一番と感じた。ブロムシュテットさんは、この曲では適度な間合いとタメ入れて重厚感を出し、走るところは推進力を漲らせる。生き生きとしてドラマティック。終わり良ければすべて良しということで、最後はBravo!!で締めくくった。

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