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オペラとクラシック音楽に関する肩の凝らない芸術的な鑑賞の記録

7/16(土)東京交響楽団 第591回定期/ライナー・キュッヒルをゲスト・コンマスにシェーンベルクの「浄夜」

2011年07月17日 03時16分07秒 | クラシックコンサート
東京交響楽団 第591回定期演奏会

2011年7月16日(土)18:00~ サントリーホール B席 1階 1列 20番 3,500円
指揮: ユベール・スダーン
ヴァイオリン: ライナー・キュッヒル
ヴィオラ: 西村眞紀(東京交響楽団首席ヴィオラ奏者)
管弦楽: 東京交響楽団
【曲目】
モーツァルト: 交響曲 第25番 ト短調 K.183
モーツァルト: ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364
シェーンベルク: 浄夜 作品4(弦楽合奏版)

 先月に引き続き、東京交響楽団のサントリーホール定期演奏会を聴く。どういう訳か、ここのところ東響を聴く機会が多くなった。来月もオペラシティ定期演奏会に行く予定になっている。今日、どうしても聴きたかったのは、ライナー・キュッヒルさんがゲストに呼ばれているからで、同楽団の西村眞紀さんとの共演でモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」でソロを弾くだけでなく、ゲスト・コンサートマスターとしても参加するから。ヴァイオリンの協奏曲なら、いつもは出来るだけ前の方で聴くことが多い私だが、今日はさらに特別。コンサートマスターがお目当てだから、友人に無理を言ってお願いし、最前列、コンマスの目の前の席を譲ってもらった次第である。さてさて、世界一のコンサートマスター、キュッヒルさんの登場で、東響がどうなるのか、興味津々であった。なお、キュッヒルさんは本年5/7のNHK交響楽団の定期演奏会にもゲスト・コンサートマスターとして客演している。テレビでの放送で観た(聴いた)が、その際にはN響がいつもと変わったとは感じられなかったのだが…。

 1曲目はモーツァルトの「交響曲 第25番」で、コンサートマスターはグレブ・ニキティンさんが務めた。今日の指揮は、おなじみの音楽監督のユベール・スダーンさん。得意のモーツァルトだ。今日が始まって感じたのは、弦楽がキリリと引き締まっていること。最前列のコンサートマスターの目の前だから、第一ヴァイオリンの音がくっきり鮮やかに聞こえるのは当然だが、第二ヴァイオリンのヴィオラもチェロも、実に明瞭で、音の分離が良い。それでいてアンサンブルがビタリと合っているから、ひとつひとつの音符がはっきりと聞こえ、音楽の構造がリアルに構築されていく、といったイメージだ。この曲は管楽器が活躍するような曲ではないが、ところどころに登場するホルンやオーボエ(主席は第20回出光音楽賞を受賞した荒 絵理子さん)が素敵な音色で、優雅な色彩を与えていた。各楽章を通じて、スダーンさんの演奏には、淀みがなく軽快で、迷いがない。鮮やかな演奏だった。

 2曲目はモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」。コンサートマスターが高木和弘さんに代わり、ニキティンさんはフォアシュピーラーの位置に移動。そしてソロのキュッヒルさんと西村さんが登場する。おふたりとも譜面を見ながらの演奏で、譜面台が出てきたときは「しまった」と思ったが、案の定、西村さんが完全に譜面台に隠れて見えない位置に立った。うーむ、想定外だった。

 協奏交響曲ということで、通常の協奏曲とは違う趣がある。ソロのヴァイオリンもヴィオラも、ソロ・パートがないときにそれぞれ第一ヴァイオリンとヴィオラのパートを弾いたりしている。キュッヒルさんはソロの位置から高木さんらとアイコンタクト、第一ヴァイオリンの音がピタリと合う。わずかに離れているソロの位置にいても、キュッヒルサンのヴァイオリンの音は第一の中に見事に溶け込んでいく。そしてソロのパートが始まると、急に鮮やかな音色で、ソロ・ヴァイオリンが浮かび上がってくる。なるほど、モーツァルトだなァ、と感じさせる尖ったところのないまろやかな音色。とはいっても芯のしっかりとして音で、立ち上がりもくっきりしているから、ふやけたところは微塵もない。また協奏曲といっても、けっして大きな音ではない。いや協奏交響曲だから、敢えてそうなのだろう。オーケストラの中に溶け込むようでいて、スルリと抜け出してきて存在感を主張したり…。同様な傾向は西村さんのヴィオラにも。暖かみのある柔らかい音色は、聴いている者を優しく包み込むような包容力があった。ヴァイオリンとヴィオラの特性の違いもあるし、ふたりの音色の違いも明らかな対比となっているのだが、オーケストラと一体となったり離れたりする微妙な距離感の取り方が見事で、なるほど、世界一のコンサート・マスターがソロを弾く「協奏交響曲」なればこそ、このようなシチュエーションが作られるのかと、感心してしまった。それにしても、譜面を見るキュッヒルさんの視線の鋭いことといったら…。とにかく素敵な演奏だった。

 後半はシェーンベルクの「浄夜 作品4(弦楽合奏版)」。無調音楽や12音技法を確立したとして知られる新ウィーン楽派のシェーンベルクだが、この曲は作品番号が示すようにごく初期の作品で、楽想は後期ロマン派に属する。元は弦楽六重奏として作曲された曲(1899年)で、1900年前後のウィーンにあって、絶対音楽中心の室内楽の分野に標題音楽を持ち込んだ画期的な作品である。シェーンベルク自身の手で弦楽合奏版に編曲され、最終的に今日のカタチになったのは1943年だというから、1910年頃には無調音楽を確立していたシェーンベルクも、この曲に関しては特別の思いがあったのだろうか。抒情的で官能的ですらある、名曲である。
 さて、キュッヒルさんをゲスト・コンサートマスターに迎え、曲が始まる。結論から言えば、これは途方もなく素晴らしい演奏だった。それはもう、ビックリするくらい。
 まず、複雑に絡み合った弦楽の厚みが素晴らしい。冒頭にも述べたように、各パートの音が明瞭で分離が良い。その上で見事なアンサンブルを聴かせるから、曲の構造がハッキリと認識できるし、曖昧さかないだけに、かえって弦楽の厚みが強調されたように思う。アンサンブルの見事さは、やはりコンサートマスターの力によるところが大きいのだろうか。ピチカートのひとつまでもが全く乱れない、完璧なものであった。
 また、この曲は各パートのソロも繰り返し登場してくる。キュッヒルさんのソロ、ヴィオラのソロ(青木篤子さん)が各パートから浮き上がるように左右からステレオで聞こえてくるのが美しい。ベースとなる弦楽アンサンブルがガッチリしているから、たとえ大きな音でなくとも、ソロが鮮やかに聞こえるのだろう。
 指揮のスダーンさんも熱演。ささやくような繊細なアンサンブルから、全合奏の分厚い響きまで、ドラマティックに仕上げている。喜びや哀しみ、優しさや不安など、物語的に語られる主題を情感豊かに描き出していた。
 そして今日の東響、オーケストラもまた熱演であった。これにはキュッヒルさん効果があったのだと思う。およそ30分間切れ目なく演奏される「浄夜」。描かれている物語性により様々な楽想が次々と登場する。その間の緊張感の高い演奏が続く。何とも表現のしようがない雰囲気だ。聴いている私たちが筋肉が硬直して身動きが出来なくなるような緊張感なのである。オーケストラの、第一ヴァイオリンの奏者の方々はとくに、キュッヒルさんの背中から強烈なパワーを感じるらしい(というウワサ)。なるほど、むしろ団員の方たちよりも近く(わずか2メートルくらい)にいた私には、強烈なオーラがヒシヒシと伝わってくるのも当然である。

 今日のコンサートは、結果的には「浄夜」に尽きるという思いだ。前半のモーツァルトも良かったが、これはもちろん、とても上手い演奏であり、おそらくモーツァルト好きの人にはたまらないものだっただろう。だが私のごく個人的な感想では、キュッヒルさんがコンサートマスターを務めた「浄夜」の方が、彼の力を、圧倒的に強く感じられたのである。オーケストラ(といっても弦5部だけだが)の音が、聴き慣れた日本のオケの音ではないような…。刻々と変わっていく音色の多彩さ、それもフランスのオーケストラのようなカラフルな感じとも違い、いわば純音楽の哲学的な色彩というか…。うまく表現できないが、音楽を演奏しているというよりは、「音楽の行間」をも描き出しているような、そんな印象である。日本のオーケストラは技術的には高いのに何かが不足しているように感じることがしばしばある。今日は、その何かが不足しているどころか、むしろ溢れていたようだ。技術が急に上手くなることもないだろうから、やはり「精神」といわれる部分が違っていたのかもしれない。
 帰りがけに、どなたか会員の方の話し声が聞こえてきた…。「今シーズンになって今日の東響が一番良かったんじゃないかしら」。多分、それは間違いないと思いますよ。

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