「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

古歌に重ねて

2005年02月24日 | みやびの世界

 古来の歌人たちに、詠みつがれて来たものには、今日では見ることのできなくなった風物が数え切れないほどある中で、「花」「月」に寄せた想いは、たとえ、人が月の上を歩く時代になった今も千五百年の昔と変わらず受け継がれています。開花予想に期待を持ち、桜前線の北上に北国の遅い春を偲ぶそれが証明しています。
あのノーベル賞を受賞した川端康成の記念講演「美しい日本の私」も、詰まるところ「雪、月、花」の美を礼賛したものでした。
 2月の冴えた満月の美しい姿を眺めながら、やはり「くまなき月」は、人に物を思わせるものとしみじみ障子に映る梅の透き影を鑑賞したことです。
短歌、俳句のたしなみのある人はそれを案ずるのもよいし、カメラや絵筆と言う手もあります。それらに加えるもう一つの無償の楽しみがあります。それは古来の名歌、名句に今の実景を重ねて味わい楽しむという楽しみです。これは、はるか後の世に生まれ合わせた者の特権でしょう。これを活用しないのはもったいないと思うのですが。いかがでしょう。

   久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ      友則

   宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける   貫之

   この木戸や錠のさされて冬の月     其角

   しら梅の枯れ木にもどる月夜かな    蕪村

   白梅や誰がむかしより垣の外      蕪村

   夕月や納屋も厩も梅の影       鳴雪

   光琳の斯く見し梅のかく咲ける    川端龍子

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1 コメント

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古歌に ならふ (虚庵)
2005-02-26 22:15:49
散り敷ける 桃の花びら いましばし

留めまほしき 風にふかれな



                虚庵 詠