私たちの世代は、幼時から移動の手段は長距離の場合は別として、歩くことでした。そうした30年間を経て、今は車、バス、列車といった交通手段が中心になり、意識して歩く時間を作らない限り、一日に3キロ以上も歩くということは、普通まずありません。
私の住む町にも大学があって路上で若者たちと遭遇します。この若い人たちが連れ立って歩くときの足取りののろのろが気になって仕方がありません。横に並んで歩道をふさいでゆったりと歩いていきます。日ごろのスピードの追求とはおよそかけ離れた緩慢です。。まるで今このときが、一番人間らしく生きているときとでもいうように。もっとも、人の歩きが遅いと怒るのは老化現象の一つだそうですが。
江戸時代の人たちも歩く速度はかなり速かったようです。あの弥次喜多道中でも、東海道53次を江戸から京まで2週間で歩いているし、「奥の細道」の芭蕉も、忍者説が出るほどの速度の健脚です。
若い人の一年はその人生の20分の一かもしれませんが、こちらにとっての一年は70分の一の速さで過ぎていくのです。生い立ちの歴史からいっても、歩きの年季の入れようが違うのです。足早に歩くこちらを、少しは理解して道を空けてくれてもいいと思うのですが。
私の住む町にも大学があって路上で若者たちと遭遇します。この若い人たちが連れ立って歩くときの足取りののろのろが気になって仕方がありません。横に並んで歩道をふさいでゆったりと歩いていきます。日ごろのスピードの追求とはおよそかけ離れた緩慢です。。まるで今このときが、一番人間らしく生きているときとでもいうように。もっとも、人の歩きが遅いと怒るのは老化現象の一つだそうですが。
江戸時代の人たちも歩く速度はかなり速かったようです。あの弥次喜多道中でも、東海道53次を江戸から京まで2週間で歩いているし、「奥の細道」の芭蕉も、忍者説が出るほどの速度の健脚です。
若い人の一年はその人生の20分の一かもしれませんが、こちらにとっての一年は70分の一の速さで過ぎていくのです。生い立ちの歴史からいっても、歩きの年季の入れようが違うのです。足早に歩くこちらを、少しは理解して道を空けてくれてもいいと思うのですが。
しました。直座りにするべきでした。修正できないみたい?ですね…。後からは???
またも、脱帽ッ!
ところで「りこ」さん、時価座りではありませんか。彼らは、まさに今が旬(シュン)なのです。自分たちだけしか眼中にないのです。いや、眼を開いていないのでしょう。安っぽい時価です。