パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

関心のないことは忘れやすい

2024年01月23日 09時21分40秒 | 養鶏所騒動

人の記憶はどのくらい持続するものだろうか
2021年9月9日 地元の中日新聞にこんな記事が載った

ここで、時々取り上げている話題だ
この裁判は2年ちょっと経過して近々判決が下される

先日、ジムでよく会う話しやすい人に
「もうじき裁判の判決が出る」と伝えたところ
「何の裁判?」の答えが返ってきた

そこで、ざっくりと内容と経過を伝えたところ、お叱りを受けた
「そんなに一生懸命やっていたって、誰も知っていないじゃん
 もっと、周知させなきゃダメだよ」(痛いところをつかれた)
「でもね、チラシは折り込めないし、、」
「それならポスティングするとか、努力しなきゃ」
確かに言われる通りだ、努力不足だったかもしれない

そこで反省して、今更ながら中学時代の友達にこれを伝えると
どんな感想を持つか聞きに行った
出てきたのは「何の裁判?」の言葉だった
彼は上にあげた新聞記事を見逃すタイプではないと思うが
見ていたとしても、忘れているようだった

この話はできる限り公平に正確に説明しようとすると時間がかかる
つまりは面倒くさい話だ
時々一対一で人に説明したことがあったが
聞いている人の表情は飽き飽きしていると思われることが少なくなかった
自分らはいろんなことを知っているが、それを一気に聞かされる方とすれば
頭が混乱しそうなのはわかる
それでも少しは関心を持ってもらえれば良いのだが現実は怒りさえ持ってもらえない

と言って何もしないでいても意味はないので、先の日曜日の午後行われたA議員の議会報告会で
「少し時間を割いて裁判の話をしてよいか?」
と聞いたところ了解を得たので、話をしてみた
報告会に来た人ので裁判の話を知っているのが2.3名
あとは初めて聞く人ばかりだ
(初めて聞く人はどんな感想を持つか興味があった)
話すことによって個人的にはストレス解消になったが
それが効果的だったかどうかはわからない
(でも多くの人が知るようになったことは大きいと思う)

このように、面倒くさいことに関心を持ってもらうのはとても難しい
自分たちの主張の正当性だけを訴えると、頭ごなし的なニュアンスがあるので
それを嫌う人もいるのは分からないでもない
だが、不自然な段取りによる理不尽な出費には自分は自然に怒りが湧き出てしまうが
この怒りはみんながみんな同じように持つわけではないことも歴然とした事実

先日の議会報告会での帰り道、以前議員さんだった方が
「◯◯さん、オンブズマンと名乗って行動したほうが良いよ」
とアドバイスがあった
少し考えたほうが良いかもしれない

コメント
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