パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

変なところが気になってしまう(今回はビートルズ編)

2024年01月13日 09時34分42秒 | 音楽

世間評価が高い曲が好きってことはない
ビートルズでは「ストロベリーフィーズ フォー エバー」とか
「イン・マイ・ライフ」が傑作の評価が高いが
自分は好きではないとうより関心がない
もしかしたら、それらの曲は歌詞が意味深なのかもしれないが
歌詞にはあまり気にせずに音楽だけを聴いているので
そんなに心動かされない

そのかわり変なところが気になる
例えば、「フール・オン・ザ・ヒル」のリコーダーのメロディ
歌のメロディを奏でるところではなくて、全く別のメロディで伴奏するところ
それがとても美しくてうっとりしてしまう

他にも「ガール」の二番目のヴァースから始まるギター伴奏
この伴奏と歌との絡み合いはとても音楽的な充実感を覚える
そしてもう少し後半になると別のギターが同じ音を2回奏でて
リズミと音程を少し変えて、絡むように曲が進行するところも良い

有名なモーツアルトの「きらきら星変奏曲」は「ドドソソララソソ ファファミミレレド」
と単純なメロディだが同じ音を2回使っている
これを1回にして「ドーソーラーソー」とやってみると、全く陳腐な感じがしてしまうし
音楽に活気が無い
「ガール」の伴奏音形(同じ音を2回演奏するところ)はこれを思い出す

「カム・トゥゲザー」は冒頭のベースが印象的で、それにリンゴのドラムスが
音階的に絡むのが完成度が高く思われるが、ベースの音色については
ポールの弾くのが最適だと思う(聞き慣れているせいもあるが)

ジョン・レノンがライブで「カム・トゥゲザー」を歌っているCDがあるが
その演奏のベース奏者は音程とかメロディが同じだけで、音色が違う
ただ低音部をカバーしているだけに過ぎない、、と違和感を感じてしまう
音楽は音色も必要要素なのだと感じる次第

今では少し自慢話になるがポールマッカートニーのアルバム「ラム」は
発売された当時から自分は凄いアルバムだと思っていた
ビートルズが解散してポールがソロ・アルバムとして「マッカートニー1」のあと
出した本当に音楽的に盛りだくさんのアルバムで、夢中になって聴いた

しかし世間評価は全く肯定的ではなかった
ビートルズが解散した原因をポールと決めつけ、音楽は軽薄のものと判断し
彼を批判することが「通」のような雰囲気さえあった

しかし、それから随分時間がたった今は、再評価されて彼のベストアルバムとして
大ぴらに宣言する人も出てきやすくなっている
(桑田佳祐氏もラムが大好きと言っているようだ)
自分はずっと支持していたので「それ見ろ!」と低評価してきた人々に復讐したい気分

土曜の朝だからお気楽にもう一つ
自分はビートルズの音楽はアルバムで聴いて、ベスト盤で聞くことはなかった
つまり赤盤・青盤で聴くことはなかった
それが今回赤盤・青盤のレコードを購入してみて、不思議な感覚を覚えたことがあった

「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が青盤に入っているが
この曲はアルバム「サージェント・ペパーズ」の最後の曲で
カラフルな熱気に満ちた架空のライブのおしまいに歌われる曲として登場する

アルバムのように、曲の前の賑やかさがあってこそここの曲の味わいは深くなる
それが、なんの必然性もなく曲が並べられているだけの状態は、、
なにかとても変な気分だ

同じく青盤に収められた「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」も
ホワイト・アルバムではこの曲が終わったあと「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」が
静かに歌われ、そのコントラストが良いのだが、
このような単なる曲の羅列はなんだか変な気分になってしまう

ということで、土曜の朝、気の滅入ることの多い中
お気楽に好き勝手に吠えてみた



コメント
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